無限増殖少女


 今日は金曜日。

 この一週間、状態異常とモンスターとの戦闘しかしていなかった。デバッガーってこんなに肉体を行使する職業だったっけ? 


 だが今日はいわゆる花の金曜日。今日が終われば、社会人生活で初めての休日がやってくる。朝早く起きて、モンスターに攻撃されたり、状態異常を喰らい続けなくても良いんだ。


 週末、良い響きだ……。

 さわやかな朝の風に吹かれながら、自転車で通りを颯爽さっそうと走る。いつも通りビルの影に自転車を隠蔽いんぺいして、相変わらず衆合しゅうごう地獄のような開発部を通り抜けると、デバッグルームの中にはすでに湯川さんがいた。


「おはようございます」

「……おはよう。もう朝か」

「昼ですよ」

「そうか、昼か」


 いつも通り会話が成立しない。カタカタとキーボードに向かう湯川さんの服は、もう何日も変わっていなかった。果たしてこの人は家に帰っているのだろうか。心配になる。

 

 その後、サクラさんとノーランが続々と出社し始めた。2人とも日々の労働のせいか、顔色が良くない。


「おはようございまーす!」


 そんな鬱々うつうつとした雰囲気を破るように花村さんが元気良く出社してきた。

 始業開始5分前に現れた花村さんはいつか見たときと同じように、大量のビラを抱えていた。スーパーのチラシのように赤い文字が書かれたポスターを、部屋の壁に貼っている。


「何ですか、それ?」

「あ、これですか? 歓迎会のポスターでーす!」

「歓迎会?」


 きょとんとした顔を俺たちを見て、花村さんはゲッと顔を青くした。


「あれ、言ってませんでしたっけ?」

「聞いてません」

「おい、花村」


 不眠で血走った瞳を湯川さんが花村さんに向ける。花村さんはアワアワと手を振って説明し始めた。


「あのー、実は今日の終業後、皆さんの歓迎会を予定していまして」

「まさか、歓迎される本人たちに言っていないとは……」


 呆れたようなため息を吐き出す湯川さん。やっちまった、という顔をして花村さんは俺たちを泣きそうな顔で見上げてきた。


「き、来ていただけますか……?」

「別に僕は予定ないので行けますよ」

「……私も」


 俺も大丈夫だった。友達いないし。

 全員参加できることを確認すると、花村さんはホッと安堵あんどの息を吐いた。


「あー良かったあぁー」

「新人がいない歓迎会なんて前代未聞だからな」

「楽しみですね、歓迎会。開発部や販売部の方とも会えるんですねー」


 ノーランが嬉しそうに微笑んでいる。

 俺も会社の飲み会というのは初めてだった。そもそも居酒屋自体ここ5年くらい行っていない気がする。普段からお酒もあまり口にしないから、別の意味で不安だ。


「まぁ、なるようになりますよ! 悪酔いしたら家まで強制送還しますから!」

 

 すっかりウキウキモードに切り替わった花村さんを手伝って、いつものようにクエストドアへとログインした。




◇◇◇



『今日は気分を変えて町まで行ってみましょーかー!』


 テンションそのまま、花村さんは開口一番、新しいオーダーを提案した。


「町があるんですか?」

『RPGですから、もちろんです! 今いる平原から歩いた所にある「ムクアの町」に行ってもらいます』

「楽しみだなぁ」


 隣に立つサクラさんとノーランも声が弾んでいる。

 当然だ、この一週間ずっと状態異常と戦闘テストでクタクタだった。肉体的にもきついけれど、精神的なマンネリ感はやっぱりある。何か新しいことができるというのは、それだけでウキウキする。


『では今いる地点から北にまっすぐ歩いてください。ポーズ画面で方角が表示されるのでそれを頼りにしてくださいね』

「どのくらい歩くんですか?」

『うーん。小田急町田駅からJR町田駅くらいまで歩きます』


 大体徒歩10分くらいだ。

 神奈川県民にしか分からなそうなナビゲートを受けながら、まっすぐムクアの町まで歩いて行く。


 穏やかな風が吹く平原を歩く。広大なマップを進んでいくと、いよいよRPGをやっている感じになってきた。今まで主に無機質なチュートリアルマップにしかいなかったので、自由に歩けているだけでワクワクする。


