第2話『箱庭』5 あなたは、うそつき……


 ユウヤに見えるのは、ややうしろむきの横顔だ。その人は、窓のほうを見ていた。


(この人だ。おれが外で見た人。でも、じゃあ、これは……誰なんだ?)


 レラが、そうなんだと思っていた。


 しかし、そういえば、レラに会ったとき、少し違う気がした。似ているが、なんとなく別人のような。


 しいて言えば、魂の形が違う。


「シオンなの?」と、レラが言った。


 ショックだった。


 ユウヤが最初に惹かれたのが、『シオン』だったことに。


 レラの話を聞くだけでも、悪魔のような思考の持ちぬしだとわかるのに。


 シオンはレラの声を聞いて、ふりかえった。


「やあ、レラ。ここにいたやつは僕が始末しといたよ」


 よく見ると、シオンは手に斧を持っている。そして、足元に、ルナが倒れていた。分裂したばかりの裸のルナだ。分裂直後は衣服を着てないから、古い個体と見分けがつく。


「どうして? あなたは、わたしの考えに反対してたじゃない?」


 すると、シオンは笑った。


 悪魔的なのに、とんでもなく魅力的な笑顔だ。


 グッと胸が痛くなる。


 ユウヤは自分の気持ちを抑えるのに苦労した。これは、惹かれてはならないものだ。


「君がムチャするからさ。その体を使うなんてね。わかってる? 冷凍から溶けたら、くずれてしまうんだよ? 僕らのほんとの体なのに。君が遺した最後のものだ」


「昔のことは、もういいじゃない。わたしは今のわたしたちも好きよ。それじゃダメなの?」


「だからさ。こうして君の手伝いしてあげてるんじゃない」


「あなたは、それでいいの?」


「しかたないだろ。早くルナを全部、抹殺してしまおう。それで、君は僕のなかに帰ってくる。その体は、もう一度、冷凍する」


 レラは答えるまでに、数秒、考えた。


「……わかった。そうしましょ」


 ユウヤは二人の会話をだまって聞いていた。ショックで、話どころじゃなかった。


 かわりに、キリトが口をはさんだ。


「ちょっと待てよ。そいつがシオン? そいつが、おれの友達を死なせた張本人なんだろ? 今度は、おれたちに協力するって? そんなの信じられるかよ」


 シオンは薄笑いをうかべた。


「べつに君たちを助けるつもりはないさ。生きて帰ろうが、途中で死のうが、どうだっていい。ただ、レラの願いは聞いてあげるってだけのこと」


 冷めた口調で、レラが言う。

「シオンに道理は通用しないわ」


 そうだ。わかる。道理なんて通用しない。


 たしかに、シオンの見ためは、とびきり綺麗だ。でも、その心はクリーチャーだ。だから、彼の実験はクリーチャーばかり生むのだ。


「そんなことより」と、レラが、あたりを見まわす。


「ここにルナは二体いたはずよ。もう一体は、どこ?」


「僕が来たときには、こいつが一体いただけだよ」


 シオンが足元のルナの死体をさす。みごとに頭が割られている。


 ユウヤは、やっと少し気をとりなおした。懐中電灯で念入りに周囲をてらす。ベッドの下や子どもが隠れていられそうなところも、丹念にしらべた。が、やはり、ルナはいない。


「なあ、ここ、一回あけたよな」と、キリトが言うので、ユウヤも考えた。


「うん。ヒロキの悲鳴が聞こえたときだろ? あのときは、ヒロキの死体に気をとられてたし。


 それに、ルナが分裂して増えるモンスターだなんて知らなかった。ここに隠れてるなんて思いもせずに、無防備にあけた」


 あのときなら、ユウヤたちの背後をこっそり、すりぬけて外に出ることもできたかもしれない。


 ユウヤは、たずねてみた。


