インサイド・アウト


 ネオタアリ社のフロアはまだ煌々こうこうと明かりが付いていた。夜10時を過ぎたにも関わらず沢山の人が残り、アウトサイダーの対策に追われていた。


 デバッグルームに戻ると湯川さんとハルちゃんはおろか、なぜかノーランとサクラさんまでいた。俺と一緒に会社を出たはずなのに、クエストドアをプレイしている。


「おー、どうした2人で顔を赤くさせて。ここはデートスポットじゃねぇぞ」


 俺たちの姿を見つけた湯川さんが茶化したような笑みを向ける。慌てて首を横に振って否定する。


「ち、違います! ちょっと外で呑んでて」

「本当か? 顔が赤いぞ」

「本当です!」 


 花村さんも大きな声で否定した。

 顔が赤いのはお酒を飲んでいるから……のはずだ。


 湯川さんとハルちゃんは興味深げに俺たちを見比べると、やれやれと肩をすくめた。


「まぁ花村の機嫌も直っているようだし良しとするか。……それでどうして戻って来たんだ?」

「実は……」


 アウトサイダー発生条件の手がかりを見つけたことをみんなに説明する。ゲームを停止してもらって、ノーランとサクラさんにも俺の考えを話す。


 川辺で頭をよぎったのは、普段近くにありすぎていて意識していないものだった。花村さんが落としたシュークリーム……おやつ……と思考が駆け巡って、あることを思い出した。

 

 俺が普段ゲーム上で常備していた薬草おやつのことだ。


「アウトサイダーの発生条件は薬草の所持数だと思います」

「薬草?」


 怪訝けげんそうに眉をひそめるハルちゃんに、大きく頷いて説明する。


「1度目も2度目も俺は大量の薬草を持っていたんです。おやつとして暇があれば食べていましたから。でも再プレイ時には、ゲームオーバーで持ち物を失っていた。だから再発しなかったんです」

「ただの偶然では……」

「東京ゲームショウのプレイヤーも、薬草を大量に購入していたような気がします」


 花村さんがそう言うと、パソコンを操作していた湯川さんも思い当たる節があったようで当時のプレイ記録ログを確認し始めた。


「確かに道具屋で13本の水と27枚の毒消し、39枚の薬草を購入している。そして薬草を使用した後、柱に頭をぶつけてアウトサイダーの空間に飛ばされているな」

「しかしその程度の動作はずっと昔、デバッグ部が作られる前に擬似アバターで行っているはずじゃぞ」


 ハルちゃんが不思議そうに首を傾げている。

 

 そこが落とし穴でもあった。

 俺たちが入社する前の擬似アバターでのテストプレイで確認は済ませているかもしれない。だが薬草に関しては、俺たちがデバッグを行う前と行った後では決定的に違う点がある。


「薬草の味を変えたじゃないですか」

「あ……!」

「そうか……ひょっとしてアウトサイダーは特定の香りか味の信号に反応してバグを発生させるのか!」


 湯川さんは手を叩くと、急いでノーランとサクラさんに座椅子に座るように促した。


「苦い薬草を甘い味にしたのは春のことでしたね」

「あの煮卵味のせいか……」


 みんな合点がいったようだ。

 薬草の味を変えたのは4月。それ以前に行ったデバッグでは意味がない。やっていたと思っていたからこそ、見落としていた重要なピースだった。


 ようやくアウトサイダーに会える。

 俺も2人と一緒に座ろうとしたが、隣に立ったノーランに止められた。


「飲酒後はゲーム禁止ですよ」


 そういえばビールを飲んでいたんだった。

 BMIはアルコールを感知すると、作動しない仕組みになっている。こればっかりはしょうがない。むしろ2人が会社に残っていてくれたことが奇跡だ。


「そもそもどうして2人は会社にいるんだ? 帰ったはずじゃなかったっけ?」

「何か胸騒ぎがして戻ってきちゃいました。サクラさんも同じだったようで、この時間まで残ってアウトサイダーを探していたんですが……どうやら正解だったようですね」


 ノーランはそう言って微笑むとBMIを装着した。サクラさんも俺の方を見てグッと親指を立てた。その背中はいつもより頼もしく見える。

 

