フルダイブ型ゲームのデバッガーをやることになったけど、精神が崩壊しそうです

スタジオ.T

無職の昼下がり


 

 困った、仕事がない。


 この独り言を言い始めて何年が経っただろう。気が付いたら34歳の誕生日を迎えていた。

 プロゲーマーを続けて10年。スポンサーからの契約を打ち切られて早5年。めでたく無職となった俺は、それでも夢を諦めることが出来なかった。大会で年下のプレイヤーにフルボッコにされても、意地になって頑張ってきた。アルバイトとわずかな賞金で何とか食い繋ぐ生活を続けてきた。


 けれど、それも去年で終わり。

 実家で暮らす母親が病気で入院したことをきっかけに、俺も定職につこうと決意した。もうフラフラと生きていて良いような年齢ではないと思い知らされた。

 正社員になって親を安心させてあげよう。そう思い立って俺は慣れないスーツを着て、街へと旅立った。


 まぁ……現実はそう甘くはなかった。


 今日もハローワークに出向いてきたが、資格なし、職歴なし、髪の毛薄いの三拍子が揃った30代を受け入れてくれる会社はほとんど無かった。せいぜい「さっき日サロで焼いてきました」みたいな男たちが載っている胡散うさん臭い求人くらいだ。求人票からブラック企業臭がぷんぷん匂ってくる


 思い立ってからもう半年、俺は面接にすら辿り着けていなかった。自分の現状を改めて考えてみると崖っぷちを通り越して、荒れ狂う海の中へ飛び込んでしまっていた。

 2020年を過ぎてから地味な不況が続いている。前に見えるのは孤独死へと続くレールだけだ。死神さんがおいでおいでと手招きしている。そんな風に死にたくない。


 俺が座っているショッピングモールのベンチの周りでは、ブクブクと太った鳩が走り回っていた。暇すぎてずっと見ていたので分かってきたが、どうやらオスがメスを追い回しているようだった。ちょうど春だし、発情期なんだろう。


「生物的には鳩にも負けるなぁ……」


 そんな風にボソリと呟いた言葉が、近くにいた家族連れの耳に入ってしまう。母親が俺から子供をかばうようにして早足で通り過ぎていく。去っていく背中を見ながらまた傷つく。


 こんなはずでは無かった、この言葉も何度繰り返しただろう。

 

 全盛期には大きな大会でベストエイトまで行ったことがある。

 だが所詮そこ止まりだった。その時もたまたま運良く勝つことができただけで、それ以上の成績を収めることは最後まで出来なかった。

 凡才は努力する天才には敵わない。この事実は嫌というほど思い知らされてきた。

 

 そしてプロゲーマー志望というからを失った俺には何も無かった。ゲームに時間を費やして、仕事はコンビニの深夜アルバイトしかしたことが無かった。まともに社会を生きる術を俺は持っていなかった。


 今更、後悔しても遅いのは分かる。

 せめて仕事が欲しい。




「天才ってどこにでも居ますよねー」

「そうなんだよなぁ」


 そう、天才はどこにでもいる。努力しても、足掻あがいても、突き落とそうとしても、壁のごとくたちはたがる。武器も何も持たない凡才にとって、その壁は崩れることがない圧倒的な事実なのだ。


 ……誰だ? 


 顔を上げると、いつの間にか俺の隣に20代くらいの若い女の子が座っていた。肩まで伸びた髪を揺らしながら、うんうんと相槌あいづちを打っている。

 怪訝けげんな視線を向けると、女性はにこやかなスマイルで返してきた。


「初めまして、ハローワークから追いかけてきました! 丸福剛まるふくつよしさんですよね、こちらをどうぞ!」


 そう言って彼女は、手に持っていたA4サイズのビラを突き出してきた。


「あ、どうも」


 有無を言わさない素早い手つきだ。思わずお礼を言って、ビラを受け取ってしまう。

 隣に座っていた女の子は、ビラを握りしめて呆然としている俺の方へグッと寄ってきた。


「努力を重ねる凡才だからこそ出来る仕事もあります! 私は『ネオタアリ』の花村光はなむらひかりと言います。ではまた試験会場で会いましょうー!」


 言うだけ言うと、女性はペコリとお辞儀をして軽やかな足取りで去っていた。歩きながら通りすがりの人にもビラを配って回っている。


 試験会場?

