第1話『分身』二章 わたしの知らない、わたしの秘密(前編)


 考えてみれば、いろいろ思いあたる。そもそも、十さいまでの記憶が、まったくないというのも普通じゃない。


 レラは思いだした。


 誕生日に、母が言っていた。帰ってきたばかりのレラに、いつのまに出かけたの、と。


 あのときも、そうだったのだ。いつのまにか、もう一人の自分が現れていた。


 もしかしたら、こんなことは今までにもあったのかもしれない。レラが気づいてなかっただけで。


(そういえば、あのとき、お父さんとお母さん、変な話してた)


 また、あのときみたいになる……だったっけ?


 つまり、父母はレラが二重人格だということを知っている。知っていて、かくしている。


 母がレラをバケモノを見るような目で見るのは、そういうわけがあったからだ。


 聞いてみるほうが早い。いちおう父母は医学者だし、解決法を知っているかも。


 とにかく、深夜にセクシーな服を着て出かけていくような、もう一人の自分を、このまま放置しておくわけにはいかない。


 次の日曜日。母は非番だった。父は仕事だ。二人で母の作った夕食を食べた。そのとき、思いきって、レラは聞いてみた。


「お母さん。わたしに隠してることあるでしょ」


 母はギョッとしていた。


 しかし、すぐに冷静に戻った。レラの顔をじっと見て、観察している。やっぱり、母はレラの秘密を知っているのだ。


「わたし、最近、気を失うの。そのあいだに自分でも知らない行動をしてるみたいなの。


 ねえ、わたしって、二重人格なんでしょ?」


 レラがそう言ったときの母の顔。なんだか、とても奇妙だった。


 娘が自分のことを二重人格じゃないかと言いだした。しかも、それが事実で、母はその事実を隠したがっている。


 ほんとなら、もっと、あわてふためくはずじゃないだろうか?


 なのに、母は、どっちかというと、ほっとした。


「ほんとに、そう思うの?」


「思うんじゃなくて、事実なの。そうでしょ?」


 一、二分、母は考えた。


「そうよ。同一性乖離障害。多重人格のことよ」


「ネットで調べた。人格が入れかわってるあいだの記憶がなくなるんでしょ? いつからなの? わたし」


「物心ついたときには、もう、そうだった。あなたは自分のことをレナだと言いはったわ」


 レナ。それが、もう一人の自分の名前。


「でも、最初は気にしてなかった。正直、性格の区別がつかなかった。行動パターンが似ていた」


 似ていた? 多重人格なのに?


 それはネットで得た情報とは少し違う。一人の人間が、まるで別人のように人格が変わるからこそ、多重人格なのでは?


 しかし、母は続ける。


「だけど、十さいのとき。あなたは数日、行方不明になった。見た人の話だと、あなたは自分で歩いて、どこかへ行ったらしい。


 そのあと、帰ってきたとき、あなたは自分の名前さえ忘れていた。


 ことばも生活習慣も、何もかも忘れて、赤ん坊のようになってた。それまでの記憶を全部、忘れてた」


「そう。それで、わたしには十さいまでの記憶がないの」


「専門医は、あなたの人格が入れかわったからじゃないかと言った」


 それは少なからずショックだった。いかに冷静なレラでも。


「つまり……十さいまでのわたしと、今のわたしは別人だってこと?」


「たぶん……」


「でも、それなら、わたし、まだ精神年齢は五さいなんじゃ?」


「あなたは、とても頭のいい子だった。前のあなたも、五さいのときには大人みたいな口調で難しいことを話して、まわりの人をおどろかせてたわ」


「………」


 ショックだ。でも、真実に違いない。


 クラスメートたちが子どもっぽく見えてしかたないのは、レラの精神年齢が高いから。


 なによりもショックだったのは、レラが、じっさいには五年しか生きてないという事実だ。


(わたしは五年。もう一人のわたしは十年……わたしのほうが生きてきた年数が少ないんだ)


 それなら、どっちが本物のレラなんだろう?


 今のレラ? それとも、もう一人のレラ? 自分のことをレナだと言いはるレラ……。


 わたしのほうが、レナの別人格なのかもしれないーー


 そう思うことが、なにより怖い。


「なんとかできないの? わたし、また前のときみたいになりたくない」


「お母さんも、なんとかしてあげたいわ。病院に行ってみる?」


「それで治るの? 何年もカウンセリングを受けて、効果がないってこともあるんじゃない?」


「何もしないよりは、まだしも見込みがある」


 たしかに、そうかもしれない。


 なによりも、病院に行けば、誰かの監視がつく。もう一人の自分の勝手な外出を止められる。


「わかった。行く。なんなら学校は休学してもいいよ。長期の入院になってもいいから。できるだけ早く治したい」


 母は嬉しそうに笑った。気味が悪いほど。


「それがいいわ。明日、お休みとるから、さっそく行きましょう」


「わかった」


 ところが、レラが次のひとことを言ったとたん、母の表情は一変した。


「ところで、堂坂さんって、誰?」


 母は目に見えて青ざめた。さっき、レラが自分を二重人格かもしれないと言いだしたときより。


「どうして?」


 きょくりょく平静をよそおって、そう反問してくる。けれど、母の手はふるえていた。


「この前、お母さんたちが話してたから。誕生日に」


 さっきは一、二分だった。が、今度は、たっぷり五分以上、母は考えこんだ。


「前のときに、あなたを診てもらった、お医者さんよ」というのが、母の答えだ。


 でも、違う。

 それだけのことなら、あんなに母が動揺するわけがない。


 質問の順番が反対だったなら、動揺してもおかしくない。

 レラに二重人格のことが知られてしまうから、あせったのだととれる。


 けれど、二重人格のことが知られたあとになって、診察した医者の名前で動揺するのは変だ。


(わたしの、ほんとのお父さんだから? 別れた理由とか、戸籍が今の父の実子になってることとか、聞かれると困るから?)


