第10話 米沢
第10章 米沢
米沢駅、到着。
新幹線の駅とは違って、未だ古き良き時代のプラットホームが残っている。乳白色に塗られた鉄柱に鈍色の屋根が覆う。
40分以上も、この駅で停車だ。40分!一体40分の時間でどれだけのことができるだろう。どこまで先に進むことができるだろう。
機関車を休ませるため? 乗り換えを待っているため?
まったくもって不可解なおおらかさ。だったら、さっき関根の駅を越えてスピードをアップしていた急ぎ足には何の意味があったのだろう?
*
いったいこの40分以上をどう過ごせばいいのだろう?僕は途方に暮れた。
夏の課題図書を取り出した。読みかけの中島敦の「環礁・ミクロネシア巡島記抄」を開いた。エメラルド色の海に白いサンゴ礁でできた島が色とりどりに描かれる。漢文調の文体で描く、トロピカルな島々や海の様子が妙にギャップがあって印象深い。たしかパラオだかサモアだかに、「喘息にいい」と勧められて役人として赴任した中島敦だが、帰国後、半年で亡くなってしまった。
向こうに見える鄙びたホームには、ディーゼル車が、エンジンのガランゴロンといううなりをあげて、停まっている。米坂線だ。
と、思っていると今度は上りに、特急「つばさ」が入線。まだ新幹線になっていない「つばさ」。当時は上野~秋田を結ぶ在来線の特急だった。今では「こまち」と名を変えて新幹線になっている。
40歳以上の方なら誰でも一度は乗ったことがあるであろう485系。肌色に赤い帯を引いた当時の特急電車の代表格だ。1964年(昭和39年)のオリンピックの年に誕生し、1968年には西日本の60HZ、東日本の50HZのどちらにも対応できる万能選手として完成し1500両近くが生産された。当初は新幹線のようなボンネットタイプの先頭車だったが、定員を増やすためボンネットはカットされ、精悍な顔つきになった。と同時に特急の名称をデザインしたヘッドマークは、自動巻き取り式になって汎用性が高くなった。
「つばさ」は赤地に白い鳥の姿、「やまばと」は山と青と白い鳩のヘッドマーク。どちらも奥羽本線の485系は1000番台の寒冷地仕様車が使われていた。
僕は初期のボンネット型が好きだった。ヘッドマークも大きいし、ボンネットの非効率で鈍くさい面長な顔が愛嬌が合ってよかった。
新幹線ができる前は、いつもはこの485系の「やまばと」で山形に来るのだった。
当時は夏休みに切符を取るのはそれはもう至難であって、前に住んでいた国分寺の駅(当時は今のような大きな駅ではなく古い駅舎があるだけだった)の「みどりの窓口」には、発売の3カ月前になると朝から敷物を敷いて行列ができたものであった。
横柄な昔の国鉄マンの態度。みんな気分を害した経験があるだろう。
そうやって苦労して取った指定席だったが、当日上野には山ほどの客が乗り合わせ、指定席の車両だというのに、通路には敷物やゴザを敷いた客が、通路の床にべったりと座っている光景はいまは無く、懐かしくもあり、おぞましくもあり・・・。
そう考えると昭和には地べたに座り込む大人が多かった。田舎のバス停やら駅のホーム、汽車の通路・・・。地面や線路には平気で痰やガムを吐く。痰(たん)壺(つぼ)だってホームにあった。
現代の日本はそう意味ではかなりソフィストケイトされたと、つくづく思う。
当時は喫煙し放題。たしか特急は窓が開けられなかったと記憶している。開けられたのかもしれないが、開けてはいけないルールだったかもしれない。当時は誰もが煙草を吸う時代。紫煙が充満した車内は、今思うと殺人級だ。吸わない人の副流煙被害を考えると、訴えられるんではないかと今更ながら心配になる。窓枠やカーテンは黄色く変色していた。おまけに酒の匂いまで充満するものだから、子供のころは、阿鼻叫喚の地獄であった。
大人は酒に酔うが、子供はその車内でぐったり乗り物酔いになる。揺れるわ、臭いわ、混み合うわ、で当たり前だ。あちこちで騒いでいた子供が大人しくなって、そのうちにデッキへ行って嘔吐する、これはよくある光景だった。
懐かしいのは食堂車。運よく席が取れれば、ハンバーグ定食をよく食べさせてもらった。美味しかったかはあまり覚えていないし、味の追求は意味が無いように思う。黒磯駅での釜めしの方がおいしかった。それでもってせっかく食べた御馳走も、座席に戻けば阿鼻叫喚地獄が待っている。たちまちに気持ちが悪くなって、食べなきゃよかった、と後悔するのだ。
耐えるのだ。山形までの特急「やまばと」は4時間半。子供のころはつらかった。あんな車内では寝られない。酒も煙草も吸えない。
ただひたすらに、稲穂の田んぼを見ながら、僕は遠くの「白松が最中」の看板の「が」の意味を考えていた。
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