戦慄の壁マラソン、そして再びの遭遇


 通しプレイもいよいよ最終盤に入った。

 

 長い旅の果てに俺たちは魔王城へとたどり着いた。暗黒石を破壊することで出現する虹の橋を渡り、絶海の孤島へと歩いていく。

 天候は凄まじい嵐だった。勢い良く雨が降りしきり、雷がゴツゴツした大地を照らす。虹の橋を渡り終わると、おどろおどろしい彫刻で飾られた広場があった。

 

 先頭を歩くサクラさんがそこに足を踏み入れると、間髪入れずにモンスターが襲いかかってきた。


「サクラさん、デーモンです!」

「ふんっ」


 迫り来る漆黒のデーモンをサクラさんが光の剣で防ぐ。太陽のごとく光り輝く剣で切り掛かるが、さすがはラスボスが潜むダンジョン。敵も弱くはない。デーモンはひるむことなく鋭い爪をサクラさんに向けた。


「ハルちゃん、お願いします!」

「おう」


 ノーランの指示のもと、ハルちゃんが槍を敵の脇腹に突き刺す。後ろに回り込んでの一突き。自分は絶対にダメージを喰らいたくないという強い意志が見える。

 体制が崩れたところを、ノーランが変なポーズで魔法を発射する。あれは荒ぶる鷹のポーズだ。


「雷魔法!」


 虹の橋を渡る前に賢者のほこらで習得した強力な魔法だ。勢いよく発射された雷の束が、デーモンを包む。

 早速使ってみたかったのだろうが、そう上手くはいかなかった。

 

 敵はその雷魔法を、なぜか俺に向かって跳ね返してきた。


「ぎゃあああああ!!」


 避けきれずに俺の身体に直撃。全身に電流が走ってクラクラする。麻痺の状態異常だ。身体が上手く動かせない。地味に嫌なんだよなぁ、この状態異常。

 雷を食らって倒れこんでいる俺をよそに、サクラさんがデーモンを滅多斬りにする。クリティカルヒットの連発によってデーモンはあっさりと消滅した。

 

 ハルちゃんが麻痺治しの水を俺にぶっかけながら、呆れたような目つきで見下ろす。


「回復役が倒れて真っ先に倒れてどうするんじゃ」

「何か電流が強かったような……」

「む、そうかの? 一応検証項目に入れておくか」


 この発言が元で、検証のために電流を浴び続けることになるのだが、それはまた別の話。

 


 通しプレイを続行して俺たちは魔王城内部を進んでいった。赤いカーペットが敷かれた広い廊下には、当然のごとく大量の罠が仕込んであった。

 避けたり引っかかったり、何度か串刺しになりながらも俺たちは魔王城を進んでいった。

 

 ここまでやってくると、みんなのプレイスキルも上がっていて回復役である俺の出番はほとんど無かった。サクラさんが正面から仕掛けて、ハルちゃんが回り込んで後ろから攻撃。隙ができたところでノーランが大技を放つ。

 大体の敵はこのコンボで沈ませることができた。レベルが上がるにつれて武器や魔法のエフェクトも派手になっていくので、見ているだけで楽しい。サクラさんも楽しそうに光り輝く剣を振り回している。


「補助呪文ももう少し活用して欲しいのう……」

「ふんっふんっ」

「聞いてないみたいですね」


 芝刈り機と化したサクラさんを先頭にしてどんどん進んで行く。

 魔王城への突入から4時間、1回の休憩を挟んでとうとう俺たちは魔王が待っていそうな荘厳そうごんな雰囲気のある扉の前に到着した。

 いよいよ最終決戦か。考えてみれば、中々密度の濃いゲームだった。まだ消化していないサブイベントもあるし、全部クリアしようも思ったらかなりの時間がかかるだろう。


「皆さん準備は大丈夫ですか」

「おう!」


 ノーランが俺たちのほうを向いて1人1人と頷いていく。ノーランも良くここまで頑張ってくれた。彼の的確な判断力が無ければここまで進めなかっただろう。


「では行きましょう! 最終決戦へ!」


 前に踏み出すとギギギ、と音を立てて自動ドアのように扉が開いていった。室内にはかがり火が焚かれていて、玉座を照らしている。


 玉座にはドクロの仮面を付けた巨大な体躯たいくの男が座っていた。

 仮面の奥で金色の瞳がギラリと輝いている。立ち上る黒いオーラは威圧感すら感じる。

 

