第1話『分身』四章 シオンが悪魔になったわけ(前編)


 父の胸に、シオンがぶつかった。

 二人の動きが一瞬、止まる。


 ゆっくりと、シオンが離れる。父はズルズル、カベにそって血の筋をつけながら倒れる。


 シオンは血にそまったジャックナイフの刃を、なれた手つきでおさめた。


「レラ。約束どおり、迎えに来たよ」


 シオンはレラのほうに手をさしだした。白い手ぶくろは、父の血で赤くぬれている。


 レラは後ずさりして、遠ざかる。


 シオンの目が冷たく光った。


「どうしたの? なんで、そんな顔するのかな?」


「………」


「それに、せっかく僕のあげた贈り物を落としちゃうなんて、いけないよ? おかげで探すの大変だったじゃないか」と言って、シオンは盗聴器仕込みのペンダントをポケットから出す。


「もちろん、落としたんだよね? わざと、すてるわけないよね? レラ? 君は、そんな悪い子じゃないだろ?」


 レラは、あとずさった。枕元に置いたリュックをつかみ、すばやく部屋をかけだす。


「レラ! 待ちなよ。僕から逃げるの?」


 シオンが呼びとめるが、無我夢中で走った。ホテルをぬけだし、夜の街をさまよう。雨はまだ降り続いていた。


(待って。レラ。なんで逃げるの? シオンと会いたかったんでしょ?)


 シオンはお父さんを殺した。


(でも、それはレラを助けるためでしょ?)


 お父さんだけは、最後まで、わたしのこと大切にしてくれた。首をしめたのも、わたしのためを思ったからだよ。


(じゃあ、レラは、あのまま死にたかったの? レラはショックで、ちょっと悲観的になってるだけ)


 うるさいよ。だまって。


 胸のなかで聞こえる声。叱責すると、声はやんだ。これでもう一人だ。


「お父さん。ごめんね。わたしのせいで……ごめんね」


 泣きながら、歩く。


 冷たい雨に打たれるうちに、少し冷静になった。とにかく、このままでは風邪をひく。今夜はもう眠ろう。


 裏通りにホテルを見つけた。いかにも、はやらない感じの小さなホテル。


 受付に立つと、居眠りしていたフロントマンが目をさます。レラを見て、青い顔になった。


 オバケでも見たような顔をしているので、視線を追って背後をながめる。とくに、何もない。レラ自身におどろいたのか? 服に血でも、ついてたとか。


 身なりをチェックするものの、ずぶぬれというほかは、おかしなところはない。


「空室、ありますか?」

「ああ……はい。部屋ですね。209です」


 変な男だ。レラと目があわないようしている。


 男からカギを受けとって、レラは部屋に入った。十二時すぎている。三時間も、どしゃぶりの雨のなかをさまよっていたのだ。


(これから、どうしよう。もう誰も信用できない)


 明日からのことを考えることもできない。


 レラは疲れはてて、その夜は眠った。


 翌朝、七時すぎに、しぜんに目がさめた。


 シャワーをあびると、気分がスッキリする。


(とにかく、お母さんにもシオンにも見つかるわけにいかない。お父さんの話だと、二人は、いっしょに研究してたらしい。共謀してる可能性がある)


 だからと言って、いつまでも逃げ続けることはできない。


 レラは十五さいだ。世間的には家出少女である。警察に補導されれば、即刻、家につれもどされる。


 資金がつきれば、生活していくのにも困る。風俗に身をおとすか、犯罪にまきこまれるか。そんなところだ。


 それくらいなら、こっちから攻めてやろう。短期決戦だ。


 シオンと母の裏をかいて、二人の研究の内容をつきとめる。それさえわかれば、どうにか解決する方法が見つかるかもしれない。


 とりあえず、そう決心すると、ほっとした。


 浴室は電球が切れているのか、薄暗い。


 シャワーを止め、そなえつけのバスタオルで体をふく。昨日できた、わき腹のアザをよく見ようと、鏡の前に立った。


 レラは硬直した。


 自分のとなりに、誰か立っている。


 いや、誰かーーではない。レラだ。青ざめて、死人みたいな顔のレラ。


 レラを責めるように、こっちを見ている。


 レラは浴室をとびだした。しばらく、しゃがみこんだまま動けない。


 数分して、ようやく立ちあがった。浴室の鏡をのぞきこむ。すると、やはり、そこには二人のレラが映っていた。


「……レナなの?」


 レナは、うなずいた。


「わたしをどうするつもりなの? わたしの体をのっとる気?」


 レナの顔が悲しげになる。そして、ふっと消えた。


(子どものときも、こうだったのね。わたしにだけ見えたレナ。やっぱり、レナの魂は、ここにあるんだ)


 薄気味悪いけど、自分のなかにいるとしか考えられない。今また姿が見えるようになった。レナとのつながりが強くなったから……。


 レラは急いで着替えて、チェックアウトした。シオンの研究をつきとめよう。手遅れになる前に。


 コンビニで買ったパンを歩きながら食べた。


 父に渡された本は、まだ最後まで読んでいない。しかし、探せば、他にも堂坂の著書があるかもしれない。


 公立図書館よりも、母校の図書館のほうが置いてある確率が高い。


(大学に行くと、お母さんに見つかるかな?)


