第1話『分身』六章 あなたと、わたしが、ひとつになるとき(前編)
甘美な時が流れる。
シオンとひとつになった夜——
熱い奔流に身をゆだねたあと、レラは、うたたねしていた。
ふと目ざめると、シオンは、となりで目をとじていた。
きれいな寝顔。見つめていると、幸福でいっぱいになる。
すると、シオンが目をあけた。
「寝ちゃってた。シャワー、あびる?」
ほんのひとときでも離れるのは、レラには、さみしい。目を離すと、シオンが消えてしまいそうな気がして……。
シオンの乱れた服のすそを、そっと、つかむ。シオンは笑った。
「どこにも行かないよ。これからは、ずっと、いっしょだ」
「うん」
シオンと行くというのは、どういう暮らしかたをするということだろうか。
たぶん、まともな生きかたじゃない。それでもいい。シオンとなら。
シオンはレラのひたいにキスをした。
室内にあった電気スタンドがベッドのまわりを照らしている。レオンが自殺しようとしたスタンドだろうか。
シオンのいまわしい記憶の残るスタンド。いまわしいベッド。
でも、今は二人だから、幸福。
「設備は旧式だけどね。まだ使える。ここは今でも使ってるから。さきに、あびておいでよ。レラ」
「わたし、あとでいいよ」
「そう? じゃあ、すぐに帰ってくるから」
シオンはベッドをおりた。手ぶくろをはずす。レラは、ギョッとした。
「シオン。それーー」
「ああ。これ?」
シオンの右手には、写真で見た、あの青いアザがある。
「右手はレオンに貰ったからね。レオンには生まれつき、ここにアザがあった」
それは、レラも知っていた。聞きたかったのは、そのことじゃない。
「そうじゃないの。シオン……」
あの写真。赤ん坊のレラを抱いた両親の写真。半分に切られて顔はわからなかったけど、父親の手にはアザがあった。
「そのアザ……わたしのほんとのお父さんの手にあるのと同じだよね?」
泣きたい気持ちで、たずねる。
シオンは、きょとんとしていた。レラの真意をまったく測りかねるというように。
「ああ。そうなるかな」
強いめまいを、レラはおぼえる。
「シオンは……わたしの、お父さんなの?」
答えを聞くのが怖い。
シオンはレラのおびえを理解できない顔で、見つめてくる。
そして、口をひらいた。
「そうだよ」
やっぱり、悪魔だ。
なんで、今になって、そんなことを言うんだろう?
ひとつに、とけあった、今になって……。
「どうして……こうなる前に教えてくれなかったの?」
シオンは微笑した。
「なんで? それって、そんなに大事なこと?」
レラは気が遠くなる。
「あたりまえよ」
「とっくに知ってると思ってた。だって、堂坂詩音が実の父だと、ユカさんか高池さんから聞いてたんだろ?」
「でも……その人とシオンは年齢があわないじゃない」
「まあ、これは二度めの体だから」
「えっ?」
シオンは考えこむ。
「そうだね。君にも、ちゃんと話しとかないと。これから二人で永遠を生きていくわけだから」
シオンは衣服をととのえると、手招きした。
「僕の前の体、見せてあげようか?」
レラはショックから立ちなおれないまま、シオンに手をとられてベッドをおりる。
「さあ。おいで」
服を着ると、レラをシオンは外へ、つれだした。病棟へ向かっている。
「暗くて、よく見えない」
「ナースステーションに懐中電灯が置いてあったはず。そこまで、しんぼうして」
あの病棟へ真夜中に入っていくのか。一人なら絶対にできない。ルナとルリみたいな変な実験体は、もういないのかもしれないが。
「ここ、ほんとに安全だよね?」
「なにも怖がることないよ。ここはね。君の生まれた場所だよ」
まあ、そうだろうとは思っていた。
「わたしも、ルナとルリと同じなのね」
「同じじゃない。ルナとルリは二重塩基法以前の実験体だ。結合性双生児ではあっても別々の個体だからね。一人ぶんの体に二人の魂は内包しないわけだよ。その点、僕と君は二重塩基法の成功例だから」
「DNAの二重らせん構造のことを言ってるの?」
「まさか」
シオンはレラの手をひいて、地下へと、つれていく。
