第18話「捨て身の策」

 路地裏に座り込んで待っていたフェイトは、苦悶を浮かべながら腕の出血をハンカチで押さえていたが、恵一の姿を見るや痛みの事をすっかり忘れたらしく、満面の笑顔を見せた。


「先輩!!」


「平気?」


 しゃがみながら恵一が声を掛けるとフェイトが頷いた。


「はい。よかった……先輩が無事で」


 至福の瞬間であるかのような笑みを見せるフェイトに、恵一も微笑み返す。

 マイクを殺したが代わりに相棒を救う事が出来た。

 今の恵一には、それが何よりの救いである。


「怪我見せて」


「平気ですよ、こんなの」


「フェイト。見せて」


 渋々とした様子でフェイトがハンカチを退けて傷口を見せて来た。

 皮膚は抉れ、肉が弾丸によってずたずたに引き裂かれているのが分かるが、致命傷とは言い難い。

 とは言え、一生傷が残るかもしれない大怪我であるのは間違いなかった。

 それに傷口は貫通しておらず、弾は腕の中に残ったままである。


「弾が貫通してない。救急車呼んだ?」


「呼びました。あと念のため課長も。でもこれぐらい平気です」


 微笑むフェイトだったが、これ程の怪我が痛まないはずがない。

 事実、彼女の頬をおびただしい量の汗が伝っている。

 激痛に耐えながらも心配を掛けまいとしているのだろう。

 健気な少女に、恵一は心を痛めていた。

 恵一が捜査を継続しなければ、ふぇいとはこんなに目にも遭わなかったかもしれない。


 マイクに事情は聞けなかったが、襲撃は恐らくライリーの協力者の差し金であろう。

 ライリー本人の行いにしては、タイミングがお粗末すぎる。

 自分を疑えと言っているような物だ。

 つまり今回の襲撃は警察の内部犯による物。


 それは、ウォーマンの冤罪を証明する証拠でもあったが、今やマイクは居ない。

 ようやく掴み掛けた証拠を恵一は、自ら殺してしまったのだ。

 彼が居れば、ライリーの犯行を証明出来た可能性もあったはずなのに。


「先輩?」


 後悔の海に溺れているとフェイトの声が救い上げてくれた。

 とにかく彼女を優先しようと恵一は、フェイトが持っていたハンカチを取り、傷口に当てた。

 救急車が来るまでまともな応急処置さえ出来ない自分が歯痒かったが、何故かフェイトは笑顔を向けて来る。


「どうかした?」


「初めてですね」


 フェイトの言葉の意味が理解出来ず、恵一は眉をひそめた。


「え、なにが」


「先輩から私に触れてくれたの」


 言われて初めて恵一は、自分の行為に気が付き、その途端、フェイトに触れる手が震え出した。

 ハンカチ越しに、血を通して伝わる女性らしい温もりが、冷たい嫌悪となって背筋を貫いてくる。


「もう大丈夫ですから。手を離してください」


 ここで手を離すと、フェイトを失いそうで怖かった。

 その恐怖は、女性に触れるという行為を超越し、


「止血しないと……いけないから」


 柔らかな感触と体温は恐怖だけでなく、相棒が生きている実感も伝えてくれる。


「先輩、自分で出来ます」


「大丈夫だから」


「うそ。こんなに震えてるのに」


「フェイト……大丈夫だよ」


 至福と嫌悪のはざまで恵一は、震えない手でフェイトへ触れてみたいと願っていた。







 恵一がフェイトの元に帰って来てから五分もせずに、河内と何故かライリーまでも駆け付け、それからさらに五分後には救急車も到着し、夜の路地裏は一気に騒がしくなった。

 恵一は、救急隊員にフェイトを預けると河内に事の成り行きと、自らの推理を救急車に乗り込むライリーに聞こえない声量で話した。


「――というわけです」


「そうか。君に怪我がなかったのは幸いだ。フェイト君の怪我も平気だろう」


「完全にしてやられました。僕の読みが甘かったせいでフェイトは――」


「自分を責めないで恵一君」


「でもまた僕は相棒を危険に晒した。僕と一緒に居るせいで優子もフェイトも」


 突如胸から熱気が込み上げる。

 目頭が火照り、視界が揺らぐ。

 年甲斐もなく今にも泣き出しそうな自分を、制御する事も出来なかった。


「恵一君」


 そっと肩に触れたぬくもりに恵一は、思わず顔を上げる。

 恵一の肩に、手を置きながら河内は、朗らかな笑みを浮かべていたのであった。


「でも結局君は、彼女達の命を救っているじゃないか。気に病むなとは言えないけど、でもそんな事言うもんじゃないよ」


