第1話『分身』四章 シオンが悪魔になったわけ(後編)


 M県ーー


 地図に書かれた場所は、富士山の見える山のなかだった。

 こんなところに、いったい、何があるというのだろう?

 しかし、レラにはもう、ここしか、あてがない。


 吉田先輩が帰ってこないので、実家の近くまで行ってみたが、思ったとおり、警察や報道関係者らしい姿が見えた。


 しかたなく、本はあきらめて、一人で、ここへ来た。


 バスも途中でおりて、そこからは歩きだ。舗装の道をそれ、地図とコンパスをたよりに山道を進む。


 細い道のさきに、私有地につき立ち入り禁止の立て札があった。頑丈な鉄柵が通せんぼしている。

 鉄柵のすきまから、荒れた庭とレンガ造りの建物が見えていた。

 一見すると、別荘だ。でも、なんとなく、ふんいきが暗い。


(いやだな。でも、行かなきゃ)


 門は、もちろん、閉ざされていた。ほかに入りこめるところを探す。が、これといってない。しかたなく、鉄柵をよじのぼった。


 なかに入ると、ますます暗いふんいきだ。荒れた庭木のあいだを通っていく。


 建物が近づいてくる。別荘というよりは、何かの施設のようだ。しかし、人のいる気配はない。


 建物の前に、たどりついた。


 三階建ての建物は、近くで見ると、のしかかってくるような重圧感がある。


 レラは建物のなかをのぞこうとした。窓はすべて鉄格子におおわれ、位置も高い。とても見ることはできなかった。


 こうなったら、もう入ってみるしかない。ここまで来たんだし、怖がってたって、しかたない。


 そう考えて、レラは、いやな心地になった。自分が、わけもなく、この建物を怖がってることを意識してしまった。


 逃げだしたい気持ちをふるいたたせて、正面玄関に向かった。


 ここのカギがしまっていたら、どうしようもない。帰ろうか?


 いや、でも、それではシオンの秘密にせまれない……。


 カチャリと音をたて、ドアノブはまわった。すっと、ドアがひらく。


 薄暗い。


 やはり、無人だ。

 なかは思ったほど荒れていない。

 正面には受け付け。小さなホール。玄関わきには、くつばこがある。

 奥に向かう廊下のさきには、診察室の文字。


 ここは病院だ。閉鎖された病院。

 そう思うと、なおさら薄気味悪い。


(病院……シオンは大学で秘密の研究をしてた。でも、そのあと逃げだして行方不明になった。大学からいなくなったあと、きっと、ここで研究の続きをしてたんだ)


 ここが廃墟になっていないということは、今でも使用してるのかもしれない。


 シオンと鉢合わせしたら困る。慎重に進んでいく。物音をたてないように。あたりのようすをうかがいながら。


 診察室と書かれたほうへ行ってみた。


 なかは、よくある病院の風景。デスクがあり、本だながあり、診察台やスツールがある。


 レラは本だなのなかをながめた。医学関連の本ばかり。とくに目をひくようなものはない。


 いや、違う。よく見ると、すみの目立たないところに、探していたものがあった。


『終焉の魔法』ーーシオンの著書だ。


 レラはその本を手にとった。パラパラとページをめくる。むずかしい数式が、いっぱい書かれている。レラでも、ちょっと手に負えない。


 どうやら、これは、もう一冊の『二重螺旋の魔法』の対になる著書らしい。二重螺旋のほうが論文で、こっちはその研究の実践的な資料になっている。


(これじゃ、ちょっと、わかんないよ。シオンは何をしようとしてたの?)


 ため息をつきながら、とにかく、その本をリュックに入れようとした。


 すると、本のあいだから、写真が一枚、落ちてきた。


(シオン……)


 十代のころのシオンだろうか?


 たぶん、場所は、この病院だ。病院の玄関前で他の数人と写っている。


 一人は白衣を着た医者。四十代前後。胸に堂坂というネームプレートをつけている。シオンの肉親かもしれない。


 ほかは数名のナース。


 それに、もう一人。


(これって……シオンの兄弟?)


 おどろいた。シオンもまた、レラと同じ双子だったのだ。 一卵性の双子。そっくりな顔の二人が手をつないでいる。


 でも、二人はケガをしている。顔や腕や、あちこちに包帯を巻いて、車椅子に乗っていた。


(いったい何があったの? シオン)


 見つめていたときだ。どこかで物音がした。


 レラはビクリとして、耳をすます。物音は、それきり聞こえない。


 でも、用心しないと。誰かが侵入してきたのかもしれない。シオンが帰ってきたとか?


 そっと、診察室のドアをあけてみた。ろうかをのぞく。誰もいない。


 レラの気のせいだったのだろうか?


