第8話「失踪者届」


 リアスサン総合病院に着いた恵一は、受付に座る中年の女性事務員の前に立っている。

 事務員は無言であり、作り笑顔さえ向けて来ないばかりか、受付に置かれたデスクトップPCに釘付けで恵一を見ようともしない。

 事務員の愛想の悪さに気圧されながらも恵一は、質問を投げ掛けた。


「カーマイン先生とウォーマン先生いらっしゃいます?」


「はい」


「何時ごろ出勤されました?」


「今朝です」


 被害者が殺されたのは、深夜二時。

 事務員の証言が真実なら両名ともアリバイはないという事である。

 折角容疑者が病院に居るのだから、アリバイの有無は本人に直接聞くのが得策だ。


「なるほど。それじゃあ失礼しまーす」


 恵一は、おどけた調子でそう言うと、フェイトに手招きをしながら受付を離れ、ライリー・カーマインの診察室へと足を向けた。

 ライリーの診察室前は、相も変らぬ女性患者の盛況ぶりで、恵一にとっては、汚水よりも吐き気を催す香水の悪臭が大気に充満している。

 この調子で何度もライリーに会うと恵一が香水殺人事件の被害者となりかねない。

 恵一は、警察バッジを取り出して高く掲げた。


「警察です! 道を開けて!」


 職権乱用と言っても差し支えない行為だが、背に腹は代えられない。

 女性達が恵一の訴えで何とか人一人通れる程度の隙間を開けてくれたので、恵一とフェイトは、隙間を縫う様にして進み、ライリーの診察室の扉を開ける。

 すると椅子に座ったライリーが恵一の姿を見るや、笑みを返してくる。


「どうも刑事さん。今日は、肺炎にでもなりましたか?」


 笑顔とは裏腹にライリーの皮肉な対応。

 これに返すには、こっちもそれなりの物を用意せねばなるまい。


「相棒のリーンベイル君が腹痛でして」


「え!?」


 そんな事聞いてない、と訴える様な視線のフェイトと恵一は目を合わせないようにした。

 相棒から突き放されたフェイトは、涙目になりながらお腹に両手を添える。


「いたたたたたた。せんぱーいぃ。フェイト、おなか、いたい、いたい、いたい」


 感情も籠っていないし、真に迫る物もなく、抑揚すら皆無に等しい。

 素人劇団の一次オーディションにすら落ちる役者の演技のようだ。


「リーンベイル巡査、もうちょっと何とかなんないのかな?」


「急に言われても……お腹痛くないもん」


 彼女の主張をもっともだと反省しながら恵一は、仔犬のような輝く瞳でライリーを見やった。


「いいですよ。お話があるんでしょ?」


 呆れたのか、憐れんだのか、それとも恵一の頑固さを悟ってか、ライリーから許可が下りた事で恵一は、フェイトを診察用の椅子に座らせると、自分は立った状態でライリーに問い掛ける。