 コンタクトとか宗教勧誘のチラシというわけではなさそうだ。女性からもらったA4サイズのビラに目を落とすと、こんなことが書かれていた。


『新作ゲームのデバッガー急募! 未経験大歓迎、週休2日、正社員雇用確約! 月収26万から! 希望者は履歴書持参の上、こちらの場所までお越しください→』


 スーパーの広告みたいに赤いデカデカと書かれた文字の下に、小さく地図が貼り付けてある。

 

 何だ、求人のチラシか。クシャッと丸めようとした手が、月収26万という文字のところで止まる。


「26万……それに正社員」


 月収26万で正社員というのは今の俺にとって、かなりの好条件だ。まさしく海の上に投げられた救命ボート。ハローワークでも求人サイトでもこんな条件の仕事は滅多にない。これはチャンスかもしれない。


 『ネオタアリ』という会社は聞いたことがある。

 昔からあるゲーム開発会社で、アーケードから家庭用ゲーム機まで幅広くヒット作を売り出している。


 業態が珍しいので有名で、そこまで大きな会社ではないといういうのに、ネオタアリ社はディベロッパー(開発)でありパブリッシャー(販売)でもある。

 

 ディベロッパーとは言うまでもなくゲームの開発を行っている企業だ。プログラムを組んだり、デザインを考えたりする。

 パブリッシャーとは例えば任天堂やセガなど大きな会社であり、販売や宣伝、ソフトの製造を行っている。


 普通はパブリッシャーが企画してディベロッパーに開発するように依頼したり、ディベロッパー側から企画を持ちかけたりする。ゲームの製造や販売はコストがかかるので、小さなゲーム開発会社だけでは不可能だからだ。何をするにもお金がいるし、大企業で無ければ十分な宣伝もできない。

 

 だがネオタアリは独自の販売ルートを持っていて、一社でゲームを作って販売までする今時珍しい中小企業だ。

 社長が不動産で成功した大富豪で、その財産をゲーム開発に回しているという噂もある。その豊富な予算のおかげかネオタアリから出るゲームはユニークで評判が良い。

 

 いわゆるブラック企業という噂は聞かないし、試しに行ってみる価値はある。努力を重ねる凡才だからこそ活躍できる、とさっきの女の子が言っていた。そうだ、今まで報われてこなかったのだから、正社員くらい望んだって良いじゃないか。


 よし、と気合を入れて重い腰を上げる。俺の足元をうろついていた鳩が驚いて、パタパタと羽ばたいていった。

 

 とりあえず履歴書を買おう。


 

◇◇◇



 試験会場は大きなビルの貸し会議室だった。受付で履歴書を提出して中に入る。長机が大量に並べられた広めの室内には、俺と同じようにスーツで身を固めた人たちがズラリと座っていた。ざっと200人くらいはいるだろう。

 手取り26万で正社員だ、これだけの応募が来るのも納得はいく。何人受かるか分からないが、競争率は高そうだ。


 着席して、手の平に「人」の字を書いて飲み込んでいると、マッシュルームカットの金髪の青年が横から話しかけてきた。


「あのー、ここ空いてます?」

「あ、はい」


 俺の返答に爽やかなスマイルで返しながら、ピンと背筋をまっすぐ伸ばして青年は着席した。

 真っ黒なスーツに眩しいくらいの金髪。横顔を見ると彫りの深い端正な顔立ちをしていた。


 マジマジと見つめる俺の視線に気づいたのか、青年は俺の方を見てはにかみながら自分の髪を触った。


「やっぱり気になります? これ地毛なんですよ」

「あ……悪い。つい見ちゃって」

「いえいえ、良くあることなので。しかしこんなに沢山集めて一体何の試験をするんでしょうね?」

「さぁ……」


 俺が首を傾げると、青年も同じように困った顔をして首を傾げた。

 ビラには試験内容について記載はなかった。これだけの人数を集めて行うとしたらペーパーテストかもしれない。やばい、何の予習もしていないぞ。

 