暗い階段を懐中電灯の光をたよりに、おりていく。あの鉄格子の扉の前まで来た。扉はひらいたままだ。
「レラ。カギは?」
「このへんで落としたままよ」
「ああ。これか」
シオンは錠前をひろいあげる。だが、カギはない。
「そういえば、レナがルナの目に、つきさしたんだった。わたしを助けようとして。あのあと、ルナが来たときには、刺さってなかった」
「まあ、いいけどね。あとで新しいカギとつけかえよう」
そう言って、シオンは錠前を壁のフックにかける。
「このなか、見たよね?」
「手前の部屋だけ。薬品庫とホルマリン漬けの部屋」
「じゃあ、かんじんなとこは見てないんだ」
シオンは薄気味悪く笑う。
「君を僕の実験場に招待するよ」
暗闇のなかを歩きだす。
シオンが最初にレラをつれていったのは、死体安置所だ。病院のそれというよりは、モルグ。死体を冷凍保存できるボックスが、いくつもならんでいる。
「ここにね。昔の僕が眠ってるんだ」
シオンは首にクサリでさげたカギを、服の下から、ひっぱりだす。ボックスのひとつを、そのカギであけた。
すっと、コンテナがひきだされる。
なかに凍りづけの死体があった。
僕の白雪姫ーー
レラは知った。
シオンの言う白雪姫とは、誰のことをさしているのかを。
死んだまま眠る絶世の美女。
それは、かつてのシオン自身のことだ。
今のシオンも、とても美しい青年だ。でも、その死体は、この世のものとは思えない。女とも男とも違う。しいていえば、その中間。
妖精とか、精霊とか、そういうたぐいの何かのような。
死体ではあるけれど。いや、死体だからこそ。この世のことわりから外れた美を体現している。
「これ……シオン?」
「そうだよ」
「きれい」
「きれいだよね」
「顔はシオンだよね。でも、少し違う」
「これは両性具有の僕だからね」
「今のシオンは?」
「僕は単性XYの僕」
「死んだの? 以前のシオンは?」
「そう。死んだ。実験を成功させるために、みずから、このなかに入って眠りについた。次に目覚めたときは、計画どおり、この体のなかだった」
「そんなことができるの?」
言ってから、レラはハッとする。
シオンはクローンの研究をしていた。遺伝子操作によるクローン再生の研究を。
それに、魂の存在の証明……あるいは、死者の魂の蘇りについて。
「クローンなの……? 今の体は、この死んだシオンの遺伝子を組みかえたクローンなのね?」
「そう。母体が必要だったから、ユカさんに協力してもらった。単性にしたのは、僕の自意識では男性だったからなんだけど」
「でも、それだけじゃ、記憶は残らない……」
「知ってる? 赤ん坊のときには、人は前世の記憶を残してるんだ。でも、その記憶は、物心がつくころには消えてしまう。三、四さいまでだよね。
じゃあ、もし、その期間に、いっきに大人になることができれば、どうだろう? 前世の記憶を失う前に」
思いあたる。
レラのなかで急速に成長し、消えていった胎児。
それに、レラ自身も一歳のときには大人のように、しゃべったという。
「わたしも、あなたの作ったクローンなの?」
「君は単性XXの僕だよ。僕のオリジナルがXXYだったから、遺伝子をちょっといじれば、XXでもXYでも、かんたんに作れるんだ」
「じゃあ……父親というより、むしろ、あなたは、わたし自身ね」
「そう。だから、気にすることないんだ。ただの自家生殖さ」
「じゃあ、わたしが、あなたを好きなのって、ただのナルシシズム?」
そう思うと、涙がでる。
でも、シオンは気にしてない。
「そんなことより、やっと実験の最終段階にかかった。君に会いたかったよ。レラ」
「わたしに何をさせるつもりなの?」
「僕らは、また、ひとつになるんだ。そのとき、僕らは完全体になる」
「そのために、わたしに人工授精したの?」
「あれは、君に二重塩基を定着させるためさ。双子だからできるんだよ」
「二重塩基って、なんなの?」
シオンは答える前に、コンテナをしまった。美しい死体は、また氷の眠りにつく。
「それはねーー」