「実は、トーマス・キンバリーと類似した手口で二件目の事件があったんです」


「そうですか。犯人は随分と優秀なようですね。警察の先手を行っている」


 表情には浮かんでいない。

 けれど、ライリーの物言いはどこか誇らしげだ。

 その微かな違和感が引っ掛かる恵一は、苛立った強めの口調で語り始める。


「品性下劣な殺人者ですよ。しかも今回の被害者は女性です。キンバリー氏に薬を使って眠らせた事と合わせても……」


 恵一は、敢えて言葉を止めた。

 苛立って見せた事も、途中で詰まるのも、全てはライリーとの会話を弾ませる為。

 きっとライリーは、恵一が言おうとした先の内容が知りたくて聞いてくるはずだから。


「なんですか、刑事さん?」


 ――来た。


「臆病で力のない、もやし野郎ですよ。正面から男と向かい合うなんて、こいつには出来ません」


「それは賢いからじゃないかな? 確実に相手を殺す為に」


 ライリーの擁護を恵一は鼻で笑い飛ばした。


「いえ。ただ男を前にすると、ビビるんですよ。女や子供相手にしか強気になれない。その場合でも凶器を持って生殺与奪を握ってからようやくね」


 恵一は、言い終えるや否や上着のポケットから今日発見された被害者の顔写真を取り出してライリーの目前に突き付ける。


「今日発見された被害者です。こちらの病院の患者とかではないですか?」


「知りませんね。そろそろお引き取りを。患者が居りますので」


 ライリーの浮かべる感情に変化は見られない。

 笑顔を仮面のように張り付けたままだった。


「分かりました。それではまた。先生」


 恵一は、ライリーとの会話が終えると嬉々としながら院内を後にして、フェイトと共に病院の駐車場に止めていた愛車に乗り込んだ。


「本当に患者じゃないんですかね?」


 シートベルトを締めながらフェイトが話し掛けて来る。


「さぁ。まぁ接点があっても言う訳ないよ。こっちで見つけないと」


「どうするんですか」


 恵一がエンジンを掛けながら左隣を見やると、フェイトが不安げな表情していた。

 読みが外れた事に焦りを覚えているのだろう。

 だが恵一は、まだ読みが外れたとは思っていない。

 あくまで被害者と犯人に総合病院での繋がりがなかった、と言うだけの話である。

 まだ他の繋がりがこれから出てくる可能性もあると恵一は考えていた。


「大丈夫。手はある」


 安堵させようと声を掛けるが、フェイトは未だ不安が抜け切らない様だ。


「問題です。君ならどうする」


 クイズ司会者の様な口調でおどけて見せると、フェイトが答えを思い付いたのだろう。満面の笑みで言い放った。


「失踪者リスト!!」


「そう。被害者は若い女性だ。家族か、恋人が心配して失踪届けを出している可能性が高いと思う」


 恵一は、そう告げると車を走らせて警察庁に戻り、相棒と二人で資料室に足を踏み入れた。

 アリナに特徴と合う失踪者の資料を探してもらい、フェイトと手分けして被害者探しを始めたが、資料室の主は自分の縄張りで探し物をされるのが気に食わないらしく、恵一に冷たい視線を送り続けていた。


