第1話『分身』六章 あなたと、わたしが、ひとつになるとき(後編)



 ユカがシオンと出会ったのは、十八のとき。大学の同級生として。


 シオンを初めて見たときは、衝撃だった。


 この世に、こんな美しい人が存在するのだと知って。


 ユカは小さなころから、容姿端麗で、かしこいと、もてはやされてきた。中学や高校では自分より可愛い子はいなかった。アイドルになればいいと言われた。よくスカウトもされた。


 正直、自分よりキレイな女なんていないと思っていた。


 だからこそ、シオンを見たときのショックは大きかった。


 あまりにも美しいので、最初は女性だと思った。


 シオンから声をかけられたときは、まさに有頂天だった。そして、交際。なんとなく、危険な香りは、ただよっていたけれど……。


「これは君と僕だけの秘密にしてほしい」


 そう言って、あの実験の内容をあかされた。奇抜で恐ろしい内容だったが、二人だけの秘密を共有できることは嬉しかった。


 レラが生まれるまでは。


 シオンは死んだ双子の片割れレオンを、もう一度、よみがえらせたいのだと言った。


 ユカはシオンのために、シオンのクローンを生んだ。


 そのときは、まだ幸せだった。


 クローンは急速に成長した。ふつうの子どもの十倍は速く。シオンの実験の成果だ。


 二重塩基法ーー


 その正確な手順は、ユカにはわからない。シオンが教えてくれなかったから。


 おおざっぱな説明によると、細胞単位の遺伝子の結合だ。


 一卵性双生児は受精卵の早い段階で、二つの個体にわかれ、別々に成長する。もとの染色体はまったく同じだから、ほぼ百パーセント、同一の遺伝子を持って。


 つまり、体の設計図は同じだ。


 もしも、成長した二人の体を融合し、一人にすることができたなら。細胞内に染色体が二人ぶん存在することになる。


 体を形成する設計図は一人ぶんで充分だ。


 すると、染色体が一人ぶん、あまることになる。あまったぶんに、ほかの書き込みができる。


 結合するためのプロセスや、ひんぱんに自家生殖することによって、ES細胞を生みだし、肉体を若く保つことなどを。


 あるいは怪我をしたとき、結合した二重染色体を分解し、いっきに細胞を増殖させて早期に治療することも。


 ただし、シオンの作ったクローンはXYだ。自家生殖するには、卵子の提供者が必要になる。それが、ユカだった。


 卵子の提供さえあれば、表現体が男性でも、腹腔内で初期の受精卵を育てることはできる。


「いつか、君も僕と同じものになろう」と、シオンは言った。


 それがレラとレナのはずだった。


「この子たちは君の染色体から作ったクローンだよ」


 ほんとに、そう? なんだか、違う……。


 でも、きっと、まだ小さいから、そんな気がするだけよね。


 この子たちに二重塩基を定着させたら、わたしの魂を移す。


 わたしはシオンと永遠をともにする。


 そう自分を納得させた。


 いや、納得させようとした。むりやりに。でも、できなかった。


 二人は一歳になると大人のように、しゃべった。しかも、自分たち二人きりのときだけ。誰かが来ると、急にだまりこむ。


 夜中に目がさめたとき、こっそり二人で話してるのを、何度も聞いた。長い塩基配列を言いあいながら、くすくす笑っていた。


 薄気味悪い赤ん坊だった。


 さらに成長すると、顔立ちが、いっそうユカの子どものころからは、かけはなれてきた。


 誰かに似ている。


 レラとレナが誰かのクローンなのは確かだ。それが誰なのか、みとめるのが怖かった。


 あるとき、二人が話しているのを聞いた。


「ねえ、レラ。わたしたち、前は違う姿だったよね?」


「うん。夢で見るね。わたしたちが半分ずつになっちゃったから、きっと、それでだよ」


「わたしたち、もう、あの姿に戻れないのかな?」


「わからない」


「前の名前、おぼえてる?」


「レオンだよね」


「二人がひとつに戻れないと、レオンにはなれないの」


 そうだ。シオンだ。クローンになる前の、このうえなく美しかったシオンに似ている。


(この子たちは、シオンの遺伝子を操作したクローンなんだ……)


 シオンはレオンをよみがえらせるために研究している。ということは、レラとレナは、レオンの魂のための器なのか。


 いや、二人の言うことが本当なら、すでにレオンの魂を持って生まれてきている。


(ゆるせない……絶対に二人をひとつになんてさせるものか)


