第13話 青春

 第13章 青春


 赤湯駅到着。本当は南陽市という町の駅だが、中心から離れているので南陽駅とは言わない。字のごとく温泉がいっぱいの観光地でもあり、果物栽培も盛んだ。新幹線も止まる駅。

 構内の端のプラットホームには、またしてもディーゼル車が2両編成で可愛く発車を待っていた。ガラガラガラガラ・・・という気動車特有の音。長井線である。赤湯から西に伸びて、白鷹町・荒砥(あらと)という最上川のほとりまでを結ぶ、これまた軽便鉄道から発達したローカル線である。1988年には国鉄から、県や自治体も出資する第3セクターとして引き継がれ山形鉄道フラワー長井線としていまでも走っている。2004年の映画「スイングガールズ」のロケ地になって、キャストの高校生たちがこの長井線でハプニングに会うという設定になっているから知っている人も多いはず。

 

 赤湯を出ると汽車は、左手に小高い丘を見て蛇行しながら走ることになる。

 段々畑にはブドウの棚が一面に広がり、右手には広大な稲作の田んぼや用水池が広がっている。遠くにはもう蔵王連峰が迫ってきていて、山形まであと少しを示していた。


    *


 世の中には、いつも自分より先を行くやつがいるもんだ。

 ギタリスト、袴田(はかまだ)亮(りょう)平(へい)と出会ったのは、中2のクラス替えの時である。決して目立つキャラではない。アウトローな雰囲気を醸し出し、授業中にはノートにストラトギターやらテレキャスやらレスポールのイラストを書いていて、クリアファイルの下敷きにはジェフベックの切り抜きを入れていた。すぐにこやつはやるな、と思って話したら気が合った。

 家に遊びに行ったらびっくらおったまげた。クラシックのガットギターしかなくて、なんとそのギターで、ボンジョビからレベッカ、ボウイまで、すべてをコピーできていた。耳コピだという。ナイロンでできた弦、短いネック。本来はクラシックの曲のためにあるギターだが、彼はまだエレキを買ってもらうことができなくて、仕方なくガットギターで、早弾きから、ブルースのソロ、チョーキング、カッティング、ライトハンドまでを鍛錬していた。その技にはもはや僕も脱帽で、僕はただただため息をついて見惚れていた。

中3になると、袴田は念願のエレキ、グレコの黒いレスポールとエフェクター群を手にいれた。もはやだれも真似できないほどの腕前になっていた。

こんなヤツが僕の号棟の後ろに住んでいるとは思わなかった。

音楽好きというより、それはもうギター職人と言えた。

 そこでヒーロー高瀬純との出会い。こんなにも近所で、彼らが出会うことはある意味、運命的でもあり、必然的でもあった。彼らとこれからずっと青春時代を芸能活動に至るまで共にするとは僕は夢にも思っていなかった。


 もはやこの時点で、ボーカルは高瀬、ギタリストは袴田、そして僕はというと、ギタリストを袴田に譲らざるを得ない事態になった。

残るは、ベース。ドラマー。仕方ない。良くありがちな話だが、僕はギターをあきらめてベースをやるしかなくなった。近所のクラスメイトの兄ちゃんから5000円でプレシジョンのエレキベースを買った。中3からはポールマッカートニーのベースラインを必死で聞きながら、真似をした。左利きではないけれど、なんとかルート音にはついて行くことができるようになっていった。


 同じ階にすむ松原圭は、クラス1のお調子者で、半分ヤンキー。当時は暴走族組を「ゾッキー」と言っていたが、そいつらとも親交があり、それでいて染まり切れず、チャラさを生かして、女子との仲も良かった。高瀬純にひっついてチンピラのように幅を利かせていた。

 僕の生涯にわたる友人になるとはこの当時は夢にも思わなかった。

ズボンはボンタン。髪は軽くリーゼント。いつも生活指導の先生に目をつけられている。色素が薄いからと言って髪が茶髪になっていて、生活指導の先生に頭を掴まれ、ゴシゴシと髪を水道で洗わせられていた。本当に色が薄かったのに。ますます彼をグレさせてしまう。今では長い総白髪を後ろに束ねてマイク真木みたいになってしまっている。乗り回す原チャリのマフラーにはバドワイザーの缶を装着し、ゾッキー仕様にいろいろ改造がなされていた。

 圭がなぜかヤマハのDX―7というキーボードを持っていた。当時の王道を行くキーボード。ピアノをかじったことがあるらしく、楽譜があれば、ビートルズぐらいは弾けたのだ。

 音楽つながりで中3になってからというもの毎晩、彼の家で勉強をした。というか僕が教えていた。そうやって勉強をしながら毎晩一緒に遊ぶようになったのだ。今では僕が彼に人生訓を教えられているのだが・・・。


 ここに、ドラマーのいない、

「The Quarter Moon」(ザ・クウォータームーン)というバンドが誕生する。

もとは、クオリーメンというビートルズの前身からもじっている。

ボーカルは高瀬純。

ギターは袴田亮平。

ベースは清水誠一。

キーボードは松原圭。

のちに、下北沢、原宿、を経てインディーズで活躍する

「Geek Sliders」(ギークスライダーズ)の原型だ。

個性がバラバラだった4人のメンバーが、こんなにも近所に住んでいて一緒に青春を織りなすとはまさに運命のしわざとしか思えなかった。


    *


父は、家を出て以来、よく海外へ行くようになった。薬屋の祖父が宝くじで100万円を当てたのをそっくりかっさらって、インドに行ったのを機に、イタリアだのスペインだの、フランスだのと、現地にいる友人などをつてに、フラフラと旅をしているらしい。日本に帰ってきては都心で食事をした。