「私のプライベートなタイムを、時間をさ。乱さないでほしい」


「勤務時間中でしょ」


 恵一が言い返しようのない正論をぶつけると、アリナは唇を尖らせて、受付カウンターから身を乗り出した。


「いじわる言うと抱き付くぞ」


 アリナも起伏に乏しいスタイルだが女性である。

 抱き付かれでもしたら恵一にとっては目も当てられない惨事となってしまう。

 ふと視界の左端を見ると真剣な眼差しで資料を見つめているフェイトの姿があった。

 彼女の生贄にするのは気が引ける恵一だったが、身の安全には代えられない。


「巡査は、何時でもフリーだよ」


 その言葉と共に飛び上がったアリナがフェイトの胸に飛び込んだ。


「やたーフェイトちゃーん」


 当のフェイト本人は、何が起きたのか理解出来なかったのか、アリナに激しく頬ずりをされて数秒後、やっと声を上げた。


「ええっ!?」


 そんな事はお構いなしに、アリナはフェイトの頬を摘まみ、軽く引っ張った。


「フェイトちゃん柔らけー。いくつだっけ」


「じゅうきゅーうちゃいれす」


 頬を引っ張られているせいで上手く発音出来ないらしい。

 フェイトの赤ちゃん言葉に少し心がときめく恵一であった。


「うは―ぴちぴちじゃんかー。」


「ちょっと、やめてくらはい!」


 フェイトの制止も空しく、アリナが頬を弄ぶのやめる気配はない。


「せんぱい! たすけ、らすけてうださい!」


 女性同士のいちゃついている様子は、恵一にとって未知の領域であった。

 アリナは、優子にも色々とちょっかいを出していたが、彼女は上手く受け流していたのである。

 その術を知らないフェイトは、まさに成すがままだし、目の前で繰り広げられる女性同士のいちゃつく光景のせいで資料に集中出来ない。

 恵一は、諌める様な調子で声を上げた。


「二人とも仕事しなさい」


 すると、アリナが恨めしそうに睨みつけて来る。


「あんたら居ると集中出来ないから休憩ー」


「休憩で、わらひのほっぺを揉むの……らめてください!」


 会話をしていても揉み続けるなんてさすがはアリナ、と友人に不名誉な称賛を贈りながら、恵一は彼女達に背を向け、失踪者リストに集中する。

 恵一が構ってくれないと判断したのか、アリナの瞳はフェイト一人にターゲットを絞った。


「フェイトちゃん、彼氏とか居ないの?」


「プライベートれす」


 アリナは、フェイトの頬から手を放すと、今度は頬に鼻を近付け、匂いを嗅ぎ始めた。


「この匂いは居ないなー」


「えっ、なんで分かるんですか?」


 図星だったのかフェイトが意外そうに尋ねると、アリナは、自分の鼻を右手の人差し指で叩いた。


「匂いで分かるのさ」


 本来心地よいはずのマジックウッドの匂いが悪臭レベルにまで昇華されているこの部屋でよく分かる物だ、とアリナの犬並の嗅覚を心の中でまたも称賛する恵一であった。

 視線を資料に戻そうとした瞬間、アリナがこちらをじっと見ている事に、恵一は気が付いた。

 何やら悪戯っ子のような笑みである事から、ろくでもない事を考えているのだと確信する。


「彼氏に恵一とかどうよ、どうよ。イケメンだし。将来有望だぜ」


「いやいや! 私なんかじゃ先輩には」


 フェイトは頬を桜色に染めて、萎れている。

 アリナはニタニタと品のない笑みを浮かべ、追撃を続けた。


「おー初々しい反応だのう、お主。もしかして今まで男と付き合った事ないな?」


「別にアリナさんには関係ないでしょ……」


「恥ずかしがるなって。あーもうほんと可愛いなこいつ」


 さすがにこれではフェイトがかわいそうだと思い、恵一は助け船を出す。


「いい加減にしなよ。フェイトが困ってるし、そもそも僕が女性苦手なの知ってるだろ?」


「なら男と結婚するの?」


「僕は異性愛者だ。恐怖症を克服するまで恋愛はお休みするってだけ」


「フェイトちゃんで克服すればいいじゃん」


 確かに恵一は、フェイトと知り合ってからまだ日は浅いが、どこか彼女の事を気に入っていた。

 恋愛感情でないのは明らかだが、それでもこの可愛らしい相棒と過ごす日々が楽しく感じられたのだ。

 もしも女性恐怖症が治ったら、そんな未来に彼女が隣に居てくれたら、想像してみると存外悪い物ではないと恵一は思った。


 フェイトは自分をどう思っているのか、意識すると妙に気になってくる。

 初日の酷い対応はマイナスだろうがそれ以降、フェイトとの関係は悪いものではないと自負していた。

 彼女の想いを聞いてみたい衝動に駆られるが、嫌われている可能性もなくはない。

 真実を知るのが怖くなって恵一は、リストに目を落とし、仕事に戻る決意をした。


「からかう暇があるなら手伝ってよ」


 アリナは、開き直ったかのように胸を張った。


「私の仕事は資料探し。被害者探しじゃない」


「はいはい」


 これ以上の説得は無駄と判断して、恵一がリストを読み進めていると、アリナが一枚の資料を手に取り、声を上げた。


「あ、これじゃない」


 恵一は、持っていた資料を床に置いて、アリナの元へ行く。


「どれ」


「これ」


 アリナが手渡して来た資料の写真は、被害者の女性と一致している。

 名前は、ユーリ・ランド。

 二十八歳の女性で三日前に失踪届けが出されている。


「本当だ。ありがとう」


 恵一が感謝の意を伝えると、アリナは、右手を差し出した。


「なに?」


「お金」


「君ね……」


 恵一が呆れ顔で見つめても、アリナは、気にしていない様で右手を宙でひらひらとさせている。


「給料ちょうだいな。本来しなくていい仕事したんだから」


 彼女の主張も分からないではない。

 しかし恵一にとっては釈然としないし、腑にも落ちないのだ。

 金を渡したくない恵一は、心の中で囁いた悪魔に魂を売る事にした。


「じゃあ巡査を好きにしていいよ。一分間だけ」


「先輩!?」


 奇声を上げるフェイトを無視しながら恵一は、ユーリ・ランドの資料を持って、資料室から出ていった。


「しょうがいなぁ。手を打とう」


 アリナは、目を輝かせてフェイトの身体を見つめた。

 一分間は自分の物。相棒からの許可も得た。

 震える女の子のほっぺを好き勝手するのも悪くはない。

 様々な思いが交錯する中、アリナはフェイトに手を伸ばした。


「さぁフェイトちゃん!! ゴットハンドを受けてみろ!!」


「ちょっと待ってくださ……いやあああああ!!」


 それからフェイトの悲鳴は一分間響き続け、資料室を支配したのであった。

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