 河内の慰めが恵一の心を幾ばくか楽にした。

 だが、すぐに自責に苛まれる事になる。


「ですがもう……ライリーを追求する手は」


 頼みの綱である重要証人を射殺してしまった。

 ライリーへの捜査は、これ以上続けられないだろう。

 連続殺人鬼と確信している男を見逃す以外にない。

 しかし河内は笑みを強め、力の籠った声を上げた。


「それならアイディアがある」


「はい?」


 想定していなかった河内のアイディアだったが、すぐに見当がついた恵一は、小さい音量のまま声を荒げた。


「フェイトの弾丸をライリーに摘出させる気ですか!?」


 ライリーに魔力メスを使わせ、フェイトの傷口から出た残留魔力と遺体の残留魔力を照合する。

 ウォーマンの魔力と遺体に残されていた魔力が一致するという検査結果が何者かによって偽造された物ならば、信用出来る鑑識官を使って再検査すれば結果が変わる可能性もある。

 確かに妙案だが、同時にそれはフェイトの命を脅かす事になる。

 手術中、もしもライリーが細工をすればフェイトに抗う術はない。


「弾丸がフェイト君の体内に残ったのは不幸中の幸いだ。これを利用しない手はない」


「課長!!」


「それ以外に彼を追いつめる手立てはない」


 河内の言い分はもっともだが、相棒をこれ以上危険晒す事は恵一には出来なかった。

 傍に立ち合えるならまだしも、恵一はこれから警察でマイク・ラッシュ射殺の正当性について取り調べを受ける事になっている。

 非常に急な話だったが事が事だけに無視する事も出来ない。


「課長、危険すぎます。手術中、ライリーが何かするかもしれません」


 恵一が不安の声を上げても、河内の決心が揺らぎを見せなかった。


「でも彼は自分が疑われている事を知っている。今回の襲撃だって君の推理では彼にも想定外なんだろ? だからこそ彼は何もしない。もしフェイト君に何かあれば彼は終わりだ。疑いが確信に変わり、自分が逮捕されると分かってる」


 理屈では理解出来るし、頭でも分かっているが、心が納得出来るかは別問題である。

 許容しがたい河内の一手に、恵一は額を掌で覆って俯いた。


「彼が引き受けるとも思えません」


「断る理由もないよ。現場に医師が居合わせて距離的に一番近い彼の病院に搬送される。フェイト君は女性だ。傷を残したくないと理由を付ければ病院で一番腕が良い上に、付き添って来たライリーは手術せざるを得ない」


 河内の理論は、筋が通っている。

 恵一自身、プロファイラーとして考えるならライリーがフェイトに危害を加える可能性は低いと考えていた。

 しかし時に人間は、プロファイリングと逸脱する行動を取る事もある。

 理論的には安全でも相手が人間である限り、確実な保証等どこにもない。


「これはフェイト君も承知の事だ。と言うよりも今回の作戦は、彼女のアイディアだよ」


「フェイトが?」


「さっき電話してきた時にね。頭のいい子だ。それに君たちが言う通り度胸もある」


「フェイト……」


「無駄には出来ないだろう?」


 担架に乗せられたフェイトを見ると、彼女はにっこりと微笑んで頷いた。

 彼女なりに、先程のミスの責任を感じているのだろう。

 危険である事に変わりはないが、彼女がこういう状況で言って聞くタイプではない事は分かっていた。

 黙ってフェイトを信じる以外にない。

 恵一は、そう自分に言い聞かせた。


「私も付いて行く。もしもライリーが変な事をしたらその場で撃ち殺す」


 そう言って河内は腰のホルスターの魔法銃をそっと叩いた。

 これが最後のチャンス。

 これを逃せば、いつまた機会が訪れるか分からない。

 河内の言葉に、恵一は首を縦に振った。


「フェイトを守ってください」


 河内は、微笑みながら頷くとフェイト、ライリーと共に救急車に乗り込んで、サイレンと共に去って行った。

 それを見送る恵一の背後から今度は、別のサイレンが近付いて来る。

 振り返ると黒塗りのセダンが恵一の前で止まり、中から警察の制服姿の男が四人出て来た。


「新巻恵一警部補ですね」


「はい」


「ご同行を」


 そのままセダンの後部座席の中央に座り、恵一は警察庁に連行された。

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