急激な悪化。ここは本当に陸地なのか?

 医師から病名を提示された当時、ネットでMal de debarquementと検索しても、日本語では、下船病でヒットすることはなかったように思う。

 デバルクマン症候群か、そうでなければ陸酔おかよい症候群。


 症候群というのは、いくつかの症状が、常にまとまって見られる病態のことだ。

 下船病の病態は、めまいに吐き気、頭痛など。


 東日本大震災後の、今となっては信じられないが、二百万人に一人の病気なんて書かれているサイトもあった。

 確率的に、日本人口を一億二千万人とすると、国内でたったの六十人。


 下船病は、英語圏のサイトでは、どこもrare disease(奇病)と定義されている。

 難病と奇病のどこが違うのか。


 日本国語大辞典によると、難病の定義は二つある。

 一つは、なおりにくい病気。治療の困難な病気。

 もう一つは、原因不明で治療方法が確立しておらず後遺症を残すおそれの多い疾患のうち、特に昭和四七年(一九七二)、研究調査の制度を政府が確立、その対象としたもの。


 同辞典で奇病は、次のように定義されている。

 奇妙な病気。めずらしい病気。なぜかかったのか、また、どうすればなおるのか理解できないような不思議な病気。



 様々な検査を受けたせいか、私は翌日から食欲がなくなった。

 生理が始まったのも、理由の一つだろう。今でも生理中には、症状が増幅される。


 検査から五日目には、私はよたよたと壁伝いで、部屋や廊下を伝い歩くようになっていた。

 立ちくらみも加わったことで、まっすぐに歩くことが出来なくなったからだ。


 体と頭が重く、疲れやすい。


 この頃から、乗り物に乗っているような感覚が可愛いと思えるくらい、大きな存在にもてあそばれているとしか思えないような症状が出はじめた。


 乗り物といっても、フェリーやボートだけでなく、ブランコに揺りかご、遊園地にある遊具のコーヒーカップにシーソー。メリーゴーランド、空港にあるような動く歩道に乗っている感覚。

 床がドリフのコントのように、またはドッキリ番組の企画のように、急に斜めに傾いて、やったこともないのに、強制的にスノーボードをやらされているような感覚を覚えたときもあった。


 それらが数十秒か数分間隔で、ころころと変わっていく。


 まるでいたずらを仕掛けられているかのように、きゅっきゅっと床が前後左右に数十センチ動くように感じられて、その場で転けたこともある。

 だが所詮、その動きは私自身の感覚でしかない。


 大波を乗りこなしているような感覚は、私を一時的にサーファーの気分にさせた。


 右から左へどんぶらこ、とたらいに乗せられ、揺られているような感覚のときもあれば、頭だけ洗濯機の中に突っ込まれているかのように、ぐるぐると回っているような感覚のときもあった。


 ソファーに座っていると、客船の座席のように、ソファーごと上下している感覚の日もあれば、なぜか床だけが上下に盛り上がったり、左右に動いたりするように錯覚する日もあった。

 ソファーごと前に滑るような感覚。ソファーごと上下に跳ねるような感覚。


 私だけが、陸地のない惑星で生活しているかのようで。


 感覚だけでいえば、もう地球を何周しただろう。

 豪華な客船や漁船でもなく、目的地の定まっていない孤独な船旅。


 十代の頃、野外で行う部活の最中、私はよほど暇だったのか、流れる雲を見続けて、友人と地球酔いという馬鹿な遊びをやっていた。


 あの雲が実は止まっていて、地球の方が、その速度で反対側に動いているのだと思おうと。

 当然、地球は自転も公転もしているし、雲だって風に流れて動いている。

 それでも私たちは、地球という乗り物に乗っているような感覚を、少しの間味わった。

 雲の流れる速度で。


 

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