第20話 荒くれ

    第20章 荒くれ


 酒は、僕にいつだって万能感を与えた。酔ってる時の方が、楽器が上手く弾けたし、英語のライム(韻)もポンポン浮かんだし、難しい英文もうまく訳せたし。

会社に入っても、いいアイデアが浮かんだし、人づきあいもよくなったし、嫌なことも忘れられたし、感性の感度も良くなったし・・・。


一方で、異変には気付いていた。他の酒飲みと違うのだ。今日はここまでで酒をやめとこう、というリミッターが僕には備わっていなかった。それが遺伝なのか、そういう情況に体がなっていったのかは分からない。とにかく僕は仕事を終えると際限なく飲んだ。みんなが退けて帰った後も朝まで飲んだ。家でも飲んだ。翌日は激しい下痢と気分の落ち込みに襲われ、仕事が終わればそれを治すためまた深酒して、を繰り返す。

 妻は子供ができて母になった。当たり前のことだ。でも妻ではなくなった。愛情は子供に注がれ、不貞腐れた僕は酒を呷った。呷って呷って毎晩ぶっ倒れた。


    *


 予備校の前に不良少年たちがやってくるようになったのは、中3生の部活が引退の時期を迎える7月下旬のことだった。校舎の女の子・Kに興味を持った連中が、自転車やらバイクで4,5人でやってきては学校の前でたむろするようになった。スナック菓子やらジュースを地べたに置き、煙草は吸う、大声で叫ぶ、のやりたい放題だった。

「生徒も怖がるし、近所にも迷惑だから、ここに集まらないでくれるかな」僕は言った。

「はあ?おじさん、だあれ? 関係ないっしょ」茶髪の少年が言う。

「清水だ。この校舎の者だ。ここにいる限り関係ありだ、帰ってくれ」

「へー清水っつーんだあ、ウケる」少年たちがケラケラ笑う。

「いいから帰れって言ってるんだ」僕は繰り返す。

「うるさいなあ、あんまり怒るとボクちゃん、先生を轢いちゃうぞ」自転車の少年がこっちに自転車を向けてくる。

 手を出したら負けだ。たとえ相手に非があっても、手を出せば傷害罪となる。向こうはそれを狙って挑発してくるのだ。

「おじさん、Kって生徒とSEXしたい?」茶髪少年の自転車の籠が僕の背中に当たった。

負けた。我慢できなかった。心の中の糸がプチンと切れた。

「いい加減にしろ!」僕は当たった籠とハンドルを両手でつかみ、自転車をぶん投げた。

スナック菓子やら缶ジュースも蹴散らかし、ついでにガシャンと音を立てて落ちた自転車をボコボコに踏みつぶした。

「こっちも命張って商売してんだ!やるんならかかってこいや!」僕は声を荒げて次々と自転車とバイクを蹴り倒した。

「あー傷害だ、傷害だー」連中は自転車を引きづって去っていた。


    *


 自転車を蹴っ飛ばして1時間もしないうちに、警察数人が来た。

「あのー、清水先生はどちらで?」巡査らしき青年が言った。

「はい,わたくしです」

「すでに、ご承知かと思いますが、中高生のやんちゃな連中から、こちらで自転車を壊された、と交番にやってきまして。先生もご苦労なされているようですが、一応、署までご同行願いたいのですが」青年巡査は申し訳なさそうに言った。

 パトカーの中は終始無言だった。お巡りさんも3人乗車していたが、余計な話はしないので重苦しい空気が流れていた。僕も変に弁解しても大人げないと思い黙って国道沿いの景色をぼんやりと眺めていた。

 取調室は、本当にドラマに出てくるように古臭く、机といすが置かれていた。僕は刑事さんの質問に淡々と答えた。状況説明だけでなく住所はもちろん学歴、役職なども細かく訊かれた。暴行の経緯を話し終わると、今度は写真撮影だった。あらゆる角度から写真を撮られる。本当に犯罪者になってしまったことに僕はうんざりした。

 「まあ、先生も正義感あってのこと、ご苦労も多いかと思います。しかしこういうご時世、なかなか子供たちも、したたかでして、向こうからはなかなか手を出してきません。捕まるのを知ってますから」と事情聴取をした刑事は僕に同情してくれた。

「先生は前科もないですし、連中も日頃から悪いことばかりしてますのでこのまま引き下がるでしょう、不起訴処分になると思われますので。どうか先生、これからはひるむことなく、こうした連中が来たら私たち警察を呼んでください」刑事はそういって名刺をくれた。僕はそれでも笑顔一つ出さず表情を変えなかった。

「ところで先生、ここから帰られる時は身内の方に迎えに来てもらうのが事情聴取の原則となっておりまして・・・」刑事はすまなそうな顔で言った。

「ご家族がいらしたようなのでご連絡を差し上げて・・・」

「ちょっと待った、もう夜中の1時ですよ、何で妻なんかに迎えに来てもらわなくてはならないんですか」僕はびっくりして言った。

「奥様はもう下でお待ちになっております」刑事は言った。


    *


 このあとの僕の妻との対面が僕の人生の運命を決定づけた気がする。

 1階の待合ベンチにパーカーのフードをかぶってイヤホンを聞きながら寝た振りでもしているような妻・理(さと)美(み)がいた。

 「勘弁してよ、何したか、知らないけどあたしも明日仕事なのはわかってるでしょう?」

面倒くさそうに言った理美の一言。イヤホンも外さず視線も合わせようとしない。

僕の中で徹底的な何かが壊れた。

「あのさ、夫は正義感を持って体張って仕事してるわけ。確かに警察には世話になったけど、夫の体は大丈夫か、とか、どうしてこんなことになったの?とか聞く気もないわけ?」

僕は、むかっ腹をたてたまま車の中で、理美に訊いた。

「あのさー何したか知らないけど、アナタもいい大人でしょ、中高生相手に何やってるのよ情けない。勘弁してほしいわ」理美はけだるく眠たそうな声でハンドルを切りながら言った。

「悪い、ここで降ろしてくれ。歩いて帰る」僕は言った。

「あっそう、どうぞご勝手に」理美が答えた。



僕は、あてどもなく歩き続けコンビニに入って酒を買った。

中高生と喧嘩して捕まるオジサン。

ついでに買った花火に火をつける。蒸し暑い真夏の空気に花火の煙が混じって、鼻をツーンと刺激した。マグネシウムの閃光がヒメジオンの白い花を照らす。ちょっと気分がすっきりした。

次のコンビニでは、ロケット花火や打ち上げ花火を買った。赤ワインを1瓶、ラッパ飲みで開けた。家に向かう国道の隧(ずい)道(どう)トンネルのなかで、次々と火をつけた。ワインの瓶を思いっきり壁に投げつけてみる。クシャリン!。

次々と上がる花火のキラキラ。爆音。オレンジ色の火の粉。

間違っている。寂しい。なぜだかたまらなく寂しい。

ED78の汽笛が僕の中で悲鳴をあげた。

Piuwiー―――――――――――!

(もうクタクタだよ、クタクタ。

何か大事な物を忘れたまま生きていないかい? そうだろう?)


    *


理美と見知らぬ男が、愛し合っている姿を見るまでに時間はかからなかった。

理美から離婚調停の申し立てが来た。

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