あなたのことを、ずっと


 午後10時、

 東京都品川区五反田のとある居酒屋。店内は多くの客で賑わっていて、焼き鳥の良い匂いと威勢の良い煙が包んでいた。


 そして、壁際の席で1人の客が皿に盛り付けられた焼き鳥に当たり散らしていた。


「ちくしょうめぇ! なーにがアウトサイダーだ! この、このぉ!」


 べらんめぇ口調で喋っているのは俺ではない、花村さんだ。

 すでに串刺しになっている焼き鳥を箸でズタズタにしている。オーバーキルだ。

 この居酒屋に入ってから2時間が経ったが、花村さんの酒豪っぷりは凄まじかった。ビール4杯、焼酎ロックで3杯、日本酒に至っては一升瓶を空にした。そしてまた5杯目のビールを飲んでいる。


 それでもまだ意識を保っていられるのだから恐ろしい。この人は本当に同じ人間なのだろうか。花村さんがボロボロにした焼き鳥をつまみながら、俺は完全に萎縮いしゅくしてしまっていた。

 

 そもそもどうして花村さんと2人で居酒屋に行くことになったかというと、あの路地裏で出会ったことがきっかけだった。

 


◇◇◇



 自転車が隠されている路地裏に現れた俺を、花村さんは不思議そうな顔で覗き込んできた。


「どうして……ここに?」


 花村さんの瞳は真っ赤にれていた。ずっとここで隠れて泣いていたのだろう。随分と間の悪いところに来てしまった。


「えっと、あー。自転車を取りに」

「自転車?」


 真っ赤な瞳を隠すように目をハンカチに押し当てて、花村さんは取りつくろったように明るい声を出した。


「そういえば私が来た時に回収されちゃいましたよ。ここ違法駐輪じゃないですか? 撤去するって看板も駅前に出てましたし」

「回収……」


 どうやら俺の愛車マイフレンドは連れ去られってしまったようだ。自転車は後日取り戻すとして、今日はどうやって帰ろう。徒歩だと家まで40分以上かかってしまう。

 がっくりと肩を落としていると、花村さんが涙を拭きながらボソリと何やら言葉をこぼした。


「……なんだ、追いかけてきてくれたのかと思った」

「え?」

「なーんでもありません! 丸福さんこの後お暇ですか?」


 もちろん暇だ。

 俺が大きく頷くと、花村さんは嬉しそうに笑った。


「じゃあ行きましょう! 近くに美味しい焼き鳥のお店があるんです」


 するりと俺の横を抜けて、花村さんはスタスタと歩き出した。無理して気丈きじょうに振舞っているのが彼女の背中からヒリヒリと伝わってきた。


 ずっとここで泣いていたのか、そう思うと胸が痛くなった。

 ……うまく花村さんを元気付けられると良いんだけれど。


 それにしても、さっきの言葉は一体どういうことだろう。

 言葉の真意を問いかけることもできずに、俺は早足で歩く花村さんの後ろを慌てて付いて行った。




◇◇◇

 



 そして、現在。

 花村さんは美味しい焼き鳥のお店の焼き鳥をズタボロにしている。1時間くらい前までは楽しくお話ししていたが、日本酒のボトルを飲み干したあたりからどうも様子がおかしくなってきた。


