第6話 始めての名前呼び
それから僕らは二人で話し合い、色々と設定を煮詰めてから野崎さんにこの地域の案内を頼むことにした。
「それで、あっちのお店が十五時と二十時にお惣菜が半額になるスーパーで、あっちは十九時半だけ。それから向こうのお肉屋さんは……」
野崎さんは近くの商店街を歩きながら、懇切丁寧に色んな情報を付け足して紹介してくれている。のだが……。
「さっきから半額ネタばっかりじゃないですか!」
「あははは……。まあ一人暮らしが長いとついね~」
確かに助かる、助かるが食生活が偏ってしまいそうだった。
「私、お料理頑張るからね」
「ああ、うん。期待してる……」
真夜は両手でガッツポーズを作り、ふんすと気合を入れているが、家に居た時はそこまで料理が得意では無かった。……今後の成長に期待しよう。
かくいう僕も、野菜炒め程度の知識しかないのでどっこいどっこいだけれど。
「あ、じゃあ私と一緒に作らない? 私、こう見えて色々と料理は出来る方なのよ。節約レシピとか色々教えてあげられるわよ」
「わぁっ。それじゃあお願いします」
「おっけー」
……本当に大丈夫なのだろうか。
「ねえ、真昼くん。今本当に大丈夫か? って考えなかった?」
「いい、いえいえそんな滅相もない。考えてません、これっぽっちも」
野崎さんってエスパーかな!?
「もぉ~……」
野崎さんはしょうがないなぁとでも言いたげな、特大のため息を一つ着くと、足を止めて腕組みをする。
「テレビとかでアイドルが料理を可愛く失敗してるの見るでしょ? ああいうの、全部台本だからね? そうしろって言われてんの。というか、料理を知ってないと間違った選択肢を選べないでしょ」
「……それもそうですね」
「だいたい、まともにやっていけない給料しか出ないのに、自炊以外の選択肢とれるかってーの」
「…………それは……深刻ですね」
僕は今、社会の闇を聞いてしまった気がする。
でも、だからこそ野崎さんはここまでたくましく育ったんだろうなぁ……。
「そうよ、深刻なの……って二人に言っても仕方ない事ね。じゃあ次のお店行ってみよ~」
「お~」
「お、おー」
真夜はノリノリで、僕は多少出遅れながら、元気いっぱいな野崎さんの後をついていった。
安くていい服屋さんはちょっと歩くから、という野崎さんの説明を受けて、僕らは談笑しながらゆっくりと歩いていた。
真夜と野崎さんはすっかり打ち解けており、仲良さそうに笑い合っている。
では僕だけが輪の中に入れていないのかというとそうでもなく、野崎さんは適宜僕の返せそうな話題を振ってくれるのだ。さすがはそういう業界で生きて来ただけはあった。
ただ、今僕が気になっているのはそんな事じゃあなかった。
隣を歩く真夜、その手の事が気になって気になって仕方がなかったのだった。
「も~、野崎さんそんなにからかわないで下さいよ~。私なんてぜんぜん可愛くないですって」
「そんなことないわ。真夜ちゃんだったら絶対売れるわよ。ねえ、真昼くん」
「え? あ、はい?」
「も~、女の子の話はきちんと聞いてなきゃダメだぞ。真夜ちゃんがアイドルやったら絶対売れると思わない?」
「……真夜がアイドル……」
僕は頭の中で、フリフリな服を着てマイクを持った真夜や、ちょっとエッチなポーズをとった水着の真夜を思い浮かべてしまい……。
「……どこにグッズ売ってますかね? 今すぐ買い占めないと」
「ひ、飛躍しすぎだよっ!」
「おぉう、独占欲?」
だって真夜が人気でないはずないじゃないか! 真夜だよ!? 世界一可愛い女の子だよ!? 真夜が振り返ってポーズを決めたら、僕はそれだけで失神できる自信がある!
「は~い、平日の往来でそんな気持ち悪い事大声で叫ばないの」
「あ、あれ? 僕口に出して言ってました?」
「うん」
「は、恥ずかしいよぅ……」
真夜は両手を紅潮した頬にあてて恥じらっている。どうやら声に出てしまっていたらしかった。
でも本心だからね。訂正はしないよ。
「はいはい、ご馳走様……っと」
野崎さんは何かに気付いて前方を指さした。
「あそこ、信号の先なんだけど見える?」
野崎さんの言う方向、大体三十メートルくらい先に、やや古ぼけたお店が見えてきた。量販店などではなく、個人のお店みたいである。
「はい、見えます」
「あ、あそこですね」
「あそこ、お婆さんが趣味でやってるお店なんだけど、たまに手作りの服が売っててさ。これがまたセンスいいのよ」
「へ~」
男の僕はあまりお洒落とか気にした事はなかったけれど、真夜はそうでもないだろう。というか可愛く着飾った真夜は……うん、とっても見てみたい。
「それじゃあ、急ぎましょうか」
「……真昼くん、通知表にとっても素直な子ですとか書かれたことない?」
皮肉を言われたところで僕の決意は変わらなかった。
僕は一瞬躊躇ったが、腕を伸ばして真夜の手を取った。
「あ……」
真夜が恥ずかしそうにピクンと身を震わせたが、僕の手を拒むことは無かった。むしろきゅっと握り返してくれる。
僕たちは今までこんな風に手を繋ぐこともできなかった。隠れて繋いでみても、人の視線を恐れていて心穏やかではいられなかった。
今は違う。誰の目にはばかることなく真夜と手が繋げる。
僕たちは、もう隠れなくていいんだ。この気持ちを隠さなくてもいいんだ。
そう思うと僕は嬉しくて、自然と笑みがこぼれた。
「真夜の手って……小さいね」
「そ、そうかな? お……えっと……ま、真昼……さんの手が大きいんだよ」
真夜が僕の名前を呼んでくれた。真夜が、僕の名前を!
この事実が嬉しすぎて、それ以前の会話の内容なんて頭から吹っ飛んでしまった。人前じゃなければきっと抱き着いていただろう。
「ごめん、真夜。すっごく嬉しかったからもう一回呼んでくれる?」
「ふえぇっ!?」
「お願い、一回だけでいいから」
「え、ええ~~っ」
真夜は僕の無茶振りに抗議の悲鳴をあげたものの、決して嫌だからではない。
恥ずかしいからだ。
その証拠に真夜は右手を口元にやって、ちらちらと野崎さんの方へ視線を向けている。
「すみません、野崎さんはちょっと先に行っててもらえないでしょうか」
「真昼くん、自分の欲望に正直すぎ……」
呆れたような野崎さんの視線も一向に応えない。
僕は本当に嬉しかったんだ。だってこんな状況とはいえ、僕の名前を始めて真夜に呼んで貰えたのだから。
「あの……ね? そういうの、悪いから……」
真夜はそこまで言うと僕の耳元に薄い唇を寄せて、
「……また、あとで、ね」
そう囁いたのだった。
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