第1話『分身』二章 わたしの知らない、わたしの秘密(後編)


 病室に帰ると、事態が急変していた。母や田辺医師や、ほかにも白衣を着た人たちが待ちかまえていた。怖い顔をして、レラの手をつかむ。


「なんなの? はなしてよ」


 抵抗しようとすると、うむを言わせず、ベッドに寝かされた。両手を布でベッドのパイプにつながれる。


「やめてよ。なにするの!」


「レラ。やっぱり、あなたは病気なのよ」と、母が言う。


「またレナになって病院をぬけだしたのね」


「違う。わたしはレラよ。レナじゃない」


 いや、そうじゃない。


 レラは気づいた。病気だから、拘束されるのではないと。


 母の目のなかにあるのは、はっきりと憎悪の色だ。


(シオンに会ったからだ。きっと、さっき、シオンと会ってたとこを見られたんだ。わたしがシオンと会うと、都合が悪いの?)


 シオンの目的を母は知っているのだろうか? それで、ジャマしようとしてるのか?


 だとしたら、病院に行こうなんて言ったのも、レラをシオンから引き離す口実だったのだ。


(ここにいたって、わたしは治らない。わたしを助けてくれるのは、シオンだけなんだ)


 レラは確信した。


 しかし、今さら遅い。軽率だった。母の口車なんかに乗って。最初から愛情の通った家族でないことはわかっていたのに。


(シオン。助けにきて。おねがい。かならず来てくれるって言ったよね)


 その日から、レラは拘束の日々だ。


 毎日、ベッドにつながれ、監視がついている。あるいは、部屋の外からカギをかけられ、監禁された。


 逃げだそうとしても、病室は四階だ。とびおりることはできない。窓の外には、つたって下りられるようなものは何もない。


「どうして、わたしに、こんなヒドイことするの? ねえ、わたし、悪いことした? あばれたり、人を傷つけたりしたわけじゃないよね? 大谷くん」


 仲よくなった大谷くんに話しかける。大谷くんは、つらそうに目をふせるばかりだ。


 ほかの看護師にいたっては、レラが何を言っても聞こえないかのように無視する。


 なので、必然的に大谷くんを責める形になる。


「わたしって、じつの母親に憎まれてるんだね。なんでだか、わかる? 理由を知ってたら教えてほしいな」

「……そんなことあるわけないさ。母親が娘を憎むなんて。お母さんはレラちゃんを心配してるんだよ」

「こんなヒドイことしといて?」

「………」


「ねえ、大谷くんは、何か知ってるの? お母さんが、わたしを嫌う理由」


「知らない。ほんとに、そんなことないって」


「わたしは知ってるよ」


「えっ? なに?」


「言わない」


 どうやら、大谷くんは、ほんとに知らないようだ。レラに同情してるようだし、利用できる。


「ねえ、大谷くん。おねがいがあるんだけど」

「な、なに?」

「学校の友だちに会いたいなあ。急に入院することになったから、お別れもできなかったし」

「ムリだよ。君は今、面会謝絶になってる」

「ちょっとでいいんだけど。大谷くんが付きそいのあいだなら、病室に呼んでもいいでしょ?」

「まあ……そうだね。そのていどなら」

「じゃあ、大谷くんのスマホ貸してくれる?」

「うん」


 大谷くんがポケットからスマホを出して渡してくる。


 ほんとなら、シオンに連絡したい。でも、レラはシオンの連絡さきを知らない。


 アサミは怒ってたから助けてはくれないだろう。ああなると手がつけられない。


 でも、スズカなら、なんとかなるかもしれない。事情を説明すれば、きっと許してくれる。


 夕方六時。今の時間だと、スズカは塾だろうか?


