未知との遭遇
全員が扉をくぐると、自動的に鍵がかかり後戻りができなくなった。選択の変更はできないということだ。観念してウネウネと蛇行した道を進んで行く。
先ほどの
壁にかかった松明の明かりを頼りに進む。前にいるハルちゃんの小さな身体を見失わないように必死についていく。こんなところで迷子になりたくない。
「……モンスターは出ませんね」
「平穏だと良いんですけどね。足元気を付けてください」
足早に進むサクラさんを、ノーランが忠告している。
モンスターがいる気配はないので、怪異の道という可能性は低いかもしれない。となると平穏か、はたまた謀略か……。
ビクビクしながら洞窟を進んでいくと、前の方でカチッとスイッチを踏む音がした。ノーランが弓を踏んだ時と同じ音だ。嫌な予感がする。
前方で立ち止まったサクラさんが俺たちの方を振り向く。
「何か踏んじゃったみたいです」
「分かります。どうやら平穏の道ではなさそうですね」
あの時サクラさんのおまじないを止めずに1時間待っていれば良かったのかもしれない、そんな後悔が脳裏をよぎったのも束の間、後方からゴロゴロと何かが転がってくる音がした。
この罠は定番中の定番ではないか。振り向くと巨大な岩が猛スピードで俺たちに向けて突っ込んできていた。
「走れーーーーーーーー!!!!」
俺が言うまでもなく皆は走り出していた。慌てて俺もみんなに付いていく。何年何ヶ月ぶりの全力疾走。道が狭いので急いで走ると、洞窟の天井や壁に頭をぶつけてしまう。だが痛がっている暇はない。
転がってくる岩の音はどんどん近づいてくる。このままだとペシャンコだ。
必死に長い1本道を走っていくと松明が数を増してきた。徐々に前方の様子が明らかになっていく。
100メートル先に直角に曲がったカーブと、岩が止まりそうなポケットが見える。あそこまで走り抜ければ生還できそうだ。
だが岩が俺たちを捉えるまでそんなに時間はない。じゃんけんに負けたのは完全に失敗だった。
岩に追いつかれないかヒヤヒヤしながら、やっとの思いでカーブに差し掛かる。このままいけば全員無事に洞窟を抜けられる。
そう、俺が最後の最後で転びさえしなければ————
「あ……」
足元の石に
ハルちゃんが手を伸ばして俺を助けようとするが、腕が短すぎて届かない。もうだめだ。巨大な岩が俺の身体を押しつぶしていく。
「うわああああああ!!」
恐怖できつく目を閉じる。
痛みはないがビリビリとした衝撃が身体に響く。ゲーム上とはいえ岩に潰されて死ぬというのは随分嫌な感覚だ。
……。
視界が真っ暗になっていく。せっかくここまで来たのにゲームオーバーか。
復活に備えて体育座りしていたが、何も起こる様子がない。前のセーブ地点はおろか、視界には何も映らない。
「あれ?」
首をかしげる。こんなに時間がかかるものだろうか。3分くらいジッとしていると懐かしの花村さんの声が響いた。
『丸福さーん。聞こえますかー?』
「聞こえますー。復活はまだですかー?」
『それがですねー……どうやらバグっているみたいで丸福さんは今マップの外側にいるみたいなんです』
「あらま……」
プログラムの不具合か、どうりで復活しないわけだ。
とりあえず花村さんの声が聞こえて安心したが、彼女の声は随分と困惑していた。よほど想定外の事態だったらしい。
『うーん、バグの詳細がちょっと分からないので、適当に歩いてもらっても良いですか?』
「了解ですけれど、どこに……?」
視界は完全に闇で閉ざされていた。手に触れるものは何もない。冷たい風が頬を
とりあえず風が吹く方向に向けて慎重に進んで行く。足を踏み出すと、地面は真っ平らで1つの
何歩か歩いてみたが、漆黒の闇は変わらない。視界が塞がれるってこんなに恐怖を感じるものなのか。
「怖い……」
『我慢してくださいね。はい、あんよが上手、あんよが上手』
「ううう」
すごく怖いけれど、花村さんのナビゲーションに励まされながら進んで行く。吹き込む風の勢いがどんどん強くなってくる。何かに近づいていることは確かなようだ。
『表示される座標位値も変わりませんねー。身体が壁の中に入り込んでいるのかと思いましたが、どうやら違うようです』
「何かどんどん風が強くなっている気がします」
