冒険を始めましょう


 ネオタアリに入社してから2週間が経過した。4月の頭に満開だった桜もすっかり葉桜に変わっている。自転車での出勤もだんだん慣れてきた。

 風に揺れる木々から漏れる太陽の光。東から吹く暖かい風が肌を撫でる。休日も平日もずっと家にいるので、出勤の時が一番健康的だ。


 いつも通り、ビルの陰に自転車を隠してデバッグルームへ向かう。開発部の人ともだんだん顔見知りになってきて、目が合えば挨拶するようになってきた。もちろん目すら合わない人もいるが(倒れて動かない人とか)。


 この2週間はずっと状態異常と戦闘訓練だけに集中していた。特に状態異常に関してはBMIの調整があるので、なるべく早めに終わらせたいということだった。

 個人的に一番きつかったのは「食あたり」という状態異常だった。道端の草や腐った野菜を食べると発生するのだが、お腹が痛くなってゲームどころではなくなってしまった。何度も試したが、結局うまくいかずにシステムそのものがなくなった。


「おはようございまーす」


 始業20分前、デバッグルームの中には誰もいなかった……と思ったら1人いた。


 小学生くらいの小さな女の子が座椅子に座って、エクレアを頬張っている。髪を2つ結びにして湯川さんのパソコンをカチカチといじっていた。ヘッドホンをして、画面に集中しているらしく俺に気づく様子はない。ボロボロとお菓子のくずがキーボードに落ちていく。


 ひょっとして湯川さんのお子さんかな。

 確か小学生くらいの娘がいると言っていたような気がする。職場見学で来ているのかもしれない。後ろから画面を覗き込むと、何やら重要なシステムっぽい画面をいじっている。


 変なところをいじってしまって問題になったら困ると思って、後ろから忍び寄って少女の身体を抱きかかえる。めいっ子の世話もしたことがあるので、こう見えても子供の扱いには慣れているのだ。


「はーい、そこまでー。おじさんと一緒にお父さんを待ちましょうねー」

 

 俺の方を振り向いた少女に、好感度100パーセントスマイルをぶつける。これが俺の最大最強だ。

 姪っ子の場合はこれで十分だったのだが、この少女の場合はそうはいかなかった。


「何じゃい、貴様は……?」


 顔をしかめられて、ギロリと睨まれる。随分と口調の悪い小学生だな。後ろから掴まれて怒っているのかもしれない。気を落ち着かせるために頭を撫で回す。


「はーい良い子、良い子」

「……な……やめ……」

 

 全然機嫌を良くしてくれない。むしろ嫌がっているようだ。おかしいな。

 ほっぺたをプニプニして遊んでみたが、どうにもならない。警戒されてしまったのか、少女はムスッと黙り込んでしまった。

 そんな攻防をしていると花村さんが出社してきた。


「あらー、ハル副部長じゃないですか。何をしているんですか?」

「おぉヒカリ! 何なんじゃこいつはー!」


 ヒカリ、と花村さんの上の名前を呼んだ少女はぴょんと俺の腕から脱出して、花村さんの方へと駆け寄った。

 

 あれ?

 副部長……?


「あいつクビじゃ、クビー! セクハラ法違反じゃー!」


 ハル、と呼ばれた少女は俺を指差しながらわめいている。とんでもないことをしてしまった気がする。少女の言葉を聞いた花村さんがギョッとした顔をして、俺を見た。


「丸福さん、何をしてしまったんですか……?」

「な、何もしていません」

「嘘じゃ嘘。身体を撫で回された」

「それは……セクハラ法違反ですね」


 そんな法律はありません、という余地はない。完全にやってしまったようだ。小学生かと思っていたが違うのか……?


