第1話『分身』三章 わたしのなかの、何か(後編)


 堂坂詩音ーー


 つまり、シオンが、レラのほんとの父親?


 でも、それにしてはシオンは若すぎる。どう見ても二十代だ。とても、レラの年の娘がいるとは思えない。


 とはいえ、レラの実の父と同じ名字は、ぐうぜんではあるまい。


 ということは、シオンはレラの兄か叔父? その線が濃厚か。


(兄弟に同じ読みの名前をつけるのも変だけど……むしろ親子なら、あるかな。西洋では、親と同名にして、ジュニアってつけたりするよね)


 レラはひとけのない図書館で、午前中いっぱい、その本を読んだ。


 内容は専門的すぎて、わからないところもあった。が、要するに、遺伝子操作に関する本だ。クローンの作りかたである。


 午後になって人が増えてきた。レラは警戒して、図書館をでた。まだ後半を読んでない。


 最初の計画どおり、ビジネスホテルに部屋をとった。コンビニのお菓子を食べながら、午後は、そこで続きを読む。


 最初は、ただのクローンの話だった。が、それが、いつのまにか不死性の話になり、魂の所在の話になる。だんだん、オカルトじみてきた。


(堂坂さんの研究って、いったい……)


 夢中になりすぎて、時間がたつのを忘れていた。部屋が暗い。電気をつけると、六時をすぎていた。


「いっけない。お父さんと会わなくちゃ」


 レラは急いで、約束していたファミレスに向かった。


 時間より早くついた。入口に近い、目立たないテーブルにすわる。イスにスマホが置かれている。誰かの忘れ物か。


(かかわらないほうがいいかな。店員に顔をおぼえられても困るし)


 放置しておこうと決めたとたんに、そのスマホに電話が入った。なにげなく画面を見て、はっとする。シオンの名前が浮かびあがっていた。


 シオンだ。シオンがレラの行動をさきまわりして、このケータイを置いといたのだ。


 レラはスマートフォンを手にとった。


「シオンなの?」


 そっと、ささやく。


「ああ。僕だよ。レラ。今すぐ、そこを出て。そこは危ない。もうすぐ、ユカが来る」


 シオンの声をなつかしがってるヒマはない。


 母が来る。きっと、父が告げたのだ。おどされて、吐かされたのかもしれないが。


 レラはファミレスをとびだした。スマホは、にぎったままだ。


「シオン。どこにいるの? 会いたいよ」

「わかってる。今夜、迎えに行くよ。君ももう定着してるはずだ」

「定着? 何が?」


 ふふふと、ぶきみな笑い声が、スマホから聞こえてくる。


「シオン?」


「僕たちの子どもさ」


「ウソつき。シオン。わたしに人工授精したでしょ?」


「君の子どもは僕の子どもさ。今度こそ、うまくいく」


「……シオン。わたしは、あなたの実験動物なの? お母さんが、そう言ってたよ」


「おもしろいこと言うなあ。ユカさんのセンスは、あいかわらず」


 なんの答えにもなってない。


 電話をにぎしりめたまま、表通りから一本、奥に入った。


 そのとたん、腹部に激痛が走った。あの、ひっかき傷のできていた、わき腹だ。


 レラは、うずくまった。立ってることもできない。あぶら汗が全身から、ふきだしてくる。


 服をめくってみた。わき腹に、人の形が浮きあがっていた。


 初めは、こぶし大くらい。だが、みるみる大きくなっていく。それにつれて、痛みも増した。


 うなっていると、スマホから声が聞こえた。


「始まったんだね。レラ」


 シオンの笑い声を聞きながら、レラは失神した。




 *


 冷たい……。


(レラ。レラ。起きて)


 やさしい声がする。


 誰?

 お母さん……いいえ。ちがう。わたしの母親は、こんなふうに、わたしに優しくしてくれたことはなかった。


 でも、なんだか、その声は、世間で言う母親のイメージそのもの。無償の愛。無条件に存在をゆるしてくれる。


(だれなの?)


