デバッグ部の天使


 季節は夏真っ盛り。

 ニュースによると、今年の夏は例年よりも気温が高いそうだ。俺の通勤ルートも上からの強烈な太陽とコンクリートの照り返しで、即席オーブンみたいになっている。


 外の気温の高さと同じように、ネオタアリ社の熱気も凄まじかった。東京ゲームショウまで1ヶ月を切った。公式でクエストドアの出品を発表しているため〆切りは破れない。せめて体験用のデモ版だけでも完璧に仕上げなければいけない。開発部、デザイン部のフロアは阿鼻叫喚あびきょうかんの大騒ぎになっていた。


「進捗状況が半分行ってないぞー! 間に合うのかこれー!」

「今やってまーす!」

「テクスチャバグの修正はどうした! NPCの顔面がぐちゃぐちゃだぞ!」

「あー、プログラム消しちゃったー」

「バックアップはどうしたぁ!」

「消しちゃいました、間に合いませーん!」

「もうダメだー」

「おうちにかえりたいよぉ」


 バタリと倒れ込むスタッフにユンケルを飲ませて、起き上がらせる。覚醒したスタッフは無表情でペンを走らせ、キーボードを打ち始める。

 リカバリー&リカバリー、この繰り返しが何度行われていたのか数え切れない。スターウォーズのクローン兵だってもっと扱いはマシなはずだ。


 対してデバッグ部はとりあえずの山場を超えていた。地獄の壁マラソンを終えて、会話チェック、武器の性能チェックなどの開発部からのオーダーの大半を終えることができていた。

 

 東京ゲームショウに出品するデモ版は、冒頭のムクアの町周辺までしかプレイできないから、チェック項目が少なく比較的早めに終わらせることができていた。開発部からの打ち返しが来るまでは平穏と言える。


 少ない人員をカバーする花村さんの厳しいスケジュール調整も功を奏していた。6月の半ば頃は本当にキツかったが、今は早めに終わらせておいて良かったと思っている。


 そんな訳で、今日はムクアの町周辺を巡回していた。


「あっ、ここの絨毯じゅうたんまるまったままですね」

『これでは人が通れませんねー、直しおきます』

 

 ドアに倒れかかったまま丸まっている絨毯を発見する。これでは外からドアが開けられない。重大なバグだ。


『丸福さん、良い感じにバグ報告数が上がっています! この調子で頑張ってください!』

「はい!」


 花村さんに褒められて再び街中を歩いていく。他の3人もめいめいの場所でバグを探している。


 現在、俺たちはモンキーテストと呼ばれるチェック作業をしている。

 これはデバッガーが自由にプレイしてバグを発見する作業だ。モンキーが操作するように適当にプレイすることで、思いもよらないバグを発見できるという例えらしい。


 壁マラソンのような単調な作業でも、状態異常のようなダメージを食らう作業でもないので比較的和やかにプレイすることが出来ている。それでも手を抜くと花村さんに注意されるので、血眼ちまなこでバグを探す。


 バグ発見回数のトップは変わらずノーランだった。彼はその異名を変えて「デバッグ部の番人」から「デバッグ部の悪魔」と呼ばれているらしい。


「この前なんて開発の人に手を合わせられちゃいました」

「崇拝対象かよ……」


 ノーランと買い出しに近くのドラッグストアまで出かけていく。スタッフのみんなに精力剤おやつの差し入れだ。店内で涼んでから、うだるような暑さの中を帰っていく。

 備え付けの冷蔵庫に精力剤おやつを放り込んで、デバッグルームに戻ると床に大量の段ボールが並べられていた。花村さんやサクラさんが段ボールの中に埋もれながら、ガサゴソと中身を漁っている。


「何ですか、これ?」

「あ、お帰りなさーい。これ見てください、ジャーン!」


 花村さんが段ボールから取り出したのはメイド服だった。スカートに凝ったデザインのフリルが付けられていて、胸にハートマークが付いている。


「デザイン部の人たちが、キャラクター設計用に購入した資料です。可愛いでしょー」

「何に使うんですか?」

「今度の東京ゲームショウ用だとよ」


 段ボールを見下ろしながら、至極残念そうな顔をした湯川さんがため息をつく。湯川さんが持っているのは何かのカタログだった。女の子の写真がいっぱい載っている。


「せっかくコンパニオンを呼ぼうと思ったのに……」

「コンパニオンを呼ぶお金があるなら、給料を増やしましょー」


 花村さんが自分の身体にメイド服を合わせながら、湯川さんに注意する。

 論破された湯川さんはガックリうなだれて、冊子をゴミ箱に放り込んだ。


 東京ゲームショウの花、コンパニオン。

 独自の衣装やコスプレをして宣伝をする女の子たちだ。蠱惑こわく的なスタイルや可愛らしい衣装を着たコンパニオンたちは、熱心な撮影隊までつくほど人気だ。まさしくイベントを彩る花と言えるだろう。

 

 コンパニオンを呼ばずに、ここでコスプレ衣装を漁っているということはつまり……


「ゲームショウの運営は私たちデバッグ部に任されました。他の部署が手が空かないので、企画運営もろもろをやることになったんです!」

「じゃあそのコスプレは……」

「私たちが着るんですよ。不満ですか?」


 不満ではありません。


「おい何をにやけているんじゃ。露出の高い衣装は着ないぞ」


 段ボールの中からハルちゃんがひょっこり姿を現わす。

 早速着替えていて、ピンクの羽がついた魔法少女風の服を着ている。金髪のウィッグもおそろしいほど似合っている。かわいい。


「のぞいたらクビですよ」

 

