第1話『分身』一章 もう一人いる 3
「わたしが吉田くんのこと好きなこと、知ってるよね? とらないでよ」ーーと、中一のとき、サヤカに言われたことを思いだす。
小学からの友人だったが、サヤカとは、それっきりだ。
レラは吉田くんのことなんて、なんとも思ってなかったのに。
勝手に向こうから告白してきて、レラが断っても、待つよ、なんて言われて。
正直、すごく迷惑だった。あのときの二の舞にならなければいいけど。
イケメン先輩の道着の胸には、よりによって、吉田とネームが入っている。
そのあと、一時間ほど、吉田先輩から弓道を教わった。
ほかの見学の女の子たちが不機嫌に、こっちをにらんでなければ、スズカやアサミは何時間でも、そのままだったろう。
「ねえ、今日はもう帰ろうよ。スズカ、アサミ、塾の時間でしょ?」
そう言って、スズカとアサミをさそいだす。
「あ、もうこんな時間か」
「吉田先輩。ありがとうございました! 明日も来ていいですか?」
二人は、まだ興奮していた。なかなか吉田先輩から離れようとしない。ムリヤリつれだして、校門の前で別れた。
二人は塾に通っている。
レラは、その必要がないので、まっすぐ家に帰る。二人の塾がない日は、ファミレスに行ったり、ゲーセンに行くこともあるが。
でも、何をしても、つまらない。
なんだろう。いつも、何かが足りない感じ。
スズカやアサミは、吉田先輩にキャアキャア言っていた。その気持ちが、レラにはわからない。
たしかに吉田先輩、顔は、わりといい。でも、レラにはわかった。彼は、これまでの日常の延長線上にいる人だ。レラの足りない何かをくれる人ではないと。
きっと、レラは恵まれすぎてるのだ。
容姿もいい。
長い黒髪は日本人形のよう。でも、透きとおるような白い肌と、黒目がちの大きな瞳は、フランス人形のようでもある。
勉強は苦もなく学年トップに入れる。スポーツも趣味で楽しむには困らない。
何もかも、かんたんにいきすぎるから。だから、生きている実感がない。
ほんとのわたしは、もう死んでるんじゃない?
そんなふうに、ぼんやり思う。
救いといえば、高校が家から遠くなったことだ。スズカたちが都内の名門学校に行きたがったから。
通学に時間がかかる。たいくつな時間が、ちょっとだけ、つぶれる。
電車のなかでは本を読む。文学の世界の主役の悩みは、壮大で楽しい。レラの現実とは違いすぎる。
一生に一度でいい。こんなふうに、生きるの死ぬのって、大さわぎしてみたい。
でも、それも、最近は読みたい本がなくなってきた。何を読んでも感動しなくなった。フィクションの世界さえ、レラを救ってくれない。
実家近くの駅につくと、日が暮れていた。正確には、暮れかけていた。空のダークブルーに、ほんのり残照が赤い。
誰か、わたしを救いだして。
このたいくつな世界から。
わたしに足りない何かを教えて。
今日は切実に、そう思う。
レラの願いが通じたのだろうか?
あの男に会ったのは、そのすぐあとだ。
その人は、あからさまに怪しかった。レラの家の前で、じっと無人の家を見つめていた。
全身黒ずくめで、カラスの化身みたい。手ぶくろだけ白い。
よこがおが、はっきり見えるところまで近づいて、レラはドキリとした。
二十代なかばだろうか。びっくりするぐらい、キレイな人だ。顔だけ見たら、白人のカッコイイ美女だと思ったかもしれない。
思わず、レラは立ちつくした。人を見て、こんなにドキドキしたのは初めてだ。容姿だけでなく、その人からは非現実の香りがした。
「あの……うちに、何か用ですか?」
その人が、ふりかえる。レラを見て笑った。吉田先輩みたいに、さわやかな笑顔じゃない。美しいけれど、邪悪な笑み。
レラは直感した。
この人は悪魔だ。その美貌で万人をとりこにする悪魔。内面は異質で、非人間的。
「君がレラちゃん? 大きくなったね」
声は、まぎれもなく男性だ。
ますます、ドキドキする。
「あなたは?」
「僕はシオン。君のお父さんの知り合いなんだ」
「父の? 父なら、まだ病院にいると思います」
言ってから、ハッとした。
もしかして、この人の言う『父』とは、『あの人』のことだろうか?
母の部屋の引き出しのなかに隠された、あの写真。父が、とうさかと呼んでいた、あの人。
レラのほんとうの父……。
思いきって、たずねる。
「父って、堂坂さんのことですか?」
シオンは笑みを深くした。
「知ってるんだ。じゃあ、話が早い。レラちゃん、お父さんに会いたくない?」
やっぱり、そうだ。この人は、じつの父の知り合いだ。
(父に会う。わたしのほんとのお父さん)
べつに、とくに会いたいわけでもない。
今の父のことは嫌いじゃないから。
よその父親のように干渉するわけでもなく、マジメで、いい人だと思う。血のつながりのないレラにも優しい。
どちらかといえば、冷たいのは母のほうだ。ときどき、バケモノを見るような目で、レラを見る。
でも、ついていけば、もう少し、この人といられる。
「そうですね。会ってもいいですよ。わたしも両親のあいだに何があったのか、事情が知りたいですから」
シオンは笑った。笑うと、いよいよ邪悪なのに、こばめないほど魅力的。
「いいね。理知的な女の子、きらいじゃない」
シオンは、いきなり、レラの手をにぎった。どこかへ、ひっぱっていこうとする。
「待ってください。今からですか?」
「いけない?」
「いけなくはないけど、カバン、置いてきてもいいですか? 制服のままだし」
「ああ、そうか。うれしくて、あせっちゃった」
シオンがレラの手を放す。レラは残念な気がした。
悪魔だとわかってるのに、惹かれていく。怖いほど。
考えながら、シオンが言う。
「高池さんは仕事だって言ってたね。お母さんは?」
高池は今の父の姓だ。つまり、レラの姓でもある。
「母も仕事です。今日は遅番だから、十時ごろまで帰らないと思います」
「そう。じゃあ、君が着替えるあいだ、家のなかで待ってもいい?」
「いいですよ」
初めて会ったばかりなのに、レラは、やすやすと招き入れた。いつものレラなら考えられない。
「どうぞ」
「へえ。きれいにしてるんだね。ユカさんらしいな」
シオンは母を下の名前で呼んだ。それを聞くと、なんだか、胸がギュッとする。
「母のこと、知ってるんですか?」
「知ってるよ。大学では美人で有名だった」
そう。たしかに、母は、けっこう美人だ。でも、レラとは似てない。今の父とも似てない。
前は不思議だったが、今ならわかる。きっと、レラは、ほんとの父に似てるのだ。
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