 2人がアウトサイダーを見つけるのを、俺はモニターを通して見守ることになった。不甲斐ないが、あの2人ならきっと上手くやってくれるだろう。


「よし! 準備は出来たな」


 湯川さんが気合のこもった声を2人に送る。道具屋で薬草を50枚ほど購入したノーランとサクラさんは、葉っぱをモグモグと咀嚼そしゃくしながら壁に突撃する準備を整えている。端から見ると滑稽な絵面だが、この一瞬にネオタアリの命運がかかっている。


「3……2……」


 湯川さんがカウントダウンを始める。

 隣に座る花村さんがゴクリと唾を飲み込む。


 良く考えたら、あれだけ自信満々に言っておいて間違っていたら……恥ずかしいじゃ済まされない。土下座もんだ。

 

 ここまできたら上手く行くように祈るしかない。

 俺のプライドのためにも。ネオタアリのためにも。花村さんたちの思いのためにも。


「1……ゴー!」


 合図と同時に壁に向かってダッシュするノーランとサクラさん。身体は猛スピードで壁に突っ込んでいく。衝撃に備えて2人は頭を押さえて身構える。


 怖くて見ていられない。

 壁が目前に迫る。


 ……だが、衝突音はなかった。

 2人の身体は見事に壁をすり抜けていた。


 モニターに映る彼らの視界が白、黒、白、黒、白と何度も明滅する。座標がエラー値を表示して、マップ上から消えたところで2人の身体は例の白い空間に着陸した。


 キョロキョロと辺りを見回して現状を確認する2人。モニターに映し出されている光景は見間違えようがなかった。


「アウトサイダー……!」

「成功じゃ!!」


 ハルちゃんと花村さんが歓声をあげる。


 とりあえずはうまくいったようだ、ホッと安堵のため息をつく。薬草の仮説は間違っていなかった。

 

 だが問題はまだ目の前に残されている。

 モニターに映し出されているあの影。俺たちが勝手にアウトサイダーと呼んでいるものは一体どういう存在で、何が目的なのか確かめる必要がある。


 湯川さんがマイクで2人に呼びかけるが、応答しない。どうやら通信は途切れてしまっているようだ。

 どういう経緯でこのバグは発生しているのか、解明は2人に任せるしかない。幸いにも2人からの音声はこっちに届いている。俺の時とはだいぶ状況が違うようだ。


 動き出す黒い影を見て、モニターを見つめる俺たちは息を飲んで注視した。モヤモヤと動くアウトサイダーは、人の形しながら2人の方へと歩いてきている。


 普通だとこのままアウトサイダーに襲いかかられてゲームオーバーだ。こちらからアクションを起こすべきか、否か。 

 サクラさんは隣に立つノーランに呼びかけた。


「……どうしましょうか」

「距離をとって薬草を置いてみましょう」


 まずノーランが黒い影に歩み寄り、近くに薬草の束を置いて素早く後ろに下がる。ちょうど2人とアウトサイダーの中間地点に薬草は置かれている。

 アウトサイダーは黙ってノーランの行動を見た後、足早に薬草のところまで歩み寄ってきた。


 興味深げに薬草の束を眺めていたアウトサイダーは、葉っぱの先っちょを掴むと顔面にぽっかりと空洞を出現させてパクリと飲み込んだ。モグモグと口を動かし咀嚼そしゃくしているようだ。


「……食べている」

「食べていますね」


 困惑しながらその様子を見ている2人に、アウトサイダーは手をまっすぐ突き出してきた。


「……もっとくれということでしょうかね」

「あげましょうか」


 ノーランとサクラさんはカバンから薬草を出して、恐る恐る黒い影に渡した。すると影は大きく口を開けて、大量の薬草を放り込んだ。ハムスターみたいにほほ袋をいっぱいにさせてムシャムシャと食べている。


「……」


 その様子を2人は黙って見ている。とりあえず、いきなり攻撃してくる様子はない。今までの行動を見ている限り、アウトサイダーの目当ては薬草ということなのだろうか。


 アウトサイダーは咀嚼そしゃくを終えると、満足そうにお腹をさすった。そしてノーランとサクラさんと向き合い、口を開いて言葉を発した。


 女の子の声だった。


「帰って良いよ」


 それだけ言うと、アウトサイダーは身をひるがして部屋の隅っこで体育座りをしてしまった。もう2人に興味を失ったようだ。

 その様子にサクラさんが諦めたようにきびすを返した。


「帰りましょうか」

「そうですね……っていやダメですよ。言葉が通じるなら交渉ができます」


 そういうとノーランはそっぽを向いているアウトサイダーに近づいていく。ノーランが後ろから呼びかけると、黒い影の肩がピクリと動いた。

 

