第9話「遺族の想い」

 恵一とフェイトは、ランド家のある住宅街に車で訪れた。

 二階建ての家屋が道路に沿って等間隔に横並びしている図は、中々に壮観である。

 恵一が窓越しにランド家を探している間、相棒のフェイトは、疲れ切った顔で助手席に座っていた。

 資料室で、余程の地獄を味わったのだろう。先程から溜息ばかり付いて、細剣のように鋭い視線を恵一に対して突き刺して来る。


「先輩酷いです」


 警察庁を出た直後からフェイトは、むくれ続けている。

 さすがのフェイトも生贄にされたら怒るらしい。


「今度お詫びするよ」


 恵一は、苦笑いしながら言ってみるが、フェイトはむくれたままである。


「次はフライドチキンじゃ駄目ですからね!」


 どうやらフェイトは、今回の件も食事で許してくれる様だ。若い子は、よく食べる物だ、等と感心しながら恵一は、頬を掻きながら笑みを浮かべる。


「分かってます。美味しい天ぷらを食べさせてくれるお店を知ってるんだ。今度二人でそこに行こう」


 僅かにフェイトの顔に微笑が浮かんだが、すぐさま頬を膨らませそっぽを向いてしまった。


「そのお店が美味しかったら許します」


 それならきっと許してくれそうだ。

 恵一は胸を撫で下ろしながら、この会話をずっと楽しみたいと思っていた。

 ランド夫妻は、恵一が行けば、きっと娘が見つかったのだと思うはずだ。


 でも実際には亡くなった事実を告げられる。それも殺人事件の被害者として。

 死亡告知は、刑事にとっても相当な心労だ。

 救いを望んでいる人々の希望を奪う真似をしたいはずがない。

 恵一が沈みがちに俯いていると、慌てた素振りでフェイトが振り向いてきた。


「すいません。嘘です。もう許してます。生意気言ってごめんなさい」


 フェイトは、恵一が落ち込んでいる理由が自分にあると思っている様だった。

 西洋系にしては小柄な身体を懸命に動かして釈明するフェイトは、何とも可愛らしい。


「違うよフェイ――」


 意識せず出た言葉に、恵一は思わず口を押さえた。

 そのまま考え事をする時の癖である顎を撫でる動作に切り替えて誤魔化す。

 ふいに名前を呼びそうになってしまった。

 呼ぶ事に然したる問題はないのだが、恵一の正式なパートナーである優子が復帰したらフェイトとの仮初のパートナー関係は解消。フェイトの教育係は、別の捜査官が引き継ぐだろう。