話しはいやがおうにも、受験の話になるわけで、僕には耳が痛かった。

地方では、県立高校→国立大学という構図が父にはあるらしく、息子にも、都立高校、それも地域の進学校に行くよう話は進んでいく。まあ都立の方が財政的にも圧倒的に安いのだから、それが理由なのかもしれない。


 そんな僕の家の崩壊ぶりを気にしてか、中1になって、母の兄である健司伯父さんが、毎週末の土曜日に、久我山にある自宅まで英語を習いに来いという。父の代わりをしてくれたのかもしれない。  

健司伯父さんはW大を出て都内の私大で、宗教哲学の教授をしている。デイビット・ヒュームというイギリス経験主義の思想家を専門としていた。

 伯父は、まだ中1の僕にギリシャ神話を使って、英語を訳させるのである。中学文法も糞もなかった。ただひたすら難解な英文を前もって予習させ、ゼウスだのエロスだのアッフロディーテだのが登場する神話を訳して永遠と2時間以上が過ぎていく。ちょっと稚拙な訳をすると、

「まったく語彙力ができていないな、どうやって人生を生きてきたんだ?」とネチネチとした説教が始まる。

 ちょっと哲学的な表現が出てくると、

「誠一、おまえはなぜ誠一といえるのか?」と禅問答が始まる。

 でも、僕は伯父さんが嫌いではなかった。帰りに成城学園前の駅まで、自慢の車で送ってくれるのだ。サニー・ルプリやシルビア・Ksなどマニュアル車を乗りこなし、甲州街道で短い距離だけ100㌔を出して、加速を楽しんだ。頭もイカレテいるが、やることもイカレテいた。

 僕はこの忙しい毎日でも、芸能活動に入っても、毎週土曜日の午後だけは高3になるまでずっと健司伯父さんのもとに通い続けた。お陰で英語の成績だけは、苦労することが無かったし、洋楽の歌詞もすぐわかるようになった。よくもまあ6年間も通ったもんだと、伯父には感謝している。


 父の兄、庸介伯父さんには、プラッシャーをかけられた。病院を作った伯父さんは、僕が医学部に進んで、山形に来ることを望んでいた。K大に進めば、知り合いも多いからきっと成功するし、医学部のお金も工面してやる、と言うのだ。ありがたい話ではあるが、到底そんな頭脳は持ち合わせていないように感じていたから、考えるだけで頭が痛くなった。

 そもそも僕は形式科学がまるで駄目。情緒と感性だけで生きてきたようなもんだ。数学は×と+の入った方程式からして、なぜ掛け算から始めるのかがわからなかったから、入試は計算問題から躓いた。


    *


そんなこんなで、高校入試はあっという間に迫ってきた。

僕は数学ができないので悩んだが、父の言うとおり、地域の都立進学校を志望校とした。


生徒会長で、バンドのボーカル高瀬純が、一緒に目指そうというのだから仕方なかった。ただしヤツは通知表がオール5に近い。おまけに塾にも通っている。

石川あおい先輩が行っているのにも惹かれた。

僕の家には、塾なんて行ける余裕が無かった。土曜日に伯父の家で英語を習っていたくらい。通知表も先生の印象が悪いのだろう、中の上くらい。こうなったらすべて独学でやるしかなかった。

中3は秋になってバンドの練習を控え勉強した。担任が、もし志望校に行けたら、卒業式で体育館でクウォータームーンのライブをやっていい、というのだ。これも高瀬純の人柄のおかげだ。だから奮起して勉強した。


 入試は、案の定、数学に足を掬われた。まず計算で、掛け算足し算を足し算からやってアウト。図形は指の関節で、大まかに測って角度や比を書いた。アウト。確率は阿呆みたいに枝葉を書いていたら時間切れ、アウト。

 ただし、他の教科はすべて満点を取ってやった。

 結果は、募集定員に受験者が満たない定員割れで、全員合格。

 僕がいったいどのくらいの順位で入ったかはわからない。が、

高校の初めての担任のババアには、

「あなた、大学には行くつもり? いまのままじゃどこにも行けないわよ」と言われた。

「数学がなければ、どこにでも行けます」と答えてやった。


    *


 入った高校はメガネ君、メガネちゃんばっかりだった。真面目でいい子ちゃんばかり。それでもクラスに1人の割合でしか東大には行けなし、国立も上位半分以上にいないといけないので数学が苦手なのは致命的だった。

わかってはいたが、僕は浮いていた。入学して早々、僕は部活を適当にドロップアウトして、再びバンド活動にのめり込むことになる。R・ストーンズのような不良っぽさでもなく、ジミー・ヘンドリックスまではイカレテもいなく、ビートルズを基本にハードロックにした彼ら「クウォータームーン」は高瀬純によってだんだんとオリジナルの曲になっていった。

 袴田と誠一はときどき、他のバンドのヘルプをやった。プリンセス・プリンセスのコピーバンド、ユニコーンのコピーバンド。ヘルプの方が期待されている分、練習をまじめにやった。

 で、僕はだんだんと、ピックを使ったルート弾き方から、ちゃんと2本の指腹をつかって8ビートから16ビートまでが弾けるようになったんだ。ライブで数をこなすほど、上手くなっていくのがわかった。

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