アイトラッキング中華丼

 

 ウホッウホッ!


 ゴリラの時計が12時を告げる。お昼休憩だ。

 

 BMIを外してヘロヘロになっていると、同じくヘロヘロの湯川さんが帰ってきた。今起きたみたいで寝癖で髪がボサボサだ。


「おはようございます、湯川さん」

「あー、もう朝かー」

「昼ですよ」

「そうかー、もう昼かー」


 訳のわからない会話を繰り広げながら、不安定な湯川さんを来来軒まで連れて行った。店内は相変わらずガラガラで店主が暇そうにテレビを見ていた。


「俺はカレー」

「カツ丼ってありますか?」

「ナポリタンは?」


 中華店で頼むとは思えぬメニューを好き勝手注文する面々。店主は何も言わずに頷いて、パスタを茹でて、カツを揚げて、カレーをレンジに入れている。

 俺は中華料理に敬意を表して、中華丼を注文した。

 

 数分して、期待通りの中華丼が着丼した。白米の上にあんをまとった豚肉と野菜がのっている。うずらの卵が1つしかないというところが個人的には減点ポイントだ。最後の楽しみに取っておこう。


「徹夜までして何していたんですか?」

「あー、あれだアイトラッキング機能の調整が思うように進んでいなくて」

「アイトラッキング?」


 って何だ。

 湯川さんはカレーをほうけた目で食べて、会話をする気力は無さそうだ。肉なしレトルトカレーを文句言わずに食べている。

 心ここにあらずの湯川さんの代わりに、なんでも詳しいノーランが説明してくれる。


「アイトラッキングとは視線追跡の機能のことです。瞬きや視線の移動を感知してくれるシステムで、2017年ごろから実際に市場に出回り始めました」

「へー」

「ノーランくん賢いですねー、まさしくその通りです。丸福さん、ちょっとうずらの卵をお借りしますねー」


 そう言って花村さんが、出し抜けに俺の中華丼からうずらの卵を奪った。何をするのかと思っていると、箸で掴んだまま卵を俺の目の前で左右に動かし始めた。


「従来のVRの多くはヘッドトラッキング、ポジショントラッキングで人間の視点を再現しています。要は頭や首の動きを感知するセンサーと、プレイヤーの位置を確認する機能が搭載されているわけですね。それの一歩先をいく技術がアイトラッキングです! 丸福さん、このうずらの卵をよーく見てください」

「はい……」


 花村さんの箸の動きに合わせて、左右にゆっくりと揺れるうずらの卵。それを注視しながら、俺の視点も左右に揺れる。


「このうずらの卵を見る時に、わざわざ首を動かしたりはしないわけですよね。眼球だけが左右に動く。その眼球の動きをセンサーで検知して画面上に再現しているわけです」

「なるほどー」

「さらに言えば、うずらの卵に焦点を合わせているために他の景色はぼやけて見えるわけです。その視覚を再現すれば、焦点の合う部分は高解像度で、合わない部分は低解像度でも良いんです。アイトラッキング技術は省エネも兼ねているわけなんですよ」

「VR酔いも軽減されるらしいですからね」


 ノーランの言葉に花村さんも笑顔で頷く。

 そしてその笑顔のまま、花村さんはパクリとうずらの卵を自分の口に入れた。


「あ……」


 美味しそうにうずらの卵をモグモグする花村さん。唖然とする俺の視線に気づいて、キョトンとした顔をした。


「あれ? もしかして食べたかったんですか? 1個だけ残していたのでいらないのかと……」


 それは最後まで取っておいたうずらの卵です、と言いたかったがグッとこらえた。口に出すと悲しみが湧き上がってしまう。

 しかし切なげな顔をした俺の心情を察したのか、花村さんは帰り際にコンビニで煮卵を買ってくれた。


 そういうことではないけれど、煮卵は美味しかった。



◇◇◇


 

 会社に帰って、再びチュートリアルマップに飛ぶ。


『はーい! 今からは少し強めのモンスターと戦ってもらいまーす!』


 魔法の使い方もだいぶ慣れてきた。今までのモンスターは低レベルらしく、動きも少なかった。せいぜいピョコピョコ動くか、モゾモゾ動くかくらいだ。


 次に床からスポーン(出現)したのは小さな翼の生えたトカゲのような生物だった。これは……


『ワイバーンでーす! 上空を飛行するので頑張って捉えてください!』

「わーあぶなーい!」

 

