第3話 発車

第3章  発車    


ドアから乗る。

無造作に、車輛の横に打ち込んであるリベット(釘頭)に無理矢理ペンキを塗るもんだから、ひどくみすぼらしいドアになっている。リベットが剥き出しなのは、公園の遊具か、太平洋戦争の零戦飛行機くらいだと思っていた。

ドアはない。いや、正確にいえばある。開け放たれている。くすんだ鉄のステップに乗ればそれは乗車を意味する。走りだしても、ドアは開け放たれている。ということは、走行中に飛び下りれば、すなわち死を意味する。進行し始めた汽車に飛び乗るという古い映画のシーンが再現できるが、現代の電車が、ステップがなくバリアフリーだの、ほんの3㎝、ドアに物や人が挟まれただの、騒いでいるようなレベルではない。大雪の中、ドアを開け放とうが、走行中の列車が橋梁を渡っている時に投身自殺しようが、すべて自己責任なのだ。


デッキは真昼だというのに暗い。照明という概念がない。昼は昼だから照明は必要ないのだ。でも見上げれば、白磁の色をした照明カバーが申し訳なさげについているが点灯する気配はない。

客室に入るドアには真鍮(今の人はわかるかな、画鋲が錆びたような色の金属)のノブがついていて擦りガラスがはめ込まれている。

ノブを捻って重いドアを右にこじ開けるようにすれば車内に入れるのだ。乗車口のドアが開けっぱなしなのに、客室に入るドアが、重厚で厳かであるというギャップ。帝国時代の日本人の感覚とはこういうものだろうか。


木だ。まず視覚に飛びこむのは、床の木の板。現代のような木のぬくもりのする北欧の暖かいエコなイメージは棄てなくてはならない。床板の木は、ほぼ黒。東大寺正倉院の木だってまだ、木質を感じることができる色をしていた。汽車の床板は、まるで100年分の雨や雪の湿気を吸いこんだように黒ずんでいて、窓から射し込む光をブラックホールのように吸いこんでしまう陰湿な黒。


座席は、ボックスシート。向かい合わせの木の椅子で、青いビロードのファブリックが例のごとくリベットで打ち込まれている。背もたれは垂直に固定され、有無を言わせない。

車内の壁は、わりと明るいニス塗りした木でできていて、少し見上げれば、真鍮の柱に網棚の網がかけられている。天井は煙草のヤニに染まった柔らかな白色で、かまぼこ型に湾曲して、白磁の照明と青大将色をした扇風機の羽が、並んでいる。


僕はは、ガラガラの車内の前から3列目辺りに座った。

匂い。何十年と乗り込んだ自動車に乗ったときのカビ臭い匂い。何十年と人々の吸った煙草や、時にはクロスにこぼしたであろう酒の匂い。床板から来る木のすえた匂い。

それが強烈ではない。かすむくらいに鼻にかかるかすかな昔の匂い・・・。

あれから30年以上たった今でも、脳は記憶している。僕の感受性はまだ鋭かった。

僕はおもむろに座席に腰を掛け、重い窓のラッチを握って上に引きあげ出発を待った。


うす赤い電気機関車。赤いから直流ではなく交流の電化線で走ることはわかっていた。ED78という。赤が鮮やかならいいものを、こちらもくすんでいる。デパートの屋上にあった赤いウサギの乗り物マシーンが、雨ざらしになってそのまま30年の時を経たようにうす古ぼけた赤色をしている。

それでも奴は強い。この先の奥羽山脈を越える板谷峠のために製造されたこの道のプロだったはずだ。蒸気機関車を2つ繋いで登っていた時代の後継としてこの板谷峠を任されているのだ。国鉄のすることはよくわからない。古い客車は気にも留めず、サービスより、ハコモノ重視なのだ。

しかし、いかんせん時代は進化していた。485系という特急電車はED78を使用せずとも、峠をすいすい登って行く。要はED78は、老いぼれ客車や貨物列車の子守り役なのだ。


午後13時28分、定刻の出発時間。ホームのアナウンスは山形行きが出発することを叫んでいる。無駄な情報はなにもない。チリリリリリリリ・・というベル。

それからの間が長いったらありゃしない。きっと現代人には考えられない。秒単位で動く首都圏の電車とは訳が違う。ふつうなにか不具合があったんんじゃないか、とおもわせる妙な間延びした時間。

ピウィーーーー。それはED78の汽笛だった。正確にはピーーーーではない。ポーーーーでもない。pを母音にして表現できるのがやっとだ。いったいどんな仕組みで音を出しているのか、音階も単音もない複雑にまじりあった悲鳴みたい。

現代の電車ならパーンとかプワーンとかポワーンだろう。それに発車のたびに汽笛は鳴らさない。汽笛は警笛なのだから。ホームに危ない距離で歩く人がいたり、踏切の手前で、警告のために鳴らすのはよくある。

しかし、ED78は出発の時に、汽笛を鳴らす。それがなにを意味するのか? 見送りの人への合図か? これから先に登る峠にむかって気合を込めているのであろうか? 乗客に発車しますよ、と呼びかけているのだろうか?


