2023年までの論文まとめ ⑤視運動刺激と前庭動眼反射

 2022年、マウント・サイナイ医学校とブルックリン・カレッジの共著論文きょうちょろんぶんで、下船病患者が重力に引っ張られるような感覚の療法りょうほうが提示されました。


 重力引っ張り感覚とは、自分の意思にはんして体が傾いたり、一方向や複数方向に引っ張られたりするような感覚のことです。


 これらの感覚は、一般的に、動く視覚刺激や大きな音、蛍光灯に対する過敏性かびんせい、耳詰まり感、頭部の圧迫感、頭がぼーっとする感じ(ブレインフォグ)、疲労感、頭部の動きに対する過敏性をともなっていると言われています。


 そこで立てられた仮説が、複雑な前庭刺激ぜんていしげき(バランス感覚に関連する刺激)と視覚刺激(太陽光などの自然光、電球やLEDなどの人工光源、色と形)にさらされた際に、影響を受けて混乱した回転速度貯蔵かいてんそくどちょぞう(通常の頭部の回転速度の記憶や認識)の固有ベクトル(固有値こゆうち)が、頭部の回転軸かいてんじくから認識としてずれてしまい、バランス感覚や方向感覚に異常が生じ、不適切な眼振がんしん(眼球の不随意的ふずいいてき律動的りつどうてき⦅リズミカル⦆に反復する往復運動)と振動性しんどうせいめまいを引き起こすというものです。


 要するに、前庭系ぜんていけいと視覚系の情報が一致しないことによって引き起こされると。


 頭部の回転軸は、頭頸部とうけいぶの特定の関節(第一頸椎だいいちけいつい第二頚椎だいにけいつい環軸関節かんじくかんせつ)で生じる回転運動のことです。

 例えば、頸椎けいつい回旋軸かいせんじくは、頸椎けいついが水平面(重力の方向に対して直角な平面)において左右へ回る動きを可能にします。

 眼球の回転軸は、眼球の中央を通り、上下方向に伸びる垂直軸の周りで。右目は垂直軸を中心に外側(耳側)に回転する外転、左目は眼球が垂直軸を中心に内側(鼻側)に回転する内転と呼ばれる回転運動があります。

 これらの軸は、視覚や聴覚と密接に関連しており、頭部の動きは重要な機能を果たしています。


 メニエール病や良性発作性頭位りょうせいほっさせいとういめまい症(BPPV)、内耳炎ないじえん前庭神経炎ぜんていしんけいえんなどの疾患しっかんは、頭部の回転軸かいてんじくに関連する、めまいや耳症状を引き起こす可能性があります。


 物体が回転する際、その回転軸に沿った固有ベクトルは回転に対して不変であり、その方向が保たれます。

 ベクトルとは、大きさと向きをゆうする量のことで。

 力・速度・加速度などは、ベクトルとして表されます。


 例えば、飛行機のプロペラの回転軸かいてんじく沿った固有ベクトルは、プロペラの回転に対して不変です。


 ですから人体においても、回転速度貯蔵かいてんそくどちょぞうの固有ベクトル(固有値)が、頭部の回転軸からずれることで、バランス感覚や視覚情報の処理に影響を及ぼす可能性があります。


 下船病患者が船の揺れによって頭部が左右に揺れる際、回転軸に沿った固有ベクトル(頭部の回転に関する内部の基準)と実際の頭部の回転(ヨ―)がずれることで、引っ張り感覚を感じると考えられています。

 頭部のヨーとは、頭部を左右に回転させることです。



 そこで、逆方向に速度貯蔵そくどちょぞうを活性化することで、回転固有かいてんこゆうベクトルの不適応を打ち消そうと、脳の平衡感覚へいこうかんかくを再適応させることを目的とした治療法が編み出されました。

 視覚刺激をもちいて内耳ないじのバランス感覚を調整し、前庭動眼反射ぜんていどうがんはんしゃを調整しよう(船の揺れに対する体の反応を改善しよう)と開発された非侵襲的ひしんしゅうてきな技術が、OKS-VOR(視運動刺激しうんどうしげき-前庭眼反射再適応法ぜんていどうがんはんしゃさいてきおうほうOptokinetic Stimulation-Induced Vestibulo-Ocular Reflex)です。


 具体的には、目の運動を利用して、船の横揺れ(ロール)に対するめまいや不快感を軽減することを目指しています。


 OKS(視運動刺激しうんどうしげき)は、視覚的しかくてきな動きによって引き起こされる刺激のこと。

 具体的には、水平方向すいへいほうこう(地球の重力方向に対して垂直)に動く縦縞模様たてじまもようやランダムドットパターンなどが画面上で動くことで、視覚的な動きを感じさせます。

 この刺激は、視覚情報を通じて、姿勢やバランスの調整に影響を与えることが知られています。


 VOR(前庭動眼反射ぜんていどうがんはんしゃ)は、頭部を左右に回転させることで、それとは反対方向に眼球を動かして、網膜もうまくうつ外界がいかいの像のぶれを防ぐふせことです。

 それは頭部が動いているときに、ものが見えにくくならないように働く、一種の反射のことで。視覚情報と内耳ないじ平衡感覚へいこうかんかくが統合されて、安定した視界を維持します。

 具体的には、内耳ないじ前庭系ぜんていけいが頭部の動きを感知し、その情報を脳に伝えます。脳はその情報をもとに、眼球を反対方向に動かす指令を出します。これにより、網膜もうまく上の像が安定し、動いているときでも視覚情報が正確に処理されます。

 そして視覚と平衡感覚へいこうかんかくの統合によって、安定した視界を維持することができます。



 OKS-VOR治療は、視覚運動刺激しかくうんどうしげき(OKS)と頭部の回転(VOR)を同時に行います。

 頭部の回転は、患者の振動性しんどうせいめまいの周波数しゅうはすう(患者が感じるめまいの周波数や揺れの頻度ひんど)でおこなわれます。


 結果的に、治験でOKS(視運動刺激しうんどうしげき)の方向をあやまった場合、下船病の症状がいちじるしく悪化することが分かりました。

 後に、OKS刺激を逆にすることで改善したケースも報告されています。


 しかしOKS-VORの効果には個人差があり、運動誘発型下船病うんどうゆうはつがた下船病(MT-MDDS)患者かんじゃの25%、自発発症型じはつはっしょうがた下船病(SO-MDDS)の患者50%が、この治療に反応しませんでした。


 つまり下船病患者各々おのおのの症状や状態によって、最適なOKS-VORの方法があるということです。

 個別の評価をおこない、最適な刺激を設定すること。

 OKS-VOR単独での効果が不十分な場合、薬物療法やくぶつりょうほうや認知行動療法にんちこうどうりょうほうなどと併用へいようすることで、症状の改善をはかること。

 継続的なOKS-VORの使用と定期的な診療。


 これらの方法を、医師と相談しながら選択することが重要になってきます。

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