 デバッグルーム横の倉庫を試着室にして、女子たちは様々な衣装に着替えていく。午後のスケジュールをすっかり忘れて、すっかり衣装の試着に夢中になっていた。

 

 花村さんは色彩鮮やかな衣装がよく似合っていた。装飾の沢山付いたメイド服や着物のような華やかなコスプレは、心臓が痛くなるほど可愛かった。


「ちょっとスカートの丈が短いですかねー」

「それくらいが良いんですよ」

「おい、セクハラじゃぞ」


 ハルちゃんが俺の背中に蹴りを入れる。

 スタイルの良いサクラさんはボディラインが出る衣装がピッタリだった。チャイナドレスや格闘家などの衣装が、彼女のセクシーさを際立たせていた。


「……少し露出が激しい気がします」

「それくらいが良いんですよ」

「ふんっ」


 サクラさんが俺の鳩尾みぞおちに拳を入れる。クリーンヒットだ。


「ぐおおぉ」

「丸福、気持ちは分かるが大人しくしとけ」


 湯川さんになだめられて、俺は痛む腹部を押さえながら体育座りでコスプレ大会の様子を見守ることにした。口は災いの元だ。


 なんだかんだ言いながら次から次へと試着をするサクラさんと花村さん。楽しそうに着替えてはみんなに見せびらかしている。

 それにしてもこの会社にはどんだけコスプレ衣装があるんだろう。ダンボールでデバッグルームが埋め尽くされている。誰かが職権を乱用している気がする。

 

「丸福さんのもありますよー」

「え、俺のも?」


 花村さんから投げ込まれたのはゴリラの着ぐるみだった。


「わが社のマスコットキャラクターです!」

「そんなのあったんだ……」


 名付けてゴリタリア。

 モコモコと毛深い身体が特徴のゴリラを模したマスコットだ。

 

 試しに着てみたが、暑すぎて3分も保たなかった。

 手足が短くて身体が変な方向に曲がるし、中も外もモコモコしすぎている。夏場にこんなものを着ていたら一発で熱中症だ。誰だこれを作成した人間は。


「却下です」

「えー、でも、あと女のものしかないからなぁ」

「……ノーランさん、これどうでしょう」


 部屋の片隅でニコニコ見ていたノーランに、サクラさんからお呼びがかかる。

 

 寄ってきたノーランにサクラさんがコソコソと耳打ちする。

 その申し出にノーランはすごく嫌そうな顔で首を横に振った。だが彼女が「ニュージーランド」と一言口にすると、ノーランはがっくりうなだれて倉庫へと入っていった。

 

 ……あの事件以降「ニュージーランド」という言葉はノーランにとって最大の弱みになっている。「ニュージーランド」と唱えると彼は何でも言うことをきく。強制魅了呪文だ。


「何のコスプレをさせたんですか?」

「くっくっくっ……」


 不気味に微笑むサクラさん。一体彼に何をさせたんだ。

 

 5分後、コスプレをしたノーランが倉庫から出てきた。黒髪ロングヘアーのウィッグ。胸元にヒラヒラとした赤いリボンを付けて、膝上までの短いスカートとニーハイの間には、雪のように白い太ももが見えている。


 セーラー服だった。

 一同は何も言わずにノーランの姿をほうけたように見つめた。湯川さんですら作業の手を止めて、ノーランへと視線を注いだ。


「どう……ですか?」


 恥ずかしそうに顔を伏せるノーラン。どうですか、と言われてもこんなことしか言えない。


「か……可愛い」


 可愛い。

 まさかこれほどのポテンシャルを秘めていたのか。雨の日のバス停で出会ったら、真っ先に傘を貸したくなるタイプだ。

 

 全員の意見は一致した。デバッグルームが拍手で包まれる。


「彫像にしたいくらい可愛いのう」

「……ゲームショウのコンパニオンはノーランさんだけで十分じゃないですか」

「ですねー!」


 パタパタと衣装や段ボールを片付け始める女子たち。セーラー服姿のノーランが困惑して立ちすくんでいる。


「え? え?」


 どうやら今年のコンパニオンは決定したようだ。

 花村さんたちのコスプレが見れなくなってしまったのは残念だが、他の作業もある。全員をコンパニオンとして出動させるわけにはいかない。


「思わぬ才能だ……」


 湯川さんはそんなノーランの姿を見て、役割分担表のコンパニオンの欄をノーランで埋めた。満場一致だ。

 あっという間に段ボールを片付けて、花村さんはBMIを準備し始めた。

 

「コンパニオンも決まりましたし、作業再開しましょうかー」

「じゃあちょっと着替えてきます……」

「ダメですよ」


 花村さんに肩を掴まれるノーラン。その日、彼はなぜかセーラー服姿で仕事をさせられていた。

 当日の動きを慣れされるためという、花村さんからの社長命令だった。もちろんそんなことする必要は全くない。自分たちが見たいだけの職権乱用だ。

 

 最初は抵抗していたノーランだったが、「ニュージーランド」と言うと大人しくなった。

 

 当然ノーランは開発部やデザイン部をセーラー服姿で行き来することになった。男性も女性も突然現れた美少女に目を奪われた。それがノーランだということが分かってもまだ目を奪われていた。


 それ以降、彼のあだ名は「デバッグ部の悪魔」から「デバッグ部の天使」へとレベルアップした。ノーランは他部署の人たちから差し入れや精力剤おやつをもらうようになり、本格的に崇拝対象と化した。

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