第2話「新しいパートナー」

 魔法犯罪課の業務は、過酷その物である。

 圧倒的な力を持つ魔導師を逮捕する際に、激しい戦闘となるのは日常茶飯事。

 さらには魔法を用いる事により、普通の人間には不可能とされる手口が使われる事による捜査の難航。

 そんな犯罪に立ち向かう為に設立されたのが魔法犯罪課である。対魔法犯罪のエキスパート集団である彼等は警察組織の中でも花型部署だ。

 当然転属を希望してもそう容易くなれる物ではない。


 たまたま欠員が出た所に出会ったという運が重なったとはいえ、フェイトの実力は本物だ。

 魔導師を恐れない度胸に、警察学校の成績も完璧で能力的にも精神的にも魔法犯罪課の刑事として不足はない。

 そう思ったからこそ恵一と優子は、フェイトを勧誘したのだ。


 しかし、やはり怖い物は恐い。

 恵一にとって女性は等しく恐ろしい存在なのだ。

 例外なのは学生時代からの付き合いである優子や、魔法犯罪課に所属する一部だけ。


 今度は慣れるのに何ヶ月かかるのだろうか?

 どうして自分がこんな目に合っているのか?

 そんな思考に支配されながら恵一は、現場に向かう車のハンドルを握っていた。


 原因の発端は河内だが、あそこでラルフ長官が来たのが間違いなく決定打となった。

 彼が魔法犯罪科をよく訪れる理由は、かつてのパートナーである河内との付き合いが現在まで続いているからだ。

 現役時代は河内と共にコンビを組んで数々の難事件を解決した英雄にして魔法犯罪課の創設メンバーの一人でもある。


 現場の刑事なら誰しもが憧れるラルフは、恵一の事も気にかけてくれている。

 助けてもらった経験も一度や二度ではない。

 ラルフにああ言われては断る物も断れない。

 そんな度胸の据わった人間は、それこそ河内ぐらいのものだ。

 

 それに恵一にはフェイト勧誘の責任もある。

 と言っても、現状は恵一にとって拷問に等しい状態なのだ。

 美少女を助手席に乗せ、二人きりで走る。

 普通の男性なら夢のようなシチュエーションも恵一には、もっともあり得て欲しくない事態だ。

 先程から沈黙が流れる度、フェイトが気を使って話し掛けていたが、これも恵一の心にプレッシャーとなって圧し掛かっている。


 一時間の地獄を終え、ようやく現場に辿り着いた恵一は、車を出るや否や深呼吸をした。

 それは気分を落ち着ける為でもあったし、フェイトから漂って来るシャンプーと香水の混じった本来芳しいはずの女性独特の愛らしい匂いが不快だったからでもある。


 現場となったのは、首都ドラゴニアにあるリアスサン第三の大都市ミラード市。

 その中でも東洋系が多く訪れる歓楽街である東桜内町で、既に市警が到着して現場を封鎖していた。


 遺体が発見されたのが飲み屋と飲み屋の間にある路地裏だった事から現場保存のテープから数メートル離れた位置に立っていても、酒と生ごみの匂いが漂って来る。

 しかし普段なら鼻を突く悪臭もフェイトの匂いに比べれば、恵一には幾分かましに思えた。


 テープをくぐって恵一とフェイトが現場に足を踏み入れる。

 朝でも薄暗いそこには、生ゴミや得体のしれない汁がこびり付いたごみ箱が無数に置かれていた。

 さらには昨晩誰かが残していった吐しゃ物が地面に点在しているのも手伝って一層悪臭は、きつくなり、堪らなくなったのかフェイトが鼻を摘んでいる。

 恵一にとっても許容量を大きく超える臭いだが、それでもまだこちらの方がフェイトの香りよりも僅かにマシだった。


 先に来ていた市警の捜査官達も、この悪臭には耐え兼ねている様で各々がマスクやハンカチを片手に路地裏を調べている。

 恵一が現場を見ていると中年の男性が路地の右端で寝転んでいるのが見えた。

 一見すると酔っ払いが眠っているようでもあるが、生命を失った遺体特有の雰囲気が彼が被害者であると訴えてくる。


「ひどい」


 フェイトはこの世の絶望全てを一度に味わったかのような悲痛を表情に浮かべた。


「遺体は平気?」


 恵一がなるべく優しい語調で聞くとフェイトは力無く頷いた。


「はい、なんとか」


「そのうち慣れるよ。悲しい事だけど」


 恵一は、凄惨な現場にも遺体にも慣れていたが、それが果たして良い事なのかは分からなかった。

 見慣れてしまう程、リアスサンで数多くの事件が起きていると言う事である。

 しかし、それが刑事にとって必須のスキルである事もまた否定は出来ない。

 結論の出ない自己矛盾をひとまず置いて、恵一は遺体を見つめた。

 