 あまり親しくなると別れ難くなる。

 同じ課に居るからいつでも会えるかもしれない。

 でもこんな風に捜査をする機会は、恐らく訪れないだろう。

 それを考えると何故か寂しさが込み上げて来るのだった。


「そろそろ行こうか、巡査」


「あの――」


 呼び止めるフェイトの表情は、どこか寂しげに見えたが、恵一は何も言わずランド家に向かって歩き出した。

 白い外壁の小さな庭付き二階建て。

 ランド家は、どこにでもある一般的な住居である。


 ささやかな庭は、ガーデニング用の植木鉢が所狭しと、種類毎に整理して置かれている。

 恵一とフェイトは、茶色の玄関扉の前に立ち、玄関チャイムを鳴らした。

 しばらくして足音が玄関に向かって近付いて来ると、扉を開けて出て来たのはユーリ・ランドそっくりの金髪碧眼の美女であった。

 歳は三十代程に見えるが、纏う雰囲気は母親の物だ。


「ユーリ・ランドさんのご家族でいらっしゃいますか?」


 恵一が尋ねると女性は、不安と期待が入り混じった様な表情で頷いた。


「母のエマ・ランドです」


 恵一とフェイトは、懐から警察バッジを取り出してエマに見せた。


「警察庁魔法犯罪課の新巻警部補です。こちらはリーンベイル巡査」


「警察? 娘が見つかったんですか!?」


 エマは、縋る様にして、恵一に詰め寄った。

 今から伝えなければならない事、最後の希望を打ち砕く事を考えると胸が締め付けられる。


「その事についてお話があります。中に入っても?」


「ええ、どうぞ」


 恵一とフェイトが家の中に入ると、左側にある靴箱の上に家族写真が置かれている。

 二人がエマの後を付いて廊下を歩いて行くと、右側にある扉をエマが開けて、中に入るよう促して来た。

 招き入れられたリビングには、観葉植物の鉢やユーリの写った家族写真が至る所に飾られている。

 部屋の中央にあるガラスで出来たテーブルには、中年の男性がついており、テレビを見ながらコーヒーを飲んでいた。


「あなた、警察の方です」


 エマに言われるや否や男は立ち上がり、握手を求めて来た。


「父のニコラス・ランドです。娘は見つかったのでしょうか!?」


 恵一は握手に応じたが、愛想良く笑うといった事はしなかった。


「お二方ともお掛けになってください」


「娘は?」


 結果を早く聞きたいのだろう、ニコラスが急かしてくる。


「どうぞお掛けに」


 恵一が念を押すとニコラスとエマは隣り合ってテーブルについた。

 死亡告知をする場合、家族を座らせるのは、警察官として重要な仕事だ。

 被害者遺族は、時に家族の死を知らされて気絶してしまう場合があり、立ったまま話していると、家具や床で頭を打ち付けて大怪我をしてしまう。

 その為警察官は、まず遺族を座らせて、彼等の安全を確保する必要がある。

 二人が座ったのを確認して、恵一とフェイトは、彼等と向かい合う形でテーブルについた。


「娘さんはユーリ・ランドさんですね?」


「そうです」


 右隣に座る妻と手を握り合って、ニコラスが答える。


「残念ですが、娘さんはお亡くなりになられました。殺人事件の被害に」


 恵一が告げるとエマは力無くニコラスに縋り付き、彼は妻を力強く抱き締めた。


「そんな、嘘よ……」


「エマ……」


「ユーリ……そんな……」


 夫婦は互いに涙を零し、抱き締め合っている。

 この光景を何度見ても恵一は、慣れる事がなかった。

 そして未だ慣れていない自分に、安堵を覚えるのである。

 もしこれに慣れてしまえば、きっと捕まえるべき怪物達と同じモノになってしまう。

 不謹慎と分かっていたが、心を締め付ける痛みが恵一には、愛おしく思えた。


「心からお悔やみを」


 恵一が言うや、ニコラスは、殺気を滲ませながら睨み付けてきた。


「誰が娘を殺した?」


 容疑者は居る。

 ライリー・カーマイン。クライス・ウォーマンも可能性は低いが外せないだろう。

 だがそれを言えば、この父親は彼等を殺しに行く。

 恵一に強い確信を抱かせる程、ニコラスの激昂は凄まじい物だった。


「現在捜査中です。御嬢さんに恋人は居ましたか」


「昔居た。名前はクリス・ベネット。あいつが殺したのか。奴ならやりかねん。娘を弄んで捨てた癖に!!」


「いえ、形式的な質問です。彼が犯人であると言う訳ではありません」


「じゃあ誰なんだ!?」


「僕とリーンベイル巡査で捜査中です」


「警察は何をやってるんだ!! 大体君達は若すぎやしないか。もっとベテランの捜査官は居ないのか!?」


 ニコラスは、椅子から立ち上がって恵一とフェイトに怒声をぶつけた。

 怒りのやり場がないのだろう。

 このような八つ当たりも幾度となく経験してきた恵一だったが、一度として不快感を覚えた事ない。

 むしろ犯人への怒りと一刻も早く捕まえたい。そんな決意をより強めるのだ。


「ご心配は分かりますが、我々もプロです。それにベテランの捜査官も、この事件の捜査には参加しておりますのでご安心ください。我々は、一丸となって犯人を捕まえます」


「それは何時になるんだ?」


 明確な証拠がない上、その時期を明らかにする事は出来ない。

 恵一はその歯痒さに唇を噛み締めた。


「一刻も早く解決出来るよう努力しています」


「だから、それは何時だと!!」