 母だけではない。付属病院を脱走したから、職員の誰かに見つかるだけでアウトだ。どうしたら、もぐりこめるだろう?


(そうだ。わたしじゃなく、大谷くんに行ってもらえばいいのか。だけど、わたしをつれだしたから、大谷くんも退学処分とかなってなきゃいいけどね)


 公衆電話から、大谷のケータイに電話をかけた。つながらない。


(やっぱり、めんどうなことになってるのかな? だとしたら、ほかの方法を考えないと)


 とりあえず、公立図書館に行ってみた。しかし、思ったとおり、堂坂詩音の名前で検索しても、蔵書にはなかった。少数部数の自費出版なのかもしれない。


 あるとしたら、大学か、レラの家だ。どっちにしろ、危険をともなう場所である。


(どっちが、まだしも安全だろう? 大学は職員も多いけど、たくさん人が出入りする。まぎれこむことはできる。


 家は、お母さんが、わたしのことを警察に届けでてるかどうかね。捜索願いが出てるなら、警察の見張りがついてるかも。


 わたしは病院から、ぬけだした病人だから。ただの家出人より、あつかいが重くなってるだろうし)


 まよっていると、声をかけられた。


「……レラちゃん?」


 ふりかえると、どこかで見た人が立っている。レラの学校の制服だ。


「ああ……吉田先輩。こんなところで、どうしたんですか?」


「通学途中だよ。そういう君こそ、入院中じゃないの? ていうか、君んちのお父さん、大変なことにーー」


 言いかけて、吉田は口をつぐんだ。


「ごめん。なんでもない」


「父、死んだんですね? 今朝はテレビ見てないけど、ニュースになってましたか?」


「ああ……ごめん」


「べつに、いいですよ。知ってたから」


 なにしろ、父の心臓からナイフが生えていた。


 吉田は、ほっとした。


「そっか。もしかして、まだ知らないかと思って」


「わたしが傷つくと思った? やさしいんですね。わたし、あなたに、ひどいことしたのに」


「まあ、ショックじゃなかったって言ったら、ウソになるけど。でも、病人にあたっても、しかたないし」


 やっぱり、いい人だ。シオンと対極の位置にいる。


(この人といたら、毎日、ふつうに楽しいんだろうな)


 なんで、この人じゃなく、シオンのことを好きになってしまったんだろう。


 そう思うと、悔やまれる。


 きっと、あの日が分岐点だったのだ。


 この人を選んでいれば、レラは今でも平凡な毎日を送っていた。


 でも、レラはシオンを選んだ。シオンは悪魔だとわかっていて。


 だから、あのころは考えもしなかったような非情な現実に堕とされた。


 これは、自業自得。自分の望んだ道。永遠の夜闇のなかをさまよい続ける。


 ひずみのなかに堕とされたレラの目からは、吉田先輩は、まぶしすぎた。


「わたし、行かないと」


「どこへ? 病院に帰らなくていいの?」


「わたし、不治の病なの。死ぬ前に最後に、外の世界を楽しもうと思って。わたしのこと、ナイショにしといてくださいね」


 こう言っておけば、母に連絡される心配はないだろう。


「じゃあ」と言って、立ち去ろうとすると、吉田先輩に手をつかまれた。


 吉田先輩が泣いていたので、レラはビックリする。


「待って。おれも、いっしょに行くよ。遊園地でも、映画館でも、ショッピングでも、なんでも、つきあう」


 どこまで純粋なんだろうか。


 でも、それも悪くない。


 レラ一人では見るからに家出少女だが、二人なら、デート中のカップルに見える。かえって目立たない。


「ほんとに、どこでも、つきあってくれるの?」


「いいよ。君の行きたいとこに、つれてってあげるよ」


「じゃあ、○○○○大学へ」


「大学? なんで?」


「志望校だったから。一度でいいから、大学生の気分を味わってみたい」


「……わかった」


「先輩。私服に着替えてこれませんか?」


「今、うちに帰ったら、ママが目まわすよ」


「そっか」


 先輩は平凡で平穏な高校生なのだ。


 レラは吉田先輩をカモフラージュに使うことに、多少の良心の呵責を感じた。


 とはいえ、これで少しは安全に大学に忍びこめる。


 ちょうど朝のラッシュ時だ。駅のなかも電車のなかも人だらけ。キャンパス内も学生であふれていた。これなら、まぎれこめる。


「で、来たけど、どうするの?」

「図書館に行きたい」

「あれ? なんで、そっち? 図書館の場所、知ってるの? くわしいね」


 先輩の手をとり、ひっぱっていく。

 朝早いので、図書館のなかには、あまり人がいない。


「先輩。職員が来たら、教えてくださいね。わたし、ここの付属病院から脱走中だから」


「わ……わかった」


 先輩に見張りをさせといて、レラは館内のパソコンで検索する。


(あったーー堂坂詩音著『終焉の魔法』)