「シオンは、どうやって、ここに入ったの?」


「マスターキーを持ってる」


 なるほど。建物の所有者だから、当然と言えば当然か。


「じゃあ、最初に、おれたちをここに閉じこめたのも、あなたですか?」


 にっこり笑って、シオンは答える。


「そうだよ」


「………」


 やっぱり、信用してはいけない人だ。キリトの言うとおり。でも、抗いがたいほど魅力的だけど。


 急に、キリトが言った。


「カギ持ってるなら、おれたちをここから出してくれよ」


「今はダメ。エサがいなくなったら、ルナを呼べなくなる」


「………」


 一瞬、なぐって、カギをうばってやろうかとも思った。が、なんとなく、ためらわれる。


 自分でも、わかる。そうとうマズイ。グイグイ、ひきこまれるように惹かれていく。


「まあ、全部、終わったあとなら出してもいいよ。新しい実験には、まだ時間が必要だからね」


 キリトが二人がかりでシオンをやっつけようと言いださないか心配した。が、何も言わない。キリトもシオンの毒にあてられてるみたいだ。


 それで、四人で、ろうかに出た。


「ルナは、あと二体ね。地下に行ってみる?」


「一体は実験室のクサリにつないであるよ。貴重な実験体だから、逃げださないように」と、シオン。


 あの地下の実験室。


 たしかに、何者かの気配を感じた。


「行こう。ナツキさんも、そこにいるかもしれないし」


 ユウヤが言うと、キリトがシオンを指さした。


「それはいいけど、あいつの斧、とりあげとかないか?」


 それは、できることなら、そうしたい。


 狂人に凶器を持たせておくのは不安で、しかたない。


「斧、こっちに貰えますか?」

「そこまで君たちのこと信頼できないよ。とりあげたとたんに僕を襲ってくるだろ?」


 すると、レラが提案した。

「わたしが持ってるわ。それなら、いいでしょ?」


 シオンもレラの言葉は素直に受け入れた。


「わかったよ。そのかわり、懐中電灯を持たせてくれないかな。そのくらいの権利はあっていいと思う」


 というわけで、所持品のグルグルまわしだ。斧はシオンからレラに。メスはレラからユウヤに。ハサミはユウヤからキリトに。懐中電灯はユウヤからシオンに。


 その状態で、ユウヤたちは地下に向かっていった。


 地下におりたつと、やはり、いやな臭気が、まといつく。大量の血が流された匂い。大量の肉が腐った匂い。


 無意識にユウヤは鼻と口をおおった。


 それを見て、シオンがユウヤの耳元に、すっと唇をよせてくる。甘い呼気が首すじをくすぐる。


「大丈夫。ルナは新鮮な血の匂いに敏感だから。ちゃんと君の匂いに気づくよ」


 さっきレラにメスで切られた傷のことを言ってるのだ。


「そうか。この傷……だから、やつら、おればっかり襲ってくるのか」

「そう。君、いい匂いがするね。僕が食べちゃおうかな。ルナにあげるのは、もったいない」


 シオンの指が、うなじをなぞる。

 ゾクゾクした。抵抗できない。


「やめなさいよ。シオン。悪趣味なジョーク」


 レラが止めてくれなければ、どうなってたことか。


 でも、これでわかった。

 シオンの言いなりになって、生贄をつれてくる人の気持ちが。

 一瞬、どうなってもいい気がした。


 シオンは悪趣味なジョークに飽きたらしい。先頭に立って実験室に歩いていく。


 今度は反対側から、レラがささやいてきた。


「ねえ、ユウヤ。これから、どんなことがあっても、わたしのことだけは信じてね」


 耳元で、ささやかれると、甘いはずなのに。


 レラの体臭は変化し始めていた。