 そんな感じで歩いていると、茂みから突然スライムが襲いかかってきた。ゴムボールのようにバウンドしたスライムが俺の顔に突撃してくる。


「うげっ」


 クリーンヒット。痛くないが、イラっとする。俺たちを挑発するように丸っこいスライムがぴょこぴょこ跳ねまわっている。


『おっモンスターですねー。初期地点から1キロメートル離れるとモンスターが出現します。皆さんのレベルは1以下に再設定してあるので魔法は使えませんが、頑張ってください!』

「武器もないですが」

『近くにある木の棒を使うことができます!』


 なるほど、目に見えるものは全て武器だと思えば良いのか。

 言われた通り大きめの棒を拾って、ぴょこぴょこ跳ねまわるスライムを叩く。すると「ムギィ」っと可愛らしい鳴き声をあげて、スライムは煙のように消滅した。

 ノーランが感心して目を丸くする。


「もうサウンド変えたんですね」

『湯川さんとサウンド班が頑張ってくれました!』

「……私はあれも嫌いじゃありませんでしたけど」


 ボソリと呟くサクラさん。

 それは少数派の意見だと思う。常人にとっては痛々しい断末魔だんまつまをあげるスライムを倒すのは気が滅入るはずだ。よほどのサディスト適正がないとあれは辛い。


「それが良いんじゃないですか」


 サクラさんは寂しそうにそう言った。

 全然良くない。


 


 道すがらスライムやら穴モグラやらカラスを倒しながら、花村さんの予告した通り徒歩10分くらいでムアクの町に到着した。

 可愛らしい三角屋根とレンガの家々、規則正しく整列した石畳の床はいわゆるRPGの町っぽい。そこまで大きく町ではなさそうだが、たくさんの人が歩いていた。


 柵に囲われた町の入り口の前には、鎧姿の門番が立っていた。がたいの良い門番は俺が横を通ると元気の良い声で挨拶した。


「ようこそ、ムアクの町へ!」


 おぉ、それっぽい感じだ。

 続いて後ろからサクラさんが通ると、元気な声で門番は挨拶した。


「ようこそ、ムアクの町へ!」


 さらに続いてノーランが通ると、元気な声で門番は挨拶した。


「ようこそ、ムアクの町へ!」


 3連続で全く同じフレーズを繰り返した門番は、ニコニコと張り付いたような笑顔を俺たちに向けていた。顔は人間そっくりだが、何だか違和感しかない。

 

 何を考えたのか、サクラさんが門のところを行ったり来たりし始めた。「ようこそ、ムアクの町へ!」というフレーズを10回くらい繰り返させた後、サクラさんは眉をひそめて帰ってきた。


「……不気味ですね」

「ちょっと楽しんでいるようにも見えましたが」

「そんなことはありません」


 小さく首を横に振っているが、そんなことはあると思う。門番を喋らせるのが楽しかったのだろう、顔が笑っている。やっぱりこの人はサディストだ。

 

 でも不気味というサクラさんの感想は正しかった。そのことを花村さんに言うとショボくれた声が返ってきた。


『全てのNPCに自律型のAIを組み込むと、容量がバカにならないんですよー。そこは大目にみてくださいー』

「でも、ちょっと顔が怖いです」


 門番の顔は人間そっくりで精巧に作られていたが、確かにどこか不気味なものを感じる。

 

「いわゆる不気味の谷現象ですね」


 ノーランが聞き慣れない言葉を口にしたので、説明を求めた。

 彼によると、不気味の谷現象というのはロボットの外見が人間にある程度似てくると、好感とは反対に不気味さや嫌悪感を感じてしまうものらしい。


『CGモデルに少し変化を加えた方が良いんですかねー、ありがとうございますー』

 

 花村さんが言うにはやはりモニター越しに見るのと、実際に見るのでは印象が違うのかもしれないということだ。うーん、フルダイブって難しい。


 

 不気味な門番に送り出されて俺たちは街の中へと入っていた。

 町中にはたくさんの人々が歩いていた。行き交うNPCたちは、それぞれ本当の人間っぽく自由に動いている。子供たちが隠れんぼをしたり、農作業をしたり、ものを売り買いしたり、誰も彼もコンピューターだというのに忙しそうだ。