 女子2人に鬼のような形相でにらまられて縮こまっていると、湯川さんが出社してきた。良かった、助け舟だ。

 花村さんにコアラのように抱きついている少女を見つけて、湯川さんは驚いた顔をした。

 

「お、ハルか。朝っぱらからどうしたんだ?」

「湯川ぁ、あいつがセクハラを」

「丸福が?」


 唖然あぜんとした顔で俺を見る湯川さん。やめて、そんな目で見ないで。

 このままだと本当に警察を呼ばれかねないので、素直に自供した。湯川さんの娘だと思ったこと、頭をナデナデしてしまったことを話すと湯川さんは大声で笑った。


「ハッハッハッ! 確かに見た目は小学生だもんなぁ」

「湯川、貴様もセクハラで訴えるぞ」


 少女に睨みつけられて、慌てて湯川さんは弁解した。


「悪い悪い。この星野ほしのハル。ネオタアリ唯一の現役女子大生社員だ。ハルちゃんって呼んでやってくれ」

「そうだったんですか……ハルちゃん、ゴメンなさい」

「ふん!」


 必死の弁明にも関わらずハルちゃんは俺を許す気はないようだ。花村さんの後ろに隠れながら、俺をにらんでいる。

 

 とうとう俺も無職を通り越して前科者か、と将来を悲観しているとノーランとサクラさんが出社してきた。

 何も知らない2人は挨拶した後、目ざとく花村さんの後ろに隠れているハルちゃんを発見した。

 パァッと顔を輝かせた2人はハルちゃんの方へと駆け寄った。ノーランが彼女の頭をナデナデして、サクラさんがほっぺをプニプニしている。


「君何歳? かわいいねー」

「……プニプニ」


 突然現れた2人に良いようにもてあそばれているハルちゃん。花村さんが慌てて止めようとするが、時すでに遅かった。


「貴様らッッ! そこになおれ、切り捨ててくれる!!」


 少女の口からまるで時代劇のような口上こうじょうが述べられる。突然の怒号にポカンと口を開ける2人。ハルちゃんの怒りの矛先が増えたようだ。


 ……良かった、仲間が増えた。




◇◇◇



 小一時間ほどの説教の後でようやく2人にもハルちゃんの素性が明かされた。申し訳なさそうな顔をした花村さんが説明してくれる。


「ハルさんは現在の開発部副部長です。小学生の頃からこの会社を手伝っているスーパープログラマーです」

「19歳、現役女子大生じゃ」

「ずっとお祖父ちゃんを手伝っていたので、こんな口調になってしまいました」


 顔を膨らませて怒っているハルちゃんを見ながら、湯川さんはずっとクスクス笑っていた。


「見た目は子供、頭脳は大人だぞ」

「殺すぞ、湯川」


 慌てて俺たちの後ろに隠れる湯川さん。ハルちゃんはここに来てからずっと機嫌が良くない。まぁ元はといえば俺が悪いんだが……。

 

 俺と一緒に床に正座させられていたノーランが手を挙げて質問する。


「その開発副部長さんがどうしてここに?」

「もちろん手伝いだ。お前らと同じデバッガーとしてな。今日から一緒にプレイしてもらうぞ」

「そういえば元々このゲーム4人プレイなんでしたっけ……」


 花村さんの最初の説明でもあったが、クエストドアは4人までプレイできる。BMIも最初から4人分あったので、誰か入るのだろうかと疑問に思っていた。


 そうか……この人が。

 ハルちゃんは俺たちの前に立って握手する手を差し出した。


「よろしく頼むぞ。セクハラデバッガーども」

「その節はすいませんでした……」


 深々と頭を下げて、握手する。俺たちの手をとってハルちゃんは仕方なさそうにうなずいた。


「全員クビというのはこっちも困るからのう。とりあえず起訴猶予としておこう」

 

 とりあえず刑務所に収監されることはなさそうだ。安堵あんどのため息を漏らす。

 同じくホッとした顔をした花村さんが、パソコンに起動されているプログラムを指差した。

 

