第1話「魔法犯罪課」

「ここだよね」


 リアスサン警察庁、魔法犯罪課オフィス。顔を移り込む程磨かれた木製の扉の前にフェイト・リーンベイルは立っている。

 警察庁でも花形の精鋭部門である魔法犯罪課。

 フェイトも警察高等学校入学時から魔法犯罪課を目指して勉学に励み、主席の成績で卒業したがその夢が叶う事はなかった。


 市警の巡査として勤務すること一年。先月出会った新巻恵一からの勧誘は、悲惨な殺人事件が縁になった正に不幸中の幸いとも呼べる出来事であった。

 魔法犯罪課の扉を前にしたフェイトは、自らの頬を摘まんでやわやわと揉み始めた。

 緊張した時、フェイトはいつもこうして気を落ち着かせている。


「よし」


 緊張が解れた所でフェイトは、これが自分の刑事としてのキャリアの始まり。

 自身に言い聞かせてからドアノブに手を掛けた。

 その瞬間、再度耐え難い程の緊張がフェイトを襲ったが、何時までも立ち往生している訳にも行かないと覚悟を決めて恐る恐る扉を開ける。


 フェイトの視界に飛び込んで来たのは、去年リフォームされたばかりの真新しいオフィスだった。

 まだ汚れ一つない白い壁紙に覆われ、新調した金属製のオフィスデスクが横八列の縦九列、規則正しく等間隔に並べられている。

 出入り口となるワックスで磨いた木製ドアの向い側の壁に、大きな窓が横一列にあり、電灯を使わずとも昼間ならば相当に明るい。


 慌ただしく動く捜査官の年齢層は、平均を取るなら三十代前後であろうか。

 数十名の捜査官の中にはフェイトとさほど歳の変わらない若い捜査官の姿もちらほら見える。十九年間渇望し続けていた光景にフェイトの目が幼子の様に輝いた。


 フェイトが嬉々としてオフィスを眺めていると、次第に捜査官達の視線が彼女に注がれ始めた。

 見知らぬ人間が無言でじっとオフィスを見つめているのは、相当奇異に思えるだろう。

 初対面の時には、まず元気な挨拶から。

 母に教わった事を脳内で反芻しながら。フェイトは桜色の唇を開いた。


「ひっつれ、しまぶ」


 発した言葉はフェイトの予想と大きく異なっていた。

 キチンと元気に活舌よく挨拶したつもりだったのに、口から出たのは解読不能な言語。

 風呂上がり直後のさまにフェイトの顔が火照っていく。初日のしかも第一声からしくじった。

 そんな羞恥心にやる気も元気も満たされていく。


「失礼します……」


 しょんぼりと頭を下げながら消え入りそうな声でフェイトが訂正すると、穏やかな男性の声を耳が捉えた。


「やぁ」


 フェイトが声の主を見やると奥に座る中年の男性が笑顔で手招きしてくる。

 オフィスの一番奥に陣取っている事から推測するに彼が課長の河内春之だろう。

 以前は切れ者として警察組織内でも有名だったが、穏やかさを具現化した様な顔付 きとふくよかな外見からはその面影を感じる事は出来ず、むしろ切れ味が悪そうに見える。


 ――人は見かけによらないなぁ。


 そう思いながらフェイトは、河内のデスクの前まで歩いてから敬礼をした。


「フェイト・リーンベイル巡査です」


 今度の自己紹介は上手く行った事にフェイトが安心する。

 それに対して河内は朗らかに笑いながら敬礼を返して来た。


「よろしくね。私は河内春之です。ようこそ魔法犯罪課へ」


 河内は口調も実に穏やかだ。

 怖い上司だったら嫌だと思っていたフェイトにとって、この出会いは誠にありがたかったのである。

 そんな安堵もあったのか、フェイトが浮かべる笑顔は思いの外晴れやかだった。


「はい。よろしくお願いします」


「優秀なんだってね。警察学校の成績見て驚いたよ。それに恵一君と優子君が度胸もあるって太鼓判を押してたよ」


「そんな……あの時は必死だっただけで」


「謙遜しなくてもいいよ。ちょうど欠員が出ていてね。こちらとしても僥倖だったんだよ」


「ご期待に沿えるよう頑張ります」


「若い子は元気でいいなぁ。じゃあ君の相棒と新人教育を担当する者を紹介するね。恵一君」 


 ――あの人が教育係なんだ。


 顔見知りが教育係というのはフェイトにとってありがたかった。

 しかし――。


「えっ! 僕ですか!?」


 恵一は露骨に嫌そうな顔をしていた。


「約束でしょ。リーンベイル君も困ってるんだけど」


「約束なんてしてませんけど……」


 勧誘した割にどうして彼は拒否反応を示すのだろうか。

 しかし黒目がちな瞳を涙で揺らしている長身痩躯な美青年の姿は中々女心をくすぐる物がある。

 勿論どうして彼が泣いているのか、理由は全く理解出来なかったのだが。


「だって君が勧誘したんだから君が面倒見るのが筋でしょ。それに優子君の怪我も治ってなくてパートナー不在でしょ?」


「それはそうなんですが」


「魔法犯罪課はツーマンセルが基本だ。知ってるだろ?」


「分かりますが――」


「ごちゃごちゃ言わないの」


「はい……」


 絶望の淵に突き落されたかの如く沈み込んだ様子で恵一はゆったりと椅子から立ち上がってフェイトと並んだ。

 二人の並んだ姿は、まるで子供と大人のようである。

 フェイトは百六十センチ前半。西洋系としては、背の高い部類ではないが東洋系の女性と比べれば決して小柄でもない。

 対する恵一は、百九十センチを超えており、温厚そうな印象とは異なり、近くに立たれると威圧感を覚える。

 しかしこれから新人教育をしてくれる先輩に無礼があってはならない。

 フェイトは弾けるような笑顔を作り、


「フェイト・リーンベイル巡査です。よろしくお願いします」


 握手しようと手を差し出した。

 だが当の恵一は脂汗を流しながらフェイトの手と顔を交互に見ている。

 しばらしくそうしていたが苦笑を浮かべて、


「よろしく」


 非常に淡白で素っ気ない上司の返事だ。


「あ……はい」


 露骨な拒否反応の連続にフェイトの顔色が曇る。

 勧誘してくれたのに、どうしてこうも冷たい反応なのか?

