第1話『分身』五章 シオンの秘密(前編)


 体の半分が腐った少女……あるいは、死体とつながれた少女?

 自分と同じ顔をしてるだけに、恐ろしかった。


「あなたたちは、だれ?」


 ガラガラ、カタン、カタン。

 ガラガラ、カタン、カタン。

 音をたてながら、少女は近づいてくる。


 もしかしたら……いや、百パーセント、この子はシオンの実験の産物だ。何か知ってるに違いない。


「わたしは……レラよ」


 答えながら、大谷の下をぬけだす。大谷は凍りついてるから、レラの力でも、かんたんに、つきはなすことができた。


「レラ……」


「あなたは?」


 少女は暗い目で、レラを見る。


「わたしは、るなとるり」


「るなとるり?」


 ああ、そうか。ルナとルリか。


 少女は、自分と自分の片割れを一つの個体として見なしているのだと知った。


「あなたはレラ……」


「そうよ。レラ」


「もう半分がレナね?」


 レラは、ドキリとした。


「どうしてわかったの?」


「わかるよ。あなたも同じね。シオンが作ったのね」


 顔を見てわかったのだとしても、レナの名前まではわからないはずだ。


 もしかしたら、ルナ(とルリ)には見えているのかもしれない。


(そういえば、これまでにも何人かいた。わたしの顔を見て、すごく、ギョッとする人。あれって、いわゆる『見える人』なんじゃ?)


 霊感のするどい人には、レラのなかのレナの姿が見えているのだ。


 シオンの研究は死んだ人の魂をこの世に蘇らせることが目的のひとつのようだし。


 そのことと、何か関係しているのだろうか。


「ルナとルリは、シオンに作られたの?」


「そう。でも……わたしは失敗作なんだって」


 少女の目が、いっそう暗くなる。


 じっとレラを見つめるので、レラは怖くなった。


「わたしの部屋に来てほしいの」


「どこにあるの?」


「この奥。わたしは、ここから出たことないの」


「どうして?」


「ここでしか生きられないから。だから……失敗作なの」


 そう言って、また、じっと、レラを見る。気のせいじゃない。その視線には敵意を感じた。


(ここから、逃げないと)


 シオンが封じてるのは、たぶん、この子だ。この姿のせいだけじゃない。封じなければならない理由が、きっとある。


 レラが警戒したことを、少女は瞬時に悟った。そして、薄く笑う。


「もうすぐ、夜が来るね」

「夜になると、どうなるの?」

「夜は、わたしの時間なの」


 ニッと笑って、ルナが一歩、近づいてくる。


 でも、レラは気づいた。


 さっきからルナは、ある一定の線から、こっちに来ようとしない。光のあたる範囲。


 レラにとっては、雨の日の黒雲の下のように、あるかないかの、ほのかな光を、ルナは恐れている。


(吸血鬼みたい)


 すると、レナが応える。


(吸血鬼より、たちが悪いかも。たぶん、あれはシオンの実験のなかでも、初期の産物よ)


 あなたも知らないの? レナ。


(シオンは、かんじんのことは教えてくれないから)


 レナ。あなたは何を知ってるの?


(あとで話すわ。レラ。あなたが、わたしをこばまなければ、わたしたちは、いつでも話すことができる)


 そうだ。この感じ。おぼえてる。


 母にも似た無償の愛。


 レラのすべてを許し、受け入れてくれる。


(だって、わたしは、あなただもの)


 そうね。わたしたちは二人で一つ。


(レラ。夜が来たら、おしまいよ。今のうちに逃げないと)


 でも、どうやって?


