四年半後の回復期(前編)

 トランポリン、もしくはウォーターベッドのような感覚だった床が、平らで、硬くしっかりしたものだと感じられたのは、発病から一年九ヶ月が経った五月のことだ。

 一日の大半をベッドで過ごすようになって、およそ一年半。


 頭痛に吐き気、床が波打つ感覚は、まだ取れないまま。

 それでも、足元が硬いという驚きは、私にとって大きな喜びをともなうものだった。


 その三日後、立っている間には、床が波打つ感覚が消えていることに気付く。

 壁伝いでなくとも、真っ直ぐに、そして普通に歩けるようになっていた。


 この頃の私は、筋肉が衰えていたせいだろう。

 日中は、を覚えて、まるで高齢者のように、尿意が近くて起床も早かった。

 たまに感じるようになった肩こり。

 暑さや寒さを感じる感覚も、いつの間にかにぶくなっている。


 頭部が全体的に痛かった頭痛は、目玉が飛び出しそうな痛みの強さはそのままに、次の痛みまでの間隔が空き、それも部分的なものに変化した。

 今日は左側頭部、一週間後には目の奥の方、その二週間後には頭頂部。


 頭の締め付けは、ベルトを巻かれているような感じから、ヘルメットを被っている感覚に緩和されている。


 座っている間にも、床が波打つ時間が、急激に減っていく。


 テレビやパソコンを見られるようになった。

 読書も出来るようになった。

 出来ることが増えていく嬉しさ。


 かと思っていたら、七月下旬に症状がぶり返した。

 それは暑さのためだったのか、それとも読書やパソコンをしていたせいなのか。

 床が堅いのは変わらなかった。


 それでも、久しぶりに感じる、自分が独楽こまになっているような感覚は、私が楽観的であることを許さなかった。

 頭を中心として、足が周りを回っている感覚。円周を描く足。

 それが五時間半に渡って続いた日もある。


 両手で頭部を持ち上げられているような、頭が浮く感じ。


 家族には、ショーケースで育てられている、絶滅危惧種のようだと言われた。

 気分によって変わる体調。

 体調によって変わる気分。


 チョコを食べれば頭痛を感じ、コーヒーはもう口にすることはないだろう。


 それでも、翌年からの症状は穏やかなものだった。


 再び外出できるようになったのは、発病から四年と八ヶ月半が経ったエイプリルフールの日。

 四年半ぶりの外出だった。

 というのも、万が一、自力で帰宅することが出来なければ、また車に乗らなければならないからだ。

 症状がぶり返すのが、悪化するのが怖かった。


 自分の振るさいころの目によって、また振り出しに戻るかもしれないという恐怖。


 それから半年をかけて、私は少しずつ出歩くようになり、歩く頻度を増やし、距離を延ばしていった。

 一キロほど離れた、駅まで行けるように。


 十月三日、殆ど五年振りに電車に乗った。座席には座らずに、立ったまま。

 たった一駅だけ。

 降車する他の乗客は、どこか駅の外に目的地があるため電車を使う。

 私は、電車に乗るためだけに乗っていた。


 ホームに足を降ろすのが、たまらなく怖い。

 地面が波打ちはしないだろうか。ちゃんと堅いだろうか。

 立っていられるだろうか。


 深呼吸をして、スニーカーの裏に触れたホームの地面は、ちゃんと堅く、波打ってもいなかった。

 降りた電車が去った後、私はその場に立ち尽くし、目頭が熱くなるのを感じていた。








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