『風? おかしいですね、そんなものは観測していませんが』
花村さんが不思議そうに返答する。
そんなはずは無い。真正面からくる風はどんどん強くなっている。まるで冷蔵庫を開けた時のように、冷たい風が強く吹いているような気がする。
不快感はなく、むしろ気持ちの良い風だ。
『どこかに繋がっているのかもしれません。雪山ステージがあるので、そこまで丸福さんのアバターが移動してしまった可能性があります』
「このまま進んでも大丈夫ですか」
『お願いしますー。いきなり魔王って可能性もありますが』
「……ステーキ屋さんじゃないんだから」
そんな冗談を言っているうちに、突如として風の勢いが止んだ。代わりに遥か前方に一筋の光が見えた。まるで針の穴のようにか細い光だが、この暗闇の中だとまるで月のように明るい。
「何か見えてきましたよー」
『えっ? モニターでは何も変化はありませんよ?』
動揺したような花村さんの声。光は歩みを進めるにつれて、どんどん強くなっている。もう夜空に浮かぶ満月よりも大きい。これが見えないはずがない。
「モニターが故障しているんじゃないんですか?」
『その可能性もありますが……なんだか嫌な予感がします。このまま強制tえisい……』
ブツッ、と音がして花村さんの声が途絶える。ラジオのノイズのような雑音が鳴った後、完全な
「花村さーーーん? 花村さーーーーーーん!?」
大声で呼んでみるが応答はない。通信が完全に途絶してしまったようだ。俺が発した声はどこにも反響せずに、空虚な暗闇に飲まれてしまった。
「これはヤバイのかも……」
冷たい汗が頬を流れていく。ゲームの中で一人ぼっちになってしまった。
今の所、手がかりは差し込むあの光しかない。あそこまで行けばどこかに出るかもしれない。いっそのこと魔王でも何でも良い。
再びよろよろと光の方へ進んで行く。近づいていくにつれて光がドアの形をしているのだと認識できた。
こんな怖い思いをするならサクラさんを止めずに「すっぽこぽんのすっぽんぽん」の先まで言わせてあげれば良かった。
後悔の念に
「鬼が出るか、魔王が出るか……」
ゴクリ、と湧き上がった唾を飲み込む。年甲斐もなく足が震えている。
ただこの暗闇にずっといるのも嫌なので、勇気を出して足を踏み出す。まばゆい光で目がくらむ。
「う……」
しばらくそこで立ち止まり光に目を慣らしていく。
徐々に目を開けていくと、ぼんやりと辺りの様子が見え始めた。少なくとも雪山や魔王城ではなさそうだった。視界に入ってくる色彩は白しかない。
恐る恐る歩みを進めていく。さっきと同じようにのっぺりとした無機質な空間だったが、少なくとも壁と天井はあるようだった。白い壁紙の小部屋のような感空間で、陰影は確認できる。
「なんだここは?」
キョロキョロと辺りを見回してみる。ぱっと見はチュートリアルマップに近いが、それにしては狭い。ダンジョンの一部ではなさそうだし、モンスターの姿も見えない。
通信も回復しないので、とりあえず前へと進んでみる。またどこか別の出口へと繋がっているのかもしれない。
部屋の半分くらいまで来たところで、異変があった。
シャッ、とカーテンを開くような音が聞こえたと思ったら、前方に黒いモヤのようなものが出現した。
その黒いモヤはどことなく人の形をしているように見えた。不定形でクネクネと動いているが、スタイルは背の低い人間に見える。
「どなたですかー!?」
大声で目の前の黒いモヤに語りかけてみるが、返答なし。
しばらく様子を見ていると、ゆっくりとこちらの方へ動き始めた。不気味に動くモヤモヤとした物体は人が歩くように1歩1歩進んできている。
「えーと……」
あれが何なのか判別は付かなかったが、不思議なことに恐怖は感じなかった。むしろ見ていると何だか幸せな気持ちになる。
そのモヤモヤが歩いてくるのを俺は黙って見つめていた。スピードを緩めることも早めることもせず、そのモヤモヤは動いている。
やがて俺の目の前に立った。
「隕励>縺溘↑……!!」
……一体何を言っているのだろう?
言葉かどうかも分からない音声が頭の奥に響く。
耳に聞こえているのではなく、脳に直接響くという感じ。ノイズが多くて頭がクラクラする。テレパシー……的な感じなのだろうか?