「ちくしょー! 今まで順調だったのにぃ!」


 死に際の悪役みたいな言葉を吐いている。ズタボロにされた焼き鳥さんは責任持って俺が食べている。もも肉美味しい。

 店主のおじさんはふところの深そうな笑顔を向けて、俺たちの皿を回収していった。


「ヒカリちゃんがここまで荒れるのは久しぶりだよ」

「良く来られるんですか?」

「あぁ、前はお祖父さんと一緒にね」


 お祖父さんという言葉が出ると花村さんの肩がピクリと揺れた。「しまった」という顔で店主のおじさんは逃げていった。どうやらやぶの蛇を突ついてしまったようだ。


 花村さんは勢いよくジョッキをテーブルに置くと、俺を見てポロリと大粒の涙をこぼした。


「このままだとお祖父ちゃんの遺言を守れない……」

「まだ死んでいませんよ」

「そうでしたぁ……!」


 テーブルに伏せてワンワンと大泣きする花村さん。

 遺言ではないが、きっと大事な約束だったのだろう。本当はきっと会社でも泣きたかったんだ。まだ25歳にもならない若者に、400人の社員の生活など背負えるはずがない。


 湯川さんたちもこくなことをするもんだ。


「そんなに大事な約束だったんですか?」

「……BMIは元々、お祖父ちゃんの趣味的な研究でした。今のBMIの仕組みの原型が出来た時から、お祖父ちゃんはこの技術を絶対に外に出そうとはしませんでした。どうしてだか分かりますか?」


 俺が首を横に振ると、花村さんは紙ナプキンで鼻をかんで言葉を続けた。


「この技術がされないためです」

「悪用?」

「BMIの技術は色々できちゃい過ぎるんですよ。フルダイブ型ゲームはもちろん、映像をより多角的な目線で見せる技術はエンターテイメントの根幹を変えることになります。けれど形を変えれば洗脳や幻覚なども見せることができますし、エロ同人みたいに感度500倍だってできちゃうんですよ」


 感度500倍だと……


「だからお祖父ちゃんはこのBMIの技術をゲーム作りに応用しようと思ったんです」

「それは……どうしてなんです?」

「『人間は遊ぶ存在である』って……」


 花村さんはそういうとジョッキに残ったビールをグッと呑み干した。


「ヨハン・ホイジンガ、オランダの歴史家の言葉です。まあ特に意味はないんですけれど」

「意味はないんですか」

「お祖父ちゃんはBMIの技術を安全で楽しめるものだと皆に知らせたかったんです。最初に世の中に出るものが兵器でもドラッグでもなく、ゲームであることに意味があるって。楽しんで作ったものだから、みんなにもゲームとして遊んで楽しんでもらいたいって、そういう風に言っていました」


 花村さんはそう言うと空っぽのグラスに目を落とした。ほうけたような表情だったが、瞳の奥はキラキラと過去を懐かしむように輝いていた。


 ゲームとして遊んで楽しんで欲しかった、か……


「それは……すごく面白いですね」

「ですよねー、丸福さんもそう思ってくれますか」


 ジョッキの上にあごを乗せながら、嬉しそうに花村さんは微笑んだ。

 顔も見たことない社長だったが、きっとすごく面白い人だったんだろう。花村さんの話を聞いていてそう思った。

 BMIを普通に売れば億万長者にだってなれる。歴史に名前を刻むことだってできる。でも彼女のお祖父さんはゲームを作ることを選んだ。


 全ては楽しみを共有するため。その思いを貫いてここまでやってきた。

 凄まじいまでの執念と情熱だ。俺が入社するずっと前からネオタアリはそういう熱気の中にいたんだろう。彼女がここまで大泣きしたのにも、スポンサーを入れることを拒んだのもようやく納得がいった。


 だからこそ————


 突っ伏している花村さんの後頭部をつついて優しく起こす。俺の方を見た彼女の瞳は涙で濡れていた。きっと、もう一生分の涙を流しているだろう。


 それでも言いたいことがあった。


「花村さん、俺は発売を延期するべきだと思います」

「丸福さん……そんなぁ」


 再び泣き出しそうになる花村さんを慌てて止める。泣きだす前にちゃんと伝えなきゃいけない。


「いや、もちろん花村さんのお祖父さんの意思は分かります。だからこそ、です」

「……だだちゃまめ」

「違います、何ですかそれは。、発売を延期してゲームの安全性を高めるんじゃないですか」


 その言葉を聞くと花村さんはゆっくりと視線を上げて、俺の方を見た。

 

 焼き鳥を攻撃していた箸がテーブルから落下して、カランと床に甲高い音を響かせた。花村さんはそのことを全く気にせずに、俺の言葉に耳を傾けた。


「俺なんかが言って良い立場なのか分かりませんけれど、楽しく遊べるゲームを作るには今それが必要なんだと思います」

「しかしパブリッシャーを入れると主導権が……」

「でも、結果的にクエストドアがみんなが楽しめるゲームになるのならそれでも良いと思います。もし……クライアントと戦うことになったら一緒に戦います! 残業もします、休日も返上します!」