ガシャーン。突然の車体の揺れ。進んだと思ったら後ろへ下がるような揺れ。それでも車輛は前に進み始めた。なんという粗暴な発車。都心の通勤電車なら乗客はみな将棋倒しだ。そんなことお構いなしに機関車は、グイグイと客車を引っ張って行く。

ガタン、・・・・ゴトン・・・これは擬音としては割とうまく表現できているだろう。客車はレールとレールの間のつなぎ目に車輪が当たるたび、汽車らしい音を立てる。ガタンは、自分が座っている前の車軸が当たる音、ゴトンは、自分が座っている後ろの車軸が当たる音。

汽車は、プラットホームを出ると、ガタピシ、ガタピシとレールのポイントに翻弄されて車体は左右に揺れた。古いボギー型の台車。車体はまるで決められたまっすぐなレールに敢えて抗うように引きずられ、車輪からは金切り音が聞こえてくる。


    *


線路がたくさんある東北本線という大動脈から外れて、2本の線路が、大動脈から離れていく寂しい風景。分岐点には雑草が生い茂り、2つの行方を分け隔てようとしている。

ここ福島、仙台、盛岡そして青森へと続く大動脈・東北本線は、大きな山もなく東北という地への大きな背骨の役割を担っている。

しかし山形や秋田へ向かうためには、この福島から、枝分かれをして、奥羽山脈の吾妻山地という大きな壁を越えなければ、到達できないのである。

もちろん別ルートはある。仙台から笹谷峠を越える仙山線、岩手から秋田へと向かう現・秋田新幹線のルート。

でも当時は、奥羽本線が山形県や秋田県を結ぶ主要な線路だった。

どんどんと離れてカーブしていく奥羽本線。どんどん離れていく新幹線や東北本線。

どう見ても、先に見える山々を越えなくてはならない奥羽本線には分が悪い。

この山脈の向こうに広がる山形や秋田がこんなにも寂しげな線路によって結ばれていることに、どうしようもない不安を覚える。はたしてこの山々を越えれば、米沢や山形なんていう大都市が存在するのだろうか。それさえも怪しく頼りない、雑草の生えた隘路・・。


    *


ガタン、ゴトンの音に僕は慣れた。車内の木箱からなにかアナウンスが流れているが、何を言っているかさっぱり聞こえない。玉音放送だってまだよく聞こえたはずだ。古くてぼろいからなのか、汽車がうるさいからかもわからない。

汽車は平坦な福島郊外にさしかかり、民家や桃畑が代わりばんこに過ぎていく。


ジジー、ゴゴーー、ゴゴー、突然の轟音で床下から振動が伝わってくる。なにが起こったかと思えば、機関車が速度を落として止まらされている悲鳴だとわかった。笹木野という駅のプラットホームが現れた。盛夏に生い茂る雑草が生えたコンクリートのホーム。強い日差しが屈折しホームの先が陽炎で揺れている。停まったとたん蝉の大合唱が耳をつんざくばかり聞こえ始める。


    *


僕は、プーマの大きな旅行バッグの外ポケットから、煙草の箱を取り出した。今は無き茶色いキャメル。紙包装だから茶色いラクダがより一層濃く描かれているキャメル。

煙草なんて現代の子たちは吸わないだろう。法律云々というよりすぐ死ぬと言われているんだから。だから吸っちゃ駄目だ。

僕も吸い始めは高校に入ってからだ。当時はそんなもんだった。もちろん学校で吸ったりはしなかった。親にも内緒。

ライターで火をつけスーっと深く異空気を吸い込む。モワンとして頭がクラっとする感覚。もうだいぶ慣れてきた。純白の脱脂綿のような少年の肺を薄く茶色く染めていってしまう罪悪感。

「はあ、吸っちゃった・・・」と思う瞬間に出ていくため息の白い煙。

窓の下に、鉄製の灰皿があって、カパカパと蓋がスライドできるようになっている。

いままでどんな人がこの古めかしい灰皿を使って煙草を吸ってきたのだろう? 明治生まれの老人たち、戦争で命を賭けてきた軍人さんたち、出稼ぎで故郷に帰るおじさんたち・・・

