脳外科でも耳鼻科でも、検査結果は異常なし

 詳しい検査を受けるために、今度は一人で、私は再び同じ病院へ向かった。

 交通手段は、電車とタクシー。

 行きの電車を降りた瞬間、ホームがぐわんと波打つ感覚に襲われた。

 そこから階段を下りている最中は、酷いめまいも加わった。手すりを持っていても、しばらくはその場に立っているのがやっとだった。


 病院に到着して、診察室に呼ばれる。

 驚いた様子で、医者に「一人で来たんですか?」と尋ねられたのは、私を見かねてのことだったのだろう。

 流石に壁伝いではなかったものの、確かにふらふらだったから。


 検査の順番はうろ覚えだが、体重計のようなものの上に立ったり、目を閉じて片足立ちをさせられたりした。

 体重計のような検査は、後で調べたところ、重心動揺検査というものらしい。体のバランス感覚、つまりふらつき具合を調べるためだという。


 当時の手帳に書いたメモによると、目前で鉛筆を近づけられたり遠ざけられたりされて、来院してすぐよりも気分が悪くなったと記されている。

 検査中には、酷い吐き気がしていたと。

 右耳に水を入れられてからは、めまいが悪化したらしい。


 ベッドに横になると、体が人間ルーレットのように回っている感覚がしたことは、今でもはっきりと覚えている。右回りと左回りが、数十秒か数分ごとに、交互に訪れたことも。

 最後に、二桁の引き算を、暗算で二問解かされた。私は、その頃には、椅子に座っているのがやっとだった。


 検査を終えると、医者は私に異常がなかったことを伝えて、パソコンで何かを調べ始めた。

 それからメモ用紙に何かを書き付けると、「もしかしたら、これかもね」という言葉とともに、それを私に手渡した。渡された紙には、「Mal de debarquement」とだけ書かれていた。

 Mal《マル》はフランス語で、酷いとか悪いといった意味になる。debarquement《デバルクマン》は同語で上陸。つまり日本語に訳すと、陸酔おかよい症候群となる。


 病院を後にして、私は何を思ったのか、無謀にも近くの書店に立ち寄った。

 いや。正確には、ショッピングセンター内にある書店に足を踏み入れようとして、結局できなかったのだ。

 入り口から見て、正面にある棚に並べられた本の背表紙。

 そこに書かれた文字のどれもが、いくつもの光の針となって、私の頭蓋骨を突き破り、そのまま脳に突き刺さって、串刺しにされるような鋭い痛みを覚えたからだ。

 文字がとにかくまぶしかった。


 後に、世界仰天ニュースの放送を見て知ったことだが、そのような状態は、脳が酷く疲れているせいだという。

 読書が出来なくなった。新聞も読めなくなり、テレビのテロップでも同じ症状に襲われた。

 文字を目にすると、それから数時間は寝込まなければならなくなった。


 それでも病名が分かったことで、気分は大分浮上した。

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