クロスモーダルカレー


 ウホッウホッ!


 奇天烈キテレツな時計の音が正午を告げる。壁に掛けられたゴリラの時計は12時になると鳴き声を発するらしい。それと同時にお昼休憩タイムとなる。


 デバッグ部は全員揃って外でお昼ご飯を食べることになった。「来来軒」と看板を出しているボロい外観の中華店に入ると、お昼時だというのに誰も客がいなかった。

 白い帽子を被った店主っぽい男性が暇そうに1人テレビを見ている。俺たちが中に入るとだるそうに腰を上げた。湯川さんが千円札を1枚カウンターの上に置く。


「今日だけは俺がおごるわ、親父カレーを5つ」

「あいよー」


 中華店だというのになぜかカレーを頼む湯川さん。

 問答無用で頼むくらいだから、そんなに絶品なのかと食べてみたがまぁまぁ美味しい普通のカレーだった。

 だが肉が入っていない。他の人の皿も見てみたが、やはり肉が入っていない。これはどういうことだ。


 肉なしカレーに文句1つこぼさず、湯川さんはカレーを食べ始めた。機械的にカレーを口に運びながら湯川さんは俺たちに話しかけた。


「どうだった初プレイの感想は?」

「こんなところで喋って良いんですか?」

「良いんだよ、誰も聞いちゃいないし」


 店主は再びボケーっとテレビを見ている。相変わらず客は俺たち以外にいない。だんだんこの店のことが心配になってきた。


 そんな俺とは違い、ノーランは待っていましたとばかりに身を乗り出した。


「素晴らしかったです! あそこまでの没入感は今までのVRの比じゃありません。大掛かりな設備もないのに吹き付ける風を感じました! 一体どんな仕組みになっているんですか!?」

「おー、そこはやっぱり気になるかぁ。じゃあ昼飯ついでに軽く説明しようか」


 湯川さんはそう言うと、食卓にあった七味を手に取った。


「クロスモーダル現象は分かるか?」

「はい。実際に起こっていないことを脳がして知覚する現象のことですよね。リアルな海の映像を見て、本来は感じるはずのない潮の香りを感じたりする。脳が海の光景を見て潮の匂いを脳の中で補完するんです」

「ご説明どうも。あのBMIはその装置だ」


 そう言って湯川さんは、カレーの中に七味をドバーッとかけてかき混ぜた。カレーのルーが真っ赤に染まる。めちゃくちゃ辛そうだ。


「ほら、こうするとカレーの辛味が増幅するだろう? これがあのBMIの機能だ」

「あー! これ以上七味を入れると、また健康診断で引っ掛かりますよ!」


 花村さんが湯川さんの手から七味を取り上げる。「ちっ」と軽く舌打ちした後、湯川さんは真っ赤に染まったカレーを美味そうに食べ始めた。


 肉なし激辛カレーをむしゃむしゃと食べている湯川さんに替わって、今度は花村さんが説明した。

 

「あのBMIが感覚を増幅させるというのは正しいです。ですが、それはカレーに七味をかけて辛味を増幅させるといった単純なものではなく、もっと複雑なものですから」

「脳波を読み取る……さらにその電気信号を増幅させ脳に再びフィードバックする。それって相当な技術ですよね? 誰がそんな発明を?」

「発明したのは私のお祖父ちゃんです、えっへん」


 まるで自分のことのように花村さんは誇らしげに腕を組んだ。


 そこからの話題はもう専門的な用語のオンパレードだ。リアルタイムレンダリングとか、フレームレートとか、ムー大陸とか。

 

 横で聞いていた俺やサクラさんはもう話についていけていなかった。そもそもサクラさんは最初から話に興味はなさそうだ。皿についたカレーを綺麗に完食して水を飲んでいる。どうしたらシミひとつ残さずにカレーを食べられるのか、俺にはそっちの方が不思議だった。


 カレーを食べ終わっても2人の会話は終わらなかった。

 

「具体的には一体どんな仕組みになっているんですか?」

「うーん、説明するには結構時間がかかっちゃいますから、また今度にしましょうか。様々な最新技術を合わせて作られていますから。複雑な機能スパイスを絡み合わせているんですよ」

