BMIってなんだ歓迎会
無限増殖少女事件から数10分後、目を覚ました俺に花村さんはひたすら平謝りで頭を下げてきた。
「ゴメンなさい! 私の対応が遅いばっかりに……」
「あれは……不可抗力ですよ」
花村さんの言葉に首を振って否定する。
無限少女に挟まれて目を覚ました俺の意識は、驚くほどクリアだった。もうかぶなんてこわくない。
予想もしていなかったバグだし、あんな勢いで増えられたら誰だって対応できない。むしろこの段階であんな重大なバグが見つかってよかった。市場に出回った後にあんな被害が起きたら、ただでは済まない。即刻発売中止だ。
俺が倒れたことを聞いて、慌てて駆け付けた湯川さんが俺を社内に
「一応、脳波の様子を見ておこうか」
BMIのような妙な機会を付けられて脳波を記録された後、簡単な面談に入った。ボサボサの髭を生やした常勤の医師が、俺に幾つかの質問をぶつけてくる。
「1たす1は?」
「2です」
「大丈夫そうだねぇ」
適当な面談のあと温かいコーヒーをもらって、俺はデバッグルームに戻った。起きた頃より体調は悪くなく、むしろ少し寝たから元気になっていた。
花村さんと湯川さんにもそう言ってプレイを再開しようとしたが、つまずいて座椅子にコーヒーを
思っていたより疲れが足にきているようだ。
「……大事をとって、午後はサポートに回ってくれ」
湯川さんにそう言われて、午後の間はほとんどノーランとサクラさんのプレイをナビゲートしていた。こうやって外からプレイを見ているのも、友達のRPGの1人プレイを観察しているようで面白い。
2人とも上手にプレイしているが、ノーランがテキパキと無駄なく動いているのに対し、サクラさんは寄り道も多いが思いがけないバグを発見する。勉強になるなぁ。
自分はずっとゲームの中にいたので分からなかったが、2人がプレイしている間、湯川さんと花村さんは忙しそうにキーボードを打っていた。開発部に提出するバグレポートを作成しているらしく、バグの重要度に会わせてA、B、Cとランクつけている。無限増殖少女には「特A」が付けられていた。
「ゲームを作成する上ではバグは付き物ですからね。重要なバグを沢山発見できるデバッガーは重宝されます。開発部の方は悲鳴をあげますがね」
フフフ、と花村さんは
俺が発見した無限増殖少女も開発部の悲鳴へと変わるのだろうか。そう思うと、何だか悪い気がしてきた。
そう言うことを口にすると、湯川さんは面白そうに笑った。
「気にするな。それがあいつらの仕事なんだから」
「そうですよ、もと開発部長が言うんですから間違いありません」
「開発部長だったんですか?」
俺の質問に湯川さんは小さく頷いたあと、何も言わずにキーボードを打つ作業を続け始めた。
ここ数日、睡眠不足もあり湯川さんの口数はどんどん減ってきている。今だってエンターキーをタッチできずに、親指を机にぶつけて涙目になってしまった。ムスッとした顔で作業を再開する。
「湯川さん、仮眠とってきてください。丸福さんもいるので後は大丈夫ですから」
「でもなー、まだこの作業が……」
「良いからゴーゴー」
半ば強引にストップさせられた湯川さんは、花村さんに誘導されてそのまま俺の座椅子でグーグーと寝始めてしまった。
どれだけ眠かったのか。花村さんも呆れた顔で湯川さんの顔を見た。
「睡眠時間削ってまで仕事をするなんて、早死にしたいんですかねー」
「それだけ一生懸命なんでしょう?」
「一生が無くなっちゃいますよー」
「確かに」
そんだワークライフバランス論に華を咲かせながら、午後の業務も終了。歓迎会の準備があるので、座椅子でくたばっている湯川さんを起こして早めに会場へ。
と言ってもいつも行く来来軒だった。
「ここ人がいないんで」
楽で安いから、というシンプルイズベストなチョイス。花村さんの行動原理は中々合理的だ。店内には相変わらず暇そうな店長と、夜の間だけ手伝いに来るという店長の娘さんがいた。
