第3話「プロファイリング」
「うわっ! 触るな!」
恵一は、反射的に怒声を上げ、フェイトの手を払い除けていた。
輪ゴムを弾くような甲高い音が現場に響き、その場にいる捜査員全員が凍り付いた様に作業の手を止めた。
フェイトは、真っ赤になった右手の甲を左手で包み込む様に抑えている。
「ごめん、なさい……」
「あ、いや。今のは僕のほうが悪いんであってね……痛かったよね?」
目の前の少女は、正義感と希望に胸を膨らませて魔法犯罪課の刑事になったはず。
なのに勤務初日から相棒は嫌悪感丸出しで、挙句に暴力を振るう始末だ。
今の光景を市警の人間に見られてしまったのもまずい。
市警の捜査員たちの突き刺すような冷めた視線が恵一に注がれる。
誰より強い不信を露わにしたのは、恵一を呼んだ磯山本人だった。
「魔法絡みの事件なんであんたらを呼んだんだが……二人で大丈夫なのか?」
磯山の〝二人で〟が指すのは、恵一とフェイトの関係性だろう。
ただでさえ二人は若い。
未熟なのでは? との不安もあるだろうに、関係同士が上手くいっていないとなれば印象は最悪だ。
下手な言い訳をすれば墓穴を掘るだけだ。
「ご心配なく」
何か言い訳をするよりも事件を解決する事で名誉を挽回する。
相棒の少女は、その意図を汲み取ってくれた様で、腰を落として遺体を眺めた。
「抵抗した痕はありませんね」
「うん。防御創はない。手首にも縛られた痕がない。という事は薬品で眠らせていたのかも」
「睡眠魔法は、どうでしょう?」
「睡眠魔法は、犯罪への悪用を防止するため眠りにつくまで時間が掛かるように調整されてる物しか取得が許されていない。魔力反応を見れば明らかになると思うけど、即効性を考えるなら薬の方がいい」
「でもどうやって飲ませたんですか? もしくは嗅がせたか」
「多分被害者は、犯人を信頼していたか、犯人が初対面の被害者を安心させ得る話術を持っていたか。もしくは背後から隙を突き、薬品で眠らされて本人も気が付かない内に殺された。どっちにせよ。場当たり的な犯行ではない。彼を狙っていたんだと思う」
「なんで彼を狙っていたと分かるんです?」
「通り魔的な犯行ならもっと襲いやすい人物を狙うはずだ。例えば女性とか、子供。男性でしかもこんな体格のいい人物だと抵抗された時に大変だ。だから襲いにくい彼を選んだのなら彼を狙う理由があった」
恵一とフェイトのやり取りに、先程まで寒々しい反応を向けていた現場の捜査官達も恵一を見る目が変わってきた。
どうやら恵一の推理に耳を傾け始めているらしい。
状況の改善に僅かばかりの安堵を覚えながら恵一は続けた。
「ただ妙だ」
「何がだ?」
今度は磯山が興味深げに聞いてくる。
恵一は、淀みなく語り出した。
「この犯人は緻密だと思います。被害者を信用させる話術、薬を使う犯行の手際の良さ、頸動脈を正確に切れる技術を持っている。なのに、遺体は、こんな路地裏に捨てているんですよ。こうした秩序型の犯人は犯行の発覚を恐れて、遺体を隠蔽しようとするはずなのに」
「秩序型ってプロファイリングですか?」
フェイトが訝しげに聞いてきた。
警察学校のカリキュラムとしてプロファイリングの講義は存在するが選択性である。
プロファイリングの有用性に懐疑的な捜査官も居るため選択制となっているが、どうやらフェイトは懐疑派のようである。
「魔法の性質は、個人の精神状態や心理状態。どんな人生を送ってきたか等の総合的な心理的要因に左右されるからね。だから魔法犯罪は、通常の犯罪よりもプロファイリングの的中精度が高いんだ。」
「そうなんですか?」
「それに魔法には職業ごとの取得制限があるからね。もちろん違法に取得している可能性もあるけど、使っている魔法から職種は特定しやすく、人物像を推測しやすい。それに魔導師データベースを検索する時の絞り込みにも使えるからね」
「そこまで有用だとは知りませんでした。てっきり当て推量……なんでもありません」
「いいよいいよ。こういう技術はそういう見方をされやすいのは知ってるから」
「とにかくこの犯人は秩序型なんですね?」
「秩序型だと思うけど、遺体の遺棄だけはいいかげんだ。それにこんな汚れた場所に捨てている。被害者を人間扱いしていないのは無秩序型の傾向だ」
「それで何が分かるんだ?」