 1人嫌な汗をかいていると、正面の扉から背の高いガッチリとした髭面ひげづらの男が入ってきた。手には書類が入った封筒を持っている。

 その後ろから、ショッピングモールで会った女の子も歩いてきていた。相変わらず軽やかな足取りで、楽しそうに会場に集まった応募者たちを見ている。

 

 髭面の男はマイクを持つと1つ咳払いをして、張りのある声で話し始めた。


「ネオタアリ開発部の湯川ゆかわだ。求人サイトにも挙げていない限定された募集だったが、こんなにも応募者が集まってくれて嬉しく思う。集まってきてくれた皆には分かると思うが、デバッガーという仕事は開発前のバグを見つけ出す重要な仕事だ」


 そんな風に切り出して、湯川という男は仕事の内容を説明し始めた。


 ゲームの開発にはどうしてもバグがつきものだ。フリーズして操作ができなくなってしまったり、壁をすり抜けてしまったり、何もしていないのにセーブデータが消えてしまったり、些細なものから致命的なものまである。

 

 それをくまなくチェックする仕事をデバッグと呼ぶ。すり抜ける壁がないことやフリーズしないことを、実際にゲームをプレイしながらあらゆる動作を行い確認する。


「本来のデバッグにはプログラムの修正という仕事も含まれているが、今回俺たちが募集するのはあくまでテスターとしての人材だ。特別なスキルは必要ないが、効率よくミスを発見できる才能を俺たちは求めている。なにぶん我が社は少数精鋭だからな」


 デバッガー単独でネオタアリが採用するのも今回が初めてらしい。それは社長たっての希望だということだ。

 

 湯川さんはそこまで説明すると、机の上の封筒を持ち上げた。

 

「試験は今回の1回のみだ。今から鉛筆と問題用紙を渡す。そこに書かれた課題をやってもらう。それに合格することが出来れば採用だ。その後の面接等はない」


 面接がない?

 

 その言葉を聞いて会場が一気にざわついた。採用試験で面接がない企業なんて聞いたことがない。隣に座っている青年も眉をひそめている。

 応募者たちの動揺を気にすることなく、ややぶっきらぼうと思えるクールな口調で、湯川さんは続けた。


「制限時間は無い。出来た奴から退出して良い。カンニングや不正行為は即失格だ。3時になったら開始してくれ。以上だ」


 ピシャリと言い終わると、湯川さんは封筒から紙の束を出した。一体どんなテストが配られるのだろう。

 

 応募者たちの間にもピリピリとした緊張が走っている。うぅ、お腹が痛くなってきた。


 前から順番に花村さんが1枚の紙を配っていく。ペーパーを俺の机の上に置くと、花村さんは嬉しそうな顔で俺の顔をのぞき込んできた。


「やっぱり来てくれたんですね、丸福さん。凡才の力、期待していますよ!」

「ど、どうも……」


 期待されている……、もしかしたら元プロゲーマーとしての力を活かせる問題なのかもしれない。少し自信がいてくると同時に、余計に緊張してきた。


 時計の針が3時を示した時、正面に立った花村さんが大きな声で開始の合図を叫んだ。


「それでは、始めてくださーーーーーーーーい!!」


 バサッと応募者たちが一斉に問題用紙を裏返す。俺も合図に合わせて問題用紙をめくり、鉛筆を握りしめる。

 さぁ一体どんな難問が……と身構えた俺の目の前に現れたのは可愛らしいポップな絵が2枚と、次のような問題文だった。


『2枚の絵には9つ違うところがあるよ! 見比べて違うところにチェックを入れてね! 終わった人から帰って良いよ!』



 問題文を見た俺の思考は固まった。

 これって休日の新聞とかファミレスのお子様メニューの裏とかにありそうな、じゃないか。


 これでふるいにかけようって言うのか……!


