Railways ago ago 旧型客車の旅

青鷺たくや

第2話 旅路の始まり

第2章  旅路の始まり



16歳の高1になった僕は夏休みを利用して東京から山形へひとり旅をした。気儘な1人旅などという呑気なほどでもない。

ヨーロッパをあてどもなく彷徨(さまよ)っていた彫刻家?の父が故郷の山形にアトリエを作った。だから夏は山形に来い、という有無も言わさぬ電話だった。きっと後妻の百合子さんでも紹介したいのだろう。


もう1年以上も会っていないし、東京の方が楽しいに決まっている。それに受験が終わって遊びたい盛り。だから気が進まない。


母は母で東京を離れどこかの避暑地で画家の手伝いをしている。きっと新しいパートナーを見つけた、とか言って帰ってくるであろうことは想像がついた。

勝手気ままな両親だ。

離婚したら堰を切ったように、このザマだ。


    *


走りだした汽車はガラガラだというのに、カメラを持った青年が向かい合う木製のシートの向かいに座って、

「キミ、どこから来たの? 知っているかな、この客車もうすぐ引退になるんだよ、こうして走っている客車に乗れるのもあと少し、貴重だよねー」と声をかけてきた。

「はい、そうですか。ぼくば1人でいたいんで、違うところに座ってくれますか?」と僕は言った。

頼むから声なんてかけないでくれ、普通の帰省客の1人としてほっといてくれ、僕はそう思っている。

「てえ、なんでえ、このガキは」と言いながら青年は去って行った。

僕は忙しいんだ。親のこと、一族のこと、音楽のこと、恋だの愛だのいうこと、大学のこと、いったいどうなっていくんだ? そのことに頭を使うと、楽しかった山形での夏休みも陰鬱になってくる。


この客車が列車番号831で時刻表では電車やディーゼル車ではなく客車を表し、旧型の客車であることは、知っていた。またこんな客車が走っているのは、この奥羽本線や羽越本線、磐越西線、北陸本線、山陰本線など、当時でも失礼だが田舎であり、それでも山陰本線を除く電線が通っている電化区間でしか走っていないことも時刻表で察知できていた。子供の変な知識は半端なく発達するものだ。


    *


僕は声をかけてきた青年のように、わざわざここまで来て写真を撮りまくるような鉄道ファンでもない。正確にいえば、バンド少年であり、元野球・バスケット少年であり、ゲーム少年であり、ガンダムが大好きな、どこにでもいるような少年でいたかった。

僕は、青年に、鉄道ファンだと思われて、声をかければ意気投合する、とでも思われるのが嫌だった。

山形のもとへ行く汽車が、こんなにも古くて、ダサくて、それでいて、鉄道ファンが垂涎ものの客車に乗れることを恥ずかしくも誇らしくも感じている。

決して『わざわざ』乗りに来るようなものでもない、あくまでもたまたま山形へいくためには、これに乗るしかないというどうしようもない感覚で。

だからわざわざ写真機を片手にやってくる鉄道ファンには、この汽車が馬鹿にされているようで、嫌なのだ。


    *


真夏のプラットホームはなぜか陰気だ。

 福島のプラットホームには、古い客車が真夏の陽を浴びても音ひとつなく静止している。

 福島で東北新幹線をおりると、山形へは見捨てられたように、在来線に乗る羽目になる。

まだ、山形新幹線などというものはない時代。それでいて仙台や盛岡には新幹線が開通していた。この経済的格差はなんだろう。 新幹線の近代的なホームを降りて、奥羽本線のホームに向かうと、そこは現代から隔絶されたような、乗る人も、鉄道員にも、申し訳ない気持ちにさせる鈍(にび)色(いろ)のプラットホームが伸びている。

 僕はは時刻表でわざわざ特急にのらず各駅停車(昔の人は鈍行(どんこう)といったものだ)で山形へ行くことにした。

 それが「各駅停車でのんびり景色を楽しみたい」だとかいう軽薄な理由ではない。

 オハフ61、オハ35、オハフ33などという旧型客車が一斉に姿を消そうとしていたから、という理由でもない。

ただ目的地までの時間を引き延ばしたかったからである。いろいろ考えたいのだ。


    *


 しなびている、打ちひしがれている。客車の色。せめて単色で統一させれば、まだ見映えはいいはずなのに、茶色の客車、暗い青色の客車が混ぜこぜに編成されている。

なぜこんなにも適当なのか。今の新幹線のジェット機みたいな流線型の美しい車輛編成からしたら考えられない、色彩の感覚。


茶色じゃない。茶色は、明るく秋を思わせるような葉っぱの色だと思う。作った人はどうしてこんなペンキの色をハイカラだと思ったのだろう?明治、大正のころには、こんなにもみすぼらしい色にどんな希望を込めたのであろうか?鉄板でできた鋼製の客車は、手でたたき出したと思わせる板金でツヤがなく、むしろ敢えて『つや消し』を作り出して、みすぼらしさを演出させているとしか思えない悲しげな色。

阪急電車のマル―ンのように愛されるような、アイコン的意味合いもない。深淵な、どこまでも深淵な、暗い茶色。そうだ、昔、新宿西口のガード下にいた傷痍軍人さんが弾いていたアコーディオンの色だ。

車輛の真ん中の窓下には『山形←→福島』の行き先表示板がはめられていて、それをはめ込んだ鉄の枠は、ペンキが剥がれては、塗り直し、また剥がれては、塗り直した跡が痛いげに見える。


青色の客車。青じゃない。暗い青なのだ。きっと現代の電車なら、北国の春をイメージしたそら色や、沿線に横たわる夏の海の色をイメージした明るいブルーを思い浮かべるような鮮やかな青だろう。それがどうだ。藍色でもなく群青色でもなく、どうしようもなく表現できない暗い青。

僕は思い出す。昔、青い三輪ミゼットが畑のなかで棄てられて朽ち果てたまま色ボケしていた。それを濃くしたような暗い青。

春が来たのに、こんな茶色や青色の汽車が来たら気が滅入るだろうに。

秋が深まれば、長い冬の到来をさらに憂鬱にさせる色だろうに。

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