 ためしに電話をかけてみる。もし出てくれなければ、また別の日に、かけなおすしかない。


 幸い、出てくれた。


「スズカ。わたし、レラだよ。この前は、ごめんね。もう学校で聞いたかもしれないけど、わたし病気なんだ。もう会えないから、あやまっておきたくて」

「レラ……」


 やっぱり、スズカはゆるしてくれた。スズカは優しいから、長期入院しなければならないほど重病の友だちに冷たくすることなんてできない。


「レラ。病気は、どうなの? 手術とかしないといけないの?」


「治るかどうか、わからないの。それで……もし、よければ、今度の日曜日、来てくれる? 最後に一度でいいから、会っておきたくて……」


「うん。わかったよ。日曜ね」


「一時に受け付けに来てくれる? そしたら、大谷さんっていう見習いの人が待ってるから」


 勝手に予定を決めて、約束をとる。電話を切ると、大谷くんが苦笑していた。


「まいったなあ。日曜はサークルの仲間と出かける予定だったんだけど」

「大谷くんは、ベッドにしばりつけられて監禁された、かわいそうな少女をほっといて、友だちと遊びに行く人なんだ?」

「いや。行かないよ」

「なら、おねがい」


 瞳をうるませて見つめる。

 大谷くんは、あっけなく堕ちた。むしろ効きめがありすぎて、ドキドキしてるふうなのが伝わってくる。


 次の日曜日。


 レラは計画をたてていた。まず、大谷くんにスズカを病室まで、つれてきてもらう。


 スズカが来れば、母は不当に娘を拘束してることが世間にバレるのを恐れる。


 レラを一時的に自由にするだろう。病室から出ることは許さないかもしれないが。


 でも、拘束さえ解かれれば、なんとかなる。トイレに行くとかなんとか言って。


 一時。約束どおり、スズカはやってきた。病室で話していると、しばらくして母が来た。


「レラ。だめじゃない。あなたは病気なのよ」


「中学から、ずっと仲のよかった友だちなんだよ。最後にお別れくらいしてもいいじゃない。

 それとも、この病院では友だちとの面会もさせられないような扱いを患者にしてるの? たとえば、なんの理由もなく、女の子をベッドにしばりつけるとか」


 母はレラをにらんだ。ほんとに、この人がレラを生んだ人なのかと疑いたくなる目つきだ。


「……三十分だけよ? あなたの病気に刺激は、よくないんだから」


 負け惜しみを言って、母は病室を出ていった。


 そのかわり、大谷くんが、ろうかにひっぱりだされて、ネチネチ、イヤミを言われていたが。


「なんで、友だちなんて、つれてきたの?」

「だって、かわいそうじゃないですか」


 なんて話してるのが聞こえてくる。スズカも変に思ったようだ。


「……レラ。なんか、とじこめられてるみたい」

「じつは、そうなの」

「えっ! なんで?」


 レラは、しッと、人差し指を口にあてる。


「母は、わたしが嫌いなのよ。子どものころから、ずっと、そうだった。いつも、ほっとかれるの、なんでかなって思ってたけど……」


 涙をうかべてみせると、スズカも涙ぐんだ。


「そうだったの?」

「うん。わたし、いつも外食とか、コンビニのお弁当とかだったでしょ? お父さんも、お母さんも忙しいから、しかたないんだと思ってた。でも、違うの。ほんとはね。わたし、お母さんが結婚前に浮気してできた子どもなのよ」


「ほんとに?」


「うん。そのことで、この前、お母さんとお父さん、ケンカになってね。だから、お母さんは、わたしが憎くてしょうがないの。わたしの顔も見たくないのよ。このまま、ずっと、わたしを病院に、とじこめておきたいみたい」


「そんな……レラは悪くないのに」


「この前、吉田先輩のことで、ひどいことしたのも、そのせいなの。家のことで、やけになって……ごめんね」


「いいよ。もう。そんなことがあったんなら、しかたないよ」


 ひととおり泣くと、スズカは、すっかりレラの味方だ。


 ころあいを見て、レラは泣きやむ。われながら、女優になれそうだ。


「スズカ。おねがいがあるの」


「うん。なに? わたしにできることなら手伝うよ」


「わたし、怖い。このまま閉じこめられてたら、殺されるんじゃないかって……」


「そこまで……するかな?」


「わかんないけど。でも、このままじゃ……それで、児童相談所に行こうと思うの。ここから逃げだして」


「うん。それがいいよ。このまま学校にも行けないのは、やっぱり変だと思うし」


「そうだよね。だから、スズカにおねがい。わたしと洋服を交換してくれない?


