第7話「第二の被害者」
事件から一週間が経ち、捜査は難航していた。
目撃者は居らず、疑わしい人物は見つけているが証拠もない。
この日も恵一は自宅で寝ずに夜を明かした。
そこは魔法弾調合用の部屋で木製の机の上には、ピンセットとビーカー、試験管に魔法弾用の材料と薬莢、調合した魔力を詰める為のガラス弾等が無数に置いてある。
魔法弾の調合は恵一の趣味で、材料を仕入れては、ここで魔法弾の制作をしていた。
恵一は、一週間まともに睡眠を取っていなかった。
事件の事が頭から離れず眠れないのである。
捜査の為にも睡眠を取り、体調を万全にするのは捜査官の義務でもあるが、そんな気分にはなれなかった。
家に帰り付いても無心で魔法弾の調合を繰り返す。
気が付けば材料の殆どを使い切ってしまい、買い出しに行かなくてはならなくなっていた。
「何してるんだろう、僕は」
自分の手先を見つめながら恵一が呟いた。
無力感に苛まれるのは、初めての経験ではない。
だが何度経験しても不快である事に変わりはないし、慣れる事もなかった。
日を追う毎に隈は濃くなり、相棒にも心配を掛けていた。
フェイトへの申し訳なさを感じる恵一だったが、それでも眠れない。
事件が解決に向かわない限り、安眠なんてものが許されない事を恵一は分かっていた。
掴めぬ解決への糸口。
妙案が思い浮かぶ事を期待していると、携帯が鳴った。
スマートフォンや携帯電話というのは便利な物だ。
この世界において魔法技術の一切を使っていない珍しい技術。
携帯が三十年前に、スマホが十年前に登場してから刑事にとっての必需品だ。
恵一は、事件に関する良い知らせを期待しながら通話ボタンを押す。
恵一の所に掛ってくる電話は専ら事件関係のみであるから。
「もしもし」
「新巻刑事か。磯山だ」
電話口の磯山は焦りを隠せないのか、語気が荒かった。
「どうされました?」
「また被害者が出た。すぐに来てくれ」
恵一は、愕然として掌で顔を覆った。
「同一犯ですか?」
「全身の血液が抜かれている」
「分かりました」
恵一は携帯をズボンのポケットにしまうと、椅子の背に掛けてあった制服のジャケットを羽織った。
現場は、恵一の家から車で一時間程の所にある遊園地であった。
人気アトラクションのジェットコースター、ブーストスペース。
そのコースターの最前列、五つある席の真ん中に若い女性の遺体が座らせられていたのである。
第一発見者は、ブーストスペース担当の職員で早朝の機器点検の際、遺体を発見したとの事だった。
恵一と磯山がジェットコースターに乗って遺体を見聞していると、フェイトが息を切らせながら現場に駆け込んで来た。
「すいません。遅刻しました」
謝罪するフェイトは、今にも泣き出しそうである。
相当遅刻を気にしているようだったが彼女の家は、現場から一時間半は離れており、恵一が到着してから二十分遅れで着いた事を考えると、出た時間はむしろフェイトの方が早い。
責めるのも酷という物である。
「気にしなくていいよ」
恵一がそう言いながらフェイトを手招きする。
するとフェイトは、安堵の色を浮かべ、恵一の側へ歩み寄って来る。
恵一は、フェイトが隣に来たのを確信してから遺体の首を指差した。
「頸動脈を切られている。周辺に、血痕はないけど、多分また全身の血を抜かれているだろうね。それに詳しい検査はまだだけど、性的暴行の痕もないそうだ。目的は血を取る事か」
フェイトは恵一の説明を手帳にメモしている。
恵一はそれが終わるのを確認してから声を掛けた。
「この状況を君はどう思う?」
恵一の問い掛けにフェイトはペンで頬を叩きながら答えた。
「自信を付けたんだと思います」
「どうしてそう思う?」
「こんな場所にわざわざ捨てるなんて、リスクが大きいと思います。前の現場以上にリスクの高い事をしても捕まらない。そんな風に思ってるんじゃないでしょうか?」
合格点のフェイトの推理に恵一は頷き、顎を撫で始めた。
「犯行が大胆になっているんだ。この段階まで来ると犯人は、自信を付けて犯行のペースを上げる傾向にある」
これからさらに被害者が増えていくかもしれない。
そんな予想を傍で聞いていた磯山の顔が青ざめていく。
「おいおい。もっと犠牲者が増えるって言うのか」
悲しいし、悔しいが、それが現実だ。
警察が、自分達が捕まえるまで犯人は犠牲者を増やし続ける。
恵一は溜息交じりに口を開いた。
「捕まえるまでやめませんよ。警察に捕まるまで殺し続けるでしょう」
磯山は、苦々しく顔を歪めると額を掌で覆った。
「なんでこんな事をする」
「この犯人は珍しい血液型の血を集めている。その血をどうするのかは分かりませんが。犯行を思い出す為の戦利品なのか。儀式的な行為か。はたまた飲むのか」
恵一の言葉に、磯山は目を丸くした。
「飲むってどういう事だ?」
恵一はジェットコースターから降りて、遠巻きに遺体を眺める。
「
「そういや……その手のを前に一人担当した事があるよ。逮捕の時、警官が一人噛み付かれた」
「人間を食べるってどういう……その、えっと。どういう意味がある行為なんですか?」
「食人行為は人間の三大欲求の内、性欲と食欲を同時に満たす行為なんだ。それに国の文化によっては犯罪ではなく、儀式的な物として最近まで行われていた例もある」
人が人を喰らう最大のタブー。その凄惨な光景を思い描いたのか。フェイトの桜色の頬から色素が消え失せ、白く染まった。
無理もない。恵一自身、担当刑事であった父からガイルの犯行の詳細を聞かされた時には、しばらく肉を食べられなくなってしまった。