恵一とフェイトの会話に磯山が割り込んで来た。その声には苛立ちが見られる。
どうやら話に付いていけないのが悔しいらしい。
恵一は磯山に向き直ると事務的な笑顔を浮かべた。
「犯人がどんな人物かです。被害者に抵抗もされず犯行を行い、捨てる場所はともかく遺体の遺棄も目撃者は居ない。この手際の良さは相当に手慣れています。初めての犯行じゃない可能性が高い。それにこれは専門知識のある人間の殺し方。日常的に魔力刃で人を切り裂き、薬品の扱いが得意な職業」
既に見当の付いている恵一だったが視線を送り、あえてフェイトに答えを求めた。
自分が教えてばかりではフェイトの勉強にならないと考えたのである。
事実恵一も学生時代は、こうやって講師や先輩にしごかれていた。
考え込みながらフェイトは、自分の頬を指先で軽く叩き始め、しばらくすると上目遣いに恵一を見つめた。
「医者ですか?」
恵一はフェイトが正解に辿り着いた微笑ましさに手を叩いた。
「そう、魔導医師。魔力で作ったメスは普通の物よりも傷が残り難いから、需要も高い」
魔導医師は、治癒魔法や魔力メスなどといった医療系の魔法全般を扱う医師の総称である。
恵一は、頸動脈を正確に切る技術と魔力刃で出来たと思われる傷口。
そして薬品で眠らせる手口から魔導医師が犯人であると推測したのだ。
メモを取りながら聞き入っているフェイトはこの意見に賛同している風に見えるが、
「だけどな、医者なんて星の数居るんだぞ。犯人は、どこのなんて医者だ」
磯山のぶつけてきた疑問はもっともである。
魔導医師になるには相当の努力と才能が必要になるが、そうした人間はこの国に数え切れない程居る。
恵一は腕を組み、思案を交えつつ磯山の質問に答えた。
「怪しいのは、主治医ですね。被害者が患者だったら簡単に薬を盛れる。二十年前シェルビー・トップマンという医師が居ました。彼は自分の患者に毒を盛って重症化させ、その苦しむさまを見て楽しんでいたんです。最終的に犠牲者の数は三十二人に及びました」
「そんなに殺して気づかれなかったのか。疑われそうなもんだが」
「秩序型の犯人ですから、その辺はうまくやっていたんです。その何倍という数の患者を彼は救っていました。腕がいいと評判の医者だった。だがその腕を悪用した。今回の犯人も同じタイプでしょう」
「じゃあ先輩。この被害者の主治医を探せばいいんですか?」
フェイトの問いに恵一は頷いた。
「そうだね。もしくは主治医じゃなくても被害者が通っていた病院の医師。インターンじゃない。この傷は手慣れている。だからそこまで若くないですね。でも遺体を運んだりしているから歳でもない。最低でも三十代~四十代ぐらいの男性。多分西洋系」
「どうして男だと分かるんだ。それに西洋系って」
首を傾げる磯山は、恵一が犯人をある程度断定した事が気になっている様だ。
確かにさしたる証拠もなしに決めつけるのは不可解に見えるだろう。
だが恵一にはそれなりの根拠という物があってこの推理をしたのである。
恵一は、そう判断するに至った根拠を述べ始めた。
「殺人犯の八割は男性。医者も七割は男性です。魔導師も西洋系の方が圧倒的に多い。統計的に見れば現時点では、西洋系の男性を容疑者とするのが妥当です」
ここまで説明した所で恵一は、フェイトと磯山の顔色を窺った。
彼等は魔導師プロファイリング初体験。
そのため話に付いてきているのか、理解出来ているのか、気になっての行為だった。
幸いフェイトは説明を理解しているようで、磯山も時々唸り声は上げるが、飲み込めている様に見える。
一先ずの安堵を得て、恵一はさらに続ける。
「これは復讐殺人ではない。恨みがあるなら痛め付けるはずなのに、なるべく苦しめずに殺している。だから被害者に恨みは抱いておらず、でも殺すのが目的だった。性的な要素は」
「性的ってなんだ?」
「所謂快楽殺人ですよ。性的サディストとも言います。犯行の手口は洗練されているが拷問の痕はなく苦しめないように殺している。性的サディストはこんな殺し方はしません」
「でも殺し方には特徴がありますよね。血を抜くって言うのも拷問染みていませんか? もし生きながら血を抜いたなら」
「たしかにね。意識をはっきりさせながら身体の自由を奪う薬や魔法はあるけど、そこまでするならもっと拷問を楽しむはずだ。僕が見た限り、これは命を奪うのが目的で、被害者を眠らせた状態で殺してる」