「あのー……」

「何ですか? もうお腹いっぱいです」


 アウトサイダーの声はかなり幼かった。小学生か中学生くらいの幼い女の子という印象だ。


 その光景を見てハルちゃんと湯川さんが首を傾げている。


「やっぱりあんなものプログラムに組み込んだはずはないな……」


 パソコンにはノーランとサクラさんの脳波データが送られてきている。それを見ても2人にはさっぱり分からないようだった。


 とはいえ現実にモニターに映っている以上、どうにかしないといけない。

 この場はノーランの交渉能力に委ねられている。頑張れノーラン。


「あなたは何者なんですか?」

「知らない」


 アウトサイダーはそれだけ言うと沈黙してしまった。取りつく島もない。ノーランはしばらく思案して立っていたが、意を決したように上着を脱ぎ始めた。


「何を……?」


 突然の露出行動にモニターを見てる誰しもがあっけに取られる。アウトサイダーも彼の行動を呆然と見ているようだ。

 華麗にコートを脱いだノーラン。湯川さんが彼の服の中から大量に現れたものの正体に気づいて、目を丸くした。

 

「薬草だ」

「いつの間にあんなものを……」

 

 モニターを監視していたはずのハルちゃんが唖然と呟く。

 ノーランが服を脱いだ後に現れたのは大量の薬草の束だった。服の中から手品のように大量に出てくる。どれだけ準備してきたんだ。


「これ欲しくないですか?」

 

 ノーランは薬草をアウトサイダーにみせびらかすように掲げた。

 黒い影はコクリと頷いて立ち上がって手を伸ばしたが、ノーランは届かないように高く持ち上げた。


「何をするんですか!?」


 アウトサイダーは抗議の声をあげて掴みかかろうとしたが、ノーランは全く動じなかった。


「アウトサイダーさん、交渉をしませんか?」

「……交渉?」

「僕たちの質問に答えてください。答えてくれればこの薬草をあげます」


 しばらくにらみ合うように向かい合うノーランとアウトサイダー。緊迫した空気が部屋を包んでいる。

 一緒に来ていたサクラさんといえば既にわれ関せずという感じで白い壁を興味深げに触っていた。彼女は一体何しに来たんだろう。


 アウトサイダーは思い悩むように腕を組んでいたが、結局折れて再び座り込んだ。


「……良いよ。私に答えられることならね」


 その言葉を聞いて、モニターを見守っていたみんなが胸をなでおろした。とりあえず第2段階は突破したようだ。


 あとはアウトサイダーから話を聞き出して、彼女自身がどういったバグかという情報を聞き出す必要がある。

 ノーランは同じように座り込むと、アウトサイダーに話しかけた。


「じゃあ最初の質問です。あなたは何者なんですか?」

「……さっきも言ったけど知らない。からかっているわけじゃないよ、本当に知らないんだ。でも、あなたはさっき私のことをアウトサイダーって言ったけれどそれは違うよ」

「違う……とは?」


 アウトサイダーはにっこりと笑うように口を開くと、ノーランの手元からサッと1枚薬草を取って口の中に入れた。つまみ食いだ。

 口をモグモグさせながら、アウトサイダーは言葉を続けた。


「アウトサイダーって外から来るもののことでしょう。私は違うよ。ずっとこの部屋にいたからさ。アウトサイダーは君たちの方じゃない?」

「じゃあどちらかと言えばだと」

「そゆこと」


 ゴクリ、と薬草を飲み込みアウトサイダーならぬインサイダーは大きく頷いた。

 

 彼女自身も自分のことが分からないならば、この質問の仕方では意味がない。ノーランも同じことを思ったらしく、質問を変更した。


「じゃあ次の質問。ここの空間は一体なんなんだ? 一体どうしてここに呼び寄せられるんだ?」

「呼び寄せたんじゃなくて、君たちの方から歩いてきたんでしょ? まぁ扉を開けたのは僕だけど」

「扉?」


 アウトサイダーはノーランが持つ薬草を指差した。


「美味しそうな匂いがしたからさ。それにつられて扉が開いちゃったみたい」

「なるほど……」

 

