回復期(後編)エレベーターに乗れました

 四年半ぶりの外出で、私が足を向けたはコンビニだった。

 田んぼの間を縫うように歩き、川沿いの神社を通り過ぎて。

 店の自動ドアの前で、しばらく入るのを躊躇ちゅうちょする。

 中の明かりが、酷くまぶしく見えたからだ。


 まだ日中、というよりもお昼前。まあ、雨が降っていたけれど。

 それでも緊張で、足を踏み入れるのが怖かった。

 四年半ぶりの自動ドア。

 四年半ぶりのレジでの支払い。


 髪型や格好は、どこもおかしくないだろうか。


 意を決して店内に入ると、店員から挨拶された。

 ただのマニュアル。そんなことは分かっている。

 それでも私は、なぜか強烈に恥ずかしかった。

 思わず、「入ってもいいですか? (こんな私でも)」と尋ねそうになった。


 聞いていたら、かなりの不審者に見えただろう。


 お昼ご飯も買おうと思ったのに、デザートもおいしそうなものが並んでいたのに、私は傘だけ買って店を後にした。

 自分とは釣り合わないと感じたからだ。

 あの明るい空間は、私なんかにそぐわないと。


 眩しいといっても、頭痛やめまいを覚えることはなく。

 ただ良い意味で居心地が悪く、まるで憧れの人と面と向かって何も言えなかった後のように、私は幸福を噛み締めながら帰路きろについた。


 電車に乗れるようになってからは、一駅ずつ距離を伸ばしていった。

 頻度も最初の数ヶ月は月に一度だったが、隔週かくしゅうに一度に増やすことが出来た。


 スーパー、ドラッグストア、郵便局。

 自分の足で歩いて行ける安心感。


 ただし、午後にはまだ昼寝が欠かせなかった。

 下船病の患者の多くは、なぜか昼寝を必要とするらしい。

 もしかしたら、働き過ぎている揺れに関する部分を、休めているのだと信じたい。

 

 そういえば、少しでも夜更かしをすると、翌日の症状が悪化した。

 一日中、ベッドから起き上がれないほどに。


 十月三日に電車に乗ったとき、私は降車駅でエスカレーターを利用した。

 降りてすぐに、心なし、ふわっとしたような気がした。


 四年半の間、私は自分の体調の変化に一喜一憂して過ごしてきた。

 敏感にならざるを得なかった。


 だからだろうか。

 家族や親戚、そして友人たちが、何気なく発したであろう言葉にいちいち傷ついて。


 めまいがあっても、ちゃんともっと頑張ってる人もいるよ。


 そうかもしれない。


 熱っぽさや頭の重さに耐えながらも、ネットで下船病について検索していると。


 パソコンは出来るんだ?

 やってもいいの?

 そんなことやってもいいんだ?

 ただの甘えじゃないの。


 出来ること、出来ないこと。

 耐えながらやっていたこと、どのくらいの時間ならとか。


 エレベーターにも乗れるようになった。

 気分の悪さは引きずるので、進んで乗ろうとは思わないが。


 身勝手だと感じるが、同情されたいときもあった。

 心配されたいときもあった。


 疎遠になった友人が、何人もいる。


 参列できなかった友人や親戚の結婚式、それに葬儀。


 自分の健康状態だけ考えていたのは、ある種の逃避だったのだろうか。


 いざ出歩けるようになったとき、私は物欲がほとんどないことに気付いた。

 日の光を浴びられるだけで、アスファルトを踏みしめられるだけで、私はとても幸せだった。



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