「どうしてわかるんですか?」
「苦しめたいならもっと激しい拷問をするはず。でもこの犯行にそういう意図は見られない。こんな場所に捨てているから罪悪感も現れてないけど、なるべく楽に殺そうという意図は見える」
「でも手口にはこだわっていますよね」
「魔力メスは魔力のサンプルが警察に無ければ足は付かないし、凶器の始末も楽だ。だから堂々と魔力メスを使うという事はこの犯人に逮捕歴はない。これが初めての犯行ではないけど、今までばれずにやって来たって事だ。それから女性の可能性もなくはないですが、相当低いですね。犯人が魅力的な女性なら薬を盛るのは簡単でしょうが被害者は誘いに乗るタイプには見えない。結婚指輪をしていますし、磨かれているが傷も多い。普段から付けていて磨くとき以外、外す事がないんでしょう」
「でも考慮はした方がいいじゃないでしょうか?」
「いや。女性が連続殺人を犯す理由は金銭だ。彼は服装からして裕福だと思う。服がボディーラインにあっているからオーダーメイド。でも金目当てなら傷がついているとはいえ、プラチナの指輪を置いていくか? それに女性の殺人犯は、犯行の発覚を男性の殺人犯以上に恐れる。遺体をバラバラにして隠したり、水葬したりする事が多いけど、こんな場所に捨てたりはしないはずだ」
「じゃあ遺体をここに捨てたのはばれてもいいと考えてるから?」
「それか、警察への挑戦だね。捕まえてみろって。男の犯罪者には警察に挑戦する者も多い」
「なるほどな。納得行ったよ」
磯山の語気には一切の疑念は感じられず、どうやら恵一の説明に心底納得が行った様子である。
「まだ推論の域は出ません。プロファイリングはあくまで統計学ですから外れる事もあります。通常の犯罪に比べれば魔法犯罪の場合的中率は高いですが、絶対的な指針と言うより、捜査の方針として参考になれば」
「そうかい。だが説得力はあった。俺は信頼するよ」
「ありがとうございます。捜査が進めば、もっと正確な物が出せるかと」
磯山とも会話が途切れた所で、ふとフェイトを見やると、手帳を開いて懸命にメモしている姿が映った。
初めてであった時にも思ったが、彼女はとても勤勉な新人だ。
それがこの少女を警察学校を首席で卒業させ、魔法犯罪課への所属を可能にした原動力なのだろう。
勉強熱心な後輩に笑みを零しながら恵一は、磯山に視線を向ける。
「僕達は類似した手口の事件が無いか調べます」
「俺達は何をすればいい?」
そう問われ、恵一はまだ確かめていない事を思い出す。
それは傷口の魔力の検査と、犯人と被害者の接点の裏付けだ。
「まず被害者の傷口に魔力が残留しているかのチェックを。それから病院を当たってくれますか。恐らく被害者と顔見知りの医師ですよ」
「どの病院だ」
「多分施設の充実した大きい病院でしょうね。これだけの腕を持った魔導医師を雇えるのは大きな病院だけです。彼は服装から見ても富裕層だから、やはり大きな病院に行くでしょう」
磯山は、恵一からの指示をメモに取った。
「分かった。見つけたら連絡する」
「お願いします」
恵一が軽く頭を下げると、磯山が遺体を指差した。
「遺体はどうする? 運んでいいか」
他に調べたい事がないか、恵一は頭を整理するが、これ以上に知りたい情報は司法解剖でないと得られない。
「どうぞ」
そう答えると磯山は無言で恵一に背を向け、他の捜査官に遺体を運び出すよう指示を出した。
「さて、どうしようかな」
遺体が運ばれていくのを見つめながら恵一は、空腹に襲われた。
時計を見ると、時刻は十二時十分前。ちょうど昼時である。
悪臭漂う場所で遺体を見送っているというのに、頭は既に昼食のメニューの事で一杯になっていた。
恵一自身、自らの図太さに感心していたが最低でもこの程度の精神力でなければ警察官なんてやっていられない。
刑事の性にうんざりとしながらも恵一は相棒の少女を見つめた。
「とりあえず魔導医師と類似した事件記録を調べようと思ってるけど……その前に食事にしよう」
「はい」
フェイトが笑顔で頷くのを確認してから、恵一は路地裏を出て、表道路に止めた車へと歩き出した。
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