 想像の斜め上をいく問題に動揺している応募者たちをよそに、隣の金髪青年はさっさとペンを走らせ始めた。

 そうか、この問題は判断力を試しているのか。デバッガーとして重要な、細かい違いに気づくことができる能力。早く正答したものから合格するに違いない。


 負けるわけにはいかない。

 隣の青年に一歩遅れて、俺もペンを握り2つの絵を見比べ始めた。



◇◇◇



 10分経過。

 問題用紙に描かれているのは子供が象の下で遊んでいる絵。ポップな絵柄だが花や草木など小物が沢山描かれていて、間違いを探すのは簡単ではなかった。

 だがすでに俺は間違いを8つ見つけることに成功していた。


・象の鼻の長さ

・雲の個数

・女の子の手袋の色

・男の子が持っているボールの大きさ

・花びらの枚数

・家の屋根の形

・葉っぱの葉脈の本数

・象の耳の形

 

 5つの間違いは順調なスピードで見つけ出すことができた。残る3つの間違いも少し難しかったが、サイ○リヤの間違い探し常連の俺からしたら何てことはない。行ってて良かったランチサービス。

 

 残すところ1つだ。

 

 だがその1つがどうしても見つからない。誰も全部見つけられていないのか、席を立つ人はまだいなかった。隣の金髪青年も頭を悩ませているようだ。


 もしかしたら俺がトップで試験を突破できるかもしれない。


 「正社員」というフレーズが脳みその中でグルグル回っている。いけない、落ち着け。慎重に隅から隅へと探すんだ。あと1つなら最低でも3分はかからないはずだ。



 15分経過。

 駄目だ。見つからない。

 いくらなんでもおかしい。もう30回は絵を見比べているが最後の1つが見つからない。象の足の長さ、子どもの表情、雲、色の濃淡、地面に咲いている花びらの数。間違い探しにありがちな場所を1つ1つつぶしていくが、どうしても見つからない。


 文字通り頭を抱えていると、隣でガタリと席を立つ音がした。

 金髪の青年だ。来た時と同じようにピンと背筋を伸ばして歩き、問題用紙を提出すると会議室から出て行った。


 ……くそっ、先を越された。


 せめて2番目に抜けたい、と思っていると前の方の席に座っていた女性が立ち上がった。1つ結びにした長い髪を揺らしながら歩き、問題用紙を提出して帰っていく。

 いや、焦ってもしょうがない。集中して最後の間違いを見つけよう。再び問題用紙を注視する。


 しかし無情に進む時計とは裏腹に、最後の1つの間違いは全く発見できなかった。



 2時間経過。

 会議室の中で所狭しと座っていた応募者たちはもう10人くらいになっていた。1人、また1人と去っていく。応募者たちは長時間の戦いで疲れきった顔で会議室を出ていった。

 それはそうだ。俺だってこんな長い時間、間違い探しと向き合ったことはない。象がゲシュタルト崩壊している。不気味な記号にしか見えない。


 象、象、象、象って何だっけ?

 

 すでに何を見ているかも理解できなくなっていたが、再び2つの絵を見比べ始める。ここまで来たならば途中で諦めるわけにはいかない。

 絵を空間で区切って考えるんだ。間違いがないかチェック項目を作って、余白に書き出していく。名付けてローラー間違い探し作戦だ。これで勝てる。



 ……そして3時間が経過した。

 もう会議室の中には俺1人しかいなかった。正面の椅子に座っている湯川さんが仏頂面ぶっちょうづらで俺のことを見つめている。それでもまだ最後の間違いは見つからなかった。もうとっくに不合格なのは分かっているが、半ば意地になって俺は間違い探しを続けていた。

 

 これと似たようなことはゲーマー時代に何度も経験した。


 どうあがいても絶望しかない瞬間。崖っぷちに追い詰められても諦めきれず、意地になって踏ん張ってきた。そして最後はとうとう崖から海に突き落とされてしまった。

 トップクラスのプレイヤーに勝てなくて、死ぬほど研究してようやく勝てた時は嬉しかった。そのあとに高校生プレイヤーに完膚かんぷなきまでに敗北した時は死ぬほど悔しかった。そいつは今では世界で活躍するスーパープレイヤーだ。俺が海の底でもがいているのなんて眼中にすら無い。

 

 自分に才能がないことはとっくに気付いていた。俺が何時間努力しようと、天才は涼しい顔であっという間に追い越していく。そんな背中を俺は何度見る羽目なっただろう。


 またここで1人置いてけぼりになるのか。

 こんな間違いさがしでつまずいて、凡才以下の落ちこぼれじゃないか。悔しくてちょっと涙が出てきた。


 うつむく俺の前にはいつの間にか花村さんが立っていた。しびれを切らして問題用紙を回収しに来たのかとビクビクしていると、彼女は予想に反して嬉しそうな声でこう言った。


「丸福さん……おめでとうございます、合格です!」

「へ?」


 罵倒ばとうの言葉を覚悟していた脳内が、液体窒素をかけられたかのように固まる。

 ……あれ? 合格?