「どうして……そこまで」


 花村さんは目を丸くして、俺の顔をまっすぐ見た。

 いきなり大声を出したせいで喉がれてしまったが、これだけは言わなければならない。


「このゲームをみんなが遊んでいる姿を、俺は見てみたいんです」


 そう言って俺は自分のジョッキに残ったビールを一気に飲み干した。カラカラになった喉の奥がキュウっと熱くなる。


 大声で話したせいで店内の注目が俺たちに向いていた。自分の顔が紅潮しているのが分かる。

 恥ずかしいけれど言いたいことは全部言えた。あとはテーブルの上の醤油皿の柄を眺めることにしよう。あー、恥ずかしい。

 

 しばらく気まずい沈黙が流れた後、軽く咳払いをして花村さんが口を開いた。

 

「……休みはちゃんと取らなきゃダメですよ。ハッピーさん」


 静かな声で花村さんは懐かしい名前を口にした。

 

 

 ハッピー、

 その名前は————


 

 顔を上げて花村さんの方を見ると、彼女は優しく微笑んでいた。


「そろそろ出ましょうか。外の風を浴びたくなってきました」


 何も言えずにカクカクと頷く。席から立ち上がり、お会計をして店から出ていく。居酒屋の扉を閉めるとき、店主の親父さんが親指をグッと突き出していたのが見えた。



◇◇◇



 今日は雲ひとつなく、綺麗な月が夜空に輝いていた。満月とはいかないが黄金色に光る月が、川の水面にキラキラと写り込んでいた。

 花村さんの自宅は会社から徒歩で15分ほど。目黒川沿いをずっと進んでいった先にあるらしい。


 駅から離れていくと人通りは少なくなっていた。都市の騒がしいノイズが遠ざかっていくにつれて、秋の涼しい風が川辺の木々を揺らす音が聞こえて来た。風に合わせて気の早い落ち葉がヒラヒラと落ちてくる。

 

 俺の隣を歩く花村さんはご機嫌そうに、足取り軽く歩いていた。最初に会った時にように。楽しそうにスキップしながら川沿いの道を進んでいた。


「どうして俺のゲーマー時代の名前を知っているんですか?」

「ハッピーさんですか? 当然ですよー、社長代理ですし」


 花壇を囲む飛び石の上にピョンと器用に飛び乗って、花村さんはそう答えた。綱渡りをするように両手を横に広げている。

 足早に小さな飛び石を歩いた花村さんは、再び華麗にジャンプしてクルリと俺の方を振り向いた。


「……というのは嘘で私はずっとあなたのことを知っていました」

「俺のことを?」

「はい」


 花村さんは照れくさそうに小さく頷いた。


「コングファイターは私が最初に作ったゲームなんです。大会のイベントも何度か見に行ってそれでハッピーさんのことを知ったんです」

「それでか……」 


 どうりであんな複雑な隠しコマンドを知っているわけだ。

 大会を見られていたってことは、俺の無様な負けっぷりも知っているってことだ。好きなゲームだったけれど、結局1度も優勝できなかったからなぁ。


「ちょっと恥ずかしいな。上位まで行くと手も足も出なかったし」

「……私はハッピーさんのプレイ好きでしたよ」


 花村さんはクスリと笑い声を漏らして、言葉を続けた。


「ハッピーさんのプレイは地味でしたが、そこが人間っぽくて好きでした。相手の方が技術も反射神経もあるのに、ちょこざいな小技で何とかしようとする」

「ちょこざいな……って」

「良いじゃないですか、ちょこざい上等です。才能では勝てないから、必死に頭を使って目の前の壁を越えようとする。超えられっこない壁でも必死に努力する。そこが面白くて今でも鮮明に覚えています。私の作ったゲームを、こんなに必死に考えてやってくれる人間がいるんだって、すごく嬉しかったです」