 まわりの強烈な臭気のせいで、よくわからないが、うっすらと腐敗臭が、まざっているような。


「信じるよ」

 とは言ったものの、自信がない。


 同じ顔。同じ姿。同じほど美しくても、レラは死体だ。血のかよう生身のシオンとならぶと、その差は歴然としている。生身の誘惑に抵抗するのは難しい。


 実験室のドアを、シオンがあける。


 前に見たときと変わりはない。人骨のころがった室内。実験器具や資料が放置された机。


「こっちだよ」と、シオンが手招きした。


 さっき調べたときは気づかなかった。


 資料を入れたスティール製の本棚のわきに、上げぶたがある。


 キッチンなどにある収納庫みたいな感じ。というより、この状況だと、中世の城に隠された秘密の入口みたいだ。


 シオンが上げぶたをあける。


 すると、そこに、さらに地下へと続く階段があった。ほんの数段だ。全部おりても、頭が天井に、つっかえる。


 その奥に、人がいた。


 ますます中世だ。壁に打ちこんだクサリは手枷だ。その手かせに、両手をつながれて、しゃがんでいる。


 まだ少女だ。でも、今までのルナにくらべたら、だいぶ大きい。十五さいくらい。


 シオンと同じ、ひききまれそうな黒い瞳の美少女。悪趣味なSMプレイの器具で、口をふさがれている。


 入ってきたユウヤたちを見て、何か言った。とはいえ、口をふさがれているので、言葉にはならない。


 ユウヤはシオンに問いかけた。


「これがルナ? だいぶ大きいじゃないか」


 答えたのは、レラだ。

「成長したのよ。わたしやシオンも含めて、シオンの実験体は爆発成長するの。

 ルナは、ふだんは幼体をたもってる。最初の食事をする前は。食後に分裂すると、古いほうの個体は急激に成長する。十さいくらいね」


「つまり、これは一度、人間を食った個体ってことか」

「これが今回の実験体の一号よ」

「こいつを殺せば、残りは一体だね」


 だまりこんでいたシオンが口をひらいた。


「そう。だから、さっさと殺しちゃってよ。せっかく面白い症例だから、もっと実験したかったんだけどね。ユウヤ。君がやりなよ」


 そう言って、シオンは、ニッと笑う。


「おれが?」

「君がイヤなら、レラがやればいい」


 レラは何も言わない。

 これは、ユウヤにやれということだろうか?


 しかたなく、ユウヤは懐中電灯の光のなかに一歩、ふみだした。


 十五さいのルナは、澄んだ瞳で、ユウヤを見つめてくる。


 ユウヤの心は、ゆらいだ。


(そんな目で見るなよ……君はバケモノなんだから)


 ほっとけば人類を食いつくしてしまうモンスター。わかってる。


 わかってはいるけど、いい気持ちはしない。


 それでも、ユウヤはメスをにぎりしめた。


 クサリにつながれたルナの前に、かざす。


 そのとき、『声』が聞こえた。


 ーー待って。ユウヤ。わたしを殺さないで。


 あの『声』だ。


 ずっと、ユウヤに語りかけてきた『声』……。


(わたしを殺す? なんでだ? これは、ルナじゃないか。おれに話しかけていたのは、レラのはずだ)


 混乱して思考が、うまく、まとまらない。


 ぼんやりしてると、急に悲鳴が起こった。懐中電灯が床にころがる。そのまま、すうっと光が消えた。


 争う物音が、つかのま続いた。


 そのうち、とつぜん、また静かになる。


(なんだよ……何が起こったんだ?)


 ユウヤは懐中電灯が、ころがったほうへ手をのばした。床をさぐってると、それらしいものが手にふれた。スイッチを入れる。


(よかった。ついた)