 やっぱり全ての原因は薬草だったのか。

 苦い薬草から甘い薬草に変更したことで、彼女が言うような「扉」を開けてしまった。


 「扉」という言葉から推察すると、この空間は彼女の家のようなものなのだろうか。

 もう1枚の薬草を食べながら、俺の推測どおりの答えをアウトサイダーは返した。


「ここの空間は僕のリビングだよ。そういえば前に君の仲間っぽい人がいきなり僕のバスルームに入ってきたんだけど、慰謝料請求しても良いかな」

「あー……きつく言っておきます」

「絶対に許さない」


 2人の会話を聞いて、花村さんたちの方からとがめるような視線を感じる。

 

 ……最初に入った空間はアウトサイダーのバスルーム的な空間だったんだ。あのセクハラっていう声はそういうことだったのか。ゴメンなさい。


「女の子の裸を見たんですか?」

「いや黒い影で何も見えませんでした」

「……ギリギリ無罪ですね」


 花村さんのから許しの言葉をいただく。


 ノーランとアウトサイダーの会話は滞りなく進んでいる。聞き上手なノーランのおかげで彼女に関するいくつかの情報が分かった。

 1つ目はアウトサイダーが自律した意思を持っている物体だということ、2つ目はこの場所が家のような場所だということ。

 

 では彼女は一体どこから現れたのだろう。アウトサイダーの言い分によると大分昔から存在していたようだ。


 その正体にいち早く気付いたのは花村さんだった。ノーランと楽しげに話すアウトサイダーを見て、花村さんがポツリと言葉をこぼした。


「もしかして、この子ってボツデータじゃないですか?」

「あり得るな」


 湯川さんがノーランたちから送られてくる脳波データを計算しながら頷く。アウトサイダーの視覚データをディスプレイ状に再現しようとしていた。


 ボツデータ……つまり開発途中で使われなくなったデータだ。そのボツデータの一部が消去されずに残ってしまった可能性が高いと花村さんは推測した。


「テクスチャが不鮮明なのも、空間が無機質なのも不完全なプログラムだからというので説明がつきます」


 すぐさまハルちゃんが昔のデータを引っ張り出して、該当するデータを検索していく。5年以上前のデータまでさかのぼったところで1つのデータを発見した。


 幼い少女の自律式AIのNPCだ。


「社長が開発初期の段階に作成したやつじゃ」

「あー、高性能にしすぎて容量圧迫しすぎて廃棄したあれか。勿体無かったなぁ」


 データを確認しながら残念そうに湯川さんは言った。


「そんなに高性能だったんですか?」


 湯川さんが頷く。

 そのAIはまるで普通の人間のように日常生活を送るスペックまで持たせたらしい。クエストドア全てをそのたぐいのNPCにすることで、まるで普通の町にいるようなリアル感を味わせようと思ったが、消費するメモリが半端ではなかった。

 そのため社長をはじめとした開発者たちは泣く泣くそのAIをフリーズして、現在のようにある一定のパターンの会話しかできないNPCともう少し低スペックの自律式にしたそうな。


「さしずめボツデータの亡霊よのう……」


 ノーランと会話するアウトサイダーを見ながら、ハルちゃんはどこか懐かしそうに呟いた。NPCのデータの一部がクエストドアに残っていて、薬草の匂いに反応して再起動してしまった可能性が高いらしい。


「丸福との接触で再起動したことで学習機能も復活した。それで言葉を覚えて視覚情報の打ち返しも出来るようになったんだな」

「まるで本当の人間が成長しているようですね」

「そうだな……」

 

 まるで墓場から蘇った死者のように、

 長い間帰ってこなかった伝書鳩でんしょばとのように、

 思いもかけないタイミングでアウトサイダーはクエストドアに戻ってきた。


 全ては偶然と偶然が重なった結果だった。薬草の味さえ変えなければアウトサイダーは再起動することはなかった。


「それで、どうしましょう?」


 花村さんが困った顔で湯川さんの方を見た。湯川さんはさっきから1人厳しい表情でモニターを見つめている。


「薬草の味を変えるのが手っ取り早いが……この方法を使っても状況は変わらないかもしれない。一度再起動してしまったから、薬草の味を変えても他のきっかけでまた繋がらないとも限らない。そうなると一番確実な方法は……」

「ボツデータを完全に消去する……ですか」


 花村さんの言葉に湯川さんが辛そうに頷く。


「出どころが分かれば消去するのは簡単だ」


 湯川さんの視線はノーランと和気藹々わきあいあいと話しているアウトサイダーに向けられていた。ハルちゃんも花村さんも、その表情はどこか切なそうだ。


「あの子を消去するんですか」

「うーむ……」


 さっきまでとはまた別の感情で湯川さんたちは悩んでいるようだった。


 なぜなら、モニターを見ている全員がすでにアウトサイダーを見てしまっていた。生き生きと動く黒い影、まるで人間のように成長してきたプログラムに感情移入してしまっていた。