 こたえを聞く前に、また何かが、ほおをぬらした。冷たい。水……?


 うっすらと、レラは目をあけた。


 雨がふっている。


 レラは暗い路地裏に、たおれていた。誰かが目の前に立っている。


「レラか? どうしたんだ。大丈夫か?」


(シオン?)


 シオンが、あんなふうに、わたしを優しく呼んでくれたら、どんなにいいだろう。


 でも、それはシオンではなかった。よく見ると、父だ。


「……どうして? わたしのこと、お母さんに教えたんじゃ?」


「そんなことはしてない。来たら、ついさっき、おまえらしい女の子が店から、とびだしていったと店員がいうから」


 じゃあ、シオンがウソをついたということか?


 ウソをついて、レラを父に会わせまいとした……?


(もう……信じられないよ。あなたを信じたいけど。シオン……)


 うつむくと涙が、こぼれそうになる。


 レラは父の手をかりて、立ちあがった。


 痛みは消えていた。見た感じ、自分の体にも変化はない。


 服をめくると、わき腹にアザができていた。どこかで見たようなアザだ。


(シオンは、わたしを父から引き離そうとして、あんな細工を……わたしが父から、シオンのことを聞くと、マズイからよね?)


 スマートフォンは、足もとに落ちていた。電話はもう切れている。


 レラは電話をそこに残した。シオンから貰った盗聴器仕込みのペンダントも外した。スマホのそばにすてる。


「大丈夫なのか? レラ。どこか、ケガしたんじゃないのか?」


「もう平気。それより、どっか別の場所で話そう」


「かまわないが、ユカが、血相変えて、おまえを探してるぞ。目立つとこへは行けないな」


「ビジネスホテルでいいよ」


 レラは一泊ぶんの宿泊費をはらったビジネスホテルに、父をつれて戻った。ここは、まだ母にもシオンにも知られてないはずだ。


 シオンはペンダントを通して盗聴していただろうが、ホテルのフロントマンとレラの会話からだけでは、場所を特定できない。


「レラ。これから、ずっと、こんなふうに逃げ続けるつもりかい?」


「他に方法がないよ。お母さんが異常なんだって、はっきり証拠があれば、なんとかなるけど。


 それより、お父さん。堂坂さんのこと、聞かせてほしいの」


 ベッド一つで、いっぱいのせまい一室。レラは父とならんで、すわりながら、たずねる。


「堂坂さんって、お父さんとお母さんの大学時代の同級生?」


「そうだよ。と言っても、お父さんは特別、仲がよかったわけじゃない。堂坂さんは、なにしろ、あのとおりの人だから。頭もいいし、ルックスは完ぺき。一般の学生とは別世界の人だった」


「堂坂さんに、兄弟っていた?」


「いや。彼は天涯孤独だったはずだ。十代のころに、家族全員、亡くなったとか」


 天涯孤独……とすると、詩音がシオンの叔父か兄弟という線は消える。やはり親子だろうか。


「ユカとは学生のころから仲がよかった。二人は、つきあってるというウワサだった。卒業も近いころ、ユカは妊娠した」


 卒業間近というと、今から二十年以上前だ。レラが生まれるより数年も前のことだ。


 もしかして、それがシオンだろうか?


