必殺のバスターソード
6畳半の狭い部屋が湿気で覆われていた。
きちんと換気をしておかないとカビが生える、梅雨は危険な季節だ。去年は夏になって気づいたら、パンツにキノコが生えていた。
窓を開けて空気を入れ替える。雨だれから水滴が落ちて、コンクリートの地面を叩く雨音が耳に入ってくる。今日も雨だ。昨日も雨で、そして明日も雨だ。隣の家の庭では綺麗な
そんな季節でも俺は変わらず自転車で通勤をしていた。自分の家が駅から遠いということもあるが、運動不足の身体に対するささやかな抵抗だった。休日は家を出ないし、ゲームの中でいくら動いていても現実の身体は全く動かない。
だからせめて通勤の時だけでも運動しようと、こうやって自転車を漕いでいる。風に吹かれた雨が顔に向かってくるが、完全防備のレインコートを着ているから大丈夫。スイスイと通りを疾走してビルの陰に自転車を
「おう、おはよう」
「あ、ハルちゃん。おはよう」
そう思ったら既にデバッグルームにはハルちゃんがいた。
俺より早く来たというよりかは、彼女が帰っていないのだろう。寝癖もそのままにカチカチとパソコンを操作している。セクハラ騒動の熱も冷めて、ハルちゃんは俺たちに親しく接してくれるようになっていた。
「ちょっと寝るぞ。9時になったら起こしてくれ」
「オッケーです」
机に突っ伏してグーグーと寝息を立て始めるハルちゃん。
通しプレイの進捗状況は
不具合や疑問点が発生するたびに立ち止まり、バグを再現する作業が発生する。プレイ、バグ発見、再現、プレイ、バグ発見、再現……という工程を行わなければ先に進めないのだから、終わらないのも当然だった。
特にフリーズのバグが頻繁に発生していて、普通のプレイがままらならない日も多かった。
「うーん、うーん……」
ハルちゃんは悪夢を見ているようで、寝ながらキーボードを動かしていた。
俺たちの業務内容的に言えばバグが見つかるのは良いことだ。特にノーランは連休以降かなりの数のバグを発見していて、デバッグ部になくてはならない存在になっていた。開発部からは「デバッグ部の番人」と呼ばれているらしい。
だがあまりにもバグの数が膨大すぎる。スケジュールは押しに押していた。
今日も始業時刻になると、すぐに通しプレイの続きが再開。BMIを起動させて、俺たちはゲームの中へと入っていった。
◇◇◇
「もうすぐ雪山の巨人との対決ですね」
サクラさんは嬉しそうに大剣を振り回しながらそう言った。
今俺たちがいるのは雪山ステージ。全員のレベルは大体30前後まで到達していて、15種類の魔法を習得している。俺も薬草運びの役目を終えて、回復呪文と補助呪文を習得することができていた。
雪山ステージには小さな村と、吹雪のダンジョンが存在する。ダンジョンの奥にはボスである雪山の巨人と暗黒石が待ち構えている。村で聞いた情報によると相当耐久力があるらしいので、攻撃力のありそうな武器をしっかりと整えてきた。サクラさんの大剣バスターソードもその1つだ。
金庫番の役を買って出たノーランが、残ったお金を数えている。
「衣服に結構お金がかかるんですよねー」
「気候に合わせて衣服を変化させないと、フルダイブ感ないじゃろ」
ハルちゃんが毛糸のマフラーで顔を覆いながら返答する。ずんぐりむっくりになっていて、雪だるまみたいだ。
そういう俺も寒さから頭頂部を守るためのニット帽を買ってもらった。これを外すとやはり寒いと感じる。ハゲだからだ。
「寒いと感じているだけで実際に寒いわけではないから、本当は下着姿でも大丈夫じゃぞ」
ハルちゃんは笑いながら言っていたが、吹雪のダンジョンの寒さは凄まじかった。下着姿なんかじゃいられない。服を着ていても、身体の底から凍りつきそうな寒さを感じる。カイロを実装してほしい。
さらに吹雪で前が見えず、雪に足を取られて戦闘も思うようにいかない。いつもは簡単に倒せる敵を2倍3倍の時間をかけて倒す。
自分が画面の中に入ってみると、戦闘フィールドというのはプレイにかなり影響する。
「吹雪のせいで弓があまり安定しませんね。魔法だけで攻撃した方が良いのかも」
「……では私が攻撃します」
試行錯誤しながらプレイするノーランに対して、サクラさんはバッサバッサと気持ち良く敵をなぎ倒していく。武器の違いもあるが、こればっかりはプレイスタイルの違いだろう。サクラさんは完全に脳筋派。俺とノーランは慎重派だ。
実際にやってみると回復役というのは結構性に合っていた。