 見てしまった以上、やすやすと消去するという判断ができるほど、鉄のメンタルを持っている人間はここにはいなかった。


 誰もが沈黙の中で、それぞれに打開策を考え始めていた。どうにかしてあの子を生かすことはできないのだろうか。

 刻一刻と時間は過ぎていく。すでに時刻は深夜12時を回ろうとしていた。ノーランたちの疲労も限界にきている。


 議論は平行線上をたどり、有用な打開策は見つからなかった。やはりアウトサイダーを消すしかないないのだろうか。諦めのムードがデバッグルームに漂い始めていた。




「……アウトサイダーを消去しよう」

 

 そして湯川さんが苦渋の決断を下した。

 その声と同時に時計が12時の針を刺した。おなじみのゴリラの鳴き声が室内に響く。深夜12時でも同じようにアラームはセットされていたようだ。


 ウホッウホッ!


 うるさいなぁと思った瞬間、頭の中で閃くものがあった。俺の脳内でゴリラの鳴き声がエコー再生されていた。


 ……………………うほ?

 ウホ……ウホ。


 俺が思い出したものは、『コングファイター』であり『モンキーシューティング』だった。花村さんと一緒にプレイしたあのゲームたちのことだ。

 

 バナナ……波動砲……あれだって同じことだ。


 開発者側の遊び心で混入させた意図的な————


?」

「はい、アウトサイダーを公認の隠し要素にするんです。そうすればあの子を消さなくて済む」

「つまりアウトサイダーを裏NPC的な立ち位置として残すということですね」


 花村さんは口に手を当てて、思案するように瞳を揺らした。


 ボツデータを利用した隠し要素はファミコン時代からずっとある。特定のコマンドを押したり、操作することで取得できる裏技。

 アウトサイダーもそういう存在にしてしまえば良い。


 俺の提案に湯川さんは眉間みけんにしわを寄せて、首を横に振った。


「……危険すぎる。完全に無害だという確認ができない。まだ俺たちがアウトサイダーと完璧に接触できていない」


 今の所、交渉はノーランに一任されている。

 俺たちがいくら作戦を考えても伝える手段がない。無害だということの証明を、アウトサイダー自身から確認できていない。

 

 1度ゲームを停止して作戦を立て直すしかないだろうか。だからと言って次回も都合よくアウトサイダーに会えるという保証は無い。

 もう打つ手がない、そう考え始めたとき突如としてスピーカーからサクラさんの動揺した声が聞こえた。


「……あれ? なんか変なとこ押しちゃった。花村さんたちの声が聞こえてくる」

「………………ひょっとして通信が復旧したんでしょうか!? もしもしー、サクラさん!?」

「あっ花村さんだー。おーいおーい」


 俺たちの方へ呼びかけてくるサクラさん。何が起こったかは分からないが、サクラさんとだけ通信が復活しているようだ。


「タンスに触ってたら変なボタン押しちゃいました」

 

 ずっと前からサクラさんはノーランたちから随分と離れたところで、アウトサイダーの持ち物を物色していた。2人が会話に気を取られている間に、好き放題していたみたいだ。

 サクラさんが触っていた引き出しには、ボタンのような突起物が付いていた。


「人のものを勝手に触るのは良くないが……でかした! きっと音声プログラムの切り替えスイッチか何かだろう。早速アウトサイダーに伝えて欲しい!」


 湯川さんが急いでサクラさんにこちらの作戦を伝える。無害だということの確認と対応策について、アウトサイダーに伝えてもらう。

 アウトサイダーはサクラさんの話を興味深げに聞いた後、小さく頷いた。


「約束する。私はここに来るプレイヤーにむやみに手出しはしない。そういう風に学習するよ。有害だと判断したら消してもらっても構わない。でも1つ条件がある」

「条件……?」


 アウトサイダーは恥ずかしそうに身体をモジモジさせた後、その条件を言った。


「薬草が欲しい。それが食べられるなら、いくらでも協力する」

「……もちろんだ。約束する!」


 ニッコリと笑って湯川さんも快諾した。

 これでアウトサイダーとの交渉も成立だ。花村さんとハルさんも手を握り合って喜んでいる。


 良かった、彼女を消去しないで済む。 

 アウトサイダーは不完全なプログラムのため、容量の圧迫もそこまで無いという事の確認もハルちゃんがやってくれた。プラグラムの隅っこにちょこんと居座っているくらいの存在だ。