 それで、わたしが逃げだすあいだ、ほんの少しでいいから、わたしのふりをしていてくれない?」


「そんなこと、できるかな? バレたら、怒られない?」


「大丈夫だよ。バレる前にスズカも逃げだせば。それに、もしバレても、そのころには、わたしが児童相談所に行ってるから」


「うん……」


 気の弱いスズカは心配そうだ。でも、今さら、レラを見すてることもできない。 レラが服をぬぐので、つられて自分もぬぎだした。


 レラもスズカも、きゃしゃなほうだから、服のサイズはあう。


 ただ、レラはロングヘアで、スズカはショートだ。長い髪は頭のてっぺんでまとめて結び、帽子で隠した。


「ありがとう。スズカ。ベッドのなかで寝たふりしとけばいいから」


「うん」


「じゃあ、レラ。元気でね。また来るよ」


 わざと、ろうかまで聞こえるように大きな声で言って、レラは病室を出る。


 ろうかには、まだ母と大谷くんがいた。でも、スズカの趣味の子どもっぽい服を着たレラに、母は気づかなかった。


 ろうかのまがりかどまで、気持ちをおさえて、ゆっくり歩いた。まがったとたん、走りだす。


 よかった。うまくいった。児童相談所に行くなんて、もちろんウソだ。ほんとは、あてがあるわけじゃない。


 まずはコンビニのATMへ行かなければ。急いでお金をおろして、軍資金を確保する。ホテルを泊まり歩きながら、シオンを探そうと考えていた。


 エレベーターで一階へおりる。まっすぐロビーをつっきれば、外へ出られる。


 あともうすぐ。


 でも、ロビーにはナースステーションと外来受付がある。


(しらんぷりして行っちゃえばいい。わたしとスズカが入れかわったことに、誰も気づいてないんだから)


 なにげない感じで通りすぎようとした。しかし、そのときだ。ナースステーションで電話が鳴った。


「え? レラちゃんですか? 高池先生の娘さんの? いえ。こっちには来てませんけど……えっ? 友だちのふりしてる?」


 早い。もうバレたらしい。スズカの変装は五分と、もたなかった。


(どうしよう。ここまで来て、つかまるのはイヤだ。つかまったら、たぶん、二度と、こんなチャンスはない)


 ムリにも走って、つっきってしまおうか? それとも別の出入り口にまわる?


 迷っているうちに、ナースたちが、わらわらとナースステーションから出てきた。


 ナースの一人が、こっちに近づいてきた。もう、しかたない。全速力で走るしかない。


 かけだそうとしたとたん、レラは腕をつかまれた。


 白衣の医師が目の前に立っていた。メガネをかけ、マスクをしている。ネームプレートには、北沢とある。


「君、こまるな。外出禁止だろ? 来なさい。お母さんが心配してるよ」


 つかまってしまった。もうダメだ。


 このまま、つれもどされれば、レラは一生、せまい病室のなかに閉じこめられてしまう。治る見込みのない精神病患者として。


「ああ、君たちは、もういいよ。私がつれてくから」


 医師はナースたちを追いはらい、レラの手をグイグイひっぱっていく。


 ふりはらって逃げだすことなんて不可能だ。大人の男の力には、あらがうことはできなかった。


 レラは悔しさで涙ぐんだ。今日、流した涙のなかで、この涙だけは本物だ。


 北沢はエレベーターにレラを押しこむと、なぜか二階でおりた。


 なれた足どりで、ろうかをあちこち、まがる。人通りの少ない裏の階段を使って、地下へと、レラをつれていく。


(もう逃げられないよう、今度は地下に監禁する気なんだ。わたし、ほんとに殺されるのかも……)


 レラは恐怖にふるえた。


 ここは母の勤める病院だ。しかも、院内には母の知り合いの医師や看護師が、たくさんいる。


 それらの人が示しあわせれば、母はカンタンに、レラを殺すことができる。


 治療と称して、監禁し、誰にも面会させなければ。

 病室のなかで何が起こってるかなんて、外部にはわからない。


 少しずつ栄養をけずり、餓死させることだってできる。


(そんなのはイヤ。ちょっとずつ痛めつけられて、長く苦しんで死ぬなんて……)