 俺たちの姿を見とめると、真紅の宝石をつけた杖を向けた。

 普通の人間の何倍もある図体が動き、おどろおどろしい低音のボイスが室内に響く。


「良く来た。儚い人間どもよ。わが玉座の間まで来たこと褒めてつかわそう」

「お前が魔王か!?」


 ノーランの問いかけに魔王は不敵な笑みで返した。


「いかにも。我はこの人間界を支配せんとする魔王だ。止められるものなら止めてみせよ!」


 魔王ともなると、自律式のAIが組み込まれているので当意即妙のコミニュケーションができる。こういうのも、このゲームの醍醐味だいごみだ。


 魔王が杖を叩くと、一瞬にして空気が重くなった。重力魔法だ。それもかなりレベルが高い。足を一歩踏み出すにも、結構な力が必要になる。

 隣に立つノーランも顔いっぱいに脂汗をかいていた。歯を食いしばりながら、ノーランは俺たちに向かって声をかけた。


「ぐ……ですが、こんなところで負けるわけにはいきません! そうですよね、皆さん!」

「そうだな!」

「……はい!」


 サクラさんが光の剣を発光させながら、果敢かかんに魔王に切りかかっていく。続いて、ハルちゃんが槍を持って敵の後方に回る。


 対する魔王も範囲の広い攻撃魔法で、彼女たちに襲いかかる。すかさず防御魔法や回復魔法でダメージを軽減。隙が出たところをノーランの強力な魔法で攻撃する。

 

 魔王との壮絶な最終決戦は20分以上続いた————




◇◇◇



『はーい、皆さん、お疲れ様でしたー! これにて通しプレイは終了です!』


 魔王を討伐して華やかなパレードに出迎えられた後、フィールドに花村さんの声が響いた。BMIが停止して現実世界に帰っていく。

 ゲームをクリアした俺たちは感動の余韻よいんに浸っていた。


「あー、面白かったー!」

「やっぱりクリアすると達成感があるよなぁ」


 数ヶ月間ずっとこのゲームに入り浸りだったせいか、その感動はひとしおだった。今までの苦労が脳裏に蘇ってくる。その達成感は今までのどんなゲームよりも大きかった。


「頑張ったよな、俺たち!」

「はい!」


 中ボス戦で危うく全滅しかけたこと。森林ステージで本当に迷子になってしまったこと。街のカジノでじゃぶじゃぶ金を落としてしまったこと。

 座椅子に座ったままみんなと思い出を語らっていると、花村さんが再び俺にBMIをかぶせてきた。テキパキとした動作でノーランやサクラさんにもBMIを装着させている。


「何を……?」

「休憩時間終了です、まだまだ作業は残っていますよー」


 先ほどの魔王を上回る悪魔のような笑みで、花村さんは俺たちを見下ろした。

 ゲームをクリアしたところで俺たちデバッガーの仕事は終わらない、彼女の微笑みはそう言っていた。


 ぞわり、と背筋に悪寒が走っていく。


「一体次は何をするんですか……?」

「地味ですが大切な作業です。長丁場になりますから覚悟しておいてくださいね」

「長丁場……」


 嫌な単語だ。

 恐怖をかき立てるようなことを言って、花村さんはBMIを起動させ俺たちをゲームの中に送り込む準備を整えた。


「今から皆さんにやってもらうオーダーは、壁にすり抜ける箇所がないことを確認する作業です」

「……壁のすり抜けって」

「名前の通りですよ」

 

 サクラさんの質問に花村さんが丁寧に説明する。


 壁のすり抜けはゲームの中でもポピュラーなバグだ。本来は壁であるはずの空間をすり抜けて歩いてしまったことは、ゲームプレイヤーなら1度は経験したことがあるはずだ。


「そのバグを確認するには、手っ取り早く全ての壁に当たっていくのが1番なんですよ。をみなさんにしてもらおうと思います」


 花村さんの言葉に冷や汗が頬を流れていく。


「全部ですか? このゲーム結構フィールドでかいですよ。そんなの出来るかどうか……」

「出来るかではなく、やるんです」

 

 笑顔でスイッチを押す花村さん。


 悲鳴を上げようとしたがもう遅かった。戦慄の壁マラソン、ネオタアリで語り継がれることになる地味なオーダーはこうして始まった。



◇◇◇



『では4手に分かれてやっていきましょう! 北、東、南、西に別れてどんどん壁にぶち当たるんです!』

「はぁ……」


 元気な声で指示する花村さんだったが、誰1人乗り気な人間はいなかった。ハルちゃんですら、ものすごく嫌そうな顔をしている。

 