 湯川さんからの提案で、アウトサイダーの部屋には『薬草を渡さないと無条件でゲームオーバーです』というなんとも恐ろしい看板が立てかけられることになった。


「じゃあ僕たちもおいとましましょう」

 

 長い会話でヘトヘトになっているノーランがゆっくりと立ち上がる。ここまで交渉を長引かせることができたのも、ノーランの交渉力と薬草のおかげだ。さすがデバッグ部の天使というだけのことはある。


「出口はあっち」


 アウトサイダーが指差した方向には、いつの間にかポッカリと大きな穴が空いていた。その先にはさっきまで2人がいた町の風景が見える。

 2人に向かってアウトサイダーは、ヒラヒラと小さな手を振って送り出した。


「またお話ししようね。あと薬草もお願いね」

「はい!」


 アウトサイダーに手を振り返すノーランとサクラさん。

 白い空間に空いた大穴をくぐると、2人の視界は再び白、黒、白と激しく明滅し始めた。


「これで全部解決ですね……」

「はい」


 花村さんが目頭を押さえながら頷く。

 

 感慨深くモニターを見守っていると、サクラさんのモニターが白い空間を映した。きっと後ろを振り向いたのだろう。視界はさっきまでアウトサイダーが手を振っていた空間に焦点を合わせている。


 だが、そこに黒い影はいなかった。

 代わりにいたのは紛れもないだった。ニッコリとモニターの方へと微笑み手を振っている。


「……?」


 思わず目をこすると、そこにはもう何も映っていなかった。ブラックアウトしたモニターは何事もなかったように、クエストドアの町の風景を映し出し始めていた。


 今のは一体……?

 女の子が見えた気がしたのだが。


「女の子? 見ていませんが」


 ゲーム内から帰ってきたサクラさんに聞くと、そんな姿は見ていないしそもそも後ろを振り返っていないということだった。


 他の誰も女の子の姿を確認していなかった。

 幻だったのだろうか。酔っていたし、深夜だったし。疲れていたのかもしれない。


 とりあえず世間を騒がせたアウトサイダー事件は無事に解決した。隠し要素であることが発表されると、大炎上していたネットは「なんだ自演かよ」と辛辣な反応を示したが、次第に鎮火していった。代わりに残ったのはフルダイブ型ゲームに対する大きな期待感だけだった。


 今回の事件を終えて、クエストドアは大きく完成に近づいた。BMIの量産体制の目処もついて、物流もソフトウェアのダウンロード販売の体制も、営業部と販売部が奔走して間にあわせることに成功した。


 完成版の納期も当初の予定通り。

 今年中にクエストドアは発売できるだろう。アウトサイダー事件の荒波をネオタアリは無事に乗り切ることができた。ゴールまでもう少しだ。




 ……

 

 

『アウトサイダーって外から来るもののことでしょう。私は違うよ。ずっとこの部屋にいたからさ』



 今でも思うのは、、ということだ。

 

 俺は花村さんたちの推理をどこかで納得できないでいた。

 廃棄されたボツデータがあそこまで精巧に動くだろうか。お風呂に入ったり、金だらいを落としたりするだろうか。


 もし彼女がクエストドアができる前よりずっと昔からいた存在だったとしたら。俺たちの脳のどこかにずっと住み着いていた存在だったとしたら。BMIの登場によって視認できるようになった存在だっとしたら。俺たちの脳に秘められた怪異————


 インサイダー、内部に潜む者。

 未だに解明されていない「脳」という迷宮に潜む者。魂と呼ばれている何か。


 俺が見た女の子が、アウトサイダーの真の姿だったのかもしれない。それも今となっては分からない。あの一件以降、例の女の子の姿は見ることはできず黒い影は黒い影のままだった。


 しかし俺以外にそんなことを気にする人もおらず、当のアウトサイダーも白い空間でムシャムシャと飽きずに薬草を食べている。まぁ当人が幸せそうなのだから良いか。


 

 クエストドアの発売予定日は12月1日に決まった。マスターアップするまで俺たちも鬼のように忙しかった。アウトサイダー事件に手一杯で、やることはまだまだ山積みだったからだ。

 

 恐ろしいスピードで季節は巡り、やがて冬になった————

 

 

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