 レナをベランダから投げすてた。

 レナはグチャグチャになって死んだ。


 ほっとした。

 これで、シオンをうばわれることはない。


 なのに、一人になったレラは、前と同じように、夜中に、こっそり、しゃべった。今度は一人で。まるでレナと二人で話しているように。


 おまけに、レナをなげるところを、近くでシオンが見ていたらしい。


「ユカさんのおかげで、レラの体にレナの魂が入ったよ」


 にっこり笑って、そう言った。


 ユカを責める気配はなかった。


 むしろ、シオンの思うつぼだったようだ。


「死者の魂を生者のなかに蘇生する……あなたの論文に書いてあった」


「一卵性双生児は高い確率で、ある種の共感性を持ってる。それを利用するんだ。とくに幼少期の未分化な魂は、ひきあう。アイデンティティが確立されていないからね」


「シオン。ほんとに、あの子たちは、わたしのための器よね?」


「もちろん」


「でも……」


「僕が信じられないの? それなら、君は、ここで降りてもいいんだよ?」


「いいえ。やるわ。あなたを信じる」


 でも、心の内では信じてなかった。


 どうしたら、シオンとの関係が以前のように戻せるのか思案した。もう一度、以前のように、二人だけで研究に没頭できたなら……。


 それで、レラを階段から、つきおとした。


(レラもレナみたいに、グチャグチャになってしまえばいい……)


 レラはグチャグチャになったはずだった。


 ユカは安心して、家に帰った。


 ところが、夜になると、レラは帰ってきた。全身の骨がバラバラになったはずだったのに。


「わたしはレナよ」と、レラは言った。


 ユカを責めるような目で。


 わたしをつきおとしたのは、あなたよねーーと、その目は言っている。


 いつ、そのことを周囲に暴露されるか、気が気でなかった。レラの視線に、いつも、おびえた。


 それから、またしばらくして、帰宅したときだ。レラが誰かと電話で話しているのを聞いた。


「……レラは今、いないの。ずっと寝てる。レラの体がなくなっちゃったから……うん。わかった。そうすれば戻れるの?」


 そのあと、ふらりとレラはいなくなった。


 夜になると、たびたび消えた。


 一度、当直だとウソをついて、家をるすにした。


 夜になるとレラは出てきた。そのあとを、つけた。繁華街に向かっている。


 ホテルの前で、シオンが待っていた。まるで恋人どおしみたいに、腕をくんで歩いていく。その姿に殺意をいだいた。


(誰にも渡さないわ。シオンは、わたしのものよ)


 とつぜん、過去と現在の時間がかさなった。目の前にシオンとレラが倒れている。


 シオンには、もう意識がないのかもしれない。まったく動かない。


 でも、レラには意識があった。手をのばし、シオンの手をつかもうとしている。


 それを見た瞬間、怒りが爆発した。

 ユカは何度もレラを刺した。何度も。何度も。


 ようやく、レラも動かなくなった。


 レラの手は、シオンに届かない。


(これで、シオンは、わたしのものよ)


 もう一度、シオンのクローンを生もう。シオンの細胞は、ちゃんと冷凍保存してあるから。そして、今度こそ、ユカだけを見てくれるように育てなおすのだ。


 ユカは笑った。ゲラゲラ。大声あげて。


 もう何も悩むことはない。恐れることも案ずることも。嫉妬に身をこがすことも。


 でも、そのときだ。


 流れるシオンとレラの血が、床でかさなった。赤い血と赤い血。届かなかった手のかわりに、血でかさなりあおうというのか。


 死んでまで、生意気。


 ユカは憤慨し、その血をふみにじってやろうとした。


 近づいた瞬間、かさなりあった血と血が、変な反応をした。ざわざわと沸騰するように、ざわめく。


 レラの血。シオンの血。そして、レラの体。シオンの体。みんな、一瞬にして蒸発した。


 ーー僕にはレラが、レラには僕がいれば、二人は永遠に生きられる。でも、二人が同時に死んでしまったなら……。


 そのときは、もっと、おもしろいことになる。


 以前、シオンが、そう言っていたような……?




 *


 鼓動が聞こえる……。


 太古の世界を連想させる、どこか原始的な、その音。


 進化の音ーー


 気がつくと、レラは暗闇のなかにいた。


 自分の体は消えていた。でも、存在はしている。何か、なまあたたかい、やわらかなものに、くるまれている。


(ここは、どこ……?)


 レラが思考すると、何かが、おびえた。レラをくるんでいる何かが。


「やめて。話しかけないで。出ていって!」


 その声は、ひどく、くぐもっている。


 深い水底で聞いているかのように。


 目をあけてみる。


 光が見えた。赤い血の色を透かしたような光。オレンジ色の肉に血脈が走る。


(わたし、誰かの体のなかにいる)


 そういえば、胎児の状態に近い。


 なんで、こんなことになったんだっけ?


