そして伝説へ



 12月24日、JR五反田駅前。

 例のごとく賑やかなクリスマスの雰囲気に街は包まれている。行き交う人はどこか浮かれたような顔つきで、師走の寒い北風の中を歩いている。


 駅前のロータリーもたくさんの人で溢れていた。

 夕方5時を過ぎて、早足で帰路へ急ぐ人たちで改札が混雑していて、その横のコンビニ前ではサンタの帽子をかぶった人たちがチキンを売っている。裏道の方ではキャバクラやガールズバーの客引きたちが、寂しい男たちを捕まえようと待ち構えている。

 

 ソワソワと落ち着かない顔で辺りをキョロキョロしている人もいた。友人や恋人が来るのを今か今かと待っているのだろう。


 俺もその中の1人だ。


 ネオタアリでは年末年始、製造部を除くほぼ全ての部署に一斉休暇が言い渡された。クエストドアが無事に発売できたことへの社長からのボーナスとして、20日間の有給休暇が支給されたのだ。あー辞めなくてよかった。


 そしてクリスマスイブの今日。有給休暇の初日となる12月24日に、俺はこうして五反田駅前のロータリーに立っている。別に寂しさを紛らわせに来たわけではない。


 ちゃんと約束がある。


「あー丸福さーん! お待たせしましたー!」


 俺を呼ぶ声の先には花村さんがいた。


 ニコニコと笑う彼女はクエストドア開発のプレッシャーから解放されて、以前にも増して爽やかな笑顔で俺に手を振った。


「待ちました?」

「いえ、俺も今来たところです」


 本当は1時間前から来ていたことは秘密だ。


 今日の花村さんは真っ白なコートで、オレンジ色のマフラーを巻いていた。薄汚れた五反田の風景がいつもより輝いて見えるのは気のせいだろうか。

 

 なにか気の利いたことを言おうとした時、俺の後ろから声がかかった。 


「お待たせしましたー!」

「おぉ2人とも早いのう」


 声をかけてきたのはノーランとハルちゃんだった。花村さんが2人向かって手を振る。俺もおずおずと手を挙げる。


「……お待たせしましたー」


 そして最後に到着したのはサクラさんだ。

 全員集まったところでクリスマスソングを奏でるビルの間を歩き、駅前の大通りを歩いていく。

 

 ……御察しの通り今日はデートなどというものではない。湯川さんが来来軒でクリスマスパーティーを開くというので駅前で集合しただけだ。

 花村さんとは友人以上恋人未満くらいの関係をたもっている(その一線を踏み越えるタイミングが掴めないでいる)。


 

「あ、見てください。広告が出てますよ」


 花村さんが俺の肩を突ついて、デパートの上の看板を指差す。看板には『待望のフルダイブゲーム、クエストドア、大好評発売中!!』と墨字で描かれていた。


 大好評発売中、そのうたい文句に間違いはなく、予定どおり12月1日に発売されたクエストドアは世界中を歓喜の渦に包んだ。

 1台15万円という高値にも関わらず、家電量販店に並べられたBMIの機体は即完売。ネット通販でも常に売り切れの状態が続き、オークションサイトでは定価の3倍以上の値段で取引が行なわれている。


 プレイヤーからの評価も上々。

 戦闘システムや状態異常の体感なども好評で、一部には「麻痺ジャンキー」や「毒ジャンキー」といった状態異常クラスタも散見された。あまりに目に余るようだったら、今度のアップデートで改定する予定だ。

 また奥の深いサブストーリーが人気を博して、どれだけプレイしても飽きないという声は世界中から寄せられている。


「あの隅っこにいる影はアウトサイダーちゃんですか?」

「そうです! すっかりマスコットキャラになりましたねー」


 隠しキャラとしての存在が明かされたアウトサイダーは発売からあっという間に発見されて、その出現方法は一瞬で広まった。

 