『50パターンくらいの動作と言動を仕込んでいるので、この辺は違和感はないと思いますよ!』

「それで僕たちは何をすれば?」


 ノーランが待ちきれないといった感じで花村さんに質問する。

 


 ……そんな彼の期待通り、花村さんのオーダーはなかなか鬼畜なものだった。


『全ての人に話しかけて、テキストにバグがないかを確認してください! もちろん全てのパターン引き出してくださいね』

「全員ですか?」

『全員です!』


 小さな町とは言っても視界に入るだけで30人以上は歩いている。それを×かける50パターンかぁ、しんどいなぁ。


 ノーランの顔も引きつったまま固まっている。サクラさんはもはやオーダーを聞くこともなく、再び門番の前を行ったり来たりしていた。みんな精神の摩耗まもうが進行してきている。


 

 嘆いていても仕事は終わらないので、各々で手分けして話しかけることにした。俺は町の東側、まずはさっきから畑でずっとを植えているオバさんだ。


「話しかけるにはどうすれば?」

『視線をしばらく合わせていれば、向こうから話しかけてくれます。この前話したアイトラッキング機能ですね!』


 言われた通りに視線を合わせると、ポインターのようなものが視界に表示されてオバさんのNPCを丸で囲んだ。すると、かぶを抜き続けていたオバさんが俺の方を振り向き、しゃがれた声で話しかけてきた。


「今日はかぶの収穫には良い日だねえ」


 それだけ言うとオバさんは再び畑の方に向き直って、かぶを抜き始めた。


「これだけ?」

『モブキャラなので、こんなもんですね。たまにイベントが発生するキャラもいますが、7割方このような一方的な会話ですよー。他のパターンも試してみてください』


 再びかぶオバさんに照準を合わせて、会話を試みる。かぶを抜き続けていたオバさんは再び俺の方へと向き直って話しかけてきた。


「絶好のかぶ日和だねぇ」


 そう言って再びかぶを抜き始めるオバさん。かぶに一生懸命なのは分かるが、それだけしか会話は無いのだろうか?


「この人50パターンも会話のレパートリー必要ですか?」

『……』

「黙らないでください」

『開発部の都合だと思いますがー……、とりあえず50パターンやってもらえます?』


 困ったような声でお願いする花村さん。そこまで言われたらやらないわけにはいかない。

 

 結局俺は、50パターンのかぶに関する中身のない情報を聞き出すことに成功した。これは開発部に狂信的なかぶ信者がいるに違いない。


 そのあとも鬼ごっこしていた子供を追いかけて話しかけたり、木の下にうずくまっていた陰気な男に話しかけたりしながら、オーダーを着実にこなしていく。戦闘訓練に比べれば体力も使わないけれど、分かりやすいバグも見つからないから精神的に中々しんどい。


『ノーランくんとサクラちゃんは早速見つけていましたよ。テキストの一部がおかしかったんです』

「そうなんですかぁ」


 正直言ってかぶが大根に変わっていようとも、今の俺には気づかないかもしれない。それほどまでにこの作業は地味だった。

 

 場所を変えて、今度は小さな民家の中に入る。木造で出来た家には誰もいなくて、食材や家財道具が綺麗に整頓されていた。ヒノキの良い香りが鼻腔びこうをくすぐる。


『2階もあるみたいですよ。この家』


 花村さんが壁の隅っこの方にあった小さな階段を見つけた。ギシギシと軋む階段の上を登っていくと、丸い小部屋にたどり着いた。子供部屋とみられる可愛らしい装飾で彩られた室内には幼い女の子が立っていた。

 

 髪をリボンで2つ結びにした可愛らしい少女だ。

 視線を合わせて、ポインターを合わせると少女が反応して俺に話しかけてきた。


「お兄ちゃん、暇なら遊ぼーよー」

『あっ、このは確か自律型AIタイプです。何でも良いので話しかけてみてください!』


 自律型AIタイプとは、文字どおり人工知能が搭載されていて臨機応変の会話ができるようになっているものらしい。自律型なのでAI自体が学習して、会話のレパートリーはどんどん広がっていく。


 つまり合法的に会話ができる少女ということだ。これはアツイ。

 よいしょっと腰を下ろして、つぶらな瞳で見つめる少女に話しかける。


「じゃあお兄さんと遊ぼうか」

「わーい!」


 俺が頷くと少女は無邪気に部屋を走り回った後、おもちゃ箱を漁り始めた。リアルな動きで、さっきの不気味門番と違って実際の人間にしか見えない。

 