 単調で長くて、身体が痛くなって疲労もたまる。

 デバッガーの宿命とはいえ、やる気が出ないものは出ない。


『やる気出してくださーい。私も嫌なんですけど、こればっかりは必要なことなので。壁すり抜けって結構精神ダメージ大きいんですよ』

「確かにそうですけど……」


 俺も通しプレイをやっていて何度か壁をすり抜けてしまったことがある。岩のテクスチャを飛び越えて、真っ暗な良く分からない空間に入ってしまった時はさすがに不安になった。


「でも全部チェックするんですか」

『プレイヤーの安全のためです! 良いゲームを作るには地道な努力が必要なんですよー!』

「……はぁい」


 花村さんに説得されて4手に分かれていく俺たち。誰しもが浮かない顔でそれぞれの作業場へと向かっていた。

 やり残しがないように端っこから端っこまで、花村さんが指定したマップ通りに進んでいく。壁があったらそこに当たって、身体をこするように進んでいく。自分の身体が大根おろしになっていくみたいだ。


「身体がり切れちゃいますよぉ」

『擦り切れません、ゲームですから! はい、ダッシュダッシュ!』


 鬼だ。

 花村さんのスパルタ式壁マラソンは全く終わる気配が無かった。半日かかってもまだ近隣の村にすらたどり着いていない。魔王を倒した感動はすでに忘却ぼうきゃくの彼方へと去っていた。

 

 その日から俺は終わりのない壁マラソンに徐々に精神を削られていった。


 1日、1日と時は過ぎ去っていく。すり抜ける壁を見つけては報告し、見つけては報告する。

 修正箇所が見つかればまだ良い方だった。1つも見つからない日なんかはずっと壁にぶつかり続けているだけだ。すごく虚しい。箸で小豆あずきを掴む方がまだやりがいがある。でもこれも仕事だからしょうがない。


 今日も明日も明後日も、俺は壁に身体をこすり続ける。あたまがばかになっていくきがする。

 そんな日々が何週間か続いた。


「辛いお……」

『頑張ってー、もうすぐ土曜日ですよー!』

 

 花村さんの声と土曜日だけが頼りだった。

 いつの間にか梅雨は明けて、初夏の日差しがジリジリと地面を照らし始めていた。壁マラソンの工程は半分が終わり、ようやく先が見えてきたという時に異常事態が起こった。


 例の『アウトサイダー』が現れたのだ。


 それは7月中旬の暑い日のことだった。

 壁マラソンを行っている最中に、民家の中ですり抜ける壁を発見した俺は、そのまま例の黒い空間へと足を踏み入れていた。


 ただの壁すり抜けではない。いつもと様子が違って、あまりに静か過ぎる。火山フィールドにいたはずなのに、マグマが煮えたぎる音が聞こえない。

 急いでゲーム外の花村さんに報告する。


「花村さん、これは……」

『例のアウトサイダーですね! ちょっと立ち止まっていてください。丸福さんの記録を確認します』

「はい」


 花村さんからの通信が途切れて、シンとした静寂が辺りを包む。どこまで広がる真っ暗やみ。まるで宇宙の真ん中に放り出されたようだった。

 

 俺が壁マラソンをしていたのは、前回アウトサイダーと出会った清廉せいれんのダンジョンとは全く別の場所だ。

 場所にとらわれず発生するとなると、かなり厄介なバグとなる。この機会を逃してはいけない。発生条件を確認する必要がある。


「花村さん遅いなぁ。薬草でも食うか……」


 やることもないので薬草を咀嚼そしゃくしながら花村さんを待つことにした。煮卵の味がする薬草は常に30枚以上常備していて、俺の貴重なおやつとなっていた。


 体育座りしながら待っていると、出し抜けに前方にまばゆい光が輝き始めた。その光は闇を照らすサーチライトのように俺に向けられていた。慌てて花村さんに呼びかける。


「花村さん、あれです!」

『どうしたんですか? 何も見えませんが』

「光が差し込んできています!」

『え? ちょっtっくnimsx、』


 ブツッ、と音がして通信が途切れる。再び花村さんに呼びかけてみるが、もう応答は返って来なかった。


「ちくしょー、またかー!」


 俺は前回と同じように謎の空間に1人取り残されてしまった。手がかりは前方にある強い光。入ってきた所はすでに閉ざされている。見えない壁になっていてビクともしない。

 