「ハルちゃんはBMIゲーム全般のゲームエンジンを設計した人で、めちゃくちゃ頭が良いんですよ」

「開発の目線を入れるなら、こいつより相応しい人間はいないからな」


 湯川さんがここまで褒めるなんて、よほど出来る人なんだろう。見た目は小学生にしか見えないが。今度から人を見た目で判断するのは控えるようにしよう。


 ハルちゃんを巡るゴタゴタもひと段落して、ようやくゲームを起動する準備ができた。いつも通りの起動音が遠ざかり、ゲームの世界へと入っていった。




 目覚めるといつもの平原。ただ今回はハルちゃんを含めて4人のプレイヤーがいた。女性アバター(サクラさん)と男性アバター(ノーラン)、ハゲ(俺)の他に背の小さい金髪の少女がいる。


「アバターは現実の体型を加味して作られるからな。子供アバターの方が動きやすいんじゃ」

「そうなんですか……」


 フリフリとした可愛らしい衣装を着こなしているハルちゃん。これで19歳かぁ、良いなぁ。

 

 さて今日は何をするんだろう、と身構えているとテンションの高い花村さんの声が響いた。


『ではでは4人揃ったことですし、通しプレイを始めましょうか!』

「通しプレイ?」


 首をかしげるサクラさんを、ハルちゃんは呆れた目で見る。


「通しプレイというのは、ゲームを通常通りにプレイすることじゃ。今までやっていたのは集中的なバグの洗い出しだったが、今度は普通にプレイして感想を聞かせて欲しいんじゃよ」

「普通にプレイ……、そういえばこのゲームはRPGでしたね」


 サクラさんが納得して大きく頷いている。

 状態異常とか戦闘訓練が厳しくて俺も忘れていたが、そういえばこのゲームRPGだったんだ。ストーリーがあるのは当たり前だ。ポカンとした顔をする俺たちにハルちゃんがツッコミを入れた。


「もしかして、このゲームがどんなストーリーか知らないのか?」

『あーそういえば言っていませんでしたー。すいませーん!』

「良くそれで今までやってこれたのう……」


 呆れた顔をしながらも、なんだかんだで面倒見の良いハルちゃんは丁寧にクエストドアのストーリーを説明してくれた。

 

 クエストドアの目的は他の多くのRPGと同じように、ラスボスである魔王を倒すこと。プレイヤーは世界を救うための勇者で、天から力を授けられた存在。行く先々で魔物や、魔王の力の源である暗黒石を破壊していく。そして遥か北方にある魔王城に向かうというストーリーだ。


「……初めてのフルダイブ型ゲームじゃからな。あまりストーリーを複雑にすると、一般受けしない可能性があると思ってのぅ。決してシナリオライターを雇う予算が無かった訳ではないぞ」


 突っ込まれると嫌なところなのか、ハルちゃんは口をモゴモゴさせながら説明していた。

 

 今現在いるのが「始まりの平原」と呼ばれる場所。プレイヤーがチュートリアルを終えて最初に訪れる場所だ。そして「ムアクの町」を抜けて、「清廉せいれんのダンジョン」へと向かい暗黒石を破壊しなければならない。


「クエストドアの流れはそんな感じじゃ。町があってダンジョンがある。ダンジョンで暗黒石を破壊する。イレギュラーなイベントの時以外は、その繰り返しで魔王城までたどり着ける。シンプルじゃろ?」

「分かりやすいですね」

「想定クリア時間は24時間。サブイベントなどを入れるともっと伸びるが、今回は無理にやる必要はない。プレイの主導権はお前たちに任せる」

「良いんですか?」


 俺が質問すると、ハルちゃんは大きくうなずいた。


「わしは流れを知っているからな。初心者としての意見が聞きたい。楽しいか楽しくないか。分かりやすいかどうか。忌憚きたんのない意見を頼む」

「了解です」


 3人が了解したのを確認して、ハルさんは空に向かって語りかけた。


「説明はこんなところかのー、ヒカリー?」

『……』

「ヒカリー?」

『……ハッ。起きていますよ。起きていますとも。とても良い演説でした』


 慌てて取りつくろう花村さんの様子に、ハルさんは肩をすくめた。


 最後はグダグダになってしまったが、とりあえず冒険開始。これ以降は外部からのナビゲーションは最低限で、クエストドアをプレイする。


 1番やる気満々のノーランを先頭にして、一行は清廉せいれんのダンジョンを目指した。

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