 ネットではその理不尽な行動もさることながら、愛らしいモヤモヤとした形や可愛い少女の声が話題となり、いつしか「アウトサイダーちゃん」と呼ばれて爆発的な人気となっていた。多数の2次創作も作られて、公式でもぬいぐるみなどのグッズを販売する予定だ。

 当事者としては嬉しいこと限りない。彼女は今日もどこかで薬草を食べていることだろう。


「しかし、こんな日でも製造部は工場詰めらしいですね」

南無阿弥陀仏なむあみだぶつ……」

 

 ネオタアリの工場ではフル稼働でBMIを量産している。現在のソフトのラインナップはクエストドアだけという恐ろしい状況だが、他にも完成間近のものが控えているので連休が明けたらデバッグ部も忙しくなる。この休暇はつかの間のオアシスだ。


 駅から来来軒の家までは15分ほど。狭い歩道を一列で歩きながら、前を歩く花村さんに話しかける。


「そういえばデバッグ部も増員が決まったらしいですね」

「はい! 10人ほどの精鋭たちが新たに入社します」

「デバッグ部も賑やかになりますねー」


 歩いていくにつれて景色は刻一刻と移り変わっていく。

 クリスマスムード一色の駅前を抜け、静かなビル街を進んで行く。電気が落とされたネオタアリのビルの前を通り過ぎていく。


 クエストドアでとんでもない収入を得たネオタアリも徐々に変わりつつあった。借金を返して、社員と給料を増やし、手狭になった本社も移転する予定だ。短い付き合いだったがあの五反田の狭いビルともお別れになる。


「わしなんか産まれた時から我が家のようにしていたから、切ないもんじゃ」

「そういうハルちゃんも開発部に戻られるんですよね」

「そうじゃのう……」


 そう言って、寂しそうにハルちゃんはビルに目を向けた。

 

 来年の4月から大規模な人事異動が行われて、ハルさんと湯川さんは開発部に戻ることになった。社長の退院も決まり、花村さんも社長代理の任を解かれ新しい役職についた。


「よろしく頼むぞ。花村

「ひえぇ、頑張ります……」

 

 ハルちゃんの言葉に、顔をこわばらせながら花村さんは頷いた。来年度から20代前半にして花村さんはデバッグ部の部長になる予定だ。

 それだけ人員も不足しているし、ネオタアリのほとんどは40歳以下の若い社員だ。本当の困難はこれから待っていると言えるかもしれない。


 そんな会話をしながら、俺たちは湯川さんの待つ来来軒へと向かった。湯川さんの奥さんは仕事なので、このパーティーには子供も連れてきているらしい。


 ユメちゃんという名前で小学2年生だということだ。

 ノーランがクリスマスプレゼントのクマのぬいぐるみを抱えながら、ウキウキと弾んだ声で話す。


「中華屋で貸切クリスマスパーティーなんていきですね」

「粋か……? 省エネじゃろ」


 ハルちゃんが辛辣しんらつな言葉を返す。

 交差点の角を曲がるとお馴染みの来来軒が見えてきた。店前には申し訳程度に赤い電球が1つピカピカと光っていった。イルミネーションのつもりだろうか。これも省エネだ。

 ガラガラと立て付けの悪い扉を開けると、突然小さな子供がハルちゃんに抱きついてきた。


「わー、ハルちゃんだー! 久しぶりー!」

「ユメか! 大きくなったのう!」


 まるで姉妹のように抱き合う2人。この子がユメちゃんか。可愛らしいサンタのコスプレでぴょんぴょん飛び跳ねている。


「おー、みんな来たかー!」


 厨房の方には湯川さんがいた。寝不足じゃない綺麗な湯川さんだ。

 奥では店主の娘さんがセッセと調理している。湯川さんは美味しそうなローストビーフが乗った皿を持っていた。


「悪い、まだ準備が出来てないんだ」

「ユカワ、皿運んで!」

「はいはい」


 店主の娘さんに怒られて皿をテーブルの上に置く湯川さん。なんで客が給仕をしているのかというツッコミは置いておくことにした。


 大きな丸いテーブルの上にはたくさんの料理が並べられている。ポテトサラダ、ローストチキン、麻婆豆腐、グリーンカレー、ピザ、寿司、アヒージョ、北京ダック、ビーフシチュー、しゅうまい、そして巨大なイチゴのショートケーキ。


