第15話 恋の始まり

第15章  恋の始まり


「海に行かない?」

そう誘ったのは、クラスの大沢由香利だった。今のようにLINEやスマホがある時代ではなかったので、真面目なM高校では、お互いに声をかけるにも勇気がいる時代だった。

それにまだ高1になったばかりのクラスにはどこか男女で牽制し合うような雰囲気が合って、何とも言えないよそよそしさがあった。

由香利は男子とのパイプ役で、シャイな女子が多い中、なにかクラスの決めごとなどがあると進んで声をかけてくるのだった。女子と海へ行く、それは初めてのことだった。海へ行く、ということは水着が見れることを意味する。高1の少年たちにはそれだけで鼻血ものであった。

「いいけど、誰が行くの?」僕はそれが知りたかった。

「ナミちゃん、マホ、りっこ、とか」それなりの美形である。

「とか、じゃ困るよ。何人に声をかけたらいいかわからないよ、男子に」

「じゃ、決まったら教えるから」

僕が知りたいのは沙穂美がくるかどうかだ。他の男子だってそう思うだろう。

濱田沙(はまださ)穂(ほ)美(み)。のちにテニス部の部長になった子。メガネでおさげ髪の多いうんざりするような女子のなかで、異彩を放っていた。

お人形さんのような小さな顔と栗毛色のきれいな長い髪。キュートな顔に下唇がアヒル口。スタイルも抜群で今だったらきっと読者モデルになっているだろう。由香利とも仲が良く同じグループだったから、きっと名前が出ると思ったのだ。

「わかった。こっちも何人か声かけてみる」僕はそう返事をした。

クラスのアイドルが来ると、来ないは大違いだ。みんな彼女のことを気にかけていたと思う。



沙穂美が来る、と分かったときは、凄くうれしかった。男子5人はみんなOKした。

「んじゃ、8月1日。西口改札に8時ね」と由香利は言った。

僕らの住むM市は海まで電車で40分くらいかかった。僕らにしてはちょっとした旅になる。江の島は混むから、手前の鵠沼海岸に行った。

その日はすごく晴れて暑い日だった。 

せっかく女子と一緒だというのに、電車の中では男女離れて固まった。女子といるだけで恥ずかしいのである。男子の飯田(いいだ)に至ってはひとりマンガ週刊誌を読みだす始末。結局、僕ばかり女子と話す羽目になった。

「清水クンくらいしか、声かける人いないんだもん、ウチのクラスの男子、まじめすぎ」由香利は飯田を見てイライラしている。

「俺がまるで軽い男に見られてるみたいだな」僕はちょっとムッとしたように言った。

 駅から降りて歩いて海水浴場に向かった。海岸はカップルや家族連れでにぎやかだった。さすがに海につくと男子もはしゃいだ。とりあえずは海の家で借りたビーチバレーで盛り上がった。

 どこまでも広がる海。毎年来ていても夏はテンションが上がる。浅葱色の波打ち際は青

より緑に近い。汚い海かきれいな海か、それは大人になってからわかることのようであり

海はこういう色だとしか思っていないので不満はなかった。

左手の岬には緑の丘に江の島タワーが、ここが江の島だ、と主張している。だからここ

が鵠沼か、辻堂海浜公園だと主張してやった。

 鵠沼の海の酸っぱい匂いとココナツのサンオイルの匂い。

 サザンの「ミス・ブランニューデイ」が砂浜のスピーカーから大音量で流れている。

 ビーチバレーは暑くてそう長くは続かない。みんなで、きらめく汗をそのままに海へダイヴした。


 ひとしきり遊んだり、泳いだりして浜辺に上がった。

「俺、結構、海の水飲んじゃった!」誰かが言った。

「俺の兄ちゃんはいつも海で用を足してるぜ」これまた男子。

「うそ!もちろん小だろ?」

「いや、大も」

「うへえ! 聞かなきゃよかった」

「マジ、サイテー」女子からブーイング。

「サザンの『人気者で行こう』、買った?」

「今度貸して」

 こんなたわいもない話ばかりで、なんだかんだ盛り上がった。

 と、その最中、沙穂美が、くわえていた缶ジュースを手に取った。

 赤いビキニからきわどく胸元のオッパイの線が膨らんでいる。

 「清水君、これ飲んでみて、美味しくない?」

浜辺で志保美に渡されたグレープフルーツのジュース。僕は今でも忘れられない。女子の飲みかけのジュース、しかも志保美が自分から渡してきたのだ。

「あ、うん」そう答えてさも自然体を装うように誠一はジュースを口にした。心臓が破裂しそうだった。

 それ以来、僕は志保美のことで頭がいっぱいになった。こんなにドキドキしたのは初めてのことだった。


しばらくして沙穂美とパラソルの下、二人になった。

どうしようもなく、焦った。なに話そう? 逃げようか?

僕は、平常心を装って、キャメルに火をつけた。

「清水君も、大変よね・・・」沙穂美は物憂げに言った。

「え?なにが?」僕は訊いた。

「気を遣ってさ」

「いや、別に。みんな楽しそうだからいいんじゃない」と言った。

「気を遣わなくてもいいよ、みんな子供なんだから」

「子供?」

「そう。清水君は、なんでもわかっていると思う」沙穂美は言った。

「いや別に・・・普通、普通」僕は返答に困った。

「今度、二人で来たいね」と沙穂美は言った。

胸が張り裂けそうになる。(二人で、ってどういうこと?)

じゃあ、いつ? どこへ?なんていう返事はできない。

「う、うん。そだね」そう言うのが精いっぱいだった。

「バンド、忙しいんでしょ、他の高校の子も噂してたよ」

「なんて?」

「かっこいいって」

「ふーん・・・」会話が止まった。

もうそこからの記憶はない。たくさんたくさん話したのに頭がボーとしていた。BGMがバナナラマになって、「Banana Dream」が頭の中で何度もリフレインしている。


今度いつ二人で海に来る?という約束はできずにそのまま僕は今、汽車に乗って山形に来てしまっている。赤い水着のボインが忘れられない。

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