 それだけでもない気がするのだが。

 なんだろう。母のこの態度。違和感を感じる。

 なにかが、ものすごく、まちがってるような……。




 *


 母が、どんなコネを使ったのか。翌日からレラは入院することになった。父母の働いている大学付属病院だ。


 レラは十五さいだから、小児科病棟に入れられた。


 まわりが小さい子どもだらけだとイヤだなと思っていた。が、レラの部屋は個室だ。思うぞんぶん、読書ができる。


 あとは日に一、二回のカウンセリング。田辺という女医が担当医だ。けれど、レラはこの医者を信用してない。


 これといった治療もされないからだ。向こうも、まだ観察中なのかもしれないが。


 入院したとたん、もう一人の自分は、おとなしくなってしまった。まったく出てくる気配がない。


 これじゃ、学校に行ってたころより退屈だ。


 しょうがないので、病院に出入りするインターンと仲よくなった。医学部六年めの大谷くん。病院の付属している大学へ、つれていってもらうためだ。


「レラちゃんって、頭いいなあ。ほんとに、こんな本、読みたいの? だって、医学書だよ」


「いいの。退屈だから」


「この前は心理学の専門書、読んでたろ」


「自分の病気に興味あるから」


 大学の敷地が近いから、そのうち一人でも出入りするようになった。


 図書館で借りた本を読んでいたときだ。中庭のベンチ。大きなブナの木かげで、気持ちいい。


「へえ。そんな本に興味あるんだ」


 声がふってきた。


 目の前に人が立っている。黒いクツをはいた足元が見えた。


 顔をあげると、魅力的な悪魔が笑っていた。


「シオン!」


 思わず抱きつく。


 シオンはレラをかかえたまま、ぐるっと一回転した。


「悪い子だなあ。探したよ。僕から逃げる気だった?」


「シオンこそ、わたしを薬で失神させたでしょ?」


「ごめん。ごめん。痛かった?」


「痛かった! ゆるさないから」


 ほんとは痛くはなかった。だから、スタンガンではない。たぶん、クロロホルムかなんか。


「おわびにジュースおごるから、ゆるしてよ」


「ええっ。犯罪すれすれのことして、ジュースなの?」


「じゃあ、なんなら、ゆるしてくれる?」


 顔をのぞきこまれると、ドキドキする。


「そうだなあ。キス……とか?」


 シオンは邪悪に笑った。うっとりと、レラはその笑顔を見つめる。


(わたしを薬で失神させて、悪いことをしようとしてる人。なのに、なんで、こんなに親しいんだろう?)


 まるで、自分の分身のよう。


 はるか昔に切りさかれて、二人、別々になってしまったけど。もとは一人。だから、魂が呼びあう。


 シオンはブナの大木にレラを押しつけた。くちびるで、くちびるをふさがれる。甘い心地に酔った。


「これでもう、あともどりできないよ?」


 レラをはなすと、シオンは、そう言った。


「いいよ。シオンとなら、どうなっても」


「じゃあ、とりあえず、君をさらわないとな」


「わたしをさらって、どうするの?」


「切り刻んで、食べちゃう」


 にっこり笑うシオンを見つめる。


 本気だろうか?


 まあ、それでも、このまま退屈な毎日を送るよりマシだけど。


 シオンは、ふきだした。


「ジョークだよ。ジョーク。ほんとはね……ナイショ」


「シオンのジョークは笑えない」


「レナと同じこと言うなあ。やっぱり、君たちは二人で一つだね」


 ドキっとした。


「なんで、シオンがレナのこと知ってるの?」


「そりゃね。知ってるさ」


 なんで知ってるのかは教えてくれない。


「ねえ。シオン。もしかして、この前、わたしを失神させたのって、レナと話すためだった?」


 そう思うと、急に胸がムカムカする。シオンが探してるのは自分ではなく、もう一人の自分かもしれないと思うと。


「レナは僕の味方だからね。五年前に会ったから。君とは初対面だったろ? 僕には味方が必要なんだよ」


「それなら、もうレナは必要ないよね?」


「もちろん、君でかまわないよ。でも、そんな心配はいらないけどね」


 くすくすと、シオンは笑う。


「早く君にも説明しとかないとなあ。話がややこしい」


「じゃあ、今、話して」


「今はダメだ」


 シオンは急に真顔になった。


「君がこんなとこに入っちゃったから、監視されてる」


 あわてて、あたりを見まわそうした。すると、シオンが抱きとめる。


「ダメ。ダメ。気づかないふりして。大丈夫。かならず、君を助けにいく」


「ほんとに?」


「もちろん。君は僕の大切な人だ」


 うれしい。


「いつ助けにきてくれるの?」


「名言はできない。これ、お守りだよ。肌身離さず、つけてて」


 言いながら、シオンはレラの首にペンダントをつけた。


「もう行くの?」


「ああ。でも、これだけは信じてほしい。君には僕が、僕には君が必要なんだ。そして、僕さえいれば君は死なない。君がいれば、僕は死なない」


 おかしなことを言う。


「じゃあ、二人とも同時に死んでしまったら?」


 シオンは笑った。


「もっと、おもしろいことになる」


 それが、どんな意味なのか、レラは知らなかった。

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