「このカレーのように……」

「言ってしまえばそんな感じです!」


 すでに店に入ってから1時間が経っていた。話しているうちに昼休憩時間は終わってしまったみたいだ。

 

 店主にお礼を言って店を出るとき、厨房の奥にある見覚えのあるレトルトカレーの箱が目にはいった。業務用スーパーで売っている3袋で128円のやつだ。


 なるほど……複雑なスパイスか。

 


◇◇◇



 午後からはいよいよ本格的なデバッグ作業に入った。

 開発スケジュールの都合から、まず重点的にチェックしてもらいたい項目があるらしい。湯川さんの目の前には山のような書類があった。


「それって……」

「開発部門からのチェック依頼表だ。言っとくが、これでも一部だからな」


 その言葉を聞いてゾクッと背筋が寒くなった。この分量を3人でやるのか?

 近くから書類を覗き見ていたサクラさんも首をかしげている。


「……かなり基礎的なチェック項目もありますが、開発の方はテストしていないのですか?」

「モニター越しで操作する擬似アバターで出来ることはやったが、やっぱり実際のプレイヤーがやらないと分からない部分が多い。一応何人かやったんだが……」


 そこまで言うと湯川さんと花村さんは互いに目を合わせた後、口をモゴモゴさせていた。ちょっと雲行きが怪しくなってきたぞ。


「何か隠していますね」

「隠しているというか、まぁね。色々あったんだよ。人が倒れたり」

「私のお祖父ちゃんを含め、開発部の人間5名が病院送りになっています」


 花村さんの説明で俺たちの顔が凍りつく。ゲームで病院送りとは……。

 引きつった顔の俺たちを見て、湯川さんは慌てて弁解した。


「命に別条はないよ、単なる体調不良だ。長時間プレイしすぎてバタンと倒れて、そのまま救急車だ。テストプレイとなると色々とプレイヤーに無理をさせるからな」

「今回、デバッグ部を設けたのもそれが理由です。どこまで没入しても大丈夫か、対策や対応をプレイしながら見てもらいたかったわけです」

「ストレステストも兼ねているわけですか」


 ノーランが納得したように頷いている。

 

 あれ? 納得して大丈夫なのだろうか? これっていわゆる実験用のマウス的な立ち位置と変わらない気が……? 

 疑心暗鬼になっている俺を、花村さんが上目遣いで見上げてきた。


「大丈夫ですよ。私たちがしっかり監視していますから。体調不良を感じ取ったり、危なくなったらすぐにゲームを停止します」

「信じて良いんですね……?」

「もちろんです!」


 うーん、ここまで言われて断るのも何だか気がひける。何よりせっかく見つけた職をこんなところで失うわけにはいかない。初任給を失ったら俺にはもう食べるものがないのだ。


「分かりました、花村さんを信じますよ」

「ありがとうこざいます! まぁ誓約書にサインした以上、逃がしはしませんけどね」


 笑顔で恐ろしいことを言う花村さん。これがパワハラか……。

 

 すったもんだはあったが、ノーランとサクラさんも快諾。とりあえずの足並みは揃ったようだった。

 湯川さんがクエストドアをセットする。3つのモニターにはそれぞれタイトル画面が表示された。


「じゃあ仕切り直して始めようか。次は3人チームでプレイしてもらう」

「3人同時にプレイできるんですね」

「クエストドアは最大4人まで協力プレイできる。さっきのプレイでやっぱり身体を固定するものが必要だと分かったから、これを使ってくれ」


 そう言って段ボールの中から大きめのチャイルドシートのような座椅子を取り出した。デザインはちょっとダサいが、ガッシリとした作りでベルトも付いている。

 

 その隣では花村さんが大きめのダンボールを開けている。


「それは何ですか?」

「デスノートを参考にして作ってみた拘束具です、使いますか?」

「結構です」


 なんでそんな物騒なものがあるんだ。

 花村さんは「せっかく作ったのに」とブツブツ呟きながら破廉恥はれんちな拘束具と目隠しを横に置いて、普通の座椅子を用意した。

 

 座椅子に座ってシートベルトを付けると、身体をガッシリと固定された。よほどのことがない限り動かなそうだ。座り心地も身体にフィットして気持ちが良い。


「人間工学に基づいた特注品だからな。ゲームに没入させるために座るストレスをゼロに近くしてもらった」

「最初から使えば良かった気が……」


 聞こえないふりをして湯川さんは席に戻っていた。

 