 被害者は、西洋系の男性。

 年齢は五十代ぐらいだろう。

 ややふくよかな体型で身に付けているのは、高級ブランドのロゴが入ったポロシャツと、体型に合わせて誂えてある黒いズボンだった。

 服装から想像にする裕福な暮らしをしていた様である。

 左の首筋には切り傷があり、相当深い。

 他に目立った外傷もない事から、この傷が致命傷だろう。

 だが妙なのは傷口はおろか、シャツの襟元にさえ一滴の血も付いていない事だった。


「血痕が無い」


「血を全部抜かれているそうだ」


 背後から声を掛けられ、恵一が振り返ると、くたびれた灰色のスーツを着た老刑事が立っていた。

 歳は六十代程に見え、白髪の混じる髪を横に流している姿は、小説や映画に出てくる定年を間近に迎えた刑事がそのまま飛び出して来たようである。


「魔法犯罪課の新巻恵一警部補です。彼女はフェイト・リーンベイル巡査」


「ミラード市警、警部補の磯山幸平だ。よろしく。こういう事件は、慣れてなくてね」


 魔法犯罪そのものの発生件数は通常の犯罪の十分の一程度であり、また魔法犯罪と発覚した場合には魔法犯罪課が引き継ぐ事も少なくない。

 そのため、市警の刑事が定年間近の年齢になっても魔法犯罪の担当数が数件という例は珍しくなかった。

 恵一は、磯山の隣に並んでしゃがみ込むと遺体の顔を覗き込んだ。


「身元は?」


「まだ不明だが、今失踪者リストと照合中だ」


 幸いにして遺体の状態は、良好である。

 これなら、すぐに身元が判明するだろう。


 恵一は、遺体が遺棄されている路地裏を見回した。

 昼間でも薄暗いここなら、夜には視界の殆どを奪うだろうが、何せ表は歓楽街である。

 昼夜を問わず人が居る。

 犯人は、かなりの危険を冒してこの場所に遺体を遺棄したのだろう。


「目撃者は?」


「居ない。こんな場所なのに、不思議でしょうがないよ」


 磯山の落胆を見るに彼も恵一同様、犯人が目撃されていると確信していたのだろう。

 当ては外れたが、目撃者が居ないなら軍用の転移魔法や光学魔法に長けた魔導師である可能性も出て来る。

 もしもそうなら犯人は、特殊部隊に在籍している軍人か元軍人である可能性が高く、犯人の絞り込みは容易となる。


「魔法は、どういった形で絡んでいるので」


 魔法犯罪課に出動要請が下るのは現場の刑事か、鑑識の人間が魔法犯罪の痕跡を見つけた時だ。

 恵一の所見では、今の所魔法犯罪が起きたとする決定的な証拠はない。

 遺体の傷口は、刃物で切られた物に見えるから魔法が凶器とも限らないし、血液が抜かれている理由もいくつか考えられるが、これも魔法犯罪と結びつくわけではない。

 遺体の遺棄に関しても魔法を使わずとも人目に付かないタイミングで遺体を捨てる事は難しくても不可能ではないだろう。


「傷口の断面見てくれ」


 磯山は遺体の首元にある傷を指差した。

 先程も見たが一目で分かる様な不審点はない。

 あえて特徴を挙げるなら傷口が鋭利である事ぐらいだろう。


「綺麗ですね」


 率直に感想を述べると磯山が頷いた。


「まだ詳しく調べていないんだがな。うちの鑑識が言うに、普通の刃物にしては鋭利過ぎるらしいんだ」


「なるほど。確かに魔力刃ならこの傷口になるかも」


 魔力刃は、その名の通り魔力を刃状に固定化して使用する魔法だ。

 通常の刃物よりも切れ味が良く、さらに自由に出し入れ出来る事から、その利便性を歓迎されたが、すぐにこれを使った魔法犯罪が激増した。

 七十年程前に規制され、今では職業上使用せざるを得ない特定資格を持たない魔導師は習得する事の出来ない習得制限魔法とされている。

 魔力刃を習得出来る職業は限られている上に、魔導師登録のデータベースにも残る為、犯人の絞り込みは難しくない。


 恵一が立ち上がって、遺体を見下ろすと、制服のズボンに土埃が付いているのに気が付いた。

 手で払おうした時、視界の横から白くか細い手が入って来てズボンの汚れを拭ってくれる。

 驚いた恵一が視線を横に振ると、フェイトが中腰になってズボンの汚れを取ってくれていた。

 彼女なりに気を使っての行為だったのだろうが、女性に触れられた恐怖が先立って、恵一の心中で黒い塊が一気に膨れ上がった。


「うわっ! 触るな!」

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