厨房ではジュウジュウという美味しそうな音をたてて、料理が作られている。中華鍋を握って手際よく調理しているのは娘さんの方だ。
「父は中華料理作れないから」
娘さんはそんな風に小言を言いながら、美味しそうな中華料理を並べていく。
じゃあいつもこの前食べた中華丼は一体なんだったんだろう、という事には触れないでおいた。店主の方はさっきから皿洗いしかしてない。
「あー、皆さんお疲れ様ですー」
しばらくして、開発部とデザイン部の人たちが店に入ってきた。大体20人くらいでみんな顔色が悪い。フラフラとおぼつかない足取りで歩いている。深夜に見たらゾンビの集団かと思うくらいだ。
花村さんのスムーズな段取りで着々と準備が進められていく。集まって数分くらいでみんなの手元には中ジョッキ生が到着していた。
花村さんがビールケースの上に立って大きな声で挨拶する。
「では! 乾杯の前に新人さんからの挨拶です!」
わーぱちぱち、とやる気のない拍手が送られる。半ば強引に腕を引っ張られて俺はビールケースの上に立たされた。
「こういうのって普通は乾杯の後にやるんじゃ……」
「良いので良いので」
ビールケースの上に立つと、店内の視線が一気に俺に集まった。こういうところに立つのも久々だ。緊張して少し足が震えたが、頑張って声を張って挨拶する。
「えーっと、新人の丸福です。デバッグ作業は初めてですが、えーっと、よろしくお願いします」
「丸福さんは優秀な新人です! 今日も無限増殖バグを見つけてくれました!」
面白みも何もない俺の挨拶に、花村さんがフォローを入れてくれた。良かれと思って言ってくれたのだろうが、その言葉を聞いて会場中から深いため息が漏れた。
「あれかー」
「土曜出勤して直さなきゃなー」
「はぁー」
会場のテンションが一気に氷点下まで下がる。
「では次はノーランくんでーす!」
お通夜状態になった人々を気にすることもなく、花村さんは歓迎会を進行させていく。このメンタルが
会場の空気が氷点下まで下がってしまい、ノーランとサクラさんのスピーチはほとんど誰も聞いていなかった。ほとんどの人が
「では皆様、ジョッキは持ちましたか? かんぱーい!!」
氷河期に突入したまま、花村さんが乾杯の合図をする。普段は社長がするということらしいが、今回は病欠ということで代理の花村さんが音頭を取った。
ゾンビたちもこの時だけは正気を取り戻した。
ジョッキがぶつかる音が店内に響く。少しぬるくなってしまったが、やはり労働の後のビールは美味い。社員のみんなも美味しそうに最初の一口を味わっていた。
この後は新人だからお
「えっ」
1人、また1人と倒れていく。何が起きているのか分からない。
テーブルに頭を打ち付ける人もいれば、そのまま床に転がる人もいた。一様にジョッキを持ったままピクリとも動かない。
「えっ?」
驚いているのは俺たち新人だけで、他の人はヤレヤレといった感じで立ち上がり、
「大丈夫なんですか?」
「あー、いつも通りだよ。大体半分くらいは気絶するように眠っちまうからな。だから乾杯前に挨拶しといたんだ」
気持ちよさそうに目を閉じている男性社員を運びながら、湯川さんは困った顔をして微笑んだ。この人たちは一体何しに来たんだろう。
俺たちも搬送を手伝って全員を座敷に積み終わった頃には、会場には半分も残っていなかった。残った人たちはスカスカになった会場で、好き勝手に食べたり飲んだりしている。
「俺たち、お酌とかしなくて良いんですか?」
「あー、いらないいらない。勝手に飲ませておけ。明日になったら何も覚えていない連中しかいないから」
大真面目な顔の湯川さんに言われて、大人しく座ることにした。そもそも開発部の何人かを除けば、結局俺たちデバッグ部しかいなかった。
来る前に仮眠したのが効いたのか、湯川さんの顔色は大分良好だった。お酒を飲んでいつもより
話題はフルダイブゲームの肝であるBMI装置について。