 少女はこぼれんばかりの笑顔で、おもちゃ箱から模造のまな板と包丁を持ってきた。


「おままごとしよーよ!」

「良いよー」

「じゃあ今からー、かぶの煮物を作ります!」


 女の子はトントンと擬音を口ずさみながら、空想のかぶを切り始める。このゲームちょっとかぶをフィーチャーしすぎじゃないかな、と思いながら愛らしい少女の動作を見つめる。

 ここまで自由に動かれると見ているだけで楽しい。本来の目的を忘れてNPCの少女に見入っていしまいそうだ。


「はい! 出来ました!」

「ありがとう」


 そう言って少女の手から空想のかぶを受け取る。

 顔を上げると、いつの間にか目の前の少女が


「え……?」


 突然の出来事で思考が追いつかない。全く同じ顔をした少女が2人、俺に向けて微笑んでいる。なにこれこわい。


「「おかわりいりますか!」」


 全く同じタイミング、全く同じ動作を少女が行う。一体なにがどうなっているんだ。理解できずに棒立ちになっていると花村さんの慌てた声が響いた。


『丸福さん、それはバグです! 不具合でNPCが2人に分裂してします!』

「ど、どうすれば……」

『検証したいので、そのまま会話を続行していただけますか?』


 少女たちは再びかぶの作成を続行しようとしている。ちょっと怖いけれど、花村さんの指示通り少女の会話に合わせる。


「おかわりください」

「「「「分かりました!!」」」」


 今の一瞬で4人に増えている……。

 

 増えている当の本人たちは気にすることなく、空想のかぶの煮物作成に勤しんでいる。ちなみに言うとまな板と包丁も増えているので、彼女たちの作業に支障はなさそうだ。


「「「「はい、どうぞ!」」」」

「ありがとう」

「「「「「「「「どういたしまして!!!!」」」」」」」」


 今度は8人か。倍々ゲームで増えてきている。このまま行くとかなりまずい。部屋が埋め尽くされる。


 花村さんが検証を続けている間、俺は必死に増殖していく少女たちの対応に追われていた。

 5分もすると、倍々ゲームで増えていった少女たちは部屋を埋め尽くし始めた。


 彼女たちの動作もめいめい勝手なものになっている。笑顔で俺の前を走り回る少女たち。かぶを作る少女たち。遊ぼうよと俺の服を引っ張る少女たち。天井のライトにぶら下がる少女たち。


 サラウンドで響く彼女たちの音声が耳から離れなってきた。


「おにいちゃん!!!」「遊びましょー」「おかわりいりますか」「かぶ!」「かぶの煮物!」「作るよ」「まないた」「どういたしまして」「かぶ!」「はい、どうぞー」「おにいちゃん」「かぶ」「もう遊んでくれないんですか?」「遊びましょー」「かぶの煮物」「分かりました!」「じゃあ」「かぶ」「今からー」「おにいちゃん!!」「つくりますよー」


 もう考えることすら面倒くさくなってきた。俺の反応をよそに少女はどんどん増殖していっている。もう足の踏み場も無くなってきた。

 

 抵抗できなくなった俺はまるでお神輿みこしのように少女に抱えあげられる。わらわらと増殖した少女に身体が覆われていく。

 

 もはや自分が少女なんじゃないかと思えてきた。いやひょっとしたら俺が「かぶ」なのかもしれない。宇宙はきっと「かぶ」に侵略されてしまったんだ。


『丸福さん!? 丸福さーーん! しっかりしてくださーーーーーーい!!』


 遠くの方で花村さんが叫ぶ声が聞こえる。俺はノーランが言っていた不気味の谷という言葉を思い出していた。そうか人間って近づきすぎると、こうなるんだナ。俺は不気味の谷に(物理的に)挟まれながら、そんなことを思った。


 次第に視界がブラックアウトしてくる、意識がふわふわと遠のいていく。むにむにと少女たちの体温に包まれながら、幸せに昇天していく。



 ……。



 その後。

 花村さんが強制停止した頃には、俺は座椅子で泡を吹いて倒れていたらしい。「かぶ大魔神」という意味不明な言葉を連呼しながら、しばらくうなされていたらしい。


 

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