第17話 真夜が風邪をひきまして
ある日の朝、僕はあまりに寝苦しく感じて目覚まし時計が鳴る前に目が覚めてしまった。
「暑かった原因は真夜か……」
真夜は眠ったままコアラみたいな感じで僕に抱き着いていたのだ。まだ初夏(四月)で夜中は冷えるのだが、さすがに人ひとり分の熱が追加されれば話は別だった。
「真夜~」
僕は軽く体を動かしてみたのだが、真夜は僕をがっちりとホールドして放さなかった。この嬉しい拘束から逃れるためには真夜に起きてもらうしかないだろう。
「真夜、起きて。真夜」
僕は優しく声をかけながら、朝にひたすら弱い真夜を起こす努力を続けた。
やがて呼びかけた回数が二十回を超えたあたりでようやく真夜が、
「ふぅ……んっ、あぁぁ……」
なんて大きな欠伸をして、眠りの世界から帰還してくれた。
「おひゃよう……おにいひゃ……んくぅ……」
と思ったら再びまどろみの世界に飛び込んでいった。やはり朝の真夜はとてつもなく手ごわかった。
「真夜~、起きて~。起きなくてもいいからせめて放して~」
「やりゃ~……」
寝起きの人間は自分の欲望に忠実になる。真夜は今、欲望丸出しで僕を求めているわけだ。
……な~んて考えたらちょっと嬉しすぎるわけだけど……。このままでもいいか。
「じゃないって。そろそろ目覚ましも鳴るし起きないといけない時間だってば」
「や~、まだおにいちゃんとぬくぬくする~」
「僕もしたいけどね。でも準備とか考えるとそうもいかないんだって」
「ん~、やらぁ~」
なんだか今日はやけに手ごわいな。ここまで甘えん坊になるのも珍しい。
いつもならこのぐらいで目をこすりながらおはよう、お兄ちゃんって笑いかけてくれるのに。
そこで僕はある可能性に思い当たった。
寝苦しいぐらい暑くなったのは、気温が高くて暑いんじゃなく、真夜が熱いからなんじゃないかって。
「真夜、ちょっとごめんね」
僕は一言断ってから真夜のおでこと僕のおでこをくっつけてみる。
いつもの真夜の体温を覚えていないのでよく分からないが、心持ち熱い気がした。
「真夜、なんか気分が悪いとか無い?」
「ん~……ちょっと体がだるい~……」
「喉が痛いとかは?」
「ちょっと首が痛いかも……」
分からないけど風邪かもしれないな……。
例えそうじゃなかったとしても、大事を取って損はないはずだ。医者に行くことが出来ない僕らは、用心しすぎるくらいの方がいい。
そう判断した僕は、ちょっと強引に真夜の腕から抜け出すと、真夜にしっかり布団をかけ、更にその上にタオルやティーシャツなどを乗せて真夜の体を冷やさないようにした。
「今日の仕事、真夜はお休みさせてもらおう」
「お休み~……?」
真夜も少しずつ意識がはっきりしてきたようではあったが、まだ反応が遅い。明らかにいつもと真夜の様子は違っていた。
「大丈夫……だよ、私もお仕事、頑張れるよ?」
そう主張する真夜の呼吸は浅く、何か話すたびに途中で一呼吸入れていた。どう見ても頑張れるような体調でないのは確かだ。
「じゃあ、その頑張りを今は治すことに向けて」
「でも~……」
「いいから」
まだ何か言おうとする真夜の唇に人差し指を当てて静かにさせる。
不安そうな目を向けてくる真夜の頭を、僕は何度も撫でてやった。
真夜は安心して眠ってしまったのか、呼吸が規則的なものに変わる。そこでようやく僕は手を止めると、真夜の傍を離れたのだった。
「それで、今日は真夜ちゃんの事を気にしておけばいいのね?」
「はい、すみません。お願いします! 出来る時だけでいいので」
他に頼れる人も居ない僕は、野崎さんに頭を下げていた。
野崎さんは普段から家に居る事が多いため、もしかしたらと思って頼んでみたのだ。
本当だったら僕が面倒を見たかったのだが、社長さんがどうしても人手が欲しいという事で、僕は泣く泣く断念せざるを得なかった。
「このお礼は僕が出来る事なら何でもしますから」
「なんでも、なんて軽く使わないの。まったくもう、真昼くんちょっと危う過ぎよ? もしも私が体を差し出せなんて言ったらどうするの?」
「僕が出来る事じゃないんでお断りします」
「そ、それはなかなかちゃっかりしてるわね……」
しばらく野崎さんに振り回されて、僕も鍛えらえて来たのだ。小狡くなるのが良い事なのかは分からないけれど。
「ま、今日は私も外出る仕事ないし? 別にいいわよ」
「ありがとうございますっ」
「お礼は……今度二人の話を聞かせてくれたらいいわ」
「そ、それは……」
あまり詳しく話せば感づかれてしまうかもしれず、ちょっとお断りしたいのだが……。
僕がそうやって悩んでいる事を察したのか、野崎さんは顔の前でパタパタ手を振って、柔らかい笑みを見せた。
「別に誰に話すとかじゃないわよ。私が仲良くしてるお隣さんの事を良く知っておきたいだけ。話しにくかったら嘘を混ぜてもいいから」
お金もかからないしね、と付け加えられ、僕はしぶしぶ頷いた。
社長さんも野崎さんも、何の事情を聞くこともなく、僕らを匿ってくれている。さすがに少しぐらい説明が欲しいと思っても仕方がないのかもしれなかった。
「それじゃあ、お願いします。おかゆは冷蔵庫の中にあるので、真夜が目を覚ましたら温めて出してあげてください」
「おかゆかぁ……。定番だけど、苦しいなら無理して食べない方がいいのよねぇ」
「へ?」
「ま、そういうのも含めて私がスペシャルな看護しといてあげるわよ。安心しなさい」
「は、はいっ、ありがとうございますっ。よろしくお願いします」
確かに、高校生の僕より長い時間一人暮らしをしている野崎さんの方がそういう知識は多いだろう。
僕はもう一度深く頭を下げようとして、
「はいはい。じゃあ行ってらっしゃい」
野崎さんに途中で止められてしまった。
額に当てられた野崎さんの手のひらは暖かく、本当に頼りになるお姉さんといった感じだ。
「すみませんっ、お願いします」
僕は歩きながら手を振る野崎さんへもう一度頭を下げると、車で待っている社長さんの所へ走っていった。
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