第11話 記憶3
第11章 記憶3
初めて酒を飲んだのはその夏の少し前のことだった。団地の家の庭先にくちなしの花が甘く漂うと夏はもうすぐと覚えていた。
或る日のこと、
「清水君、うちの親、週末いないの。皆で集まってピザ取ってパーティーしようよ」と石川先輩に声をかけられた。
石川あおいサンは一つ上の高2だった。中学の先輩で部活が同じだった。当時らしくギャルまっしぐらという感じの小麦色の肌で、髪が綺麗な栗毛色だった。中学の時から何かと面倒を見てくれた。僕がM高校を目指して受験したのも石川先輩の影響が大きい。
「男子も何人か誘ってさ、ホラーもののビデオとか見るの。楽しくない?」
どきどきした。当然女子も集まってくるだろう。こんなことは初めてだ。
「もちろんっす。誰か呼びかけてみます」と即答した。
結局、男子はバンドのメンバーなど5人で石川先輩の家に集まった。女子は4人、地元の中学の子や先輩が集まっていた。
石川さんの家は豪邸だ。庭がやけに広くって築山(つきやま)まであった。もう女子は集まっているのか玄関の外からもキャッキャという声が聞こえた。中に入るとリビングには、予想はしていたが、ピザの他にたくさんのスナック菓子、ジュース、缶チューハイ、そして缶ビールが机に並んでいた。
最高に楽しい時間だった。学校での噂話、だれだれが付き合ってる、先生のものまね・・・
缶ビールは苦くて大人の味がした。苦いのは嫌いじゃなかった。シュワシュワとした刺激がのどに刺さるような感覚。そのうちにふわふわとした気分になってくる。レモンサワーも飲んだがビールのほうがおいしかった。修学旅行の夜に悪さをするようなスリル感。いつものおしゃべりが百倍楽しく聞こえるような気がした。
「せーの、山手線ゲーム、ハイハイ、お笑い芸人!チャンチャン、」とゲームも始まる。
石川先輩たちは煙草を吸っていた。箱が細くて長いきれいなやつだ。
「清水君に、あ・げ・る!」と石川先輩は煙を吐いた後、吸いかけのメンソールを僕に差し出した。フィルターのさきが、ほのかに口紅で赤かったことが、忘れられない。
生まれて初めての煙草。僕には断る理由がなかった。先輩が吸っていたのだから嬉しかった。頭がクラクラした。心の中でバッカス万歳!と唱えていた。
それからのことはあまり覚えていない。ビデオも大いに盛り上がった。しかしあやふやな記憶しか残っていない。今となっては。
*
それにしても長い。遅い。
列車番号831という無名の各駅停車は、うだるような暑さのなか、プラットホームに鎮座したまま、死んだように眠ってしまった。
(お爺さんなんだから、仕方ない。体が言うことを聞かないんだ)
僕は、そう自分に言い聞かせた。
*
僕がヒーローに出会ったのは中2の時だった。
名前を高瀬純という。中学校で一番のモテ男。身長は僕と同じくらいの180㎝弱。髪の横を刈り上げて、さらさらヘアをツーブロックにしている。耳が少し大きくて聡明そうな顔立ちに、笑顔の時の白い歯がいつも爽やかに見えた。
学校では、バスケット部のキャプテンで、彼を中心として試合は動き、いつも見事なパスワークととフェイントで確実にシュートを決める。
兄も姉も秀才で生徒会長をしていた。彼はまた塾に行っていて、勉強も常に上位だった。中3では生徒会長にもなり、まるで高瀬家の世襲制のようになっていた。文字通り、文武両道の模範生。
それでいて驕ったところや見下すところもなく、いつもさわやかで笑顔が絶えない。中学では彼を慕って、常に取り巻きのような男子が集まっていた。彼がおばさんの買い物かごのようにスクールバッグを右腕にかけている姿を見ては、みんなもそれを真似していた。彼が聞く音楽で、これがいい、というものはみんなそれを聞いた。彼が休み時間、トイレの前でヘアチェックをすれば、みんなそれを真似してたむろした。
女子とも仲が良かったから、クラスの雰囲気はいつも明るかった。異性にシャイなところがないから女子も話しかけやすいのだ。
まったく天は二物を与えるものだ。バレンタインは一体幾つのチョコレートをもらったんだろう? 考えただけでも反吐が出る。
高瀬が「太陽」なら、僕は「月」だと思った。どう頑張っても重なりあうことはない、そう思っていた。
ある日の午後、高瀬と取り巻きが、部活から帰る塊りとなって、僕とすれ違う羽目になった。僕は自分が、バスケ部をドロップアウトしていたから、彼と目を合わすことさえ、引け目を感じていた。まずい展開だ。大名行列がやってきたようなもんだ。目を合わさず道の横を通り過ぎよう。
「あれー、誠一じゃん。(僕は清水誠一という)どこいくの?」取り巻きの1人が声をかける。(チッ!、余計なこと言いやがって・・・。)
「待ってよ、清水君!」それは高瀬純の声だった。
(喧嘩か? 人数的に分が悪すぎるし、丸腰だ、手で拳を作る)
「あん?」僕はそっけなく振りかえった。
「誠一君、ギターやってるんでしょ、家にも音が聞こえるよ」
「あーそう。ごめんね、じゃあ」僕は去ろうとした。
「待ってよ、公園のベンチで話そ。一緒にギターやる奴探しててさ」
高瀬は屈託のない相変わらずの白い歯を見せて、公園の方へ目配せをした。とりあえず断る理由はない。その場の緊張感は解けた。
それが彼との邂逅だった。ただ彼が常に僕のすること、言うことに日頃から興味を持っていたのは驚きだった。
とりあえずわかったのは、ビートルズの信奉者で、とくにジョンレノンの曲を、ギターを弾きながら諳(そら)んじて歌えること、邦楽は浜田省吾や大滝詠一、チューリップを聞いていること、もうエレキのギターとアンプは持っていてオリジナルの詩も書いていること、などだった。
たしかに夜、向かいの号棟で五階の風呂からすざましい大きな声で、ラブだのピースだのフリーだの、大声で歌うヤツいるなあ、とは思っていた。それが高瀬純だった。
こやつとの出会いは運命的だった。なにしろこれから先の青春時代もずっとこの彼と活動していくわけだから・・・。
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