最大の危機


 東京ゲームショウの翌日。

 残暑厳しい9月の晴天を、俺は自転車で駆け抜けていた。青くて清々しい空の色だったが、そんなものに目を向けている余裕はない。ネオタアリはかつてない崖っぷちに立たされていた。

 今日も本当は2日間の代休がもらえるはずだったが、アウトサイダー事件の対応のため緊急出勤となった。


 アウトサイダーの登場はBMIの使用にかつてない論争を巻き起こしていた。一部始終を記録していた動画がSNSで出回り、批判や不安の声となってネオタアリに押し寄せていた。

 このままだと年末発売予定だったクエストドアが延長、もしく発売停止に追い込まれるかもしれない。湯川さんはげっそりした顔でそう言っていた。


 いつもの通り、ビルの陰に自転車を隠蔽いんぺいしてネオタアリ社のビルへと向かう。普段は静かなビルの前では、たくさんのマスコミがカメラを構えて仰々ぎょうぎょうしくレポートしていた。


「謎に包まれたBMIという装置。果たしてこれは安全なもの言えるのでしょうか……」


 出社する俺の姿を見つけた記者たちがマイクを向けてくるが、急いで通り過ぎる。発売の時よりも多くのメディアがビルに詰めかけている。まるで火災現場みたいな狂騒きょうそうだった。

 

 その火元であるネオタリア社のフロア到着すると、予想通りよどんだ雰囲気のスタッフたちがいた。ソワソワした顔つきで窓の外を見ている人、天を仰いで呆然ぼうぜんとする人、どこか上の空で作業を進める人。

 発売間近で本来はにぎやかに製作が進んでいるはずだったが、そんな空気ではない。落ち込んでいるか、落ち着いていないか。それは社長代理であるこの人も同じだった。


「ネオタアリ最大の危機です……!」


 花村さんは電話の対応に追われながら頭を抱えていた。湯川さんたちも寝不足の頭を抱えて、朝っぱらからパソコンと向かい合い昨日の記録を調査していた。


「警察から聴取されるかもしれないな」

「原因が分からんと、説明もできんのう……」

「最悪、発売中止なんてことも」

「あるかもしれんのぉ……」


 湯川さんとハルちゃんは、依然として正体の掴めないアウトサイダーを探しながら大きくため息をついた。

 その様子を見て、花村さんは鳴り響く電話の中で精根せいこん尽きたように天を仰いで、後悔の言葉を口にした。

 

「丸福さんのことを聞いて、バグの対処につとめていればこんなことにはならなかったのにぃ」

「詰めが甘かったのう。社長が聞いたらなんて言うか……」

「ううう」


 力尽きて天井の蛍光灯を見ている花村さんの代わりに、湯川さんが電話を取った。

 製造部から今後のBMIの生産体制をどうするべきかという内容らしく、湯川さんは「何とも言えない。早急に対応する」と申し訳なさそうに言って電話を切った。


 製造が遅れるとなると、クスストドアの発売は延期せざるをえない。事態は来るところまで来てしまっていた。


 花村さんはライオンに噛まれて瀕死のシマウマみたいな顔で、再び電話の応対をし始めた。電話口で怒鳴る声に対して何度も謝っている。


「はぁ……もうだめだ」

 

 花村さんにかけてあげられる言葉は無かった。もう少し俺が強く進言していれば、こんな事態にはならなかったのかもしれない。どのみちもう時すでに遅しだ。今更何を言っても何のなぐさめにもならない。


 しばらくしてノーランとサクラさんが出社してきた。ノーランが差し入れで持ってきた大量のシュークリームをペロリと完食した花村さんは、お手拭きで口を拭くと力強い声で宣言した。


「落ち込んでいる暇はありませんでした! デバッグチームのみんなでこのバグを究明するのです!」

「立ち直り早いですねー」

「糖分を摂取したのでもう大丈夫! 早速アウトサイダー発見のための工程スケジュールを組みます!」


 電話対応を湯川さんたちに任せて、花村さんはアウトサイダーを発見するためのあらゆるパターンを列挙し始めた。

 どんなステータスで、どんなフィールドで、どんな動作でアウトサイダーが出てくるのか導き出すために、俺たちデバッガーたちが効率良く動けるような行動パターンを書き連ねている。


「何かにぶつかったというのが今のところ大きな共通点ですね。体験プレイヤーは道具屋で薬草と水と毒消しの薬を買った後に、店の柱に激突しています」


 花村さんが東京ゲームショウの体験プレイヤーと俺のプレイ記録を見比べながら、推理している。俺と彼に見られた共通点としては、アウトサイダーの空間に行く前に床や壁に激突したことが挙げられる。