 全員が座ったところで、BMIがセットされて花沢さんがクエストドアのスイッチを押した。ぐいっと身体がゲーム画面に引っ張られていく感覚。


「では再び行ってらっしゃ〜い!」


 本日2度目のプレイ。ウィーンという起動音が徐々に遠くなっていく……。




◇◇◇




 目を開けるとそこは最初にプレイした時と同じだだっ広い平原だった。そよ風に吹かれながら、穏やかな景色に見とれていると花村さんの声が響いた。


『再開地点が先ほどゲームを終えた地点のままになっていますね。ちょうど良いので皆さん、真っ直ぐ歩いてみてください』


 午前中の歩行訓練を思い出して「歩くと念じる」という思考で進んでみた。最初の方はぎこちなかったが、徐々に自分の思い通りに進めるようになってきた。現実世界のどこにもぶつかる様子はない。固定しているから当たり前だけれど。


 呑気に鼻歌を歌いながら進んでいると、同じ顔をした2人の男と鉢合わせた。瓜二つの顔、顔のパーツも寸分違わない。


「えぇ……」


 2人の男も怪訝けげんそうな顔で俺を見ている。もしかしてでもないけれど、この2人の正体は。

 

「サクラさんとノーランか……」

「そういうあなたは丸福さんですね。キャラクターのバリエーションがないのでしょうか……」

「……ですね」


 同じ顔で同じ声で話しているが、どっちがどっちか分かるぞ。

 この様子を見る限り、俺も2人と全く同じ顔のようだ。ドッペルゲンガーのような3人が顔を突き合わせていると、平原に花村さんの声が響いた。


『ごめんなさーい! 昨日エラーがあって今はキャラが1人しか使えない状況なんです! とりあえず今日のところは髪で区別しましょうか』


 この進捗しんちょく状況を見る限り、まだ色々とプログラムに抜けがあるみたいだ。

 

 花村さんの指示のもとで設定画面の開き方を教わる。


『はめているグローブがコントローラーになっています。右手をパーにして左から右にスライドさせてください!』

「こうかな?」


 言われた通りに動かすと目の前にポーズ画面と書かれたウィンドウが出現した。「中止」や「設定」などのテキストが浮かんでいる。


『設定を指でタッチしてください。そしたら「造形を変える」が出てくるので、そこをタッチすれば髪を変えられます。サクラちゃんが金色で、ノーランくんはそのままで。丸福さんは無しに設定しておいてください』


 何だかチョイスに悪意がある気がするが、とりあえず言われた通りにする。同じ顔の黒髪と金髪とハゲの3人組が出来上がった。

 サクラさんが俺の方をまじまじと見てくる。


「……面白いですね」

「真顔でコメントするんじゃない」

『そこ喧嘩しなーい、早速仕事に入ってもらいまーす。デバッグモードに切り替えてください』


 デバッグモード。

 バグや動作を発見するために作られる開発者専用のモードだ。ステータスを自由にいじったり、武器をアイテムを自由に獲得することができる。チートツールと同じようなものだ。

 ちなみに発売時にデバッグモードを残したままにしておくと、たまにプレイヤーに発見されて炎上したりする。


『デバッグモードへのコードはポーズ画面で上上下下左右左右BA、です』

「は?」

『言われた通り右手を動かしてみてください』


 ……上、上、下、下、左、右、左、右


「AとBって?」

「親指と人差し指を合わせるのがA。親指と中指を合わせるのがBです」


 B、Aと動作をするとカチッと音が鳴って、ウィンドウ画面が変化した。「ポーズ」と書かれたテキストの下に「デバッグモード」と書かれた文字が並んでいる。


『はーい、全員出来ましたねー。設定画面に入ると、あらゆる設定をいじることができるようになっています。じゃあ仕事しましょうか、開発部からのテスト要請トップ項目から潰していきましょー!』


 いよいよ本番か……

 どんなテストをするんだろうと、身構えた俺に花村さんの元気な声が飛び込んできた。


『まずは状態異常、全部試しましょー!』


 



 そして地獄は始まった。




 


 

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