第12話 思い出

第12章  思い出

 リリリリリリ・・・

 やっと列車番号831は目を覚まし、出発の時を迎えていた。客もずいぶんと増えた気がする。行商のお婆さんが、大きな大きな箱を携えて、シワシワな顔面をさらにシワくちゃにさせて、眠りに入ろうという体勢になって固まっている。七〇歳?八〇歳?どっちにしたって明治生まれだろう。米騒動も第一次大戦も、関東大震災も、太平洋戦争も知っている。いや、知らないのかもしれない。確かなことは、そのときから生きていた、ということだ。そのお婆さんのお婆さんはきっと江戸時代の人なわけで、江戸時代のことも小さい時から聞かされてきただろうから、やはり江戸は遠くない。今目の前に、幕藩体制時代の記憶を受け継いできた老人がいる。それはもしかしたら凄いことなのかもしれない。

 ピウィーーーーーー! ED78は重い腰をあげて、グチャリンという連結器のひしゃげた音をかき消すように汽笛をあげた。


    *


 カタン、コトン・・・

 汽車は住宅と畑地が混在する平坦な道を小気味よく音をたてて進んでいく。Go、Go!ED78!そしてポンコツ客車!

 置賜(おいたま)駅を過ぎて、快調、快調。

 糠ノ目駅到着。今の新幹線「高畠」駅だ。

昔はこの糠ノ目から高畠町をぬけて二井宿というところまで、軽便鉄道が走っていた。軽便鉄道なんて、今の人は知らないだろう。国鉄のターミナル駅から支流のように枝分かれした距離の短い私鉄である。有名なのは黒部峡谷鉄道や大井川鐡道のトロッコ電車だ。

山形交通高畠線として沿線住民の他、凸型の機関車で木炭や石を運んでいた。いつしかバスや自動車の時代になって、姿を消した。廃線マニアには有名らしい。線路跡や駅舎跡が残っている。


    *


 前に書いたように、僕は夏休み、冬休みと山形に来た時は王子様のように、可愛がられた。

 漢方薬屋の祖父、病院長の伯父がいちばん羽振りが良かった時代。

 喧嘩や説教が絶えない我が家を抜け出して山形に行くことは、とてもうれしかった。毎朝のラジオ体操、水泳教室、野球の練習、すべて東京にいてやることは嫌いなことばかりだったし、なにより夫婦戦争から「疎開」することができるのだ。

 親類のいとこも集まって、お屋敷は連日にぎやかだった。

たくさん映画を見に行った。

たくさん昆虫を取りに山へ行った。

川には釣りに行って、たくさんのカジカやアブラハヤを釣った。

たくさん親戚の家に行ってはおこずかいをもらった。

市営プール、花火大会、天体観測、イナゴ採り、花笠まつり、鮎釣り、蔵王へドライブ、墓参り、ファミコン・・・

毎日、毎日が、イベント尽くし。

食べ物がこれがまた美味い。祖母の手作りのおみ漬け、青菜漬け、

胡瓜漬け、梅干し、茄子漬、納豆汁・・・

尾花沢スイカ、桃、スモモ、サクランボウ、ブドウ、アケビ・・・

板蕎麦、ラーメン、ウナギ、芋煮、ダシご飯、民田茄子、晩菊・・・

ゆべし、ずんだ餅、玉こんにゃく、のし梅、いが餅・・・


冬はわろし。父が僕を蔵王にスキーに連れていくからだ。

小さい時はボーゲン(八の字滑り)で許されたが、少2くらいから、直滑降、ウェーデルンを強要した。頂上の地蔵岳から少し下った、上級者用の「横くらの壁」といわれる40度近い壁から突き落とされるのである。いつも猛吹雪。父は教え子の学生も連れてきているから、付きっきりではない。転んでうずくまっている暇などなく、学生の一団を見失っては、それは死を意味した。半端に外れたスキー靴と板のまま、絶壁を転がりながら後を追う。転んでばかりだからあちこちから雪が入る。終いには、手指、足指が凍傷になって紫色になっていく。泣きながら訴えても聞いてもらえない。

「どうして父さんの子なのにセンスが無いのかなあ?」と父はのんきに嘆く。

父はいい。高校では野球部で甲子園まであと少しだったと自慢する。スキーは生まれつきのお国柄だから上手で当たり前。

いかにも「母方の遺伝子が悪い」と声には出さないが、そういうふうに言いたげなのは、子供でもわかった。僕はただただ鼻水と鼻血と涙を拭き拭きしながら帰りたいと訴えた。

それが何回続いただろう。いまでも僕はスノースポーツがトラウマになっている。というか大きな体とセンスはあってもスポーツが嫌いだ。

野球だって、水泳だって、サッカーだってある程度うまい方。しかし、チームプレイをしたり、競争したり、根性を鍛える、ということに向いていない、と僕は悟った。


そのかわり冬の山形のいいところは、正月だ。寝殿屋敷には、叔父、伯母、いとこ衆も集まると、そうそうたる人数になった。

次から次へ来る親類、縁者、得意先。僕は初孫男子の長として黒の羽織に着物を着て、お客のたびに、正装して三つ指立てて、あいさつをした。もちろんカツオくんよろしく目当ては、お年玉しかない。三千、五千、一万の札が、次々に懐に収められた。その額たるや、新卒のサラリーマンの給与を越えていた。そして、酒をちょっと盗み飲み、いとこ同士での麻雀、花札がはじまる。万単位で金が動いた。

(はあ、東京になんて帰りたくない・・・)

そんな生意気な小学生だったわけだが、いつしか中学生になるといつまでも能天気に喜んではいられなくなった。これだけの恩恵を受けて期待されないわけがない、まだ学歴志向が色濃く残る時代。

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