「まぁ食人行為の可能性は、低いと思うけどね」
「どうしてですか?」
「食人行為は、最大のタブーだ。これを正当化するには、強い妄想の力を借りなければならない。それほど強い妄想を抱えているなら緻密な犯行は不可能だ。ガイル・オードリーも典型的な無秩序型の犯人だった。この犯人のプロファイリングとは合わないよ。それよりも気掛かりは、被害者の方だ」
「被害者ですか?」
前回の事件と同一犯だとして、何故被害者のタイプが変わってしまったかを考える必要があるだろう。
体格のいい中年男性から若い女性にターゲットを変更した理由。
血を集めているという事実を考慮するなら、結論は一つしかない。
「もしかしたら血液型が前の被害者と一致するかもしれないね」
「どういう事ですか?」
顎を撫でながら恵一は、フェイトの疑問に答えた。
「数万人に一人の血液型を持った男性が血液を抜かれていた。類似した手口の事件が起きて且つ血液型が同じなら間違いなく同一犯によるもので。そこに法則性がある」
フェイトは恵一の推理をメモ帳に取り終えると、視線を恵一に移した。
「珍しい血液型の人を狙って殺人を?」
「可能性はある。犯人は血液に執着しているように思える。とにかく鑑識に回して調べてもらおう」
それから一通りの捜査を済ませたが、遺体以外の証拠は発見されず、現場を後にした恵一達は遺体を検死に回している間、食事を取る事にした。
場所は、市警本部の向い側にあるカフェだ。
内装はシックな木製のテーブルが並べられており、オレンジ色の柔らかい照明が目に優しい。
恵一達は、市警本部がよく見える窓際のソファー席に居り、恵一が窓際、その隣にフェイト、二人と向かい合って磯山が座っている。
三人は、熱々のホットサンドイッチにかぶり付いていた。
サンドイッチの中身は、ベーコン、厚切りハム、ソーセージ、チーズ、トマトにキャベツとボリュームのあるメニューだ。
カフェとは言っても市警本部が近いせいか、メニューは手軽で高カロリーを意識しているらしい。
丁度三人がホットサンドイッチを食べ終わった頃、磯山の携帯電話に着信があり、ナプキンで手を拭ってから磯山は電話に出た。
「そうかい。ありがとう。残留魔力と血液型が一致した。あんたの読み通り」
携帯をジャケットの内ポケットにしまいながら磯山は、感心しているかのような素振りを見せた。
恵一の手腕を信用してきているのだろう。
「それから死亡推定時刻は深夜二時だそうだ。殺してすぐに遊園地に運び込んだんだろう」
磯山の報告を受けた恵一は、手元のグラスを弄り始めた。
「犯人の狙いが同じ血液型の人間なら病院等に連絡して同じ血液型の人間をピックアップしましょう」
「それで護衛を付けるのか?」
磯山の案も一理あるが、いくら数万人に一人とは言え、被害者候補は大勢居る。
その全てに護衛を付けるのは現実的ではない。
良い解決策はないか、恵一が顎を撫でながら思案していると、フェイトが声を上げた。
「他に共通点はないんでしょうか? もしあれば、さらに被害者のタイプを絞れると思うのですが」
「性別も年齢も違う。共通点は血液型しかない。現時点ではだけど」
喋り続けたせいで乾いた口を潤したくなって、恵一はグラスの水を飲み干した。
磯山は溜息を吐きながら、ナプキンで口を拭う。
「血液を狙う殺人事件。ブラッドキラーって所か。いやブラッドハンター?」
「犯人に名前は付けない様に。先入観を持ってしまいます」
恵一の抗議の意図を理解出来ない磯山は首を傾げた。
「でも血液を狙った殺人なんだろ。なら――」
「まだ分かりません。確かに血液に関して法則性はありますが、今の段階で断定するのは視野を狭めてしまい危険です」
犯人の名前を決めてしまった事で捜査が難航した事例を数多い。
勿論全ての事件でそうした事例が起きている訳ではないが、犯人の意図していない行動を共通点だと勘違いして付けた通称を警察側が信じ込んでしまい、捜査の方向性を誤ってしまう事もある。
プロファイリングは、万能な技術ではない。
証拠がなければ大雑把なプロファイリングしか出来ないし、捜査の過程で新しい証拠が出ればそれを元にプロファイリングを修正していく必要がある。
そうやって作ったプロファイリングが外れてしまう事だって珍しくない。
だからこそ先入観を捨て、客観的に犯人の行動を分析する必要があるのだ。
「だが、なんて呼べばいい?」
勿論、磯山の主張ももっともである。
捜査員同士が共通意識を持つ事は、捜査効率を高める効果があるし、士気の向上にも繋がる重要なファクターだ。
しかし直感の告げる容疑者は居ても、物的証拠のない現時点で名前を決める訳にはいかない。
「単純に容疑者と呼んでください。それで充分だと思います」
「分かった」
恵一の提案に、磯山は素直に頷いた。
「とにかく動いて行きましょう」
恵一は、ナプキンで手を拭くとソファーから立ち上がった。
「僕と巡査は、もう一度病院に行きます。被害者が見つかるかもしれません」
恵一が疑っているライリー・カーマイン医師。
もしも今回の被害者も彼等と接点のある人間であれば、犯人である可能性がより高くなる。
恵一は、それに一路の望みを賭けていたのだ。
「分かった。何かあれば連絡を」
「はい」
磯山に向けて愛想の良い笑みを浮かべた恵一は、フェイトと共にカフェを出てリアスサン総合病院に向かう事にした。
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