後方に立って皆の回復に専念する。そうでない時は敵に応じて呪文を変えながら、戦闘に参加する。ここぞという場面を自分で判断するプレイスタイルだ。頭を使うので結構楽しい。
クエストドアをプレイして3ヶ月目ということもあり、チームワークもかなり良い感じに機能していた。バグが見つからなければ、かなり順調に進んで行く。あっという間に吹雪のダンジョンの入り口、山の中腹に開いた洞穴の前に到着した。
「足元気を付けてくださいね」
罠警戒症候群に陥っているノーランが、慎重に足元を照らしながら進んで行く。セーブポイントはダンジョンの入り口にあったのですぐ復活できるが、トラップにかかると1発でゲームオーバーで、武器以外の荷物を全て失ってしまうからかなり切ない。
暗闇から襲いかかってくる
「ふんっ、ふんっ」
俺たちには脳筋サクラさんがいる。
近接戦闘における超強力装備、大剣バスターソードを振り回しサクラさんは敵をなぎ払っていく。狭い洞窟の中をまるで芝刈り機のように進んでいく。
脳筋具合もさることながら、1番恐ろしいのはサクラさんの強運だ。10回に1度発生するクリティカルヒットを連発しているので1撃必殺状態。あまりにクリティカルヒットを連発するので、ハルちゃんがバグを疑ったくらいだ。
「早く進むのは有難いが、面白みが無いのう」
「ふんっ、ふんっ」
「聞いてないみたいですね」
回復役である俺の出番がほぼないまま、広めの空間に到着した。青く輝く鉱石がキラキラと輝いていて、台座の上に場所に老人が座っていた。髭の生えた老人はボロボロの服を着て、地面を見てうなだれている。
俺が視線を合わせると老人はおもむろに立ち上がった。
「勇敢な冒険者よ。君たちに勇者の資格を与えよう」
「あなたは……?」
「私は名もなき老人だ。かつて魔王を封印したが、力及ばず封印は解かれてしまった。私にできることはこれだけだ」
老人はそう言うと、手の平を得体の知れない金色の光で発光させた。その光は目映く輝くと俺たち全員を包んだ。視界が白く包まれて何も見えなくなった。
「まぶしい……!」
うっすらと目を開けた後に見えたのは、誰もいない台座だった。
『奥義を獲得しました。手の平を強く握ると魔力がチャージされて、時間に比例した強力な攻撃が放てます』
テキストはしばらくピョンピョンとウサギのように跳ねて、
「奥義……?」
「必殺技ってことですね!」
ノーランが早速右手をグッとにぎると、手の平が金色に輝き始めた。驚いたノーランが手の力を緩めると光が消えて、元に戻った。
たまらず彼は目を輝かせた。
「すごい!」
「そうじゃろ、そうじゃろ。どんな必殺技が出るかは武器次第じゃ。楽しみしているがよい」
ハルちゃんが誇らしげな顔をする。
ちょうどゲームがマンネリしてきた中盤での、新しいギミックの登場は心が熱くなる。サクラさんも大剣を持ちながら、右手を発光させている。
「超究武神……覇斬……」
「それはいけない」
ファンタジーのゲームに出てきそうな必殺技だ。危ない危ない。
早くも奥義をぶちかましそうになったサクラさんを引っ張りながら、洞窟の奥まで進んでいく。
罠をかわしながら慎重に入り組んだ洞窟を進んでいく。ここまで来ると罠のパターンも分かっているので、比較的すいすいと進むことが出来ている。
ことごとく罠を避けていく俺たちを見て、ハルちゃんが残念そうな顔をしている。
「もうちょっとトラップを複雑にしたほうが良かったかのう」
「あんまり複雑すぎるとヘイトを溜めますからこれくらいの方が……。そもそもこのゲームのトラップのダメージ強すぎますし」
「それが面白いんじゃが」
そう言いながら、ピョンと跳んで足元にあるスイッチをかわす。下手なスイッチは押さない、それがクエストドアでの鉄則だ。
次第に洞窟は山頂に向けて徐々に上り坂になって来た。モンスターと戦いながらの
30後半を目前にした男にはきつい坂道を進んで行く。やがて最前線を進んでいたサクラさんが振り向いて前方を指差した。
「……出口が見えてきました。メモリーボックスもあります」
「この辺で一旦休憩にしましょうか」
ノーランの指示のもとで一旦ゲームは中断に入った。ポーズ画面からゲーム中断を選択するとBMIの起動が止まり、意識は現実世界に戻っていく。プレイ時間は2時間くらいだったが、若干の気だるさがあった。
それでも最初にプレイした時よりは全然元気だ。