 懐中電灯を背後の音のしたあたりに向けた。


 シオンが倒れている。美しいおもてを血で染めて。頭を割られて死んでいるようだ。


 レラが死体を見おろしている。


 その手に持つ斧は血にぬれている。


「レラ……君が?」


「そうよ」


「どうして?」


「どうしてって?」


「だって……君はシオンと一つなんだろ?」


 レラは笑った。


 なんだか、怖い。


 レラがレラで、なくなったような……。


「シオンじゃないもの」


「えっ?」


 レラは足元を指さす。


「これはシオンじゃないわ」


 どう見ても、さっきまでレラが仲よく話してたシオンだが……。


「どういうことなんだ。ちゃんと説明してくれないと、わからない」


「こいつはルナよ。シオンのふりしてたの。食事を二回したから、成体にまで成長したのよ」


「えっ……でも、おれが前庭で見たのは、この人だった」


「それはシオンだと思うわ。本物の」


 レラはできの悪い生徒をからかうような口調で話す。


「よく考えてみて。鍵のかかった部屋のなかに二体のルナが閉じこめられてた。


 なのに、なかにいたのは子どものルナが一体だけ。かわりに、自分はシオンだと主張する成体が一人。


 両方ルナなんだって考えたら、数があうじゃない?」


「そんな……それじゃ、ルナは自分の分身を殺したってことか? そんなことできるのか?」


「できるわよ。自分が生きのびるためなら。やつらは分裂するけど、増えるために生きてるわけじゃないもの」


 たしかに、そうかもしれない。


 ルナにしてみれば、どれか一体が生きていれば、『自分』は存在し続けることになる。


「でも……子どものときとは、ずいぶん、ふんいきが違ってたね」


「それはシオンのマネしてたからだわ。ルナはシオンの声色を使うのが特技なのよね」


「斧は、どこから出てきたんだ? 病室のなかにはなかった」


「ルナが持ちこんだんでしょうね。病室に侵入するとき」


「ここって、そんなに、あちこちに斧とか、ころがってるんだ?」


「銃はないから安心して。シオンは刃物が好きなの。ムダに買い込んでくるから。きっと、そのへんに放置してたのよ」


 ユウヤは、ため息をついた。


 まともな思考では、ついていけない。そんなことは、とっくにわかっていたが……。


「わかったよ。じゃあ、こいつがルナの最後の一体? これを始末すれば、すべて終わり?」


 レラは笑う。


 なぜか、悪魔のように見える笑み。


 悪魔は悪魔でも、サキュバスだ。


「待って。これは、ルナじゃないわ」


「ルナじゃないって……」


「シオンよ」


 ユウヤは首をふった。もう、わけがわからない。


「おれが前庭で見たときと、姿が違う」


「そう。それが、シオンが現状に満足しないわけなの」


 レラは少女の姿をした『シオン』のもとに歩みよる。


「わたしたちの今の体は、まったく別人の細胞の遺伝子を組みかえて、クローン化したものなの。


 そして、一体化したとき、わたしは十五さい。シオンは二十五さい。


 だから、成長期の体と成体と、情報が二重になってるのよね。


 かんたんにいえば、気分で見ためが変わってしまうの。少女のわたしと、成人のシオンと。


 わたしたちの魂が完全に融合してしまえば、こんなこともなくなると思うけど。


 わたしは今のままでいいの」


 そう言って、レラはクサリにつながれたシオンのポケットに手を入れた。ポケットから鍵のたばが出てくる。


「ほら。マスターキーを持ってる。ルナに捕まるなんて、ヘマをしたのね。シオン」


「てことは、これがルナ一号で、実験のために捕まえておいたっていうのは……」


「ルナのついたウソよ。シオンのふりして、あなたに、わたしたちを殺させようとした。自分の手で創造主を殺すことは、さすがに、ルナにもできなかったってことね」


「なんかもう、どれがウソで、どれがホントのことか、わからない」

「わたしのことだけは信じて。ね? ユウヤ。さっきも、そう言ったでしょ?」


 甘い笑顔。


 なんだろう。今度は死体のレラに、やけにドキドキする。それは、もちろん、最初から惹かれているのだが……。


 レラは鍵のたばから、シオンの手かせを外す小さなカギを見つけた。そのカギで、シオンの手かせをはずす。


「さあ、解放してあげる。かわいい白雪姫。でも、もう、おイタをしちゃダメよ? 悪い子には、お仕置きしますからね」


 ふふふ、と、ふくみ笑って、レラはシオンの頬にキスをした。


 キリトが心配そうな声をだす。


「そいつ、離して大丈夫なのか? シオンって、とんでもないマッドサイエンティストなんだろ? なにするか、知れたもんじゃない」


「こうしておけば、大丈夫」


 レラは壁ぎわの細長い台の上から何かをとりあげた。手錠だ。


 よく見ると、ここは拷問室らしい。それっぽい道具が、ほかにも、たくさん、ならんでいる。


 レラはシオンに手錠をかけた。


 レラの体は死体だから、着ているのは病院の検査着だ。そのポケットに、手錠とマスターキーのたばを入れる。


「とにかくさ」と、キリトが言った。


「あと一体で、ルナは全滅だろ? 早く始末しよう。それで、おれたちを帰らせてくれ」


「そうね。もう夜が明けたかな? だとしたら、ルナは地下に帰ってくる。ルナは日光を嫌うの。生前の最初の体が光に弱かったから」


 腕時計を見ると、五時前になっていた。今の時期なら、外はもう明るい時間だ。


 レラにやられた成人のルナの死体を残し、拷問室を出た。


 少女のシオンは、レラに手をつかまれて、おとなしく、ついてくる。 話に聞くシオンにしては、ずいぶん従順だ。手錠されたうえ、口もふさがれてるから、しかたないのだろうが。


 ユウヤはキリトに懐中電灯を渡し、両手で上げぶたをしめた。けっこう重い。


「それにしても、ここって、なんのための部屋なんだ? 病院の地下に拷問室って……」


「ああ、ここね。シオンが実の父親を閉じこめておいた部屋よ。もともとは、ただの物置だった。復讐のために、ここに父を閉じこめて。毎晩、ちょっとずつ『手術』して、遊んであげたの。まあ、しかたないよね。シオンが悪魔になったのは父のせいだから」