 出入口はルナがふさいでる。


 どうにかして、ルナをどかさないと。


「いいわ。部屋に案内して」


 試しに、レラは言ってみた。


「じゃあ、こっちまで来てよ」


「あなたが、さきに出てくれないと。ここは狭くて、そこまで行けない」


 しばらく、ルナは、こっちをうかがっていた。が、ゆっくり、ろうかへ出ていく。


 すると、とつぜん、大谷が走りだした。レラを置いて、一人で逃げだそうとして。


 ところが、扉を出たところで、大谷が悲鳴をあげた。


 レラは近づいていって、見た。大谷は足をつかまれて、ころんでいた。死体に足をつかまれて……。


 うわあっと大声をだし、大谷は自分の足をつかむ死体の手をけりとばそうとする。


 すると、ふいにーー


 死体は起きあがった。


 大谷の足にかぶりつく。


 ビシャッと、血しぶきがあがる。


 大谷の悲鳴は、もはや何を言ってるのかもわからない。


 レラの目の前で、ズルズルと、ろうかの奥へひきずられていった。


 そのすきに、レラは走った。ろうかへ出て、階段へ向かう。鉄柵をしめ、カギをかけようとした。


 やはり、この柵は、あれを封じるためのものだった。


 レラと同じ顔。言葉も通じる。でも、あれはクリーチャーだ。人間じゃない。


 あわててるので、なかなか、錠前が、うまくクサリに、はまらない。いやになるほど、手がふるえる。


「あッ!」


 錠前をとりおとしてしまった。錠前は柵の向こうがわに落ちた。ほんの数十センチ。手を伸ばせば届く。


 レラは柵のあいだに手を入れた。


 早く。早く。もうちょっと。アレが来る前に……。


 必死に錠前をつかもうとする。


 ろうかの奥から、あの音が近づいてきた。


 カタン。カタン。


 カタン。カタン……。


 やっと、つかんだ。錠前。


 レラは手をひっこめ、錠前をクサリに通そうとした。がーー


「きゃああッ!」


 闇のなかから、何かがレラの手をつかむ。


 あわてて、ひっこめようとした。しかし、ふりほどけない。手首に激痛が走る。


 意識が遠くなりそうだ。


 とつぜん、ぶつんと、何かのちぎれる感じがあった。レラをつかんでいた力がなくなる。レラはよろめきながら、あとずさった。


 見ると、手首からさきが、なくなっていた。レラは悪い夢を見ているような心地で、それを見つめた。


(ウソよね……こんなこと……)


 レラ! 逃げて!


 頭のなかで、レナの声がした。


 レラは這うようにして、階段へたどりつく。


「待ってよ。レラ。もっと、ちょうだい」


 闇から、ルナとルリが現れる。


 ゾッとした。死体がレラの手をくわえている。見ているうちに、ガリガリかじりながら、飲みこんでしまった。


「ステキ。やっぱり、あなたの肉は最高」


 死体に変化が起こっていた。なんだか少し、血の気がもどってきたような?


 腐っていた青白い肌に血管が浮きだし、脈打つ。すると、少しずつ、血管のまわりの肌がバラ色になる。


 壊死のひどい死斑のまわりは肉がくずれおち、新しい細胞が増殖する。


 人の血肉を喰い、自分の肉にしている。


(バケモノ……)


 レラはあとずさりながら、階段を一段ずつ、のぼる。


 ルナとルリが追ってくる。


 台車では階段はあがれない。だが、今や死体は死体でなくなっていた。ぎこちない動きではあるが、手足を使って這ってくる。


 レラは恐怖にすくんで、思うように走れない。このままでは、かんたんに、つかまってしまう。


 どうしよう。走らなきゃ。今すぐ階段をかけあがって、走っていけば、なんとか逃げられるかも……そう思うのに、体が言うことをきかない。


 ルナとルリの顔が、間近で、レラをのぞきこむ。


 もうダメだ。つかまってしまう。


 絶望と諦観が押しよせる。


 そのとき、左手が勝手に動いた。ポケットに入っていた何かをつかみだし、ふりあげる。


 ぎゃッと、ルリの口から悲鳴があがった。レラのにぎった何かが、ルリの目に、つきささっている。カギだ。あの錠前のカギ。


(逃げて。レラ)


 レナが助けてくれたのだ。


 レラは走った。


 ふるえる足をふみしめ、けんめいに走った。階段をかけあがり、ろうかをまっすぐ進む。


 ふりかえるが、ルナとルリは追ってこない。これなら、逃げきれる。


 安心した瞬間、背後で奇声がした。ルナとルリが階段を這いあがってくる。


 すごい速さで、こっちに向かってくる。


 どんどん追いつかれる。


 ようやく、玄関にたどりついた。


 ドアをしめるゆとりさえない。


(でも、ダメだ。あの門を乗りこえるところまで、もたない。すぐに、つかまっちゃう)


 ところが、なぜか、なかなか、つかまらない。


 ふりかえると、ルナとルリは玄関口で止まっていた。まるで、そこに見えない結界でも張られているかのように。


 どうしてーー?


 そうだ。光だ。ルナとルリは、地下でも、窓から入る、わずかな光をさけていた。


 もう、ほとんど夜になりかけていたが、それでも、ルナとルリには明るすぎるのだ。


(もうすぐ完全に日が暮れる。暗闇が来たら、また追ってくる)


 日暮れまで数分だろうか?


 レラの右手はなくなってしまった。利き手のない状態で、あの鉄柵の門を乗りこえるのはムリだ。となると、別の退路を考えないと。


(レラ。わたしの右手を貸してあげる。だけど、少し時間がかかるわ。一時間くらい。どうにかして時間をかせいで)


 時間……?