 たしか、わたしはシオンと実験室を見ていて……そうだ。とじこめられて、とつぜん後ろから誰かに刺された。シオンも倒れた。それで……二人とも死んでしまった。


 でも、こうして、今、レラは存在している。


 僕と君が同時に死ぬと、おもしろいことになるーーシオンは、そう言っていたけれど……。


 せめて、現状がどうなってるのか、もっとよく見たいと思った。すると、ぼんやりと、まわりが見えた。室内にいる。白い壁の部屋。


(集中すると、見える)


 レラが喜ぶと、それが叫んだ。


「やめて! これは、わたしの体よ。出てって!」


 すると、別の声がした。


「落ちついて。もう怖がることはないのよ。ここは安全だから」


 視界に白衣を着たナースが入ってくる。見覚えがある顔だ。入院したときに、レラを監視していたうちの一人だ。どうやら、ここは母の勤務する大学病院らしい。


「わたし、なんで、こんなところに?」


 今度は声が出せた。


 自分のではない別人の体で、むりやり、しゃべってるような違和感はあったが。


「あなたは山道で倒れてるところを発見されたのよ。大きなケガはないけど、記憶が混乱してるみたいね」


 山道で……きっと、あのシオンの実験室のある病院を出たところだ。


「そうなの……」


 ダメだ。眠い。話していると、とても疲れる。レラは眠った。また、あの鼓動の音を聞きながら。


 眠っているあいだ、レラは恐竜になっていた。太古の世界で、恐竜になって、自分より小さな生き物を無我夢中で、むさぼった。獲物のすすり泣きが聞こえた。


「やめて。わたしは、わたしよ。わたしを食べないで」


 ナースの声がした。


「しっかりして。ここは病院よ。なにも怖くないわ」


 怖い? わたしは何も怖くないわ。怖がってるのは、わたしをくるんでる誰かでしょ?


「よっぽど怖いめにあったのね。お母さんも行方がわからなくなってしまったし。お父さんも、あんなことに……かわいそうに」


 お母さん……お父さん……わたし、誰のなかにいるの?


 目をあけると、ナースが涙ぐんでいた。


 レラは周囲を見まわした。また意識が外に出ている。しかも、以前より、はっきりしていた。この前のときより、らくに体をあやつれる。


「ねえ。わたし、鏡が見たい」


 ナースは、とまどった。


「でも……」


「大丈夫よ。とりみだしたりしないわ」


 ナースはためらいながら、レラを立たせてくれた。室内の洗面台の上に鏡がついている。のぞきこんだレラは驚愕した。


(そんなはずない)


 自分は、たしかに死んだ。母に刺されて。シオンと一つに溶けあった夜。


 でも、そこに映ってるのは、まぎれもなく、レラ自身だ。


 違う! わたしはユカよーーと、誰かがレラのなかで叫んだ。でも、その声は以前より小さくなっていた。なんだか、存在じたいも弱々しい。


(わたしとシオンが死んだあと、何かが起こって、わたしは母の体内に入った)


 そうだ。うっすらと覚えている。


 二人が同時に死んで、血と血が一つに溶けあったとき。新たな化学反応が起こった。


(わたしとシオンは血の蒸気になった。それを吸った母の体内に入って……)


 そうだ。わたしは母の肉を食っている。


 わたしたちの遺伝子が母の細胞に入りこみ、遺伝情報を書き換えた。


 母は、もう虫の息だ。ほとんど母の細胞は残っていない。レラの細胞に侵食されて。


 レラは笑った。鏡に映る自分を見ながら。


(お母さん。あなたは用済みなの。消えてくれる?)


 ひいいッと悲鳴をあげながら、それは消滅した。最後の細胞をレラに食われて。


(シオン。いるんでしょ?)


(いるよ。僕たちは、ひとつになったからね)


 レラには、わかっていた。

 自分の体は、まだまだ変化することを。


 シオンと一つになったから。

 単性XYのシオンと、単性XXのレラが一つになったから。

 今度こそ完璧なXXYの自分が誕生する。


 あの夢のように美しい両性具有の自分。


 無限に自家生殖し、ES細胞を吸収する自分。永遠に老いない、死なない自分。


 レラは入院しているあいだ、まだ読んでなかったシオンの一冊めの本を読んだ。最後のほうに、こう書かれていた。


『こうして不老不死の新人類が誕生する。そのとき、旧人類は新人類のエサとなる。


 自家生殖によって新たな細胞を得るとき、必要なのは多くの良質なタンパク質だ。


 人間にとって、もっとも構造の近いのは、やはり人間のタンパク質だから』


 人の肉を食べて生きるものーーそういうものに、わたしはなる。


 エサを釣るのは簡単だ。あの妖精のような体があれば。男も女も、苦もなく堕ちる。


 それも楽しそうと、レラは思う。

 わたしも、悪魔になっちゃった……。

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