 安心して、本だなの前に戻った。


 本だなのなかには、ほかに、これといった本はない。下半分が引き出しになっている。そこも、あけてみる。カルテがたくさん入っていた。


 さっきの写真。シオンは患者として写っていた。つまり、シオンのカルテもあるかもしれない。


 そう考え、たんねんに探す。


(あった! これだ)


 堂坂詩音。堂坂玲音。さっきの写真の二人のカルテにまちがいない。


(堂坂詩音……本の著者の。じゃあ、これはシオンじゃなく、シオンのお父さん? それとも、シオンと詩音って、同じ人?)


 たんに年齢より若く見えるだけなのか? 二十さいも?


 とにかく、カルテをひらく。


 ものすごい量の書きこみがあった。頭部打撲。右眼球損傷。胸部裂傷。大腿骨骨折ーーなど。骨折は四ヶ所。裂傷は二十以上もある。


 交通事故にでもあったのだろうか。


 カルテはそれらのケガの回復の経過を示している。


(こっちは、レオンって読むのかな?)


 玲音のほうも同じくらい重傷だ。


 ただ、シオンとの明らかな違いが、ひとつ。レオンは、このケガの数ヶ月後に死亡している。


 それに、なんだろうか? このクラインフェルター症候群というのは?


 既往症のところに、雑に書かれている。


 シオンのカルテにも同じことが書かれていた。


 レラは、さっきの写真を見なおした。


 シオンは右目を損傷している。そういえば、写真で双子の一人は頭部に包帯をしていた。


(じゃあ、こっちがシオンで、こっちがレオン)


 そう思って、よくよく見る。


 レラは気づいた。


 双子の手。レオンの手をシオンが包んでいる。だから、見えにくいが、レオンの手の甲には、目立つアザがある。シオンの手にかくれて、形まではわからないが……。


(これって、わたしの実の父にあったのと同じ……?)


 じゃあ、レラの父はレオンなのか? シオンの双子の兄弟の?


 なんだかもう、わけがわからない。


(ほかには、何かないかな?)


 引き出しをかきまわしていると、また音がした。レラは手を止め、息をつめる。


 風の音?


 でも、そういうんじゃなかった。建物のなかから聞こえたような?


 耳をすましていると、遠くのほうで音がした。やっぱり、そうだ。気のせいじゃない。


(誰かいるの? それとも機械的な音? 水道水がもれてるとか……)


 水のしずくのようでもない。

 なんの音だろうか? むしょうに気になる。


 レラは意を決して、ろうかに出た。音の根源をつきとめないと安心できない。


 見渡すが、誰もいない。

 音は遠くのほうでしていた。少なくとも同じ一階ではなかったような。

 感にたよって歩きだす。歩きながら、そのへんのドアをあけてみた。


 どの部屋も、パイプベッドのならんだシンプルな病室だ。とくに怪しいところはない。


 エレベーターは作動してない。


 階段があった。二階へ続く階段と、地下へ続く階段……。


 どっちから音は聞こえただろうか?


 レラは迷って、二階に上がった。しかし、二階は普通の病室ばかりだ。三階も同様。


 三階の窓から裏庭が見えた。


(あれ? なんだろう?)


 杉の木のあいまから建物が見える。


 隔離病棟……というよりは、ロッジのようだ。隣家だろうか? それにしては近すぎる。病院の敷地内に見えるが。


 カーテンが風にひらめいている。窓があいているのだ。誰かいるのだろうか?


 物音は、あそこから聞こえたのだろうか?


 そう考えていたとき、また音がした。


 違う。外じゃない。やっぱり、この建物のなかだ。さっきより遠くなった。つまり、階下から聞こえている。


(地下だ……)


 あの暗い階段。ぽっかりあいた黒い穴のようなところへ入っていかないといけない。


 レラはためらいながら、一階まで戻った。


 地下へ続く暗い階段を見つめる。


 すると、また、カタリと音がした。


 そこへ行くには、かなりの勇気がいった。


 でも、行かないと……誰も、わたしを助けてくれないんだから。


 レラは深呼吸して、暗闇のなかへおりていった。


 せまい階段。コンクリート打ちっぱなしの冷たい空間。


 階段をおりると、長いろうかがあった。その入口に鉄柵がとりつけられている。一部が扉になっていて、クサリと錠前で封じられていた。


(なに、ここ……)


 おかしい。ふつうの病院なら、こんなふうに封鎖する場所なんてない。せいぜい死体安置所や剖検室などがあるだけだ。


 病院の秘密を知られちゃいけないから?


 シオンが変な研究をしていたから。その事実をかくすために、こんなことをしたのか?