 どこかに身をかくすことができれば……。


 ふと、思いだす。


 そういえば、三階から見たとき、裏庭にロッジ風の建物があった。あそこに入りこむことができれば……。


 レラはカーブになったところで、敷石された道をそれた。庭木のあいだに入る。


 ここからなら、ルナとルリには、レラの姿は見えない。運がよければ、レラはもう門をこえて出ていったと思ってくれるかもしれない。


 右手がしびれて気が遠くなりそう。だけど、庭木づたいに、どうにかロッジにたどりついた。


 前面にベランダと数段の階段。丸太造りのバンガローだ。病院側から見たときのまま、窓があいている。


 レラはひらいた窓から、なかへ入った。


 そして、なによりもまず戸締まりをする。入ってきた窓。玄関。キッチンや浴室の小窓。全部、カギをかける。


(これでもう、大丈夫)


 安心すると、どっと疲れた。

 レラはそのまま気を失った。

 手が熱い。全身、熱っぽい。

 眠りながら、ずっと、うなされていた。


 夢を見た。おかしな夢。


 夢のなかで、レラはシオンだった。


 シオンは一卵性双生児の片割れとして生まれた。赤ん坊のころから、すでに見目麗しかった。


 ただ、先天的な遺伝子異常だった。


 クラインフェルター症候群ーー


 通常、人間の性別を決める遺伝子はXXか、XY。XXなら女性になり、XYなら男性になる。


 しかし、クラインフェルター症候群の患者は、生まれつき、染色体の数が一本多い。XXY。つまり、女性と男性の両方の性を有している。


 成長したとき、どのような表現体になるかは千差万別だ。


 外見上は完全に男性だが、無精子症で卵巣と子宮の発達する患者もいれば、その逆もある。女性と男性の両方の特徴を持つ患者もいる。


 子どものころは少年だったが、第二次成長期で女性に変化することもある。


 複雑な成長過程を得るため、性同一性障害になることも多い。


 シオンの場合、生まれたとき、すでに両性の特徴を外見に持っていた。


 自覚としては自分は男だという認識があった。が、体は、あくまで両性具有だ。なめらかな肌や、男にしては、きゃしゃな骨組みは、体内の遺伝子がつかさどる女性ホルモンの影響だ。


 そのうえ、生来の美貌だ。


 子どものころから可愛かった。さらに成長すると、まるで神話のなかにしか存在しないような、たぐいまれな美少年になった。


 それが、彼の不幸だった。


 赤の他人からストーカー行為を受けるのは、まだいい。 実の父が最初に寝室に忍んできたのは、シオンが十二のときだった。


 それからは毎夜だ。

 自分が女でもある屈辱を思い知らされた。


 シオンは、ゆがんでいった。

 シオンにとって、この世は呪いでしかなく、自分以外の人間は、すべからく死に値するものだ。ただ一人、レオンをのぞいて。


 不思議と父は、レオンには何もしなかった。


 たぶん、あのころ、レオンは拒食症だったから。そのくせ、シオンより先に第二次成長期に入っていた。背ばかり伸びて、ガリガリのゴツゴツだった。


 一卵性双生児でも、見ために、かなり差がついていた。瓜二つでなかった唯一の期間だ。


 それに、レオンにだけは知られたくないとシオンに思わせることで、父はシオンを精神的に支配していたかったのだろう。


 でも、そんなこと、いつまでも秘密にはしていられなかった。二人は双子だ。レオンは気づいた。当然、怒り狂った。


 ある夜、いつものようにシオンの寝室にやってきた父を、レオンは刺した。


 悪魔は死んだと、二人は思った。


 いっそ、死んでくれたら、よかったのに。


 死ななかったから、そのあとが大変だ。


 レオンは拒食症の虚弱な少年にすぎない。気性は激しかったが。


 レオンの力では、とても頑健な大人の父に致命傷を負わすことはできなかった。


 父はレオンに暴行をくわえた。この場合の暴行は文字どおりの暴力。なぐる、けるの暴行だ。


 そして、レオンの見ている前で、シオンを辱めようとした。シオンが抵抗すると、シオンもなぐられた。骨折は、このとき負ったのだと思う。


 それだけ大騒ぎしているのだから、当然、母も気づく。室内の惨状を見た母は泣きだした。きっと、母なら助けてくれるとシオンは思った。


 ところが、落ちていたナイフをひろって、母が切りつけてきたのは、シオンだ。


 このバケモノーーと、母は言った。


「おまえのせいで、うちはメチャクチャよ。わたしの夫を返して。わたしの子どもを返してよ」


 母は以前から、父とシオンの関係に気づいていた。気づいていて、知らないふりをしていた。見えないふり。聞こえないふり。


 見えないふりができなくなった瞬間、母は現実を受け入れることを放棄した。


 あれは、わたしの子どもじゃない。バケモノなんだ、と。


 父は逃げだした。


 父になぐられ、動くことのできなかったシオンとレオンは、母に刺された。何度も。何度も。


 双子が意識を失うと、母は首をくくって死んだ。


 そのまま放置されていたら、シオンたちも死んでいただろう。でも、死ななかった。


 父が警察に通報したからだ。


 父は、すべてを母のせいにした。母は心を病んでいた。とつぜん、包丁を持って、あばれだした、ということにして。


 シオンたちは、瀕死の状態で救出された。


 シオンは右目を失った。レオンは下半身に麻痺が残った。口もきけなくなった。


 でも、本当の地獄は、そこからだった。


 父は医者だったから……。

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