第4話 記憶
第4章 記憶
最近になって父親の顔に似てきた、と言われる。
昭和20年8月。山形・天童に疎開していた一家にも、米軍カーチス・ルメイの指揮のもと、B29による容赦ない空襲がやってきた。祖母は、3歳になる僕の父と5歳になる叔父を連れて、最上川の川べりを歩いていた。
すると突然、1機の戦闘機が、急降下を始め、機関銃掃射砲が、河原にいた3人のもとに撃ちこまれた。銃弾は、祖母たちの横にピシピシと降ってきて、砂を巻き上げたり、草をまき散らした。
祖母がもう駄目だと2人の息子に覆いかぶさって覚悟を決めた時、飛行機は真上を飛び去って行った。祖母が見た飛行機の窓には、サングラスをした白人の米兵が口をニヤリとさせ親指を立てて、飛んで行ったという。
B29の爆撃機がこんなに地上に下がってくるとは思えないから、グラマンかなにかの戦闘機をB29と祖母は勘違いして話をしているのかもしれない。が、いずれにせよ命からがらに助かったのであり、もし機銃砲が当たっていたら、今ごろ僕は、一家は、存在していない。
*
山形の祖父は何らかのコネで徴兵を免れ、終戦後に夫婦で漢方薬店を始めた。物資が乏しく病気もまん延していた時代、漢方薬は飛ぶように売れた。高度成長期になると、公害だの薬害だので、アレルギーやアドピーなどへ東洋医学が見直され、店は大繁盛した。まだ現代の格安ドラッグストアがチェーン展開するはるか前の時代だ。
市内の繁華街にもあって客足は途絶えることが無かった。ヒロポンという今でいえば覚せい剤みたいなものを使って祖母は、パチンコに耽る祖父のかわりに必死で働きまくったという。
空襲を免れた、幼かった息子たちは、一代にして裕福になったお陰で東京へ進学した。
伯父は教師を目指して国立の東京K大学を出たが、薬屋を継げ、という横暴な祖父の命で、今度はなにを思ったか奮起し、京都のK大学医学部に進んだ。その後、東京のK大学医学部で研鑽を積んで、いまは山形で循環器を主とする総合病院をつくって院長になった。
父は次男坊で好きな道を選んだ。甲子園を目指すほど野球少年だったが、芸術に興味を持ち、国立の東京G大学で西洋彫刻への道に進んだ。
東京G大を首席で卒業した父は、将来を最も期待されたレールが敷かれていたはずだった。したたかに生きればきっといまごろは凄い肩書になっているんだと僕は思う。しかし真面目で頑固な父は売れる作品を作らなかった。いや、単に売れなかったのだ。どんどん出世して名前が知られるようになっていく同級生や後輩を父は蔑(さげす)んだ。
そして突然、父が師事する教授が亡くなると出世の道が断たれた。いや,断ったのだ。もっと依怙地(いこじ)になって孤高な人になっていった。
東京で美大の講師を文句を言いながらやって、Kデザイン学校で母と出会い家庭をもった。家庭という現実を持つことは、芸術家には良くないのかもしれない。
家族を養うためにやりたくもない講師をしているから、いい作品なんて作る暇がない、そんなことを言いたかったんだと思う。
口に出さずに酒で当り散らした父。自分の不甲斐なさを母に当たり、子供に当たり、酒を呷っては、怒鳴り散らした。夜中にはよく台所の収納を開けて焼酎を呷っていたのを覚えている。
山形では、薬屋で繁盛した祖父母と大病院を開業した伯父が、一緒になって山形市郊外に立派な寝殿造りのような御殿を建てた。
それはもう大きなお屋敷で、二百坪以上の土地に、コの字の建物、庭には庭池のせせらぎ、四季折々の草木。ガレージは離れに馬小屋のように建てられて、デボネアとボルボが鎮座していた。客間も大きかったがリビングは30畳はあった。
僕はそんな一族の初孫、男の子として生を受けた。それはもう溺愛されたものだ。欲しいものはなんでも買い与えられ、高い洋服を着せられ、薬屋にはデパートの外商員が『坊っちゃま』のために、ミニカーのカタログから昆虫採集セットまで持ってきた。
御殿から漢方薬屋まではタクシー。行く先を言わなくても、「十文字屋」の名前を出せば、どこからでも道を告げずに着くことができた。
ただし、このように贅沢で、みんなからもてはやされたのはあくまでも山形に来た時だけだった。東京に帰れば、売れない彫刻家の質素な生活が待っていた。厳格で頑固な父は、くだらないテレビ番組は禁止、ファミコンも禁止。ディズニーランドへいく許可も出なかった。
母はその点自由で、使用人のいる吉祥寺のお嬢様の家に育った。祖父はI橋大学を出てその後、大手漁業会社の重役となった。祖母は外語大を出て英語教員をしていた。2人ともクリスチャンで裕福な家であった。
母は吉祥寺の女学院を出て美術の方を目指していた時、Kデザイン学校で父に出会った。お嬢さまが、「くまさん」とあだ名された武骨な父と結婚したのは、ずいぶんと学内で話題になったらしい。しかしこの母の両親は早逝した。僕の記憶にはほとんど残っていない。ともかくも母は破天荒でラディカルな人だ。
そんな両親は、いつでも夜になると喧嘩を始める。寝ていると襖1枚の向こう側で、父が酒を呷りながら、母は理路整然と、離婚だの、別居だのを話しているのは幼い僕にもわかった。
「どうかお父さんとお母さんが仲良くなれますように」といつも枕元で神様に祈っていた。馬鹿らしい。だから今では神様なんか糞くらえとしか思わなくなった。
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