 テーブルの上には所狭しと大皿の料理が並べられていた。和洋中ごった混ぜだ。まだ娘さんも料理を続けているので、すごい数の量になりそうだ。

 厨房の奥では店主も必死に電子レンジを使ってレトルト餃子を作っている。気にしないでおこう。


 さらに中心には目立つように高価なシャンパンが置かれていた。ハルちゃんが目を見開く。

 

「ドン・ペリニヨン……だと……」

「開発部長だからな、えっへん」


 誇らしげに腰に手を当てる湯川さん。かなり上機嫌だ。


「そもそも、どうしてパーティーを開こうと思ったんですか?」

「あーそれはなー」


 ノーランの質問に湯川さんは照れくさそうに頭をかきながら返答した。


「俺なりの感謝の気持ちだよ。実を言うと、俺はデバッガーの採用には反対だったんだ。効率も悪いしコストもかかる。外部委託でも良いと思っていた」

「そうだったんですか?」

「爺さんとアイツに猛反対されたけどな」


 そう言って湯川さんはケーキをつまみ食いしている花村さんを指さした。


「このゲームはただのゲームじゃない、世界で唯一のフルダイブ型ゲームだ。だから安全を守るための人材を育てる必要があると言われた。結果はご覧の通りだ。お前らがいなかったら俺たちはここまで来れなかった」


 同じくケーキをつまみ食いしようとしたユメちゃんを抱きかかえて、湯川さんは言葉を続けた。


「アウトサイダー事件はお前らがいなかったら解決しなかった。俺たちが本当に作りたいもの、子供達に安心してプレイさせられるようなゲームを作ることはできなかった。本当に感謝している」