 あの光は俺に来いと言っているように思えた。

 あそこまで進むしかない。闇の中にひらめく光を頼りに俺はフラフラと歩み始めた。灯台のように明滅する光に、1歩1歩近づいていく。


 何かがあそこで待っている、そんな予感がしていた。


 光に近づいて手を触れてみる。ヒュウヒュウと冷たい風が吹いていた。勇気を出して身体を光の中へと入れてみると、ひんやりとした空気が俺を包んだ。強い光が視界を曇らせる。


「この前と違う場所だ……」


 光にくらんだ目をうっすらと開けて、周囲を確認する。

 淡いピンクの壁紙が貼られていて、学校の体育館ホールほどの広めの室内だ。中央には丸いテーブルが置かれている。前回入り込んだ白い空間とは少し趣が異なっている。

 

 テーブルへ向かって歩いていくと、ふかふかとしたカーペットのような柔らかいものが足に触れた。まるで新雪の上を歩いているような気持ちの良い感覚だ。サクサク、と小気味の良い音を鳴らしながらテーブルまで歩く。


「何だこれ? 花……?」


 テーブルの上に置かれていたのは赤い一輪の花と文章が書かれた置き手紙だった。花は殺風景の部屋の中で、毒々しいくらいに赤かった。その花をどけて手紙に書いてある文字に目を落とす。


 手紙には丸みを帯びた可愛らしいフォントで、こう書かれていた。


『勝手に部屋に入るな。殺すぞ』


 その一言だけだった。

 どうやらアウトサイダーはかなり怒っているようだった。部屋に勝手に入るな……と言われても他に行くところがないのだからしょうがない。どうにかして話をする必要がありそうだ。


「すいませーん、誰かいませんかー! いるんでしょー!」


 返答はなかったが、声の代わりに天井からカラフルな紐が降りてきた。蛇のようにシュルシュルと滑らかに俺の前に降りてきた紐は、紅白のおめでたい色をしていた。くす玉を割るあれみたいだ。


 ……これを引けということだろうか。

 むちゃくちゃ怪しいが乗ってみるしかない。ぶら下がった紐を引っ張ると、プツンとあっさり切れてしまった。やたらに手応えがない。

 どうしたことだろうと上を見上げると、天井から金属の円盤のようなものが落ちてきていた。


 だ。


 なんて古典的な仕掛けだ。コメディか、ドリフか、志村けんか。

 ゴーン、と爽快な音を立てて金だらいは俺の頭に激突した。クラクラと脳天が揺れて床に倒れこむ。そのまま視界が次第に暗転していった。


 何がどうなっているのか全くわからない……。



◇◇◇



「丸福さーん! 起きてくださーい!」


 例のごとく、花村さんに頬を叩かれて俺は座椅子の上で目を覚ました。金だらいがぶつかったような痛みもない。気持ちの良い目覚めだ。

 座椅子から身体を起こして、さっきの出来事を皆に説明する。


「またアウトサイダーか……困ったな」

「しかも違う場所に」


 俺が事情を説明すると、湯川さんとハルちゃんは困り果てた顔をした。この厄介なバグは、開発部の中で記憶から消し去りたいものトップテンに入っているらしい。

 

 再びバグを探すためにノーランやサクラさんが同じ位置で壁抜けを試してみたが、アウトサイダーの元へとたどり着くことは出来なかった。そもそもその場所はテクスチャが正常に動作しており、壁抜けできる場所ではなかった。


「丸福さんだけしか辿り着けない場所か……」

「夢でも見たんじゃないか」

「しかし壁抜けの記録が存在している」

「その記録の方が間違っているとか」


 開発部に報告するとこんな事を言われた。

 擬似アバターで幾度も検証が行われたが原因を突きとめることは出来なかった。俺の脳波にも異常は見られなかったため、アウトサイダーの件は今回も一旦置いておくこととなった。


 なんらかの計器の故障かもしれない。

 やがて、そんな意見が大勢を占めるようになってきた。


 俺は再び壁マラソンの作業を再開することになったが、アウトサイダーのことは心の片隅に残っていた。


 あの置き手紙と俺への仕打ちを見る限り、アウトサイダーはかなり怒っているようだった。このバグを放置したまま、クエストドアを発売して良いのだろうか。


 喉にひっかかった魚の小骨のような苦々しさを残したまま、ジリジリと夏の日差しは強くなっていった。

 

 フルダイブ型ゲームの発表、東京ゲームショウまであと数ヶ月しかなかった。

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