第5話 赤岩

第5章  赤岩


どうしてこんなところに駅があるんだろう。そう思わせる山間の深い深い谷間に赤岩駅があった。白い看板に「あかいわ」。その下のAKAIWAというローマ字表記がこの駅ではいっそう哀れさを感じさせた。降りる人も乗車する人も人っ子ひとりいない。

汽車はここで向きを逆方向に変えて、走りだした。スイッチバックである。これからたどり着く板谷、峠、大沢という駅でも進行方向を変えて、Zの文字を下からなぞるようにして急勾配を上がって行くのだ。


汽車は、いくつもの鉄橋やトンネルを越えて、山の中を進む。線路に沿って名もなき渓流がエメラルドグリーンの色をして飛沫をあげている。人なんてとてもとても踏み込めるようなところではない山奥だから、きっと阿呆でも釣り糸を垂らせば、尺イワナ(30㎝以上のイワナ)や尺ヤマメがたくさん釣れるだろう。

明治の人はこの沢に沿った谷の地形に目を付けて、鉄路を引く計画をしたのだろうが、それにしてもよくもまあこんな山奥に鉄道を通そうとしたものだ。

明治32年にできたということは、江戸時代から32年後には、こんな山形というド田舎に鉄道を敷いたわけだ。

着物にチョンマゲの時代から32年。西洋の技術を吸収し、こんな山の中に鉄道を実現してしまう日本人のポテンシャル。変わりよう。凄いな、と僕は思う。

よほどの執念がなければ、いや権益が見込めなければできない国家プロジェクトだったのだろう。

山形の初代県令、薩摩出身の、三島通(みち)庸(つね)の功績が大きかったように思う。東京で銀座に煉瓦街などを作ったのち、初めて県令に抜擢された地は山形だった。それだけに意気込みも半端なかったのだろう。「土木県令」と呼ばれるほど、近代建築に情熱を注いだ人で、最先端のレンガ造りの県庁舎や、病院などを作り、仙台や福島に抜ける街道などを整備し、寒村の各所の途中には、村人もおっかなくて足がすくむような洋式橋梁を作って、人々を驚かせた。


鉄道開通時には江戸時代に生まれた人も乗ったのだろうか。そうおもうとなんだか江戸時代も近く感じられてしまう。


途中、赤い機関車とすれ違った。EF71だ。滅多に見られない「幻の忍者君」と言ってよい。これもこの峠専用に作られたが、計画ほどうまくスペックを発揮できずに不評を買った可哀そうな機関車。ときどき現れては、機関車や電車にひっついて峠の後押しをしてくれる。ただそれだけ。なんだかとても不憫でいとおしく思えてくる。


板谷駅に到着。またしてもなにもない、山間の駅。汽車の進行方向を変えるため作られたとしか思えない。まあ「板谷峠」というくらいだからこの辺りが、一番不便なところなのかもしれない。

ビールの酔いも心地よくなってきた。

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