2023年までの論文まとめ ➆バクロフェン注射

 2018年、マウントサイナイ医科大学神経内科とニューヨーク大学医学部神経内科が発表した共著論文きょうちょろんぶんで、下船病の原因とメカニズムについての仮説かせつ提示ていじされました。


 下船病は、脳幹のうかん大脳半球だいのうはんきゅう小脳しょうのうのぞいた部分の脳、脊髄せきずいと脳をつなぐ役割)の左右両側にある神経細胞である、VO(前庭専用ぜんていせんよう)ニューロンの振動(活動)によって引き起こされる可能性があると。


 そのVOニューロンは、視覚と前庭系ぜんていけいを結ぶ神経細胞で、主に内耳ないじ半規管はんきかんからの入力を受け取り、首や体、四肢しし(両手と両足)に出力しゅつりょくします。 

 つまりVOニューロンは、バランスや視線の安定性をたもつために、主に前庭系ぜんていけいと眼球運動を調整する、重要な役割を果たしているのです。


 VOニューロンは、プルキンエ細胞という、小脳皮質しょうのうひしつの中間層に存在する大きな神経細胞からの信号からも、影響を受けることがあります。

 プルキンエ細胞が放出するGABAギャバは、おもGABAA受容体ギャバエーじゅようたいに作用しますが、GABAB受容体ギャバビーじゅようたいにも結合けつごうします。


 VOニューロンが振動(活動)する主な状況は、受動的じゅどうてきな頭部の動き、前庭動眼反射ぜんていどうがんはんしゃ(VOR)、そして姿勢を制御せいぎょするときです。

 受動的な頭部の動きとは、乗り物に乗っているときや、他人に頭を動かされるとき。

 前庭動眼反射ぜんていどうがんはんしゃ(VOR)は、視線を安定させるために、頭の動きに応じて、眼球がんきゅうを反対方向に動かす反射(VOR)のこと。

 姿勢制御しせいせいぎょは、VOニューロンが、姿勢をたもつための前庭脊髄反射ぜんていせきずいはんしゃ(VSR)にも関与しているからです。


 GABAギャバというのは、ガンマアミノ酪酸らくさん(Gamma-Amino Butyric Acid)のことで、中枢神経系ちゅうすうしんけいけいしょうじる、主要な抑制性神経伝達物質よくせいせいしんけいでんたつぶっしつです。リラックス効果や不安の軽減に役立つことが知られています。


 中枢神経系ちゅうすうしんけいけいは、神経系の働きの中核ちゅうかくとなる部分。つまり脳と脊髄せきずいします。

 神経伝達物質しんけいでんたつぶっしつは、ニューロン(樹状突起じゅじょうとっき軸索突起じくさくとっきからる)で生成せいせいされて、シナプス(ニューロンとニューロンの軸索末端じくさくまったん)で放出され、次の細胞を興奮させたり、抑制よくせいしたりする、低分子ていぶんし(分子量が比較的小さく揮発性きはつせいが高い)の化学物質のことです。

 よく知られている神経伝達物質といえば、アドレナリンやドーパミン、セロトニンあたりでしょうか。


 GABAAとGABABは、どちらもガンマアミノ酪酸らくさん(GABA)に反応する受容体じゅようたいです。

 受容体は、レセプターとも呼ばれ、細胞の表面や内部に存在し、細胞外の特定の物質(神経伝達物質しんけいでんたつぶっしつやウイルス、ホルモンなど)や光を、選択的に結合することにより、細胞の機能に影響を与える物質の総称です。


 GABAA受容体とGABAB受容体は、中枢神経系ちゅうすうしんけいけいに広く分布ぶんぷしていて、神経伝達の調整に重要な役割を果たしています。

 そしてどちらの受容体も、GABA(ガンマアミノ酪酸らくさん)が結合すると、神経細胞の活動を抑制よくせいします。

 GABAA受容体は、シナプスの伝達速度でんたつそくどがミリ秒単位と迅速じんそくで、つまり速いシナプス抑制よくせいを引き起こします。

 GABAB受容体は、シナプスの伝達速度に数百ミリ秒から数秒かかることがあり、遅いシナプス抑制を引き起こします。



 下船病の発症に、具体的に関連していると考えられるのは、VOニューロンが0.2または0.3ヘルツの周波数しゅうはすうで、前後(顔や胸の方向と背中の方向)に振動することです。


 この振動が、脳幹のうかんと小脳の間で働く速度貯蔵積分器そくどちょぞうせきぶんき(VSI:Velocity Storage Integrator)の適応不全てきおうふぜんを引き起こし、持続的なかんという、下船病の症状を引き起こす可能性があると。


 脳幹のうかんと小脳の間で働く、という表現は、物理的に脳幹のうかんと小脳の間に位置しているという意味ではなく、脳幹のうかんと小脳の間で情報がやり取りされるという意味です。

 つまりVSI(速度貯蔵積分器そくどちょぞうせきぶんき)は、脳幹のうかんと小脳の間で機能的に連携れんけいしてはたらいているということです。


 脳幹のうかんと小脳の間で情報が伝達でんたつされることで、適切な運動制御うんどうせいぎょおこなわれます。

 具体的には、前庭系ぜんていけいと視覚系の相互作用そうごさようつうじて、頭の動きに対する適切な眼球運動を維持するための仕組みです。

 ですから脳幹のうかんと小脳は、運動の調整やバランスの維持いじにおいて、重要な役割を果たしています。


 ちなみにVSI(速度貯蔵積分器)そくどちょぞうせきぶんきは、Velocity Storage(速度貯蔵)がどのように機能するかを説明するための、メカニズムやプロセスのことで。

 速度貯蔵というシステムが、どのように動作するかを説明する概念がいねんです。



 下船病が、VOニューロンの活動(振動)によって引き起こされるという仮説が正しい場合、VOニューロンの活動を抑制よくせいすることで、主な症状である制御不能せいぎょふのうな振動(0.2または0.3ヘルツ)を止められる可能性があります。


 仮に、振動の影響が小脳から来ている場合、GABAAおよびGABAB抑制作動薬よくせいさどうやく以外に、小脳回路しょうのうかいろ(小脳内での神経細胞の相互作用そうごさよう信号伝達しんごうでんたつ)に影響を与える適切な薬剤やくざいはありません。


 そこでバクロフェンという中枢性筋弛緩剤ちゅうすうけいきんしかんざいが、下船病の治験(猿やウサギなど動物実験)に使用されました。

 この薬は、脳や脊髄せきずい作用さようして筋肉の緊張をやわらげ、特に痙性麻痺けいせいまひ脳性麻痺のうせいまひの治療に使用されることが多いです。


 バクロフェンは、GABAB受容体じゅようたいのアゴニスト(抑制作動薬よくせいさどうやく)で、抑制性の神経伝達物質として働きます。

 GABAB受容体のアゴニストとは、抑制性神経伝達物質であるGABA(ガンマアミノ酪酸らくさん)と同じように、GABAB受容体に結合する物質のこと。

 抑制作動薬よくせいさどうやく(アゴニスト)は、特定の受容体じゅようたいに結合して、その受容体の活動を抑制する薬剤やくざいのことです。

 アゴニストにより、受容体じゅようたいが通常引き起こす生理的反応を減少させるか、完全に阻害そがいすることができます。


 そこで下船病患者に、バクロフェンの注射をすると、VOニューロンの活動が劇的げきてきに減少しました。

 つまりVOニューロンの活動(振動)が抑制よくせいされて、過剰かじょうな神経興奮がふせがれ、症状が緩和かんわされたのです。



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下船病の闘病記と対処法 更級ちか @SarashinaChika

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