「わたしに兄がいたってこと?」


「その子どもは流産したという話だが」


「なんだ」


 でも、計算はあう。ほんとは流産ではなく、こっそり生んだのかもしれない。それが、シオン……。


「そのあと、堂坂さんとユカは、院生になり研究室に入った。お父さんも同じ研究室だった。 おかげで少しは話せるようになったんだが……。


 堂坂さんは表向きの研究のほかに、なにやら秘密の研究をしていた。ユカも手伝っていた。


 それは他人に知られてはいけない研究だったようだ。倫理的な問題か、あるいは法にそむくような。


 そうこうするうちに、ユカはまた妊娠した。


 そのころ、ちょうど、堂坂さんの行方がわからなくなった。例の秘密の研究を教授に知られたらしい。処分をくらう前に、みずから姿を消したんだろう。


 ユカは父親のいない子を身ごもるという状況になった。それで、お父さんと結婚した」


「生まれたのが、わたしとレナね?」

「そう。一卵性双生児だ。とても、よく似ていた。でも、レナは二さいになる前に死んでしまった」


「わたしたち、いつも、二人で、おしゃべりしてたらしいけど」

「おまえたちは一さいになるころには、もう、しゃべった」

「そうなんだ」


 IQが高いからーーというより、成長じたいが速かったのかもしれない。


(成長の速い胎児……まさかね)


「レナは、なんで死んだの?」


「当時、住んでたマンションの窓から落ちてしまったんだ。大人が見てないうちに」


 高所から落ちての事故死。


 それは、レラが階段から落ちたこととは無関係なのか……。


 さらに、父は言う。


「ただ、あのとき、お父さんは見た。見まちがいではなかったと思う。マンションから急いで出ていく人物を。あれは、堂坂さんだった」


「レナが死んだとき、堂坂さんが、その場にいたかもしれないってこと?」


「そうだ」


「じゃあ、レナを殺したのは……」


「おそらく、そういうことなんだろうな」


 堂坂詩音……(シオンの父親?)が、レナを殺した。


 シオンは堂坂の魂を継いだと言っていた。堂坂の研究をシオンが続けてると見ていい。レナを殺したのも、研究の一環というわけか?


 レラは思いだした。堂坂の本の最後のほう。まだすべては読んでないが、死者の魂の蘇生について書かれていた。


(レナを殺して、その魂を蘇生……わたしが子どものころ。わたしにしか見えなかったっていうレナ……)


 レラが考えこんでいたときだ。

 父が暗い声で言った。


「お父さんは平凡すぎるんだろう。ユカや堂坂さんの過去に何があったとしても、このまま平穏な毎日が続いてくれれば、それでいいと思っていた。


 だが、やはり、そうはいかなかった。あの研究は現在進行形なんだな。堂坂さんの論文をひさしぶりに読み返した。なんとなく、わかったよ。あの人の求めているものが」


「シオンは、わたしとレナが二人で一つだと言ってた」


 父はレラを見つめた。そして、ほほえんだ。


「おまえの父親になれて、幸せだった」

「お父さん?」


 とつぜん、父はレラに襲いかかってきた。両手でレラの首をしめる。父は泣いていた。


「お父さんが楽にしてあげよう。もう苦しまなくていいんだ」


 抵抗しようにも、とても、ふりはらえない。


(そう。死んでしまったほうが、らくなのかも? シオンやお母さんの、わけのわからない実験台にされてるより……)


 なにもかも、どうでもよくなった。

 意識が遠くなってくる。


 そのとき、ドアがあいた。

 誰かが部屋に、かけこんできた。


「レラ!」


 シオンだ。シオンは体当たりで父をつきとばす。


 父は、なんだか、ぼうぜんとしていた。


「堂坂? そんな……そんなこと、あるわけない」


 シオンは、にやりと笑った。


「何が、そんなことあるわけないんだって?」


 ぽかんとしたまま、父はシオンを見つめる。


「だって……その姿は、あのころと、まったく同じ……」


「なつかしいだろ? あんた、いつも、おれのこと陰から見てたもんな。だからって、おれの作品に勝手なことされちゃ困るんだよ」


 息をととのえながら、レラは見ていた。


 シオンの手もとを見て、ギョッとする。いつも手ぶくろをしたままのシオンの手。その手にナイフが、にぎられている。


「やめ……シオン……」


 やめてと言いたいのに、声が出ない。

 レラの目の前で、シオンは父の胸に、とびこんでいった。

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