 むしろ、なかにある何かを外を出さないためのような……。


 暗闇の向こうをすかして見る。


 うっすらと暗いろうかと、そこにならぶ、いくつかの扉が見えるだけだ。


 また、あの音がした。カタン。カタン。


 まちがいない。この暗闇のさきから聞こえる。


(どうしよう。ひきかえすなら、今のうちだ)


 頭では、そう思うのに、手は勝手に錠前に伸びていた。カギがかかっている。


 レラは、ほっとした。これで調べられなかったことへの言いわけがたつ。自分は弱虫だから、なかへ入れなかったわけじゃない。


 その瞬間に、レラは見つけてしまった。


 かべに、カギがかかっている。


 コンクリートのかべに直接、フックが打ちこまれ、そこにカギがかけられている。


 行くしかないのか。いやだけど。


(でも、きっと、ここにシオンの秘密が……)


 泣きたい気持ちをおさえて、レラはカギを手にとった。ふるえる手。錠前にカギをさす。パチンと音がして、錠が外れた。


 レラはカギと錠前をポケットに入れた。


 鉄柵をひらく。かなり慎重にひらいたのに、大きな音をたてた。


 すると、奥のどこかで、カタンと音がした。


 やっぱり、怖い。ほんとは行きたくない。


(レラ。しっかり。わたしが、ついてるから)


 レナ……。


(わたしたちは、いつでもいっしょよ)


 あれほど忌み嫌ったレナのはずなのに、今は心強い。


 レラは暗闇に足をふみこんだ。


 ろうかの両側にドアがある。


 音は奥から聞こえたが、ほかの部屋はなんだろうか? いざというとき、逃げ道になるかもしれない。


 一番手前のドア。そっと、あける。もとは薬品の貯蔵室のようだ。たなに瓶がたくさん、ならんでいる。


 薬品室のドアをしめ、今度は向かいのドアをあける。


 こっちはホルマリンの瓶だ。内臓っぽいものとか、変なもやもやしたものや、胎児っぽいものが瓶のなかに沈んでいる。


 このドアも閉め、次のドアをあける。


 たぶん、剖検室だ。大きな台や医療器具が放置されている。


 そこから出ようとしたときだ。背後から押されて、レラは室内に、つきとばされた。目の前に人影があった。 大きな黒い人影。


 レラを台の上に投げだすと、デニムをひきおろそうとする。


 そのとき、やっと顔が見えた。地下だが、上部の小さな窓から外の光が、もれ入っている。


「大谷くん!」


 レラのあとをつけてきたらしい。


「やめて! なにするの」


 大谷は、いきなり、レラを平手打ちにした。


「君のせいで、おれは退学処分だよ。それでも、よかったんだ。君に利用されてるだけだと気づくまではね」


「やめて。誤解よ」


 もう一度、平手打ち。


 馬乗りになって、のしかかられると身動きひとつとれない。


 大谷はおもしろがるように、レラのTシャツのなかに手を入れ、胸をわしづかみにする。


(いやだ。シオン……助けて)


 こんなとき、とっさにシオンを思いうかべてしまう。やっぱり、自分はシオンを好きなのだ。どうしようもなく。


 このまま、好きでもない男の言いなりになるのは、イヤ。


 なぜか、そのとき、こんなことは過去にもあったような気がした。


 ほとんど毎晩、この苦痛と屈辱に耐えていたような……。


 一瞬、ヴィジョンが見えた。


 レラによく似た……でも、違う。あれはレラじゃない。なぜなら、少年だ。


 あの写真のシオン。全身、包帯だらけの、傷だらけのシオン。暗い目をした十五さいの少年。


(これは……シオンの記憶?)


 カタンと、近くで音がした。


 レラは、ハッと我に返った。音のしたほうを見る。


 ドアがあいている。すきまから女の子が、こっちを見ていた。女の子の顔は……。


 急に抵抗しなくなったレラを大谷が不審がった。


「あれ? あきらめたのかな? 今まで、さんざん、おれの気持ちをもてあそんできたんだもんな。それくらいの自覚はーー」


 大谷の言葉など耳に入らない。


 レラは少女を見つめた。ゆっくりと、その子が室内に入ってくる。同時に、のぞいていた肩からさきが見えた。


 レラは悲鳴をあげた。


 大谷もふりかえり、硬直する。


 少女が言った。


「あなたたち、だれ?」


 この子、話せるんだ。


 意外な気がした。だって、とても生きていられるような姿には見えなかったから。


 さっきから聞こえていた、カタン、カタンという音は、少女が引きずっていた台車の車輪の音だ。


 台車の上に、もう一人、女の子が乗っている。少女と同じ顔。つまり、レラに似た……レラの分身のような顔立ち。


 でも、台車の上の少女は、あきらかに死体だ。全身のあちこちが腐ってる。白目をむいて、身動きしてない。


 それでも、生きているのだろうか?


 二人の少女は腰のところで、つながっていた。二人は結合性双生児なのだ。

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