寝返りをうつだけで脚がつる状態から、リハビリなど
筋肉が衰えていると実感したのは、フローリングの床に座ると、
寝たり起きたりの生活が四年半も続くと、寝返りをうつだけで脚がつる。
自分で切ると変になることが分かっていたので、伸ばしっぱなしにしていた髪の毛は、膝にまで達しようとしていた。こうなるともう、トイレに行くときは、お尻の割れ目に挟まってしまうので、髪は首に巻きつける。まるでマフラーのように、
お風呂に入ると、体を洗って立ち上がった瞬間に、シャンンプーやボディーソープのボトルが持ち上がる。ノズルに髪の毛が
電車に乗るようになって七ヶ月後の五月、私はバスに乗った。
十分にも満たない道のり。乗ることだけが目的で、降りるときには祈るような気持ちだった。どうか、地面が波打ちませんようにと。幸い、地面は固く、このときは微動だにしなかった。
その三週間後にも、少し距離を伸ばしてバスに乗る。この時のバスは、がたがたと揺れていて、立っていてもすぐに気分が悪くなった。疲労を感じ、地面がゆらゆらとしていて、久しぶりに吐き気にも襲われる。
帰りの電車は、足が痛くて座ることにした。
どこかに出掛けようとする際に、一人で帰れるだろうかと考える日々。
それでも行動範囲を広げたかった。
飛行機と船に乗ることは、もう諦めるとして。
いつかまた、乗用車には乗れたらと。
子供の頃から、私はなぜか家の車で酔うことが多かった。それは匂いのせいなのか、少し荒めだった母の運転のせいなのか分からない。
少しずつ、家事を手伝えるようになった。
掃除に洗濯、茶碗洗い。晩ご飯作り。
乳製品とカフェイン、それにアルコールを徹底的に抜いた食生活。
家にあるマシンで、自転車をこぐようになった。
出来ることが増えて、幸せなはずなのに、ふとトラックの前に飛び出しそうになるのはなぜだろう。
諦めたものが多いせいなのか、それともこれから先の生活に不安を感じずにはいられないからか。
この頃、私は「
あまり深く物事を考えたくなかったのかもしれない。
病気をえてからというもの、私は人にものを頼むのが、少しだけ上手くなった気がする。
出来ないことを、出来ないと言えるようになった。
だからだろうか。互いに精神的な余裕がないせいで、馬鹿にし合ってすらいた家族が、いつからか助け合うようになっていた。
ありがとう。助かる。お願いだから。お疲れ様。
こんな言葉が、自然と口から出るようになった。
バスに乗った二年後の八月に、私はようやく乗用車に乗る決心がついた。
父が運転する自家用車。
それは母が、出先で倒れて、救急車で運ばれたという知らせがあったからだ。
最早、揺れなど気にしてはいられなかった。
余談:四年半も引きこもっていると、顔や手のシミが見事に消える。肌の色がどんどん白くなっていく。
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