「それは皆さんがBMIに慣れてきたということもあると思います」
花村さんが差し入れの缶コーヒーを配ってくれる。キンキンに冷えた微糖の缶コーヒーが喉の奥で染みる。糖分が脳に供給されている気がする。このデバッガーの仕事を始めてから、すっかり甘党になってしまった。
30分の休憩を挟んで再びプレイ再開。
休憩の間は全員疲れ切っていて、燃え尽きたボクサーみたいになっているので話すことも無い。ボケーっと外で空を眺めているだけで時間が過ぎる。
またあの雪山に戻るのか……。山より海派なんだけどなぁ。
「では、吹雪のダンジョンボス戦へ、頑張ってくださーい!」
元気いっぱいの声で励ます花村さんの声に押されながら、再びBMIを起動してクエストドアの世界に入っていく。
ここのボスは雪山の巨人。街で聞いた情報によると、全身が雪で出来た大男らしい。不安半分、期待半分で山頂への洞穴をくぐる。
「でっかぁ……」
雪山の頂上にいた巨人は、
外見はでっかい雪だるまみたいで可愛らしかったが、俺たちのことを見つけるやいなや足を踏み出してきた。
「丸福さん、退避です!」
「おっ、おう!」
ノーランの声で間一髪、巨人が踏み出した足から逃れる。衝撃で地面が上下に揺れる。危うくぺしゃんこになるところだった。
「てりゃああ!」
果敢にもサクラさんがその足に向けて切り掛かる。斬撃は巨人に直撃するが、そこまでのダメージを受けている様子はない。
攻撃力最強のサクラさんでも通じないとなると、攻撃手段はおそらくこれしかないだろう。
「奥義……!」
「とうとう披露する時がきましたね。皆で援護するので、サクラさんはチャージに専念してください!」
ノーランに言われるまでもなくサクラさんはチャージを始めていた。彼女の周囲が金色のオーラで包まれる。やる気満々だ。
サクラさんを援護するために、俺たちは雪山の巨人に後ろに回り込んで陽動する。ノーランがお決まりの変なポーズで敵に魔法を打ち込む。
「火炎魔法!」
ノーランの右手から発射された火炎が巨人の股間に直撃する。ギャオオオオと痛そうな悲鳴をあげる雪山の巨人。
「クリーンヒットだ!」
「そういうことではないが……狙いどころは悪くないと思うぞ」
ハルちゃんが同じように火炎魔法を唱えながらフォローする。
雪山の巨人の弱点は火属性のようだ。他の魔法より明らかにダメージを食らっている。おかげで敵の注意も俺たちに向かっている。あとはサクラさんが特大の攻撃をぶちかますだけだ。
「サクラさん、今だ!」
結構なダメージを与えたあとノーランがサクラさんに向かって合図をする。
だが、サクラさんは表情1つ動かさずにチャージを続けている。聞こえていないのかな。
「サクラさん……今だ!」
俺も呼びかけてみるが反応はない。この距離で聞こえていないはずがない。なぜか彼女は俺たちの声を無視している。
「サクラさん、早く奥義を打ってください!」
「自壊する泥の人形、血まみれの聖女、主は天より賜杯を持ち降臨する……」
「!!!????」
サクラさんが不穏な言葉を呟いているのが聞こえた。
あれは……まさか呪文詠唱か……!
薄々勘付いてはいたけれど、サクラさんの正体は————
「くそっ! 中二病だったのか!」
俺の気持ちを代弁するように、ハルちゃんが吐き捨てた。
「きっと彼女には呪文詠唱が必要なんですよ!」
ノーランが拳を握りしめてサクラさんの一挙一動を見守っている。だめだ、こいつも中二病だ。
かなり長い時間チャージしていたせいで、大剣から放たれる光は並みの量では無かった。クリスマスのイルミネーションみたいにバチバチと明るく明滅している。あれは結構やばいんじゃないか。
「チャージしすぎで魔力値がバグっておる。これはまずいぞ!」
「退避ー! 退避ー!」
バスターソードを発光させているサクラさんから逃げる。だが雪に足を取られて思うように走れない。
詠唱を終えたサクラさんが大剣を振りかぶり、雪山の巨人に向けて光り輝いた刀身を向ける。
「超究武神……」
刀身から放たれた光はまるで巨大なレーザービームのように敵を飲み込んだ。まばゆい光が辺りを包む。
「覇斬ッ!!!!」
猛烈な吹雪を
ついでに俺たちも雪山から吹っ飛ばされてゲームオーバーになった。
この件以降、過大な魔法チャージと呪文詠唱は禁止になった。
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