「湯川さん……」


 まさかそんな風にお礼を言われるなんて思いもよらなくて、目頭が熱くなってきた。隣に立つノーランとサクラさんの目も潤んでいる。

 正社員という甘い蜜に吸い寄せられて入社しただけなのに、ここまで言ってくれるなんて逆に申し訳なくなる。


「俺、単純に給料目当てで入ったので、そんなことを言われる資格はないです」

「……私も」


 隣に立つサクラさんも正直に白状すると、湯川さんはおかしそうに笑った。


「普通はそんなもんだろ。けど、このゲームには間違いなくお前らの思いも入っている。それだけは誇りに思っていて欲しい」


 湯川さんは俺たちに満面の笑みを向けた。

 その言葉を聞いて、今までの思い出が鮮やかに脳裏に蘇ってきた。


 この1年は本当に楽しかった。苦難も、困難も、精神が崩壊しそうになることもあったけれど、良いこともたくさんあった。

 俺が関わったことで、みんなが安心してゲームを楽しんでいるのなら、それだけで幸せだ。あの時花村さんからビラを受け取らなかったら、今頃こんな思いはできていなかった。


「私からも……ありがとうございます」

「わしからも」


 そして追い打ちをかけてくる花村さんとハルちゃん。

 頑張って泣くのを我慢していたけれど、隣でボロボロと泣くノーランを見て思わずもらい泣きしてしまった。不甲斐ねぇ。


 ボロボロと男泣きをする俺たちを見て、湯川さんたちはにこやかに微笑んだ。


「まぁ、これからもよろしく頼むってことだ。給料分こきつかわせてもらうよ」

「はい!」


 鼻水をすすって大きく頷く。もちろんだ。しっかり給料はいただく。


「さあ! お料理が冷めちゃわないうちにはじめましょうか」

「おなかすいたー」


 花村さんとユメちゃんも待ちきれないようだ。既にケーキのイチゴを食べ尽くしている。このままだと完食されかねないので、急いで乾杯の準備をする。

 シャンパンを注ぐとグラスの中で宝石のような泡が弾けた。お酒が飲めないハルちゃんとユメちゃんはシャンベリーだ。


「じゃあ花村、乾杯の挨拶を頼む」

「わ、私がですか?」

「俺が言うとみんな泣いちゃうから」


 湯川さんに促されて花村さんが咳払いをして立ち上がる。


「えーっ、とー……困ったなぁ……じゃあ皆さん、今年は本当にお疲れさまでした! これからも沢山の人に楽しんでもらえるようなゲームを作りましょう! えーっ……乾杯!」

「乾杯!!!」


 突然振られたせいか、花村さんの挨拶は珍しく緊張した感じだった。照れ笑いを浮かべて花村さんはグラスをかかげた。皆も笑いながら彼女を中心にグラスを上げていく。

 グラス同士がぶつかり合う小気味の良い音を合図に、クリスマスの夜はあっという間に更けていった。店主と娘さんも混じって賑やかな宴会になった。


 楽しい時間ほど早く過ぎ去っていくものだ。きっとまた年が明けたら、すぐに忙しくなって忘れてしまうんだろう。


 でも俺にとって特別な年の特別なクリスマスだから、なるべく覚えていようと思う。


 ドン・ペリニヨンがそこまで美味しくなかったこと、店主の娘さんがまだ中学生だったということ、レトルトの餃子が地味に美味しかったということ、ノーランが泣き上戸だったということ、ハルちゃんが辛いものが苦手だったということ、湯川さんが酔うと意外と面倒くさいこと、サクラさんはもっと面倒くさいこと、


 そして乾杯の時に、花村さんが照れくさそうに顔を赤くしていたこと。そんなことを覚えていようと思う。




◇◇◇




 時は移り高校最後の夏。



 全国の球児たちが憧れる甲子園の舞台に俺はいた。真夏の強い日差しがグラウンドに照りつけていて、ブラスバンドの演奏が球場全体に賑やかにこだましている。騒がしい蝉の声が球場の外から聞こえてきた。


 俺はレギュラーとして、1年生ながらこの舞台に立っていた。

 

 金属バットが普段より重く感じる。監督のサインはフルスイング。俺の力を信じてくれているのだろう。余計に緊張して手に汗がにじむ。

 手汗をユニフォームで拭き取ってバッターボックスに入る。


 ……。


『じゃあ、とりあえず全ピッチャーの全変化球を打ってもらいましょうか! よろしくお願いしまーす!』


 ヘルメットを被って気合を入れていると、広いグラウンドに花村さんの元気な声が響いた。


「全部ですか……?」

『全部でーす! スケジュールが詰まっているので早めによろしくです!』


 花村さんからの通信が一方的に切られる。


 これは5月に発売予定のフルダイブ型の野球ゲームのデバッグ作業だ。フルダイブ初のスポーツゲームで、球速や変化球を一般人にも対応出来るようなものに調整する作業が進められている。


 マウンドのピッチャーが振り被る。すでにゲームは始まっているようだ。俺は溜息をついてバットを握りしめる。

 


 しょうがないこれも給料をもらうためだ。


 それと……

 みんなが楽しめるゲームを作るためでもある。


 

 投げ込まれたボールを俺は全てフルスイングで空振りした。ストライク、バッターアウト。これじゃあ検証にならない。

 

『あーもー、丸福さんの下手くそー!』


 甲子園球場に花村さんの声が響く。

 俺たちのデバッガー生活はまだ始まったばかりだ。





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フルダイブ型ゲームのデバッガーをやることになったけど、精神が崩壊しそうです スタジオ.T @toto_nko

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