 1度目はダンジョンの岩に踏み潰されて、2度目は壁マラソンの時にぶつかって、そして3度目の今回は道具屋の柱にぶつかっていた。いずれも物体との衝突が1つの要因となっている。


「しかしこれだけではバグ発生のパターンは絞りきれません。ぶつかる時の速度が関係しているのかもしれませんし、体重が関係しているのかもしれません。そもそもあの空間が何なのか私にはさっぱり分かりません。湯川さんは本当に心当たりないんですか?」

「無い。心当たりがある人間がいるとしたら社長しかいないが、まだ入院中で話せる状況じゃないしな」

「私たちだけで解明するしかなさそうですね……」


 花村さんはショボンと肩を落としたが、すぐにデバッグのスケジュール作りを再開した。

 ぶつかる速度、体重、場所、武具の有無、レベル、持ち物の有無。それぞれのパターンを掛け合わせると無限に近い。しかしバグを再発させてアウトサイダーと邂逅かいこうしなければ道はない。


 ここからは根気の勝負だ。発生すると信じて何度もトライアンドエラーを繰り返すしかない。


 工程が出来たところで、BMIを装着してクエストドアをプレイする。

 花村さんの指示の通り、俺たちはあらゆるパターンの動作で壁や柱にぶつかった。


『次は全速力で木の柱にぶつかってみてください』

「いたーい!」

『これもダメか……次は少しスピードを緩めてみてください!』

「あうちっ!」

『これでもダメか……次は……』


 辛い作業だった。体力も使うし何より先が見えない。実際に出会えるかも分からないものを探す、まるでジャングルの奥地に潜む珍獣を追っているようだった。


 いるはずなのだけれど、見つからない。


 決死の努力にも関わらず成果はかんばしくなかった。1日1日と時が過ぎ去って行き、1週間が経ったが再びアウトサイダーと出会うことはなかった。

 花村さんが最初に作った工程が終わり、そのまた次の工程が終わってもアウトサイダーは現れなかった。デザイン部や営業部からも助っ人をもらいデバッグを進めたが、見つかる気配はなかった。


 無為に時間が過ぎるにつれて、徐々にネオタアリ全体に諦めのムードが漂い始めていた。


 このまま本当にアウトサイダーは見つからないのではないか。

 そうなれば今までの苦労は全て水の泡だ。

 

 そんなむなしい結末が俺たちのすぐそこまで迫っていた。




◇◇◇

 


 

「発売の延期を発表しよう」


 湯川さんが花村さんにそう提言したのは、9月の終わり。10月にさしかかろうとした時だった。夏の日差しが影をさして、街路に植えられているイチョウの木がほんのりと色を帯びてくる季節だった。


 今日もあらゆるパターンを試したが成果はゼロ。様々な部署の人たちがデバッグを手伝ってくれているが、見つかる気配はなかった。みんな疲れ切っているし、どこか諦めたような表情を浮かべるようになっていた。


 選択の時は迫っている。


 それを最終的に決めるのは社長代理である花村さんだった。ネオタアリの全体的な方針の決定権は彼女にある。

 花村さんは頼り甲斐のある優秀な人だ。人望も厚いし、みんなに優しい。けれどまだ若すぎた。会社の命運を決めるような選択は彼女にとっては初めての経験だった。


 彼女が悩み苦しんでいるのは、その様子からヒリヒリと痛いほど伝わってきた。

 ここ数日の花村さんはすっかり憔悴しょうすい仕切っていた。体力的な疲れと精神的な疲労が限界にきている。ぼんやりと天井を見上げることが多くなっていた。本当はもう投げ出したくてたまらないはずだ。俺だったらそうしてる。

 