「あなた」


 エマが宥めた事で、少し落ちついたのかニコラスは椅子に座った。

 その表情から怒りが失せる事はなかったが、それでも先程より制御出来ている様だ。

 夫が落ちついたのを確信してからエマが席を立ち、紅茶を恵一とフェイトに、振舞ってくれた。

 娘の亡くした失意にありながら場を和ませようというエマの心遣いに、恵一の胸が引き裂かれんばかりに痛む。

 恵一は紅茶を一口飲むとカップをテーブルに置いた。


「御嬢さんは珍しい血液型ですね」


 恵一の問い掛けに、夫妻は顔を見合わせて首を傾げた。


「ええ。そうです」


 戸惑う口調のエマに、フェイトはいつも使っているメモ帳とペンを渡した。


「御嬢さんが掛った事のある病院を教えてくれませんか? 思い出せる限り全てを」


「娘の病院歴と事件に関係あるんですか?」


 ニコラスが訝しげに言うと、恵一は頷いた。


「御嬢さんの血液を狙った犯行ではないかと、我々は考えています」


 ニコラスの困惑はさらに強まった様で、顔をしかめながら口を開いた。


「どういう事ですか?」


「以前起きた事件の被害者と御嬢さんの血液型が一致しているんです。偶然にしては出来過ぎている」


「血液の為に娘は殺されたのか?」


 恵一は、紅茶で口内を潤してから続きを話し始めた。


「断定は出来ませんが、その可能性が高いと我々は考えています」


「そうですか……すいません。本当に、さっきから私は……無礼な事ばかり」


 ニコラスは、申し訳なさそうに頭を下げたが、彼の言動を無礼どころか、正常な反応だと感じていた恵一は、微笑みながら語り掛けた。


「いえ。御息女を亡くされたのに冷静でいられる人は居ません」


「すまない。娘を殺した奴を捕まえてくれ」


「はい」


 恵一が頷くとエマがメモ帳とペンをテーブルの上に置いた。

 フェイトがエマにお辞儀をしながらメモを手に取り、書かれた内容を恵一に見せてくる。

 病院の名前を見ると、原月市総合病院と記載されている。

 原月市は、首都ドラゴニアの北に位置し、リアスサンで二番目の経済規模を誇る隣県『龍塚りゅうづか』の中枢となる都市だ。


 内陸に位置する龍塚は、海の災害とは無縁な事もあり元々リアスサンの首都だったが、西洋諸国とリアスサンの外交が深化していった二百五十年前、各国の商船が出入りするリアスサン最大の港『龍巣港りゅうそうこう』がある『龍巣りゅうそう』に首都を移転する計画が持ち上がった。


 当時のリアスサンでは、最後の魔王討伐を起爆剤に急速な経済発展を続ける西洋諸国に追いつくため西洋文化の研究と模倣が流行しており、二百年前に首都を龍塚から龍巣に移転。新しい首都の名前は、西洋風の名前であるドラゴニアとなった。

 その名残でリアスサン各地の地名は、西洋風に改名された場所が西洋化政策が終了した現在でも多く残っている。


「元々、原月にお住まいで?」


 恵一がエマを見ると、彼女は夫に目配せしていた。

 ニコラスが頷くのを待ってエマは、口を開いた。


「ええ。娘は以前さっき話しに出たクリス。十年程前に付き合っていたのですが、彼が暴力的な人でよく暴力を振るわれていたんです。その時、よくこちらの病院にお世話に。ただ娘は高校生でしたから傷は治せても、精神的に落ち込んでて、環境を変える為に、こっちに引っ越してきたんです」


「分かりました。ご協力、本当にありがとうございます。何か分かればすぐに連絡を」


 そう告げてからランド宅を後にした恵一だったが、車に乗り込んだ途端、頭を抱えてしまった。


「よりによって原月市総合病院か……」


「何かまずいんですか?」


 新人のフェイトが知らないのも無理はない。説明するのが先輩としての役目だろう。


「原月市総合病院は、表向きは普通の総合病院で、ランドさんのような普通の家庭でも利用している人は多い。だけどあそこは、特に精神科が有名でね。腕のいい医師が多いから著名人の利用者も多い。当然そういう所だからさ、政財界とのコネがある」


「コネって……どんな?」


 言えば怒り出しそうだ。

 恵一は短い付き合いながらフェイトの性格を理解していた。

 不正の類は許せない。

 強い正義感と責任感を持って仕事をしている。

 しかし言わなければならないだろう。

 警察もフェイトが思っているほど、正義感だけで仕事をしていける組織ではないのだから。


「彼等に都合のいいように法律を曲げる程度には、かな。あそこの医師会は、それこそ下手な公的組織よりも権力を持っている。その影響は、警察にも及んでいると噂されているよ。だから担当医師の名前があるユーリ・ランドの医療記録すら取れないかも」


「そんな!? 人が死んでるんですよ? なのに――」


 恵一の説明を聞いたフェイトが憤慨するのも当然である。

 無論恵一も諦めるつもりはなかったが、限りなく勝算の薄い戦いである事を自覚しなければならない。


「秘密裏に要人が利用する病院に殺人犯がいたかもしれない。事実じゃなくても、噂になるだけで凄まじい打撃を受ける。だから隠蔽を図るだろう。でも証拠は、その病院にあるはずだ。やってみよう。出来る限りの事を、僕達二人で」


「はい!!」


 恵一の呼び掛けに、フェイトは、力強く答えた。

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