 だが、よく見ると貸し出し中だ。それも、三日前。まるで、レラの先手をとるように。


「ねえ。先輩。この本、誰が借りたか、司書の人から聞きだせない?」


「えっ、そんなこと教えてくれるかな? 個人のプライバシーだよね」


「そこをなんとか。お願い」


「わかった」


 受付のほうへ歩いていく先輩を、本だなのかげから見守る。先輩は、しばらく司書の女と話していた。が、結局、浮かない顔で帰ってくる。


「ごめん。やっぱり、ダメだった」


 まあいい。この時期に借りてくなんて、関係者の誰かに違いない。父か母か、あるいはシオン。


(昨日、おうちで会ったときは、お父さん、わたしを逃がしてくれた。そのあと、ホテルで会ってから急に、わたしを殺そうと……)


 シオンの著書をひさしぶりに読み返したとも言っていた。


(きっと、お父さんだ)


 最初に読み終わった一冊をレラに貸し、そのあと、二冊めを読んで気が変わったということだろう。


 その二冊めにこそ、レラの知りたいことが書かれている?


「先輩。もういいよ」


「えっ?」


「わたしのうちに行こう」


「いいけど」


 急いで、外へ出る。


 校門から、ぬけだすとき、大谷と鉢合わせした。向こうも気づいて、目をみはっている。さわぎになりたくなかったので、レラは無視した。


(彼、気を悪くしたわよ?)


 わかってるよ。そんなこと。


 先輩と腕をくんでカップルのふりをしていたから、勘違いしたに違いない。


(あの人、きっと、レラに気があるのに。だから、いろいろ、助けてくれたんでしょ?)


 今さら、どうしようもないよ。


 レラは走って、その場を逃げだした。


 レラには時間がない。シオンの著書が母に見つかって処分される前に、手に入れなければ。


 電車に乗って、自宅近くまで折り返した。


「先輩。わたしの家のまわり、どうなってるか、見てきてもらえますか? 警察とか、取材の人とか来てる?」


「わかった。じゃあ、レラちゃんは、ここで待ってて」


 近所の児童公園で、いったん、わかれた。


 木かげのベンチに、かくれて、すわる。先輩が、いつ帰ってくるかと、公園の出入り口付近を見つめていた。


 ふと、気配を感じる。視線を目の前に移した。小さな赤いエナメルのクツをはいた足元が見える。


 その赤いクツから、目が離せない。視線をあげることが、怖い。


(知ってる? あの階段から落ちたとき、ほんとはね……)


 やめて。聞きたくない。


(あのとき、わたしね。ほんとは、こんなふうになっちゃったんだ)


 少女がレラの顔をのぞきこんできた。その顔を見たとたん、レラは恐怖にすくんだ。


 血まみれの、くずれた顔。手足の骨も、ゆがんでる。


 両手で口をおさえて、悲鳴をのみこむ。


 すると、ふいに赤いクツはピンクのサンダルに変わった。のぞきこんでるのは、あどけない顔の女の子だ。


「お姉ちゃんに、これ、わたしてって」


 封筒をさしだしてくる。


「これ、どうしたの?」


「たかいけさんちのお姉ちゃんだよね?」


「そうだけど」


 そうだ。この子の顔、見おぼえがある。近所の子だ。


「お姉ちゃんが帰ってきたら、わたしてって。おじさんが」


 そう言って、レラの手に封筒を押しつけ、女の子は走りさっていった。


(おじさん?)


 レラは封筒を見た。名前も差出人も書かれていない。切手も貼ってない。あの女の子に手渡しで、誰かが、たくしたのだ。


 あけてみると、なかには数枚のびんせんが入っていた。


『レラへ。お父さんは、もうじき死ぬかもしれない。私は彼らの秘密を知りすぎてしまった。もしものときには、ここへ行きなさい。ここに彼らの秘密が隠されている』


 父だ。父が死ぬ前に手紙を残していたのだ。


 びんせんの二枚めには、地図が書かれていた。 地図の下のほうには住所もある。M県だ。


(ここに行けば、シオンの研究について、わかるのね)

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