「あの装置はどうやって作ったんですか?」
「社長と後、俺とか開発部の何人かで作ったんだ。元々は社長の道楽だったんだが、思ったより上手くいって今はここまで膨れ上がった」
「開発資金はどこが出しているんですか?」
「社長のポケットマネー」
意外とネットの噂通りだった。どんだけ金持ちなんだ……。
ネオタアリって実は自社工場も持っていたりするし、資金繰りがどうなっているかは本当に謎に包まれている。
徳川埋蔵金でも掘り当てたんですか、と花村さんに聞いてみると真面目な顔で返答された。
「そんな感じですね」
「そんな感じって……」
「まぁ、それも底をつきそうなので、このゲームが売れないとまずいんですけどね」
「BMIの開発に大分資金を持ってかれたからなぁ」
湯川さんが悲しそうに天井のライトに目を向ける。
大学で神経科学を学んでいた湯川さんは、教授の紹介で今の社長と出会ったそうだ。そこから30年近くずっとBMIの研究をしていたらしい。
「そもそもBMIってどういう意味なんですか?」
「Brain-Machine-Interface(ブレインマシーンインターフェース)。端的に言えば脳を機械で繋ぐっていう話だ。脳波でロボットハンドを動かす動画とか見たことあるだろ」
「あります! それで質問なんですが……!」
ノーランが待ちきれないという感じで身を乗り出す。
「従来のBMIだと手術をして脳に直接、電極を差し込んで脳波を読み取っていますよね。あんなヘッドギアのような機械をつけるだけで、脳の電気信号を読み取るっていうのはどういう仕組みなんですか?」
「良く知ってるなー。そうなんだよ、その脳波スキャン技術の開発が大変だった。俺なんかは電極を脳に埋め込めば良いって言ったんだがな」
そう言って、湯川さんが麻婆豆腐にスプーンを入れた。真っ赤すぎて誰も手をつけなかったやつだ。
「脳への手術はまだまだ発展途上だ。それじゃあ一般に普及するには後1世紀はかかるって社長が言ったから、今の形になったんだ」
スプーンで麻婆豆腐をすくって食べる湯川さん。よっぽど辛かったのかしばらくむせていた。
……脳に電極を埋め込む、想像しただけで怖い。
ゲームをするだけで手術をするのも大げさだし。ぷるぷる震える豆腐にスプーンを突き刺すようなものなのだろうか。
「スキャン技術はともかくとして、あのBMIは脳に情報をフィードバッグしてもいますよね」
「双方向性BMIってやつだな。脳から機械、機械から脳」
「ニューロンの発火パターンを完全に読み取ったんですか?」
「……あのー、ニューロンって何ですか?」
おずおずとサクラさんが手を挙げる。そうそう、俺も実は良くわかっていなかった。
「ニューロンというのは脳の神経細胞のことです」
話に置いてけぼりの俺たちに花村さんが優しく説明してくれる。
彼女の説明によると脳の情報伝達というのは、簡単に言えばニューロン同士の電気信号によって行われている。何かをしたいと人間が考えた時、ニューロンが発火(電気信号を発する)らしい。いわゆる「脳波」というのはそのニューロンの発火のことだ。
つまりニューロンがどう発火するかを全て読み取ることができれば、人工的に脳を作り出すことだって夢ではないのだが……、と花村さんがそこまで説明し終わったところで湯川さんは肩をすくめた。
「そこまでは出来ていない。脳波スキャンはほぼ完璧だが、パターンの完全把握はまだだ」
「ではどうやって?」
「スキャンしたデータをそのまま打ち返しているんだよ。あのBMIは小型アンプであり制御装置だ」
そこまで聞いてノーランは納得したように手をポンと打った。
もちろん俺はまだ分かっていないので、優しい花村さんに説明してもらう。
BMIを制御しているパソコンはアホみたいにハイスペックで、スキャンした脳波データをほぼノータイムで俺たちの脳に打ち返しているそうだ。感じた光や色、臭いや体感をやや誇張してプレイヤーの脳に送っている。