何を言っているのかは分からないが、叫んでいるみたいだ。声の主は目の前のモヤモヤに違いないだろう。
「あの……」
「險ア縺輔↑縺!!」
再びノイズ混じりの音声が頭に響く。俺の言い分を聞く様子はなさそうだ。なにかこのモヤモヤの機嫌を損ねるようなことをしてしまったのだろうか。
せめて何らかのコミュニケーションが取りたいと思い、黒いモヤへとゆっくり手を伸ばす。人間で言ったら肩の部分に当たるだろう。
肩をポンポンと叩くつもりだったが、不規則に動くモヤのせいで少し下の方に触れてしまった。手が黒いモヤに包まれる。
……触った感触は少し暖かったような気がする。
気がする、というのは俺の記憶が黒いモヤに触れた後で途切れてしまっているからだ。思い出そうとしても記憶が曖昧になっている。
その黒いモヤが俺の顔を包んでいったのは覚えている。人肌に包まれるような生暖かさ。心地良くて安心するような。
そんな印象とは反対に、黒いモヤは相変わらず怒っているようだった。ガンガンと俺の頭に怒鳴り声をぶつけている。何を言っているのかはほとんど理解できなかったが、不思議とその言葉だけは意味が分かった気がした。
それは女の声でこう言っているように聞こえた。
「セクハラーー!!」
それが最後の記憶。
ちょうどこの前も同じようなことを言われたなぁと思いながら、同時にほっぺたに鋭い痛みを感じた。それを合図に意識がどんどん薄れていく。
これは……何だっけ、
ほっぺたを叩かれて、
痛くて、
ヒリヒリする痛み。
……あ、分かった。
ビンタだ。
◇◇◇
「丸福さーーーん? 丸福さーーーん!?」
耳元で花村さんの声が聞こえる。手の平で何度もほっぺたを叩かれている。うっすらと目を開けると懐かしい自分自身の身体があった。ゲームから抜け出して、いつもの座椅子に戻ってきているようだ。
花村さんや他のみんなが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。蛍光灯の光が眩しく輝いている。
「あ、目を覚ましたーー! よかったぁー」
花村さんが嬉しそうな声を上げると、周りで見ていたみんなもホッと安堵のため息をついた。花村さんは俺の頬に手を当てたまま話し始めた。触れた彼女の手はほんのりと温かった。
「丸福さん、聞こえますか? 話せますか?」
「あ……はい」
「これ何本に見えます?」
「3本……」
「意識に問題はなさそうですね」
花村さんが指を降ろす。
視界ははっきりと見えていた。むしろ頭がいつもよりスッキリしている。休日の朝、いつもより遅く起きた時みたいに調子が良い。差し出された湯川さんの手を断って、自分で起き上がってみせる。
湯川さんは顔を真っ青にして、俺のことを見ていた。
「どうしたんだ? スイッチを切っても1分近く目を覚まさなかったぞ」
「1分……そんなに短かったんですか? 15分くらいはさまよっていたような気がするんですが」
俺はみんなに白い空間を進んだ先で何が起こったのかを説明した。
光り輝く小部屋には黒いモヤがいて、俺に平手打ちをかましてきたことを報告すると、ハルちゃんが顔をしかめた。
「そんなものがゲーム内にあるはずがない。もしかしたらBMI自体の構造的な欠陥かもしれん」
「早く原因究明しないとまずいな」
プレイヤーが意識を失う事態はゲームとして絶対にあってはならないことだ、湯川さんは険しい顔でそう言った。
その後、通しプレイは一旦中断した。
俺は社内の医務室に連れて行かれて、脳のスキャンと脳波の測定を行った。どちらも異常は見られず、後遺症のようなものも見られないということだ。とりあえず一安心だ。
プレイ再開後、さっき起こった現象の再現作業に入った。再び4人で試練の扉をくぐる。
「一応聞いておきますけど、具体的には何をするんですか……?」
『バグの再現なので、先程と同じ状況を作らなければいけません。だから丸福さんには岩に潰されてもらおうかなー……と』
「ひえぇ」
なんてこった。
あのバグに出会うのも恐ろしいけれど、また岩に追いかけられて潰されるのは正直しんどい。
『このバグが分からないと、先に進めないんですー……』
そう言われるともう断れない。やるしかない。
改めて気合いを入れて、試練の扉をくぐる。
そして俺は何度も同じところで転んで岩に潰される羽目になった。罠を発動させて、走って、岩に潰されるを繰り返す。体力と精神がゴリゴリと削られていく。
『もう一回お願いしまーす!』
「うわぁん」
終業時間までその作業は繰り返されたが、俺たちの苦労虚しくバグは2度とは起こらなかった。37回目のゲームオーバーの後で湯川さんが中止の合図を出した。開発部の方に持ち帰って改めて検証するらしい。
そして謎の黒いモヤとの遭遇から1週間が経ったが、何の進展も見られなかった。プログラムには異常はなく、擬似アバターで何度再現してもバグは発生しなかった。
俺が見た光景は夢だったのだろうか……? だが俺が意識を1分間失っていたのは間違いない事実だった。湯川さんたちはそのことをかなり危険視していた。
正体不明の危険なバグがあるかもしれない。ネオタアリではいつしかその黒いモヤのことを『アウトサイダー』と呼ぶようになっていた。
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