 陰惨な内容を、レラは楽しそうに話した。ウキウキして見える。

 今までのクールな印象と何かが違う。


「レラ。君、なんか変だ。さっきから」


 言うと、今度は物悲しい顔になる。

「きっと、この体が崩壊しかけてるせいね。理性をたもつのが難しくなってきた」


 それなら、しかたない。

 一刻も早く、最後のルナを見つけないと。


 実験室のなかには、ルナはいなかった。


 四人で、ふたたび、ろうかに出る。


 アッと、キリトが声をだした。

「あそこ、人が!」


 ろうかの奥を人影が、よぎった。

 ユウヤは走った。キリトも。


 レラはシオンをつれてるので、早く追ってこれない。しだいに、ユウヤたち二人から遅れる。


 人影が、はっきり見えた。

 まちがいない。ルナだ。少女のシオンと同じくらいの年齢だ。


 今度は、ユウヤも必死だ。レラがこわれてしまう前に、すべてを終わらせる。迷わず、メスをふりかざす。


「やめてッ!」と、ルナは叫んだ。

「わたしよ。ナツキよ! なんで、わからないの?」


 あまりにもヘタなウソ。

 万策つきたのだ。


(もう、だまされないからな)


 人を傷つけるのも初めてじゃない。ためらいなく、ユウヤはメスをつきさした。


 ちゃんと心臓に刺さっただろうか?


 ルナは悲鳴をあげて倒れる。


「やった! これで全部だ。レラ、全部、始末したよ!」


 遅れてやってきたレラは、ほほえんだ。


 いつものレラの笑みだ。はかなげで、でも、気高い。


 ユウヤは胸が痛んだ。


 これで、すべてが終わった。レラの目的は果たされた。レラは帰ってしまうだろう。あの冷たい氷の眠りのなかへ……。


(お別れなんだな)


 たまらなく、愛おしい。できることなら離れたくない。


 ユウヤは別れを先延ばしするために言った。


「ナツキさんは、どこだろう? 彼女がシオンの協力者だったんだろ? それでも、つれてかえらないとね」


 地下室をくまなく探した。


 ナツキは死体安置所にいた。コンクリートの床に、うつぶせに倒れているところを見つけた。 ユウヤが手をかけると、すぐに気がついた。


「わたし、なんで、こんなところに……」

「おぼえてないの?」

「そうだ。ルナに追いかけられて、逃げまわるうちに、こんなところまで……」

「ルナは、もういないよ。帰ろう」


 これからのことは、そのあとだ。

 ナツキは裏切り者だ。ナツキのせいで、みんなが死んだ。罪は、つぐなってもらわなければ。

 手を貸して、ナツキを立たせる。


 そのとき、また、あの音を聞いた。カタン、カタン。カタン、カタンと。


(なんだ? あの音。ずっと聞こえる)