蓋をスライドさせ、灰をそっと落とし込む。その瞬間、自分はそんな名もなき先人たちの仲間入りができたような気がした。


ガチャリ! という鉄がひしゃげて軋む音と同時に車輛がまた大きく揺れた。

ピョーーーー!という汽笛とともにいかめしい旧型客車が走り始める。


    *


煙草とくれば、やはり次はビールだった。福島で買っておいた冷たい缶ビール。

プルタブをプシッという音とともに開け、ゴクッと喉へ流し込む。最初に来る喉へのヒリヒリするような炭酸の刺激。そのあとに口の中に広がるまったくもって甘くない苦み。それを舌で味わうと、五臓六腑に滲みわたる熱い注射のようなもの。それがまた、なんとも言えない心地の良い気分にさせてくれる。

苦い。ヒリヒリ。ジワンとする臓器。こんなものは体にマズイ事はわかっているのだが、こんなにも美味く感じられるのは何故だろう。

また煙草に火をつける。ふーっと吐く息に被せるようにビールを流し込む。ニコチンの味とビールの苦みが広まって、口の中は魑魅魍魎の住処のごとく面妖に味が変化する。


 初めてではなかったが、この切ない、それでいて安堵するあやふやな感覚は何だろう。どうしようもなくいずれは大人になるということが、それほど嫌ではない、もしかしたら楽しそうだという期待。暗闇の沖から見た灯火がかすかに見え隠れした気がした。

 

    *


庭坂という駅までが福島の市街地らしい。ここから急に人家がなくなって、気がつくと汽車は、山の尾根づたいに高台を走っていた。

窓から少し顔を出して、機関車がいる前を見る。  

大きな深緑の山が屹立している。その山肌のほんの少し許された場所にレールがへばりついている。これが唯一見い出された吾妻山地の入り口であるかのように、機関車は山の懐に果敢に挑もうとしているところであった。


板谷峠。軽井沢の碓氷峠、山陽本線の瀬野八峠とならぶ日本の鉄道で3本の指に入る急こう配な場所。鉄道は1899年、明治32年に開通した。それまでは参勤交代の大名行列もこの板谷峠には挑めなかった。その難所がゆえに、江戸へ向かうには、米沢藩を除き、どの大名も山形の南手前の上ノ山(かみのやま)から、蔵王連峰の横裾を通って金山峠、小坂峠を越える七ヶ宿街道を使って福島県に出た。秋田・佐竹氏の大名行列がはじめのころ、山形から仙台へ抜ける笹谷ルートを通ったがそれは例外だった。

しかし交通事情ではいまも難所であることに変わりはない。

1つには、鉄道では日本屈指の急勾配であることだ。1990年まで日本では珍しいスイッチバックという、ジグザグに登坂していく方式がとられ、機関車はそのたびに進行方向を変えなくてはならなかった。この方式は今でも箱根登山鉄道で見ることができる。

いまでこそパワフルな新幹線でスイッチバックは廃止になったが、それでもスピードはおおよそ新幹線とは言い難い。そもそも在来線のレールに新幹線の軌道を無理矢理敷いただけだから、山形新幹線は、福島からは新幹線と冠した在来線なのである。

2つには板谷峠は山形県に入ったあたりから豪雪地帯となる。雪は2~3メートルにもなる。時には吹雪、地吹雪、時には雪が電線を切る。新幹線になった今でも運休や遅れは日常茶飯事だ。

 3つ目には、動物の出没だ。微笑ましいことではない。板谷峠は野生動物の宝庫であるがゆえ、線路にはたびたび動物が飛び込んでくる。カモシカやサル、クマなどが列車にぶつかっては、その場で人身事故のようなことになってダイヤに大幅な遅れが出るのだ。


    *


 ガタン、ゴトン・・・もうこの音にも慣れた。この客車は、戦後の物資不足のなかで急造された60系列というもので、戦前や大正時代の木製客車の台枠、台車を使って突貫工事で鋼製の車体とくっつけたいわば継ぎ足しのような車輛なのだ。そのためかひどくクッション性が悪い。よくもまあ今まで現役で走ってきたもんだ。


 汽車は、峠に入る準備に入って、レールは大きく蛇行をしてから、長い長いトンネルに入って行った。轟音がするので、古くいかめしい窓枠を降ろす。規則的に、トンネルの白い蛍光灯が窓を流れていくので、眠気を誘う。天井に明かりがついた。

なんて幻想的な車内だろう。明かりは白くない。白熱灯のように、淡いオレンジ色を帯びていて、木のニスが反射している。いったい何時代にタイムスリップしたのかという感覚に陥る。

ジョバンニやカンパネルラの2人旅を思う。


    *


トンネルを抜けた。一目で異国の地になったことが分かる。音も空気も違う。真夏の太陽は陰っていて、鬱蒼とした森の世界が広がった。針葉樹林は広葉樹林に変わり、人の手が加わっていない木々が茫漠として広がっている。昼なお暗し苔滑らか・・・箱根八里の歌とはこのことだ。そうしてまたトンネルへと入って行く。

窓に自分の顔が映る。父親に似てきた。そう父親に・・・。

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