 そんな状況にもかかわらず、湯川さんが口にした「延期」という言葉を花村さんは強く否定した。


「ダメです。予算がもうありません。銀行からの借り入れもカツカツで、大手のゲームパブリッシャーにでも頼らないと厳しいんです」

「それで良いじゃないか。これだけ話題になっていればスポンサーとして付いてくれるところは腐るほどある」

「でもお祖父ちゃんからの意向で、このゲームは自社で完結させたいんです。どこにも頼らずに我々のチームだけで」


 花村さんがそう言うと、湯川さんは辛そうに唇を噛んだ。

 社長である花村さんのお祖父さんの症状は深刻らしく、まだ会話ができるような状態ではなかった。もともと身体が悪かったらしく、治療に時間がかかっているそうだ。


 だから今、この場にいる人間で会社の行く先を決める必要があった。デバッグルームは冷え切った空気に包まれていた。空調の音が嫌に大きく聞こえる。


 湯川さんはしばらく腕を組んで考え込んでいたが、目線を上げて花村さんをまっすぐ見つめると優しい口調で話し始めた。


「俺も爺さんには世話になっているから、その気持ちは痛いほど分かる。だが単なるゲーム開発会社でこれ以上続けるのは無理がある。爺さんの財産も残り少ないんだろう?」

「そう……ですが」

「社長がいない今、最終的に決断するのは社長代理であるお前なんだ。プレッシャーをかけて悪いとは思うが、クエストドアの発売延期は必須だ。そうなるとバグに対する外部からの調査も入って、発売はどんどん遅くなるかもしれない。けれどこれ以上は世間も黙っちゃいない。このまま何もしないでいると発売中止だ。本当にこれまでの苦労が無駄になってしまうんだ」


 湯川さんの厳しい言葉に、花村さんは目を伏せたまま反論した。


「クライアントからの圧力に振り回されたゲームたちがどうなったか、湯川さんも知っているはずです。私はクエストドアをそんなゲームにしたくないです……!」

「じゃあこのまま何もせずに沈んでいくのを待っているつもりか」

「それ……は」


 延期か、さもなくば中止。延期するにも開発予算を援助してくれるスポンサーが必要で、そうなるとクエストドア自体にも影響は出てくる。今までのような自由な開発は不可能になるだろう。


 もっと多くの人間が関わってきて、様々な思惑が絡んでくるようになる。

 花村さんは涙を抑えるように宙を見上げると、何も言えずに口を閉じた。


 デバッグルームが重苦しい沈黙に包まれる。

 

 湯川さん、ハルちゃん、サクラさん、ノーラン、そして花村さん、誰もがやりきれない表情で下を向いていた。ゴリラの時計が12時を指して、ウホウホという鳴き声が再生されたが誰も気に留める人はいなかった。


 今までのネオタアリの経営方針やマネージメントは社長が中心となって決めてきた。だがその社長は今いない。


 何百人という社員の生活が花村さんの肩にかかっている。

 アウトサイダー事件によって、ネオタアリは岐路きろに立たされてしまった。発売延期か、そうでなくても何か別の対策を施さなければいけない。


 実際、1週間経っても事件の余波は収まっていなかった。ネオタアリに対する非難の声は日に日に高まっていた。


 いい加減ネオタアリから公式発表をしなければ、良くない噂がどんどん広まっていく。ただでさえSNSでは「脳波ジャック」だとか「米軍の陰謀」だとか、荒唐無稽こうとうむけいの記事がまことしやかに流れている状況だった。




「少し……考えさせてください」


 長い沈黙の後、花村さんはそう言ってデバッグルームから出ていった。

 湯川さんは小さく頷くと、彼女の背中を見守った。


 ドアを閉じる音と走り去っていく足音が、虚しく室内に響いた。


 花村さんがいなくなったデバッグルームで、ハルちゃんがアウトサイダーを記録した動画を見つめながら、独り言のようにこぼした。


「このゲームはわしらの誇りじゃから、どこにも譲りたくないのは分かる。大手のパブリッシャーがつくと、クエストドアは今とは違う方向性になる。ひょっとしたらBMIをゲームごときに使うな、と言われるかもしれん。一体どうするのが正解なんじゃろな」

「俺にも分からん。あいつにはちょっと荷が重過ぎたな……」


 後悔の言葉を口にすると、湯川さんは険しい顔をしたままBMIを起動させた。


「続きを始めよう。花村が立てた工程通りに進めていく」

「……はい」 


 今はできることをやるしかない。アウトサイダー発見のため俺たちはデバッグを再開させた。だが今日も手がかり1つ掴めずに、時間だけが過ぎていった。


 ……そして終業時間になっても花村さんは帰ってこなかった。 


 重苦しい雰囲気のまま今日の業務は終了となった。開発部の皆も会話を聞いていたのか、浮かない顔をしている。こんな沈んだ空気のネオタアリは初めてだった。いつもお祭り騒ぎのフロアが嘘のように悲しい雰囲気に包まれている。


 ノーランとサクラさんと会社前で別れて、俺は自転車がしまってある路地裏まで歩いて行った。吹き始めた秋風がいつもより寒く感じる。散り始めた落ち葉を踏む乾いた音が靴の裏で鳴っていた。


 自転車を隠蔽いんぺいしている路地裏までたどり着くと、そこに俺の愛車は存在しなかった。愛車マイフレンドは鮮やかな黄色だから見失うはずがない。

 


 自転車を探して路地裏をキョロキョロしながら歩いていると、代わりに俺は違うものを発見した。


 

 いや、正しくは目が合った。



 真っ赤に目をらした花村さんが、俺の顔を見つめていた————


 

 

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