 考えているところに、レラがシオンをつれて入ってくる。


「わたし、もう帰らないと」

「君は、どうなるの? その体が眠りについたら?」


「また、シオンと一つになるだけよ」

「つまり、シオンの体に帰るってこと?」


「ええ。意見に反対したわたしを、シオンが深層意識に追いやって、出してくれなくなったの。

 だから、魂だけで抜けだして、この体に入った。シオンを止めるためには、それしか方法がなくて」


「魂だけって……そんなことができるんだ」


「あなたのおかげよ。あなた、特殊な力を持ってるでしょ? その力が、わたしの能力を増長してくれた。わたしも、あなたと同じなのよ。『見える』側の人間だから」


「今、帰ったら、またシオンに閉じこめられるんじゃないの?」


「それはないわ。もうルナはいなくなったし。わたしたちの対立する理由がなくなった」


「でも、シオンは、また暴走する」


「わたしが、ちゃんと見張ってる。心配しないで」


「そう……」


 引き止める言葉がなくなってしまった。


 ユウヤはレラを見つめた。

 レラも、ユウヤを見つめる。


 そして、そっと、唇をふれあわせた。冷たい感触が一瞬だけ、ユウヤをしびれさせた。


「さよなら。ユウヤ。わたしが、このなかに入ったら、シオンの手錠をはずしてあげて。あのなかに、ちゃんと、わたしもいる。わたしたちは、また一つになる」

「わかったよ」


 レラは手錠のカギとマスターキーのたばを、ユウヤに手渡してきた。壁の安置ボックスを自ら、ひきだす。


 そのときだ。


「いやよ! シオンと一つになるのは、わたしよ。なんでなの? なんで、わたしじゃダメなのよーッ!」


 叫んだのは、ナツキだ。

 ナツキは叫びながら、シオンに、ぶつかっていった。


 シオンは、あっけなく倒れた。ほんとに、あっけなく。まるで、魂のない人形みたいに。


 見ると、ナツキは手にメスをにぎっている。メスのさきから、ポタポタ、血のしずくが、したたりおちる。


「……なにしてるんだ。ナツキ」


 ナツキは激しく泣きわめく。

「これで、シオンは、わたしのものよ。誰にも渡さない。誰かに渡すくらいなら……」


 だから、殺したというのか。

 女の執念に、ユウヤは、ヘドが出た。ウンザリする。


 おそらく、ナツキは、どこかでシオンに出会い、その美貌の虜になった。

 アスヤに近づいたのも、獲物を調達するため……。


 レラが、つぶやく。

「なんてこと、してくれるんだ。帰る体がなくなってしまった……」


 その声……男だ。

 ルナの成体がシオンのふりしてたときの声。


(なんで……なんで? これは、レラのはず……)


 ぼうぜんと、ユウヤは死体のレラを見つめた。レラはすべるように、ナツキのそばへ歩いていく。


「シオン? シオンなのね?」


 ユウヤは思いだした。

 さっき、地下に来たあたりで、急にレラのふんいきが変わったことを。

 怖いくらい妖艶になった。


「途中から、変わってたんだな……レラと、すりかわってた」


 シオンは冷めた目で、ユウヤを見る。

 この世のすべてが、どうでもよくなったような。

 絶望した悪魔ーーそんな感じ。

 危険な目だ。


「レラが勝手に僕のなかから、ぬけだして、ルナを抹殺し始めたからさ。


 僕らの魂は、もとは一つ。レラにできることは、僕にもできる。


 だから、自分自身をクサリにつないで、身動きとれないようにした。カギはヒモを使って、ポケットに入れた。


 そうしといて、この死んだ体に僕が入れば、レラは行き場を失って、いやおうなく本来の体に戻される。レラは僕に捕まえられるってわけ」


「じゃあ、あそこに倒れてるのは……」


 ユウヤは手錠と器具をつけられたまま倒れている少女をふりかえった。


 無情にシオンが言いはなつ。


「レラだよ。さっきの説明で一つだけ、はぶいたけどね。ほんとは、気分で姿が変わるわけじゃないんだ。


 そのとき表層意識に出てるほうの姿に、見ためも変化する。


 僕とレラは、いつも、すれちがい。


 僕が出てるときは、レラは僕の深層意識のなかで眠ってる。レラが出てるときは、僕が。


 それがイヤだったんだ。わかるだろ?


 やっと魂の半身と一つになれたのに、いつも会うことができないなんて。


 いつも二人でいられるようになりたかった。もっと完全に二人が融合すれば、そうなれるんじゃないかと思った。そのための新しい器がほしかった」


 シオンの瞳から涙がこぼれる。

 それは、血の涙だ。

 死体の流す涙。

 でも、美しい。


 やっぱり、この人は危険だ。

 悪魔のくせに、万人を魅了する。


「わたしと一つになればいいじゃない。ねえ、シオン。わたしのなかに来てよ!」


 ナツキがシオンに、すがりつく。


 カタン、カタンと音が聞こえた。


 一瞬、ナツキの魂の形が見えた。

 それは、おぞましい形だった。半身の腐った結合性双生児ーー?


 でも、見えたのは一瞬だ。

 次の瞬間には消えていた。

 シオンの持つ斧が、無慈悲にナツキの頭に、ふりおろされたから……。


「いやだね。僕の白雪姫はレラだ。レオンの魂を持つ、レラだけ」


 ユウヤは床に倒れたレラの手錠をはずした。口をふさぐ器具も。

 レラの脈は、すでに絶えていた。


「レラ……」


 こんなに、ひっそりと死を迎えるなんて、レラらしい。儚く、せつない。


「レラ……」

「どけよ」


 抱きあげようとするユウヤを、シオンが押しのけた。


 そのとたん、シオンの手が、くずれた。

 手首からさきが、肉ごと骨から剥離して、床に落ちる。


「もう、この体も、もたないや」


 シオンは笑った。ほのかに、さみしげに。


「レラ。いっしょに逝こう」


 レラを抱きながら、シオンは溶けていった。

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