だから増幅装置であり制御装置。痛みや恐怖を必要以上に体感させないように、とても精密に作られているそうだ。
「クロスモーダル現象にも通じるものはあるが、
ここまで話が来たところで、俺の脳のキャパシティも一杯になってしまったので、目の前のチャーハンを食べることに専念することにした。やっぱり中華鍋で作ったチャーハンは美味い。火力が違う。パラパラの米だ。
難しい話に夢中になっている2人を放っておいて、むしゃむしゃとチャーハンを食べていると隣に座っていたサクラさんがモゾモゾと動き始めた。
「……暑い」
「そうですか?」
「えぇ、暑い。すごく暑いです……」
そう言ってサクラさんは上着のパーカーを脱いで、白いワイシャツ姿になった。彼女の顔はほんのりと紅潮しているが、汗をかいているわけではなかった。
そもそも今日は4月だというのに寒い日で、ボロいドアの隙間から冷たい風も入ってきている。そんなに暑いだろうか。
無性に暑がっているサクラさんを疑問に思っていると、続いてワイシャツのボタンを外し始めた。
「……暑い」
「そんなことないですよ」
「いや、暑い。すごく暑いです……」
プチ、とワイシャツのボタンを外すサクラさん。ちょっと雲行きが怪しくなってきたぞ。
「……暑い、暑い」
「サクラさーん、大丈夫ですかー?」
俺の声を聞く様子もなく、サクラさんはワイシャツの第2ボタンを外してしまった。
「何しているんですか、丸福さん。セクハラですかー?」
すると今度はビール5杯に焼酎3杯、ワインのボトルを2本のみほした花村さんが絡んできた。テーブルの隅っこでザルのように酒を飲み下していた花村さんを、俺は見逃していなかった。
酔いつぶれた花村さんが俺の背中にのしかかってくる。こんな場面で無ければ嬉しいこと限りないのだが、今はサクラさんが危ない。そもそも幹事が酔いつぶれてどうするんだ。
「セクハラですかーセクハラですかー?」
「暑い、暑い……」
前門のサクラさん、後門の花村さん。
だんだん収拾が付けられなくなってきた。ノーランと湯川さんは開発談義に夢中で、こっちに気を留める様子はない。他の社員たちも飢えた獣のようにご飯を
「暑いですぅ……」
サクラさんの手がワイシャツの第3ボタンを捉える。これ以上行くと、サクラさんのブラジャーと豊満なバストが露出しかねない。
理性が本能に勝った俺は、力ずくでのしかかっている花村さんを振り落として、サクラさんの手を止めた。
「それ以上はいけません」
「……」
手を掴まれてサクラさんは急に黙り込んでしまった。
正気に戻ってくれたかな、と顔を覗き込むと彼女の目は静かに血走っていた。
「セ……」
グルリと首を回転させて俺のことを凝視するサクラさん。その形相はまるで
後ろに下がろうとしたが、後ろにすってんころりんしている花村さんがいて動けない。万事休すだ。
「セクハラアアァーーー!!」
→↓↘(前・下・斜め前)+パンチ
その拳は天を昇る竜だった。
強烈なアッパーは俺の
3人の身体はテーブルを倒して床に崩れ落ちる。パリンパリンと皿が割れる音。麻婆豆腐やチャーハンが床に
響く悲鳴と、厨房から飛んでくる怒号。
とどめに熱々のラーメンが俺たちに直撃した。
「ぎゃあああ!!」
「ひゃああああ!!」
「うわあああああ!!」
熱さで
「あーあー」
1人被害を避けた湯川さんが呆れた目で見下ろしている。
そんな感じで俺たちの歓迎会は終幕した。暴れまわるサクラさんは有志の女性社員が取り押さえて、タクシーへ押し込んで送還した。もう少しで波動拳が飛んで来るところだった。
後日、事情を知って顔を真っ青にさせたサクラさんから、お詫びとしてシュークリームを頂いた。銀座の洋菓子店で買ってきたもので、とても美味しかった。
割れた皿の代金は経費で落とした、と湯川さんから後で聞いた。
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