 何か機嫌を損ねるような事をしてしまったのだろうか?

 不安ばかりがどんどん膨らんでいく。

 そんな様子を見かねたように河内がまったりとした声でフェイトに言った。


「恵一君ね。女性恐怖症なんだ」


「え?」


 想像もしていなかった回答に張り詰めていた緊張の糸が寸断される。

 気恥ずかしそうにしている恵一をよそに河内はマグカップに入った緑茶を啜り、河内は朗らかな調子で続けた。


「長い年月一緒に過ごしていれば大丈夫なんだけどね。初対面の人にはどうもこんな調子で」


「知ってるなら、なんで僕なんですか……」


「だって他に居ないし、君が勧誘したんだから責任取るべきじゃない?」


 きっと理由はそれだけじゃない。

 あえて女性嫌いに女性刑事を宛がった理由をフェイトは明らかな愉快犯だろうと結論付けた。

 きっと河内課長は面白半分にこういう事をするタイプなのだ。

 困惑する恵一を見ながら柔和な表情を一切崩さない河内を見ていると、あながち的外れではないだろう。


「頼むよ。優子君が帰ってくるまでの間で良いからさ」


「ですが……」


 決心がつかないのか、恵一が煮え切らない態度のままでいると、


「何をもめているんだね」


 厳粛な色の声が魔法犯罪科のオフィスを包んだ。

 そしてフェイト以外の全員が視線を一点に集めている。

 それに気が付いてフェイトも皆が見ているオフィスの入り口に視線を注いだ。

 そこに居たのはフェイト個人には面識のない、しかしその顔をよく知っている人物だった。

 白髪を撫で付けた初老の男性で、服装は警察庁の黒い幹部服を着ている。

 体格はがっしりとしており、相当に鍛えられている様に見えた。

 男の名前はラルフ・カートマン。

 彼こそが警察庁長官、現在のリアスサン警察組織のトップである。

 現場からの叩き上げで地位を築いていった人物であり、五年前から警察庁長官に就任した。

 公平、平等がもっとうであり、現場からの評価も高い好人物である。

 そんな人物が目の前に居る事に、フェイトが戸惑いを覚えるのも無理はないだろう。


「河内、何があったんだ」


 ラルフ長官に名指しされた河内は、緊張する様子もなく答えた。


「いえね。人事についてちょっと」


「人事? そう言えば見ない顔の子が居るな」


 ラルフ長官に視線を向けられ、フェイトの身体が石化魔法を受けたかのように硬直した。

 だがこのまま棒立ちでは失礼と思い、硬化した身体に渾身の力を込めて敬礼のポーズを取った。


「フェ、フェイト・リーンベイル巡査です!! ほんじゅつづけで魔法犯罪がに配属されまりた!」


 大事な時にばかり噛むメンタルの弱さに、フェイトの頬を涙が伝った。

 そんなフェイトを見てラルフ長官は、微笑ましげに破顔した。


「緊張しないで。フェイト君ね。覚えたよ。でこんな可愛い御嬢さんと組むのを嫌がるのは」


 じっとりとした視線でラルフ長官は、恵一を刺し貫いた。


「まぁ一人しかいないよな」


 居た堪れないのか恵一は、視線を合わせないに顔を必死に背けている。

 そんな光景をにやにやと見つめているのは河内である。


「恵一君、どうだろう」


 そう言う河内にラルフ長官も乗っかった。


「新巻。こんな美人の相棒と組めるのは幸運だぞ」


「絶対からかって楽しんでるだけでしょ。二人とも」


 渋い表情を浮かべる恵一に、ラルフは、ニヤリと唇をしならせた。


「なんなら長官として命令してもいいんだぞ」


「ほら恵一君、長官もこう言ってるし」


 二人から説得を受ける恵一は、涙目になりながら肩を落とした。


「分かりました。責任は果たします」


 ここに来てようやく折れた恵一は力無く頷いた。

 事情は察していても、やはりここまで拒否反応剥き出しでいられるとフェイトもあまり気分の良い物ではない。

 自分を夢の舞台に連れてきてくれた人となればなおさらだ。

 なんとか打ち解ける手段はないものか。フェイトが頭を捻っていると河内のデスクに置かれた電話が鳴り響いて、河内は辟易としながらも慣れた手付きで受話器を取った。


「もしもし、魔法犯罪課の河内です。はい。分かりました」


 河内は穏やかだが事務的な口調で会話を終えると受話器を置いてから、マグカップを口に運んで喉を鳴らす。

 そして触れれば切り裂かれそうな険しい顔付きでフェイトと恵一を交互に見つめた。


「恵一君、早速事件。ミラード市警から応援要請。リーンベイル君を連れて現場行って。殺人事件だって」


 口調こそ変わらないが醸し出す気配は先程の河内と同一人物の物とは思えない。

そのあまりの豹変ぶりにフェイトの素肌が粟立った。

 だが恵一は河内の変化に慣れている様子でフェイトと視線を合わせる事なく言った。


「了解。行こうか。リーンベイル巡査」


「はい」


 相棒の態度に一抹の不安を覚えながらもフェイトの魔法犯罪課刑事としての人生がスタートしたのである。

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