 出現したワイバーンは元気よく動き出して、そのままサクラさんに突撃した。サクラさんは勢いよく吹っ飛ばされて、壁に激突する。


「大丈夫ですかー!」

「だ、大丈夫でーす」


 痛みはないようだ。すぐにムクリと起き上がるサクラさん。見ると彼女の上にゲージのようなものが表示されていて、赤くなっている。


『おおーっと。サクラさんHPが大ピンチです。丸福さん早く攻撃をして下さい』


慌てて火炎呪文を当てようとするが中々当たらない。まるで宙を飛ぶツバメのようにちょこまかと旋回するワイバーン。俺が飛ばす火球が中々当たらない。


「落ち着いてください。よーく狙えば魔法は自動追尾で飛んでいきますから」

「こうですか」


 少し動作にためを作ると、視界にポインターのようなものが現れた。そのポインターがワイバーンを囲うと、追いかけるようにして火炎魔法がヒットした。


『そんな感じです! ちなみにドラゴン系モンスターに炎は通用しません』

「え?」


 火球が直撃したはずのワイバーンは、勢いそのままに火球を跳ね返してきた。


「うわあああ!」


 火球が直撃して炎に包まれる。痛みは無いがムワッとした熱さに包まれる。衣服が炎に包まれたので、慌てて消火する。


「そういう大事なことは早く言ってください……」

『ある種のモンスターには相性が存在するんです。ワイバーンに炎魔法は効かないんですよ』

「じゃあ次は僕が……」


 ノーランが風魔法を構えて発射する。発生した旋風がワイバーンを囲うが、同じように跳ね返したきた。叫び声をあげて、ノーランが吹っ飛ばされる。


『風魔法も効かないのでした』

「心臓に悪い……」


 だいぶ説明不足な花村さんに振り回されながら、ブンブンと飛び回るワイバーンに全種類の呪文を当てることができた。バグは無かったが、おかげで大分ダメージを喰らってしまった。

 

 このゲームではダメージを喰らうと、衣服が(煩悩ぼんのうを刺激しない程度に)ボロボロになる。さらに頭上にゲージが表示されて、赤くなるとゲームオーバー寸前らしい。


「回復手段はないんですか?」

『ポケットに薬草が入っているので、それをお召し上がりください!』

「これですか」


 ズボンの中に紙に包まれた葉っぱが出てくる。手のひらのような形をした緑色の葉っぱだ。


「お召し上がりください……って」

「食べるんですか?」

『はい!』


 当然のことのように返事をする花村さん。この薬草、道端に生えているような雑草にしか見えない。全然美味しそうに見えないけれど、これを食べるのか……。

 俺とサクラさんが逡巡しゅんじゅんしていると、隣に座っていたノーランは抵抗なくパクリと口にした。


「君は本当に迷いがないなぁ」


 賛辞の言葉を送る。

 もぐもぐと薬草を咀嚼そしゃくするノーランだったが、しばらくして顔を真っ青にさせた。


「うっ!」

「どうした? 毒か?」

『毒じゃないです、薬草です! どうしたんですか、美味しすぎたんですか?』

 

 ノーランはブンブンと首を振り、青い顔で喉を押さえて薬草を飲み下した。ゲェゲェと苦しそうに息を吐いている。可哀想に。

 水魔法を使って口を洗い流した後で、ノーランはようやく感想を口にした。


「め、めちゃくちゃ苦い……です」

『そうなんですか? ちょっと2人も食べてみてください』

「鬼ですかあなたは」


 全然食べたくないんだが。

 そうは言ってもデータは取らないといけないので、と花村さんに説得されて、しぶしぶ薬草を口に入れた。

 

 一口噛むと、土のような味がした。確かにこれは美味しくない。むにむにと歯ごたえのない薬草を噛んでいると、中から生ぬるい汁が出てきた。舌に触れると凄まじい苦味を感じた。


「ニッガッッッッッッ!!」


 これは苦い。冗談じゃない。青汁を5倍に濃縮したような苦さ、コーヒー豆をそのままかじったような苦さ、ゴーヤを生で丸々1本より苦さと例えても足りない。殺人的な苦味が口の中に一気に広がった。

 俺と同じように薬草をかじっていたサクラさんも、一口噛むとそのまま吐き出していた。


「……食べられたものではありませんね」

『良薬は口に苦しっていうじゃないですか。分かりやすいように苦い味にしてみたんですが』

「何で回復するたびに、精神ダメージを喰らわなきゃいけないんですか」


 俺たちからの猛抗議を受けて、薬草はさっき食べた煮卵くらいに甘くしてもらうことになった。見た目ももっとポップに美味しそうな見た目でないと困る。そういう意見を反映してもらうことで議論は終結した。


 その後も1回の休憩を挟んで300パターンを試して、5つのバグを発見した。呪文を跳ね返されたり、巨大なモンスターに踏みつぶされそうになってボロボロになりながら、何とか1日を終えた。


 あと、2500パターンかぁ……。


 

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