 そんなのは、ごうもんだ。


 母なら、やるかもしれないと、レラは思う。レラをにらんだ母のあの憎悪の目を思うと。


 レラは立ちすくんだ。すると、北沢はレラの腰をひょいと抱きあげた。かるがると持ちあげられ、一室になげこまれる。


 北沢が追って入り、ガチャリとドアにカギをかける。


 レラは頭はいい。でも、体は十五さいの女の子だ。感情も、まだ子どもなのだと、そのとき知った。


 恐怖のあまり、泣きじゃくってしまった。


 すると、北沢が笑いだす。


「かわいいなあ。好きな子を泣かせるのって、ゾクゾクする」


「………」


 不審に思い、見なおす。


 よく見ると、北沢の白衣の下は黒ずくめだ。それに、この声。


「やだなあ。そんなに怖かった? 僕が君に危害をくわえるわけないじゃない」


 言いながら、北沢はマスクとメガネをはずした。いや、北沢ではない。もちろん、その声の持ちぬしはーー


「シオン!」


 その人の胸に、とびついて、レラは泣いた。今度の涙は安堵と歓喜だ。


「ひどい! なんで途中で言ってくれなかったの? わたし、ほんとに怖かったよ?」


「一度やってみたいシチュエーションだったから……ってのはジョークで、ユカたちの目をごまかすためだよ。とうぜんね」


 ほんとに、ジョークだろうか。あんがい、本気で、レラを怖がせたかったのかも。


「シオン。よくわかったね。わたしが逃げだそうとしてるって」


「君に盗聴器をくっつけといたからね。この前、会ったとき」


 シオンは以前、中庭でプレゼントしてくれたペンダントを指さす。


「お守りって、こういう意味だったの?」


「効果あったろ?」


 ほんとに、この人には、かなわない。


「でも、シオン。ここから、どうやって逃げだすの?」


「逃げないよ。それより、もっといい方法がある」


「どうするの?」


「言ったろ? 君を助けるって。君を助けることができるのは、僕だけなんだ」


 それはレラも気づいていた。どうしてかはわからないが、レラを治すことができるとしたら、シオンしかいないと。


「わたしの多重人格を治してくれるの?」


 シオンが、うなずく。

「まあね。根本的な治療をしてあげる。幸い、ここは病院だ。道具はそろってる」


 そう。母のせいで、逃げだそうとしたが、もともとは治療したかったのだ。


 どう考えても、今のレラの状態は異常だ。夜中に自分の体がレラの意思に反して行動するなんて、ほっとけない。


 それに、このまま放置しておくと、消えてしまうのは、レラかもしれないし。


「……わかった。おねがい」


 シオンは、やさしく、ささやく。


「しばらく眠っておいで。僕の白雪姫。目ざめたら、君の悩みは、すべて消えている」


 そのあと、ふっと気を失った。きっとまた、シオンが薬を使ったのだ。この前と同じ。かるく意識が残ってるのも同じだ。


 レラはシオンに抱きかかえられ、台の上に、よこたえられた。ひんやりと冷たい感触。


 とつぜん、明るい白熱光。


 ここは、手術台の上?


 シオンがレラのまわりで、しきりと何かを用意している。カチャカチャと金属の音。


 白衣を着たシオンは、ほんとのお医者さんのよう。


(シオン。わたしに、なにするの?)


 切りきざんで、食べちゃうんだ。だって、君が、あんまりカワイイから。


 夢のように、意識が、もうろうとする。


 のぞきこむシオンが、黒くシルエットになっている。見つめていると、おおいかぶさってきた。


(ほんとに、わたしを食べちゃうの?)


 ふいに、体が、きしんだ。何かが、きしみながら、体のなかを進んでくる。


(シオン……?)


 熱い。でも、心地よい。


 深い陶酔が、レラをおそう。


(わたし、今、シオンと、つながれてるんだ)


 甘美な夢のなかで、シオンは笑っていた。いつもの美しく、邪悪な笑みで。


「レラ。これでもう、君は完ぺきだ。君とレナは二人で一つだからね」


 離れていくシオンの手もとが見えた。手術用の手ぶくろをした、シオンの手。その手ににぎられた管のようなものが。


(シオン……その管は、なに……?)


 すっと意識がさめた。なんだか、怖くなる。


 シオンは悪魔だ。


 レラに何か、とりかえしのつかないような恐ろしいことをしたのかもしれない。


 今さら後悔しても、遅いけど……。

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