「だって俺まだ出来ていない……」

「良いんだよそれで。もともと間違いはつしかないからな」


 湯川さんも椅子から立ち上がり、肩をすくめてそう言った。

 もともと間違いが8つしかない? 問題文には9つって書いてあったはずだ。目を白黒させている俺に花村さんは笑顔で返した。


「あれは嘘ですよ。最初の2人以外は諦めて帰っていたんです。最後まで諦めなかったのは丸福さん、あなただけです」

「まさか、ここまで諦めが悪いとは思わなかったけどな。おかげでこんな時間まで付き合わされてしまった」


 心底呆れたという顔をして湯川さんは頭を掻きながら、俺の方へと近づいてきた。机の前に立った湯川さんの目は、どことなく嬉しそうだった。


「俺たちがデバッガーに求めているのは諦めの悪い凡才だ。

 Aボタンを押す、AボタンとBボタンと同時押しする、Aボタンを押した後Bボタンを押す、無限とも思える組み合わせを試してデバッガーはバグを探さなければいけない。注意力と同時に根気が必要だ」


 根気…………


「だから、あるはずのない間違いを探させたんですね……」

「その通りだ」


 俺の言葉に湯川さんは大きく頷いた。持っていた鉛筆が力なく机に落ちていく。この3時間、俺はあるはずのない間違いを探していたのか。

 

 疲弊ひへいしきった俺の顔を見て、花村さんはグッと親指を立てた。


「お見事です。凡才の力、見させていただきました!」


 そうだ、合格したんだ。無駄では無かったんだ。問題用紙に書かれた沢山のメモに目を落とすと、嬉しさがこみ上げてきた。

 

「本来ならばこんなひねくれた試験なんかやらずに、人員を増やせば済む話なんだがな。今はそこまでの予算は組めない、だが他所よそに任せることも危険だ。俺たちが開発しているのは機密中の機密トップシークレット。このゲームなら業界トップになるのも夢じゃないからな」


 自信満々といった不敵な笑みを湯川さんは浮かべた。

 

 ネオタアリほどの中小企業が業界のトップになる?

 信じられないが、湯川さんと花村さんの顔は冗談を言っているように見えなかった。


「一体……どんなゲームなんですか?」

「皆が夢みたゲームですよ。私たちが独自に開発したシステムで実現一歩手前まで来ています」


 花村さんは俺に顔を近づけて、楽しそうにそのゲームのことを話し始めた。SFやファンタジーでしか聞いたことが無かったそのゲームは……


ですよ。自分の身体がゲームの中に入るんです。魔法やモンスターが自分の目の前に現れるんです!」

「VR……ではなく?」


 俺の言葉に花村さんは大きく首を横に振った。


「ただのVRゲームではありません。視覚、聴覚だけではなく、嗅覚、味覚、触覚など全ての感覚がゲーム世界に没入します。全く新しい新世代のゲームを私たち『ネオタアリ』は開発しています!」


 マジで言っているのだろうか。

 花村さんは嘘を言っているように見えない。フルダイブ型ゲームなんて遠い未来の技術だ。


「本当に本当ですか?」

「本当の本当です!」

 

 ドッキリのカメラが付けられているような感じでもない。そんなすごいものをこの会社は作ろうとしていたのか。花村さんの言葉に、自分の心が高揚するのが分かった。


「すごい……」


 正社員として採用されたのも嬉しいが、フルダイブ型ゲームがいち早く体験できるなんて、幸運としか言いようがない。

 1年ぶりにゲーマーとしての血が騒ぎ始めていた。春から始まる俺の新生活は順風満帆に漕ぎ出したように思えた。


 


 この時の俺は、今から始まる仕事がどれだけ苦しいものか想像もしていなかったのだが———  

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