 彼女の言葉に自分の耳が熱くなるのが分かった。

 もう花村さんがどんな表情をしているか俺には分からなかった。恥ずかしくて照れくさくて、彼女の顔を見る勇気が俺にはなかった。


「最初にデバッガーを募集することを決めた時も、丸福さんの顔が真っ先に出てきました。無駄な努力をいとわない、たとえ光が射さなくても頑張っている人」

「そんなことは……」

「いえ、私は知っていました。あなたのことを、ずっと」

 

 俺たちの周りはすっかり人気ひとけがなくなっていた。

 静かな川辺には風に揺れる木々のざわめきと、鈴虫の鳴き声が響いていた。


「花村さん……」


 俺の前に立つ彼女を見る。

 彼女の顔は月明かりに照らされて、ほんのりと赤かった。うっすらと微笑んで俺の方を見ていた。


 どうすれば良い。

 何を言えば良いんだ。


 心臓がバクバクと脈打っているのが分かる。血が回りすぎて卒倒しそうになる。

 月の明かりを反射して、彼女の白く輝く瞳に吸い込まれてしまいそうになる。少しだけ開いた唇が、すごく綺麗で色っぽく見える。


 こんな気持ちは何年ぶりだろう。誰かのことを思うなんてことは、俺の人生からもう失われてしまったものだと思っていた。

 

 勇気を振り絞って出した声はこわばって震えていた。


「あの……」


 その時、俺の方へと一歩寄ってきた花村さんのカバンから何かが滑りおちたのが見えた。落ちていくそれを見て、花村さんがしまったという表情をする。


「あっ……」


 カサリ、と音を立ててその何かは地面に落下した。拾ってみると、それは包装紙に包まれたシュークリームだった。

 顔を真っ赤にした花村さんは慌ててそのシュークリームを、俺から奪い取った。


「す、すいません! おやつに食べようと取っておいたやつです。は、恥ずかしい」

「……おやつ」

「私、結構食いしん坊なんですよ……」


 それは知ってる。

 

 俺の頭をよぎったのはそういうことじゃない。

 おやつ? おやつ、おやつ、おやつ。

 そういえば……。


 シュークリームを手にした花村さんを見て、俺の頭の中で雷が落ちた。

 

 今まで見落としていた事実を発見した。俺の脳の中のニューロンが強烈に発火して1つの模様を描いていた。

 これしかないじゃないか。どうして今まで気づかなかったんだろう。


「丸福さん、どうしたんですか?」


 黙ってしまった俺を、花村さんが俺を心配そうに覗き込んでいた。

 

「俺、分かっちゃったかもしれません」

「えっ」

「アウトサイダーの発生条件です」

「本当ですか……!?」

「はい、おそらくですが、これしか考えられません。急いで戻りましょう!」


 花村さんの手を引いて、会社へとUターンする。

 もしこれでアウトサイダーの発生条件が分かれば、すべての問題を解決する事ができる。発売の延期も避けられる。俺たちだけでこのゲームを完成させる事ができる。


 そんな事で頭がいっぱいになってしまって、花村さんの手を強く握りしめていた事に気づいていなかった。

 数歩進んだあとで彼女の温かい手のひらを感じて、一気に手汗がにじみ出た。

 

 うわぁ、何しているんだろう。やばいやばい。

 急いで離そうと、手の力を緩める。


「ご、ごめんなさい!」

「……良いですよ、そのままで」


 そう言った花村さんは川の水面に顔を向けていた。クシャッと乱れた髪の毛で顔が隠れていて、その表情をうかがい知ることは出来なかった。

 でも彼女が手を離す気はないことだけは分かった。いつもより静かなトーンの声だったけれど、いつもよりはずんでいるように思えた。


「楽しいので、そのままで」

 

 花村さんは水に映ったまん丸のお月様に目を向けたまま、そんな風に言った。


 ここで何か気の利いた言葉を言うことが出来れば良かったのだけれど、案の定俺は何も言うことが出来なかった。

 早足で会社までの道を歩いていく。握り返した手のひらの体温だけが妙に生々しく、心をギュウギュウと締め付けた。


 結局、ネオタアリのビルの前にたどり着くまで俺は一言も話すことができなかった。


 

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