シオンが言いかけたときだ。
どこかで大きな音がした。
シオンは口をつぐみ、ろうかへ出ていく。
レラも追った。
「今の音……」
「しっ」
あの鉄格子の扉が開閉されたような音だったが……。
ろうかを歩いていく。
鉄格子の前まで戻ってきた。
シオンが懐中電灯で照らすと、クサリに錠前がぶらさがっていた。
シオンは錠前をしらべて首をふる。
「カギがかけられてる」
「そんな……でも、カギは……」
「ルナがそのへんに投げだしてたんだろ。それを誰かが見つけたんだ」
「誰が、そんなことを。ここには、あなたと、わたししかいないはず……」と、言ってから、レラは思いだした。
「そうだ。大谷くんは、どうなったのかな。ルナにひきずられていったから、死んだとばっかり思ってたけど。もしかしたら、生きてるのかも?」
「ルナにつかまって、逃げだせるとは思えないけどね。まあ、しらべてみるか」
「ここをしめて、出ていったのかもよ?」
「それならそれで邪魔者はいないとわかる」
「ここに、とじこめられたけど……」
「あんな細い錠前だからね。ここにあるものを使えば切断できる。骨を切断するための医療器具とか」
それなら、とじこめられたことじたいには問題はないのか。
「病棟は電気、つかないの?」
「残念ながら」
「なんだか……」
「怖い?」
怖いというより、不安だ。
レラはシオンに、ついていった。
死体安置所のとなりが実験室だった。さまざまな実験用の器具やパソコン、資料などがデスクにならんでいる。
そのとなりは手術室。
ここが、ルナの寝室だったようだ。
大谷の死体は、そこにあった。凄惨な死体だ。手足や内臓をほとんど食べられている。生きたまま食べられた死に顔は、すさまじい。
大谷のほかにも、いくつも死体があった。ただし、それは古い。白骨化している。
「やっぱり、死んでる……」
では、大谷ではない。誰か別の人間のしわざということだ。
「いったい、誰が……」
死体を見つめて、つぶやく。
そのとき、レラは背中に痛みを感じた。悲鳴をあげて倒れる。
ふりむくことはできなかった。血が流れるのが自分でもわかる。
そのまま、意識が、もうろうとしてくる。
シオンの声が、なんとか聞きとれた。
「ユカさん。やっぱり、君か。この場所を知ってるのは、僕のほかには君しかいない」
母が、ここまで追ってきたのだ。
「なんだって、こんなことするんだ? レラは君の娘じゃないか」
「ちがうわ。レラはバケモノよ。わたしから、あなたをうばっていくバケモノよ」
シオンの声が一瞬、とだえる。次に聞こえたときは、なんとなく口調が冷ややかだった。
「母親ってやつは、どうして、みんな同じことを言うんだろう?」
「ねえ、シオン。わたしはもう終わりなの? わたしの役目は終わり?」
「最初から、そういう約束だったろ?」
「今度はレラに、あなたの子どもを生ませるのね?」
「そうじゃないけど、そう思いたければ、そう思えばいいよ」
「……ウソだったのね?」
母の声が暗く、よどむ。
「なに?」
「わたしを愛してるって言ってくれたじゃない」
シオンは鼻先で笑った。
「そんなの本気にしてたの? そんなはずないよね」
今度は母の声が、とだえる。
「そこ、どいてくれないかな。レラを助けないと。かわいそうに。すぐに縫合して、僕の血を輸血するよ」
シオンがレラをのぞきこむ。
レラは視界がグルグルまわって、よく見えない。が、シオンの背後に母が立つのは見えた。手にレラを刺したナイフをにぎっている。
(シオン……あぶない……)
声をだすことはできなかった。
次の瞬間、母はシオンの背にぶつかっていった。
「誰にも渡さない……あなたを誰にも渡さないわ」
涙にゆがむ、母のみにくい顔。
(これで……終わり? わたしたち二人とも、こんな、みっともない愚かな女に殺されて終わるの?)
レラの上にシオンが倒れてくる。
そのとき、レラは見た。
シオンが、かすかに笑うのを……。
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